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プロローグ
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※本作は、
「アンダンテ」
「桜の樹の下に君を埋めるといふこと」
「文芸部美女トリオの小さな事件簿」
から連なるSシリーズの続編となります。過去作をお読み頂ければ、キャラクターや設定が幾分わかりやすくなると思われます。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
「え、伊達刑事が、私に?」
経済学部棟を出てすぐ、美矢城県警の刑事と名乗る男に呼び止められた私は、思わずそう問い返した。男はゆったりと頷く。
「はい。先日、この三内キャンパスで起こった事件について、もう一度西野園さんにご意見を伺いたいとのことで、ご都合がよろしければ、ご同行頂けませんでしょうか?」
私が所属する経済学部の今日の講義は午前中だけ。教育学部の瞬は午後も講義があるので、彼の講義が終わるまで、自習して卒論の準備でもしようかな、と思っていたところで、この刑事に呼び止められたのだ。
白髪交じりの小柄な老刑事。警察手帳をさりげなく胸の前に提示し、再び懐に収めてから、彼は伊達刑事が私の意見を求めている旨を述べた。
伊達刑事とは、先日この青梛大学三内キャンパスのサークル棟で起こった事件を担当した刑事だ。私の後輩である袴田心美ちゃんに事件へ関与している疑いがかけられ、彼女が過去に関わった事件について尋ねられたことがある。
またその際、どこからか私の(正確に言えば、私の別人格の)素人探偵としての噂を聞きつけていたらしい伊達刑事に、事件に関する意見を求められたりもした。探偵である彼女は結局目覚めることなく、私が提供できたのは、国道は渋滞しているとかホテルに窓がないという程度の、およそ推理とは呼べない情報だけだったけれど。
ただ、サークル棟で起こった事件については、切断された被害者の頭部が発見されたことで捜査が大きく進展しているはず。素人探偵の頭脳なんて、現代の優れた科学捜査に比べたらおままごとのようなもので、今更私が力になれることなどないと思うのだが……。
とはいえ、その伊達刑事から助力を求められて、強いて断る理由も見当たらない。ちょうど午後の予定は空いていたし――ということで、私はその老刑事の運転する覆面パトカーに乗り込んだのだった。
だが、このあまりにも軽率すぎる決断を、後々私は後悔する羽目になる。
覆面パトカーは一度青葉市内に出て、そこからまた郊外へ、さらに人気の少ない山間部へと進んでゆく。てっきり署に直行するものだと思っていた私は、少々戸惑いを覚えたものの、まあ伊達刑事も忙しそうだし、あちこち飛び回っているんだろうな、ぐらいに軽く考えて、それ以上追求はしなかった。
しかし、車が山へ入り、建物も車通りも皆無な細い山道を昇り始めたところで、さすがに疑問が湧き始める。三内キャンパスの立地も山に近いけれど、方向が全く違うし、既にかなり山奥に入ってしまった気がする。被害者の頭部が発見された川とも離れているし、あの事件の捜査で、果たしてこんなところまで来るものだろうか――不審に思った私は、ハンドルを握る老刑事に尋ねた。
「あの……伊達刑事はどちらにいらっしゃるんですか? 随分山奥まで来てしまったようですけれど」
「ああ、申し訳ありません。もうじき着きますので、現地で詳しい説明があるかと思います」
「……はぁ、そうなのですか……」
私の質問に対する返答には全くなっていなかったけれど、もうじきわかると言われると、何となくそこで引き下がらざるを得ない気持ちにさせられてしまう。私は結局、この老刑事にまんまと丸め込まれてしまったのである。
それから数分後、鬱蒼とした森が広がる山中に突然開けた場所が見え、車はそこでエンジンを止めた。老刑事は運転席を降り、後部座席に座る私のドアを開けると、恭しく頭を下げる。
「こちらでございます」
と、言われるまま車から降りると、目の前に、地上四階ほどはあろうかという巨大な廃墟が二つ並んで聳え立っていた。地面には雑草が生い茂り、土はヒールが沈んでしまいそうなほど柔らかい。
規模から推測するに、かつて病院か学校として使われていた建物だろうか。一見して気になったのは、全て窓ガラスに鉄格子が嵌められていることだった。窓ガラスは割れていなかったし、落書きなどもなかったが、人の気配は全くない。何かの事件が起きそうな雰囲気は確かにあるけれど、でも、私が呼ばれたのは三内キャンパスの事件に関することだったはず。この廃墟が事件に何らかの関係を持っているとはとても思えない。
私はもう一度老刑事に尋ねた。
「あの、伊達刑事は本当にここにいらっしゃるんですか?」
老刑事は顔を上げずに答える。
「中でお待ちです、名探偵、西野園真紀様」
「……待っているのは、本当に伊達刑事なんですか?」
この問いには、老刑事は何も答えなかった。
答えないのなら確かめるまでのこと。私はバッグからスマートフォンを取り出した。私を呼び出したのが伊達刑事なのか否か、この老人が本当に刑事なのか、警察に直接電話して確認しようと考えたのだ。そして、もしもこの老人が偽物だった場合は、見知らぬ男に山奥に連れ込まれたとそのまま通報すればいい。
私がスマートフォンを手に取っても、老人は何の反応も見せない。その理由はすぐにわかった。スマホのロックを解除した私は思わず、
「……そんな……嘘でしょ……?」
と呟いてしまった。そう、ここは市街地から遠く離れた山奥。携帯の電波は、当然のように圏外だったのだ。スマホの壁紙に設定している可愛らしいポメラニアンの画像も、この時ばかりは私の心を癒してはくれなかった。
「中で、お待ちです」
狼狽える私を嘲笑うのような老人の無機質な声が、苛立つ私の神経をさらに逆撫でする。
私は確信した。私を呼んだのは伊達刑事ではない。私は騙されたのだ。警察手帳を見せられたこと、そしてキャンパスで起こった事件の話を持ち出されて、迂闊にもあっさりと信用してしまった。
そもそも、この老刑事は本当に刑事なのだろうか。警察手帳だって、ちらっと見せられただけだから、本物かどうか怪しいものだ。でも、三内キャンパスで起こった事件について伊達刑事が私に意見を求めたことを知っている人物はだいぶ限られて――。
いや、今更ここでこんなことを考えても仕方がない。いくら悔やんでみたところで、時計の針が巻き戻せるわけではないのだから。それよりも、今自分が何をすべきかを考えなければ。私は未だ深く頭を下げたままの老人を見た。
仮にこの老人が本物の刑事ではなかったとしても、今のところ、彼の態度から悪意は感じられない。こんな山奥までまんまと連れ出すことができたのだから、その気になれば、私を拘束することだって不可能ではないはず。彼の言葉から察するに、ここには共犯者がいると見て間違いない。それなのに、彼はあくまで紳士的な態度を崩していないのだ。
どのみち、ここまで来てしまったらもう歩いて帰ることはできないのだし、まずはこの老人の指示に従って、私を待っているという人物に会ってみよう。そう考えて、私は巨大な廃墟へ向かって歩き出した。
以前訪れた監獄島の建造物に勝るとも劣らない規模の廃墟。しかし、監獄島と比べると建物は比較的新しい。玄関のガラスの扉は多少汚れているものの、罅すら入っておらず、取っ手も錆びていない。とはいえ、日が落ちてからここに来れば、さすがに不気味な印象を受けるだろう。心霊スポットになってもおかしくないミステリアスな雰囲気が、この廃墟には確かに漂っている。
ここで私を待っているのはいかなる人物か。私はひとつ深呼吸して、心を落ち着かせてから、玄関のドアを押し開け、廃墟の中へと足を踏み入れた。
エントランスの正面には受付と思しきスペースが設けられていて、この建物がやはりかつて病院や学校として使われていたものだと察せられる。椅子が並べられているところを見ると、病院だろうか――と、その時。
どこからか、突如として大音量のオーケストラの音楽が鳴り響いた。床が小さく震えるほどの激しく勇壮な音色。誰の曲だろう、もしかしたら映画音楽の類かもしれない。辺りに注意を払いながら様子を窺っていると、数秒のち、音楽の音量が緩やかに絞られて、ボイスチェンジャー特有の耳障りな声が聞こえてきた。
「我が殺人ゲームへようこそ。一人目の探偵、西野園真紀くん」
「アンダンテ」
「桜の樹の下に君を埋めるといふこと」
「文芸部美女トリオの小さな事件簿」
から連なるSシリーズの続編となります。過去作をお読み頂ければ、キャラクターや設定が幾分わかりやすくなると思われます。
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「え、伊達刑事が、私に?」
経済学部棟を出てすぐ、美矢城県警の刑事と名乗る男に呼び止められた私は、思わずそう問い返した。男はゆったりと頷く。
「はい。先日、この三内キャンパスで起こった事件について、もう一度西野園さんにご意見を伺いたいとのことで、ご都合がよろしければ、ご同行頂けませんでしょうか?」
私が所属する経済学部の今日の講義は午前中だけ。教育学部の瞬は午後も講義があるので、彼の講義が終わるまで、自習して卒論の準備でもしようかな、と思っていたところで、この刑事に呼び止められたのだ。
白髪交じりの小柄な老刑事。警察手帳をさりげなく胸の前に提示し、再び懐に収めてから、彼は伊達刑事が私の意見を求めている旨を述べた。
伊達刑事とは、先日この青梛大学三内キャンパスのサークル棟で起こった事件を担当した刑事だ。私の後輩である袴田心美ちゃんに事件へ関与している疑いがかけられ、彼女が過去に関わった事件について尋ねられたことがある。
またその際、どこからか私の(正確に言えば、私の別人格の)素人探偵としての噂を聞きつけていたらしい伊達刑事に、事件に関する意見を求められたりもした。探偵である彼女は結局目覚めることなく、私が提供できたのは、国道は渋滞しているとかホテルに窓がないという程度の、およそ推理とは呼べない情報だけだったけれど。
ただ、サークル棟で起こった事件については、切断された被害者の頭部が発見されたことで捜査が大きく進展しているはず。素人探偵の頭脳なんて、現代の優れた科学捜査に比べたらおままごとのようなもので、今更私が力になれることなどないと思うのだが……。
とはいえ、その伊達刑事から助力を求められて、強いて断る理由も見当たらない。ちょうど午後の予定は空いていたし――ということで、私はその老刑事の運転する覆面パトカーに乗り込んだのだった。
だが、このあまりにも軽率すぎる決断を、後々私は後悔する羽目になる。
覆面パトカーは一度青葉市内に出て、そこからまた郊外へ、さらに人気の少ない山間部へと進んでゆく。てっきり署に直行するものだと思っていた私は、少々戸惑いを覚えたものの、まあ伊達刑事も忙しそうだし、あちこち飛び回っているんだろうな、ぐらいに軽く考えて、それ以上追求はしなかった。
しかし、車が山へ入り、建物も車通りも皆無な細い山道を昇り始めたところで、さすがに疑問が湧き始める。三内キャンパスの立地も山に近いけれど、方向が全く違うし、既にかなり山奥に入ってしまった気がする。被害者の頭部が発見された川とも離れているし、あの事件の捜査で、果たしてこんなところまで来るものだろうか――不審に思った私は、ハンドルを握る老刑事に尋ねた。
「あの……伊達刑事はどちらにいらっしゃるんですか? 随分山奥まで来てしまったようですけれど」
「ああ、申し訳ありません。もうじき着きますので、現地で詳しい説明があるかと思います」
「……はぁ、そうなのですか……」
私の質問に対する返答には全くなっていなかったけれど、もうじきわかると言われると、何となくそこで引き下がらざるを得ない気持ちにさせられてしまう。私は結局、この老刑事にまんまと丸め込まれてしまったのである。
それから数分後、鬱蒼とした森が広がる山中に突然開けた場所が見え、車はそこでエンジンを止めた。老刑事は運転席を降り、後部座席に座る私のドアを開けると、恭しく頭を下げる。
「こちらでございます」
と、言われるまま車から降りると、目の前に、地上四階ほどはあろうかという巨大な廃墟が二つ並んで聳え立っていた。地面には雑草が生い茂り、土はヒールが沈んでしまいそうなほど柔らかい。
規模から推測するに、かつて病院か学校として使われていた建物だろうか。一見して気になったのは、全て窓ガラスに鉄格子が嵌められていることだった。窓ガラスは割れていなかったし、落書きなどもなかったが、人の気配は全くない。何かの事件が起きそうな雰囲気は確かにあるけれど、でも、私が呼ばれたのは三内キャンパスの事件に関することだったはず。この廃墟が事件に何らかの関係を持っているとはとても思えない。
私はもう一度老刑事に尋ねた。
「あの、伊達刑事は本当にここにいらっしゃるんですか?」
老刑事は顔を上げずに答える。
「中でお待ちです、名探偵、西野園真紀様」
「……待っているのは、本当に伊達刑事なんですか?」
この問いには、老刑事は何も答えなかった。
答えないのなら確かめるまでのこと。私はバッグからスマートフォンを取り出した。私を呼び出したのが伊達刑事なのか否か、この老人が本当に刑事なのか、警察に直接電話して確認しようと考えたのだ。そして、もしもこの老人が偽物だった場合は、見知らぬ男に山奥に連れ込まれたとそのまま通報すればいい。
私がスマートフォンを手に取っても、老人は何の反応も見せない。その理由はすぐにわかった。スマホのロックを解除した私は思わず、
「……そんな……嘘でしょ……?」
と呟いてしまった。そう、ここは市街地から遠く離れた山奥。携帯の電波は、当然のように圏外だったのだ。スマホの壁紙に設定している可愛らしいポメラニアンの画像も、この時ばかりは私の心を癒してはくれなかった。
「中で、お待ちです」
狼狽える私を嘲笑うのような老人の無機質な声が、苛立つ私の神経をさらに逆撫でする。
私は確信した。私を呼んだのは伊達刑事ではない。私は騙されたのだ。警察手帳を見せられたこと、そしてキャンパスで起こった事件の話を持ち出されて、迂闊にもあっさりと信用してしまった。
そもそも、この老刑事は本当に刑事なのだろうか。警察手帳だって、ちらっと見せられただけだから、本物かどうか怪しいものだ。でも、三内キャンパスで起こった事件について伊達刑事が私に意見を求めたことを知っている人物はだいぶ限られて――。
いや、今更ここでこんなことを考えても仕方がない。いくら悔やんでみたところで、時計の針が巻き戻せるわけではないのだから。それよりも、今自分が何をすべきかを考えなければ。私は未だ深く頭を下げたままの老人を見た。
仮にこの老人が本物の刑事ではなかったとしても、今のところ、彼の態度から悪意は感じられない。こんな山奥までまんまと連れ出すことができたのだから、その気になれば、私を拘束することだって不可能ではないはず。彼の言葉から察するに、ここには共犯者がいると見て間違いない。それなのに、彼はあくまで紳士的な態度を崩していないのだ。
どのみち、ここまで来てしまったらもう歩いて帰ることはできないのだし、まずはこの老人の指示に従って、私を待っているという人物に会ってみよう。そう考えて、私は巨大な廃墟へ向かって歩き出した。
以前訪れた監獄島の建造物に勝るとも劣らない規模の廃墟。しかし、監獄島と比べると建物は比較的新しい。玄関のガラスの扉は多少汚れているものの、罅すら入っておらず、取っ手も錆びていない。とはいえ、日が落ちてからここに来れば、さすがに不気味な印象を受けるだろう。心霊スポットになってもおかしくないミステリアスな雰囲気が、この廃墟には確かに漂っている。
ここで私を待っているのはいかなる人物か。私はひとつ深呼吸して、心を落ち着かせてから、玄関のドアを押し開け、廃墟の中へと足を踏み入れた。
エントランスの正面には受付と思しきスペースが設けられていて、この建物がやはりかつて病院や学校として使われていたものだと察せられる。椅子が並べられているところを見ると、病院だろうか――と、その時。
どこからか、突如として大音量のオーケストラの音楽が鳴り響いた。床が小さく震えるほどの激しく勇壮な音色。誰の曲だろう、もしかしたら映画音楽の類かもしれない。辺りに注意を払いながら様子を窺っていると、数秒のち、音楽の音量が緩やかに絞られて、ボイスチェンジャー特有の耳障りな声が聞こえてきた。
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