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一人目の探偵、西野園真紀
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『我が殺人ゲームへようこそ。一人目の探偵、西野園真紀くん』
突如として響いてきたその声に、私は戦慄した。
ボイスチェンジャーを通した機械的な声で、年齢も性別もわからない。咄嗟に辺りを見回し声の出所を探してみたが、やはり人の気配は皆無だった。どこかにスピーカーが設置されているのだろう。
『私はこの殺人ゲームを主催するゲームマスター。今日君に来てもらったのは、私が用意した殺人ゲームに、是非とも参加して欲しかったからだ。結果として君を欺くことになってしまった点については、ここで詫びさせて頂こう。しかし、馥志摩で起こったアマチュア作家殺人事件のトリックを解き明かした美しい女探偵、西野園真紀。未だ全国区とは言えないものの、東北の警察関係者の中では、君の知名度はうなぎ昇りだ』
さすがにもう美”少”女探偵とは呼ばれなくなったか、と私は密かに落胆したが、問題はそこではない。アマチュア作家殺人事件について私が――正確に言えばもう一人の私が里見刑事から相談を受けたことを知っているのは、ごく限られた人間のはず。また、声の主は先程『知名度はうなぎ昇り』と言ったが、三内キャンパスで起こった事件の捜査のために大学を訪れた美矢城県警の片倉刑事は、私のことを知らなかったようだ。つまり、私は警察関係者の間ですら決して有名なわけではない。
ということは、この声の主は、警察内部にかなり広い情報網を持っている人物なのではないかと推察できる。
『舞台となるこの廃病院は、かつて精神科専門の病院として、特に症状が重篤な患者を収容していた場所。そのため、窓には全て鉄格子が嵌められている。また、非常口は全てセメントで固めさせてもらったため、出入りできるのは、現在君が立っているエントランスのみだ。そして、エントランスにはたった今、見張りの者を立たせた。君はこの殺人ゲームをクリアするまで外に出ることはできない。しかし、君に危害を加えるつもりはないので、その点は安心して欲しい。君がこの建物を出ようとしない限り、彼らが君に触れることはない』
振り返ると、玄関のガラスの扉の向こうには、黒ずくめの服装にサングラスをかけた屈強な大男が二人、いつの間にか配置されていた。私がこの廃墟に入るまではたしかに無人だったはずなのに。
私に危害を加えるつもりはない、という点は少しだけ安堵したけれど、しかし、問題はその『ゲーム』の内容だ。私は姿の見えない相手に向かって語りかける。
「ゲーム……? ゲームとは、いったい何ですか?」
『では、早速本題に入ろう。今から十五分以内に、この廃墟のどこかで、一人の人間が殺される。便宜上、殺される人間のことを生贄と呼ぶこととしよう。もし君がその殺人を防ぐことができたなら、このゲームは君の勝利、すぐにでも君を解放しよう。もし殺人を防ぐことに失敗した場合、数分後にまた新たな生贄がこの廃墟に放たれ、十五分以内に殺される。君が敗れてもペナルティはないが、君が勝つまで、このゲームは何度でも繰り返されることになる』
「生贄……? 殺される?」
『重ねて言うが、我々は君に危害を加えるつもりは全くない。そして、生贄は君とは全く無関係な人間たち。安心してゲームに挑んでいただきたい』
「ちょっと待って、そんなことを言われて、はいそうですかと安心なんかできるわけが――」
『……そうそう、大事なことを言い忘れていた。生贄が一人殺されるたび、新たな探偵がこの廃墟へとやってきて、君と共にゲームに挑むことになる。決して孤独な戦いにはならないだろう。では、ゲームスタート!』
という号令の後、音楽がプツリと途絶え、廃墟は再び静寂に包まれる。
……いや、そんな、勝手にゲームスタート! って言われましても。
早く帰りたいんですけど。
広大な廃墟に一人放り出された私は、途方に暮れた。
玄関を横目でちらりと窺ってみたが、二人の大男はこちらをじっと凝視していて、逃げ出せるような隙は全くない。となると、さっきの声が言っていた『殺人ゲーム』なるものをクリアしなければ、ここから出ることはできないのだろうか。
人里離れた館に探偵を集めて推理ゲーム、とは推理小説でならよくある設定だけど、いざ自分がその立場に置かれてみると、彼らがその推理ゲームに素直に興じていることに対して、改めて違和感を覚えてしまう。あれだけ人数がいるなら、しかもそれが高度な知能を持った探偵の集団だったら、いくらでも脱出する手段は思いつきそうなものだけれど。
とはいえ、今この状況で脱出を図るのはリスクが高そうだ。さっきの声は明確に、これからここで殺人が行われると断言していた。つまり、彼らは人の命を奪うことに躊躇しない集団、あるいは組織。いくら私に危害を加えるつもりはないと宣言したからといって、闇雲な抵抗は避けるべきだろう。
やっぱり、その『殺人ゲーム』に勝たなきゃいけないのか。
私は覚悟を決め、エントランスの奥へと伸びる廊下に向かって歩き出した。
足を一歩踏み出すたびに、リノリウムの床を踏む音が、幾重にも反響して帰ってくる。相変わらず人の気配は全くなく、本当にここがその殺人ゲームの舞台なのだろうか、と疑問を抱いてしまうほどだった。
廊下を少し歩くと、診察室とその待合室らしき場所へと出た。
二部屋並んだ診察室、その前に、無機質なデザインの木製の長椅子が数列並んでいる。待合室の窓からは雑草の繁茂する中庭を望むことができたが、窓の外に嵌められた真新しい鉄格子が、その荒廃した景色を更に味気ないものにしている。あの鉄格子も、このゲームのために取り付けられたものなのだろうか。
廃病院とその周辺を含む土地を買い取り(元々土地の所有者であった場合はこの限りではないけれど)、鉄格子を嵌め、セメントで出口を塞いで、複数の人間を雇い――舞台を整えるには、相当な資金やコネクションが必要なはず。このゲームの主はいったい何をしようとしているのだろう、と改めて疑問が湧いてくる。純粋な道楽のためだけに、この舞台を整えたのだろうか。それとも、何か別の目的が?
そんなことを考えながら、私は待合室を離れた。
実のところ、この廃墟はどれぐらいの広さがあるのだろう。外から眺めただけでも相当大きな建物だったけれど、実際中に入ってみると、それ以上に広く感じられる。しかも、これとほぼ同等の大きさのビルがもう一つあるのだ。
診察室及び待合室からさらに奥へと進んでいくと、別棟へ繋がる渡り廊下と階下、階上へ続く階段があった。一階から階下へ伸びる階段があるということは、つまりこの建物には地下室が存在することになる。建物の構造を把握するだけでも、優に一、二時間はかかってしまうだろう。
殺人を防がなければならない、とは言うが、それがどこで行われるのかについてのヒントは全くない。十五分後、この建物の中のどこかで。私に与えられた情報はたったそれだけ。
いったい私にどうしろと?
時間の制限があるミッションなのに随分のんびりしている、とは自分でも理解しているけれど、不可解な状況に一人放り出されて、すぐにテキパキと動ける人間が果たしてどれぐらいいるだろうか?
生来活発な性格の人ならそれも可能なのかもしれない。しかし私は元々引きこもりであり、どちらかといえば環境への適応には時間がかかるタイプなのだ。
当てもなく別棟へ続く渡り廊下を歩いていると、突然また大音量のオーケストラの音楽が鳴り渡り、ゲームマスターの不気味な声が告げた。
『残念ながら、たった今、一人目の生贄が殺された。やはり君一人では何もできなかったようだね。そして現在、二人目の探偵がこちらへ向かっているところだ。西野園君、君は建物内の探索を続けるもよし、エントランスで新たな探偵を出迎えるもよし、二人目の探偵がここに到着するまで、ひとまず自由に過ごしていてくれたまえ』
突如として響いてきたその声に、私は戦慄した。
ボイスチェンジャーを通した機械的な声で、年齢も性別もわからない。咄嗟に辺りを見回し声の出所を探してみたが、やはり人の気配は皆無だった。どこかにスピーカーが設置されているのだろう。
『私はこの殺人ゲームを主催するゲームマスター。今日君に来てもらったのは、私が用意した殺人ゲームに、是非とも参加して欲しかったからだ。結果として君を欺くことになってしまった点については、ここで詫びさせて頂こう。しかし、馥志摩で起こったアマチュア作家殺人事件のトリックを解き明かした美しい女探偵、西野園真紀。未だ全国区とは言えないものの、東北の警察関係者の中では、君の知名度はうなぎ昇りだ』
さすがにもう美”少”女探偵とは呼ばれなくなったか、と私は密かに落胆したが、問題はそこではない。アマチュア作家殺人事件について私が――正確に言えばもう一人の私が里見刑事から相談を受けたことを知っているのは、ごく限られた人間のはず。また、声の主は先程『知名度はうなぎ昇り』と言ったが、三内キャンパスで起こった事件の捜査のために大学を訪れた美矢城県警の片倉刑事は、私のことを知らなかったようだ。つまり、私は警察関係者の間ですら決して有名なわけではない。
ということは、この声の主は、警察内部にかなり広い情報網を持っている人物なのではないかと推察できる。
『舞台となるこの廃病院は、かつて精神科専門の病院として、特に症状が重篤な患者を収容していた場所。そのため、窓には全て鉄格子が嵌められている。また、非常口は全てセメントで固めさせてもらったため、出入りできるのは、現在君が立っているエントランスのみだ。そして、エントランスにはたった今、見張りの者を立たせた。君はこの殺人ゲームをクリアするまで外に出ることはできない。しかし、君に危害を加えるつもりはないので、その点は安心して欲しい。君がこの建物を出ようとしない限り、彼らが君に触れることはない』
振り返ると、玄関のガラスの扉の向こうには、黒ずくめの服装にサングラスをかけた屈強な大男が二人、いつの間にか配置されていた。私がこの廃墟に入るまではたしかに無人だったはずなのに。
私に危害を加えるつもりはない、という点は少しだけ安堵したけれど、しかし、問題はその『ゲーム』の内容だ。私は姿の見えない相手に向かって語りかける。
「ゲーム……? ゲームとは、いったい何ですか?」
『では、早速本題に入ろう。今から十五分以内に、この廃墟のどこかで、一人の人間が殺される。便宜上、殺される人間のことを生贄と呼ぶこととしよう。もし君がその殺人を防ぐことができたなら、このゲームは君の勝利、すぐにでも君を解放しよう。もし殺人を防ぐことに失敗した場合、数分後にまた新たな生贄がこの廃墟に放たれ、十五分以内に殺される。君が敗れてもペナルティはないが、君が勝つまで、このゲームは何度でも繰り返されることになる』
「生贄……? 殺される?」
『重ねて言うが、我々は君に危害を加えるつもりは全くない。そして、生贄は君とは全く無関係な人間たち。安心してゲームに挑んでいただきたい』
「ちょっと待って、そんなことを言われて、はいそうですかと安心なんかできるわけが――」
『……そうそう、大事なことを言い忘れていた。生贄が一人殺されるたび、新たな探偵がこの廃墟へとやってきて、君と共にゲームに挑むことになる。決して孤独な戦いにはならないだろう。では、ゲームスタート!』
という号令の後、音楽がプツリと途絶え、廃墟は再び静寂に包まれる。
……いや、そんな、勝手にゲームスタート! って言われましても。
早く帰りたいんですけど。
広大な廃墟に一人放り出された私は、途方に暮れた。
玄関を横目でちらりと窺ってみたが、二人の大男はこちらをじっと凝視していて、逃げ出せるような隙は全くない。となると、さっきの声が言っていた『殺人ゲーム』なるものをクリアしなければ、ここから出ることはできないのだろうか。
人里離れた館に探偵を集めて推理ゲーム、とは推理小説でならよくある設定だけど、いざ自分がその立場に置かれてみると、彼らがその推理ゲームに素直に興じていることに対して、改めて違和感を覚えてしまう。あれだけ人数がいるなら、しかもそれが高度な知能を持った探偵の集団だったら、いくらでも脱出する手段は思いつきそうなものだけれど。
とはいえ、今この状況で脱出を図るのはリスクが高そうだ。さっきの声は明確に、これからここで殺人が行われると断言していた。つまり、彼らは人の命を奪うことに躊躇しない集団、あるいは組織。いくら私に危害を加えるつもりはないと宣言したからといって、闇雲な抵抗は避けるべきだろう。
やっぱり、その『殺人ゲーム』に勝たなきゃいけないのか。
私は覚悟を決め、エントランスの奥へと伸びる廊下に向かって歩き出した。
足を一歩踏み出すたびに、リノリウムの床を踏む音が、幾重にも反響して帰ってくる。相変わらず人の気配は全くなく、本当にここがその殺人ゲームの舞台なのだろうか、と疑問を抱いてしまうほどだった。
廊下を少し歩くと、診察室とその待合室らしき場所へと出た。
二部屋並んだ診察室、その前に、無機質なデザインの木製の長椅子が数列並んでいる。待合室の窓からは雑草の繁茂する中庭を望むことができたが、窓の外に嵌められた真新しい鉄格子が、その荒廃した景色を更に味気ないものにしている。あの鉄格子も、このゲームのために取り付けられたものなのだろうか。
廃病院とその周辺を含む土地を買い取り(元々土地の所有者であった場合はこの限りではないけれど)、鉄格子を嵌め、セメントで出口を塞いで、複数の人間を雇い――舞台を整えるには、相当な資金やコネクションが必要なはず。このゲームの主はいったい何をしようとしているのだろう、と改めて疑問が湧いてくる。純粋な道楽のためだけに、この舞台を整えたのだろうか。それとも、何か別の目的が?
そんなことを考えながら、私は待合室を離れた。
実のところ、この廃墟はどれぐらいの広さがあるのだろう。外から眺めただけでも相当大きな建物だったけれど、実際中に入ってみると、それ以上に広く感じられる。しかも、これとほぼ同等の大きさのビルがもう一つあるのだ。
診察室及び待合室からさらに奥へと進んでいくと、別棟へ繋がる渡り廊下と階下、階上へ続く階段があった。一階から階下へ伸びる階段があるということは、つまりこの建物には地下室が存在することになる。建物の構造を把握するだけでも、優に一、二時間はかかってしまうだろう。
殺人を防がなければならない、とは言うが、それがどこで行われるのかについてのヒントは全くない。十五分後、この建物の中のどこかで。私に与えられた情報はたったそれだけ。
いったい私にどうしろと?
時間の制限があるミッションなのに随分のんびりしている、とは自分でも理解しているけれど、不可解な状況に一人放り出されて、すぐにテキパキと動ける人間が果たしてどれぐらいいるだろうか?
生来活発な性格の人ならそれも可能なのかもしれない。しかし私は元々引きこもりであり、どちらかといえば環境への適応には時間がかかるタイプなのだ。
当てもなく別棟へ続く渡り廊下を歩いていると、突然また大音量のオーケストラの音楽が鳴り渡り、ゲームマスターの不気味な声が告げた。
『残念ながら、たった今、一人目の生贄が殺された。やはり君一人では何もできなかったようだね。そして現在、二人目の探偵がこちらへ向かっているところだ。西野園君、君は建物内の探索を続けるもよし、エントランスで新たな探偵を出迎えるもよし、二人目の探偵がここに到着するまで、ひとまず自由に過ごしていてくれたまえ』
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