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My Funny Valentine ジャンル:恋愛
Noctuelles ―蛾―
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「こら! それはだめだ!」
真紀のチョコレートを頬張る小雨に、俺は慌てて飛びかかった。しかし、すんでのところで躱されてしまい、ヘッドスライディングのような体勢で、無様に床を這う。強く打ち付けた肘と膝が痛んだ。
「いてて……」
床がカーペットなのが不幸中の幸い、もしこれがフローリングだったらと思うとぞっとする。すぐさま体を起こそうとしたのだが、突然肩に衝撃を感じて、俺は仰向けに突き転ばされ、今度は背中を強かに打った。背中にじんわりと痛みが広がる。何が起こったのか……と考える間もなく、視界が暗く覆われる。
肩を抑えつけられる感覚。目の前に小雨の顔があった。さっき肩に受けた衝撃は彼女によるものだったとわかる。
何か柔らかいものが唇に触れた。一体何が起こっているのか、状況がさっぱり掴めない。
だが次の瞬間、口の中に、何かどろりとしたものが流し込まれた。舌に触れると甘みを感じるその塊から、濃厚なカカオの香りが広がる。事ここに至って、俺にもようやく今の状況が理解できた。これは小雨の唇、真紀のチョコレート、小雨の唾液。唇を押し開いて入ってきた彼女の長い舌が、カカオの塊を押し込みながらうねうねと動いている。彼女の脚は俺の胴体を跨ぎ、馬乗りの姿勢になった。下着が見えそうなほどた捲れ上がったニットワンピ、俺は完全に抑え込まれた格好で、身動きが取れない。
何故俺は抵抗しないのだろう。自分でもよくわからなかった。小雨の熱い息が顔に当たる。所在なくうろついていた俺の舌は、ついに彼女の舌に捕らえられた。ボス戦の途中で放置されたままのゲーム画面が、意味深に告げる。
"Mission failed"
口の中に広がる芳醇な甘み、噎せ返るようなアルコールの臭い、柔らかい小雨の唇、彼女は目を瞑っている。
絡み合う舌の間で、チョコレートと理性が溶けていった。
もう何も考えられない。このチョコレートを作った女の事も、小雨に対して抱いてきた様々な葛藤も、何もかも放り出して、欲望の赴くままに、ひたすら彼女の舌を貪った。
チョコレートが完全に溶けてなくなってからも、接吻はしばらくの間続いた。唾液とチョコレートは、複雑に混じり合いながら、次第に粘度を増してゆく。小雨は不意に唇を離した。唾液が細く糸を引いて、それはさながら、出港する船から投げられる紙テープのようでもあった。
「おいひかった?」
小雨は満面の笑みを浮かべた。そう、とろけるように満面の……初めて見る彼女の顔だ。俺は無言で頷いた。舌が麻痺したように痺れていて、うまく喋れない。
「邪魔だな、これ……」
彼女はそう呟いて、銀縁眼鏡を外し、どこかへ放り投げた。そして、再び真紀のチョコレートの箱へと手を伸ばし、中から一つ取り出して、包み紙を引き裂いた。
「今度はあたしにも食べさせて」
小雨はそう微笑んで、チョコレートを俺の口へ押し込む。今度は、ややビター風味のチョコレートでコーティングされたものだった。俺は体を起こし、彼女の背に手を回して唇を合わせる。二つの唇の間を、再び溶けたチョコレートが往復し始めた。まるで責任を押し付け合っているみたいだな、と俺は思った。首にしがみつくように回された彼女の腕、その力の強さに驚かされる。
何度も何度も往来を繰り返して、そのチョコレートが半分ほどの大きさになった頃、俺は誤って口からチョコレートを落としてしまった。溶けかかったチョコレートは小雨の胸元にぽとりと落ち、二、三センチほど、つう、と滑って止まった。その軌道に沿って、液体になったチョコレートが跡をつけている。
「へてゃくしょ」
彼女は淫らに微笑しながら、呂律の回らない舌で、『へたくそ』と言った。俺はすぐさまチョコレートを口で掬い、彼女の唇に流し込む。激しく口づけを交わしながら、ニットワンピをたくし上げ、その柔肌を万遍なく愛撫した。指に込める力の強さに応じて、彼女の体もびくり、びくりと敏感に反応する。感度の良い部分を探るのがたまらなく楽しい。
間もなく、チョコレートは完全に溶けてなくなった。気が付けば、いつの間にか蛍光灯もテレビも消えている。どちらが手を伸ばしたのか全く記憶にない。そのまま、俺はゆっくりと小雨を押し倒す。脱がせやすさにおいてニットワンピの右に出るものはないな、と思った。
窓から差し込む街灯の僅かな明かりが、彼女のデコルテに残った唾液とチョコレートの化合物の跡を、てらてらと鈍く照らしている。
「もっと汚していいよ」
しっとりと濡れた唇で、彼女は言った。
「あたし、瞬が思ってるほどいい子じゃないから」
夢の中で何度も見た小雨の裸体が今、肉を備え、実体となって俺の腕の中に横たえられている。
今更正気には戻れない。俺ももっと酔っておけばよかった。部屋のデジタル時計の表示は、23時59分、もうすぐ日付が変わる。
超自我はとっくの昔に消え去り、もはや自我さえ投げ出そうとしている。
俺はもう俺ではない。
彼女ももう小雨ではない。
暗闇の中、彼女の潤んだ瞳に映り込んだ死にかけの街灯は、最後に一際激しく明滅を繰り返して、消えた。
真紀のチョコレートを頬張る小雨に、俺は慌てて飛びかかった。しかし、すんでのところで躱されてしまい、ヘッドスライディングのような体勢で、無様に床を這う。強く打ち付けた肘と膝が痛んだ。
「いてて……」
床がカーペットなのが不幸中の幸い、もしこれがフローリングだったらと思うとぞっとする。すぐさま体を起こそうとしたのだが、突然肩に衝撃を感じて、俺は仰向けに突き転ばされ、今度は背中を強かに打った。背中にじんわりと痛みが広がる。何が起こったのか……と考える間もなく、視界が暗く覆われる。
肩を抑えつけられる感覚。目の前に小雨の顔があった。さっき肩に受けた衝撃は彼女によるものだったとわかる。
何か柔らかいものが唇に触れた。一体何が起こっているのか、状況がさっぱり掴めない。
だが次の瞬間、口の中に、何かどろりとしたものが流し込まれた。舌に触れると甘みを感じるその塊から、濃厚なカカオの香りが広がる。事ここに至って、俺にもようやく今の状況が理解できた。これは小雨の唇、真紀のチョコレート、小雨の唾液。唇を押し開いて入ってきた彼女の長い舌が、カカオの塊を押し込みながらうねうねと動いている。彼女の脚は俺の胴体を跨ぎ、馬乗りの姿勢になった。下着が見えそうなほどた捲れ上がったニットワンピ、俺は完全に抑え込まれた格好で、身動きが取れない。
何故俺は抵抗しないのだろう。自分でもよくわからなかった。小雨の熱い息が顔に当たる。所在なくうろついていた俺の舌は、ついに彼女の舌に捕らえられた。ボス戦の途中で放置されたままのゲーム画面が、意味深に告げる。
"Mission failed"
口の中に広がる芳醇な甘み、噎せ返るようなアルコールの臭い、柔らかい小雨の唇、彼女は目を瞑っている。
絡み合う舌の間で、チョコレートと理性が溶けていった。
もう何も考えられない。このチョコレートを作った女の事も、小雨に対して抱いてきた様々な葛藤も、何もかも放り出して、欲望の赴くままに、ひたすら彼女の舌を貪った。
チョコレートが完全に溶けてなくなってからも、接吻はしばらくの間続いた。唾液とチョコレートは、複雑に混じり合いながら、次第に粘度を増してゆく。小雨は不意に唇を離した。唾液が細く糸を引いて、それはさながら、出港する船から投げられる紙テープのようでもあった。
「おいひかった?」
小雨は満面の笑みを浮かべた。そう、とろけるように満面の……初めて見る彼女の顔だ。俺は無言で頷いた。舌が麻痺したように痺れていて、うまく喋れない。
「邪魔だな、これ……」
彼女はそう呟いて、銀縁眼鏡を外し、どこかへ放り投げた。そして、再び真紀のチョコレートの箱へと手を伸ばし、中から一つ取り出して、包み紙を引き裂いた。
「今度はあたしにも食べさせて」
小雨はそう微笑んで、チョコレートを俺の口へ押し込む。今度は、ややビター風味のチョコレートでコーティングされたものだった。俺は体を起こし、彼女の背に手を回して唇を合わせる。二つの唇の間を、再び溶けたチョコレートが往復し始めた。まるで責任を押し付け合っているみたいだな、と俺は思った。首にしがみつくように回された彼女の腕、その力の強さに驚かされる。
何度も何度も往来を繰り返して、そのチョコレートが半分ほどの大きさになった頃、俺は誤って口からチョコレートを落としてしまった。溶けかかったチョコレートは小雨の胸元にぽとりと落ち、二、三センチほど、つう、と滑って止まった。その軌道に沿って、液体になったチョコレートが跡をつけている。
「へてゃくしょ」
彼女は淫らに微笑しながら、呂律の回らない舌で、『へたくそ』と言った。俺はすぐさまチョコレートを口で掬い、彼女の唇に流し込む。激しく口づけを交わしながら、ニットワンピをたくし上げ、その柔肌を万遍なく愛撫した。指に込める力の強さに応じて、彼女の体もびくり、びくりと敏感に反応する。感度の良い部分を探るのがたまらなく楽しい。
間もなく、チョコレートは完全に溶けてなくなった。気が付けば、いつの間にか蛍光灯もテレビも消えている。どちらが手を伸ばしたのか全く記憶にない。そのまま、俺はゆっくりと小雨を押し倒す。脱がせやすさにおいてニットワンピの右に出るものはないな、と思った。
窓から差し込む街灯の僅かな明かりが、彼女のデコルテに残った唾液とチョコレートの化合物の跡を、てらてらと鈍く照らしている。
「もっと汚していいよ」
しっとりと濡れた唇で、彼女は言った。
「あたし、瞬が思ってるほどいい子じゃないから」
夢の中で何度も見た小雨の裸体が今、肉を備え、実体となって俺の腕の中に横たえられている。
今更正気には戻れない。俺ももっと酔っておけばよかった。部屋のデジタル時計の表示は、23時59分、もうすぐ日付が変わる。
超自我はとっくの昔に消え去り、もはや自我さえ投げ出そうとしている。
俺はもう俺ではない。
彼女ももう小雨ではない。
暗闇の中、彼女の潤んだ瞳に映り込んだ死にかけの街灯は、最後に一際激しく明滅を繰り返して、消えた。
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