そして何も言わなくなった【改稿版】

浦登みっひ

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一日目(5)

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 荷物を自分の部屋に運び終えた一同は、二階の右側、望の部屋の隣にある遊戯室の前に集まった。
 プレイルームのある屋敷など見たこともない四人は、遊戯室の存在を知らされた瞬間から、その部屋に興味津々だったのである。

「そんなに期待されると困っちゃうなあ、テレビゲームとかはないし、みんなが楽しめるようなものはあんまりないと思うよ? 私だってこの部屋にはたまにしか来ないし……」

 四人のあまりの食いつきぶりに仄香は苦笑を浮かべていたが、

「そりゃあそうだよ、こんなお屋敷の遊戯室にDSとかPS4なんかがあったら逆にゲンナリだもん」
「そうそう、なんていうの、雰囲気を味わいたいんだってば」

 という望と綸の勢いに負けて、四人を遊戯室に案内したのだった。

 遊戯室の扉は他の客室の扉と見た目には特に変わらなかったが、扉を開けると、まず部屋の中央に鎮座する大きな木製のビリヤード台が一同を出迎えた。ニスの塗られた外周は鏡のように磨き上げられて、窓から差し込んでくる日光を眩くはね返している。

「うわ~、ビリヤードだ! これだよこれ! いいなあ~、ムードがあるなあ、こういうの」

 扉が開くや否や、嬰莉は目を輝かせながら、弾かれたようにビリヤード台へと駆け寄っていった。

「子供の頃、ビリヤードのちっちゃいおもちゃで遊んだことはあるんだけどさ、やっぱり本物は違うね。高級感っていうの? プラスチックの安物と違ってカッコイイよ」
「あたしたちの家じゃ、こんなにデカいの、あっても置くところがないもんね。何メートルぐらいあるの? これ」

 綸が両手を広げてビリヤード台の大きさを計るようなジェスチャーをしながら尋ねると、

「たしか、本格的な台は、長辺が3メートル弱で、短辺が160センチぐらいじゃなかったかな?」

 と霞夜が答える。

「へぇ~、三メートル! うちのベッドよりでかいじゃん! にしても、そんなことよく知ってるね。さすがインテリのかよちん」
「まあこれぐらい、雑学っていうか……」

 綸に褒められた霞夜は、口ではそう言いつつも、表情は明らかに得意げである。
 遊戯室の中には他にもダーツやチェス盤、バックギャモンなどの遊具が置かれていたが、いずれも細かい装飾が施されたアンティークな趣のあるもので、素人目にも値打ちものだとわかる。
 だが、この遊戯室でもっとも目を引いたのは、部屋の一角を占める大きなグランドピアノだった。それも通常のグランドピアノよりかなり奥行きのある、いわゆるフルコンサート仕様と呼ばれるグランドピアノ。決して狭くはない遊戯室のおよそ三分の一近いスペースを占有している黒光りするグランドピアノの鍵盤の上部には、金色の文字で『STEINWAY&SONS』と書いてある。
 ピアノに近付き、その文字の意味に最初に気付いたのは綸だった。

「これ、もしかしてスタインウェイ? スタインウェイのピアノなの?」
「う~ん? 綸ちゃん、そのピアノのこと知ってるの?」

 仄香がきょとんとした顔で尋ねると、綸は驚きのあまり目を丸くした。

「えっ、知らないの? スタインウェイっていったら、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと並んで世界三大ピアノメーカーと呼ばれているところだよ? スタインウェイのフルコンっていったら、もう一千万は下らないんだから……」
「「「い、いっせんまん!?」」」

 突如として綸の口から飛び出した金額に、望、嬰莉、霞夜の三人も驚愕した。この屋敷にあるものが総じて高価であることは皆理解しているはずだが、具体的な金額、それも耳慣れない八桁もの数字に対しては、思わずこんな反応になってしまうのだ。

「へえ、そんなに有名なメーカーのピアノなんだ、これ? ママはとってもピアノが上手でね。うちにも同じピアノがあるし、ここにきたときもよく弾いてるんだよ。私も子供の頃ちょっと教えてもらったんだけど、手先が不器用だから全然ダメで……綸ちゃんは、どうしてこのピアノのこと知ってるの?」
「あたし、実は中学生ぐらいまでピアノ習ってたからさ。まあ、そんなに上手いほうでもなかったし、高校受験を境に、『勉強に集中しろ』って辞めさせられたんだけどね。今でも時々――って、それよりさ、スタインウェイっていったら、もう、みんなの憧れのピアノだったんだから」
「へぇ、綸、ピアノ弾けるんだ? 聴いてみたいな、ちょっと」

 望が興味深そうに言うと綸は、しまった、という顔をしながら頬を赤らめた。

「えええ……いや、あたしもそんなに上手いわけじゃないし……」
「さっき『今でも時々』って言いかけたじゃん。それに、中学生まで続けてたってことは、結構熱心にやってたんじゃない?」
「全然だよ……今でも弾けるのはせいぜい、シューベルトの即興曲ぐらい。それに、スタインウェイのピアノだよ? あたしなんかが勝手に触っちゃいけないだろうし……」

 綸は恥じらいながら手を振りピアノから離れようとしたが、仄香が軽い口調で答える。

「え? 別にいいよ、弾いても。あたしもたまに『猫ふんじゃった』とか適当に弾いてるけど、怒られたことないもの。私だって綸ちゃんのピアノ聴いてみたい!」
「……だ、そうだよ。頼むよ綸。綸だって本当は、この憧れのピアノ、鳴らしてみたいんじゃないの?」

 最終的には、この望の一言が決定打となった。綸は苦笑を浮かべながらも革張りのピアノチェアに腰掛けて、恭しく鍵盤蓋を開ける。ややくすんだ色の鍵盤を見て、綸は再び瞠目した。

「これ、象牙の鍵盤……?」

 現在はワシントン条約によって輸入が禁止されている象牙だが、かつては高級なピアノの鍵盤によく使われていた。現在では入手が困難で、ハイクラスのピアノでも象牙製の鍵盤は滅多に見られなくなっている。
 綸は『緊張するなあ』と一言呟くと、大きく深呼吸をして、軽く手首のストレッチをしてから鍵盤にそっと指を置いた。
 綸の指が鍵盤の上を軽やかに舞い始めると、四人はうっとりとその音色に聴き入っていた。


!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!


 綸のピアノ演奏が終わりビリヤードに興じていた面々のもとに、エプロン姿の錦野がやってきた。

「皆様、もうじき夕食の支度が終わりますので、きりの良いところでダイニングの方へお越し下さい」
「え、夕食?」

 驚いて窓から外を見ると、いつの間にか空は赤く染まり、太陽が今にも水平線に沈もうとしている。本物のビリヤード台に触れる機会など滅多にない四人は、意外なことに、時間の経つのも忘れてビリヤードに熱中していた。ちなみに、一番上手いのはやはり望だった。

 階段を降りてリビングの南側にあるダイニングに入ると、長方形の大きなテーブルの左右に三つずつ、計六脚の繻子張りの椅子が置かれていた。テーブルの上には雪のように白いテーブルクロス、その中央に、目の覚めるように鮮やかな真紅の薔薇が生けられている。既に六人分のフォークとスプーンが用意されており、ディナーが洋食であることが察せられた。
 窓から外を眺めれば、沈みかけの夕陽から差し込む朱色の光が、眩く輝く頭上のシャンデリアの明かりの中で残り火のように幽かな抵抗を続けている。
 他の部屋の例に漏れず、ダイニングもまた常識的な規模を大幅に上回る広さだったが、この屋敷にやってきて既に数時間を過ごした四人は、今更その広さに驚くことはなかった。しかし、夕陽とシャンデリア、そして純白のテーブルクロスと真紅の薔薇が織りなす幻想的な光景に、かしましくお喋りを続けていた四人も、思わず息を呑む。
 ダイニングの入り口でぼんやりと佇んでいると、キッチンから錦野が顔を出した。

「おや、皆様、おいででしたか。今お食事をお持ちしますので、もう少々お待ちください」
「みんな、いつまでそこに立ってるの? ほら、座ろう?」

 仄香に言われるまま椅子について数分後、錦野がキッチンからスープの載った皿を運んできた。赤い液体で満たされたスープ皿がテーブルに六つ並ぶ。

「こちらは、今日菜園で採れたヘチマを入れたミネストローネになります」

 トマトベースのスープに浮かぶ、賽の目に切られた野菜たち。じゃがいもやニンジンなどの一般的なミネストローネの具材の中に、ズッキーニのような緑色の食材が混じっている。

「ヘチマ? ヘチマって、あの、たわしにするヘチマですか? あれって食べられるの?」

 嬰莉が尋ねると、錦野は大きく頷いた。

「ええ、実は私も、こちらに来て初めてヘチマを食べたのですが、食感はナスに似ていて、なかなか美味しいですよ。沖縄では、野菜が最も多く採れるのは冬から春にかけて。夏野菜と言えば、本州ではトマトやキュウリ等が挙げられますが、沖縄ではトマトは春の野菜なのです。夏によく食べられるのは、最も有名なのはゴーヤですが、他にもここにあるヘチマ、瓜、オクラなど。緑色の野菜がほとんどですね。野菜を育てるにも、東北とは何かと勝手が違うので、今でも戸惑っておりますよ」
「へぇ……ヘチマなんて初めて食べるかも。この料理も、錦野さんが作ったんですか?」
「ええ、私が……。独り身ですし、これといった趣味もありませんし、それでも自炊はしておりましたので、料理の腕ばかり上がってしまいましてね。特に運動もしないのに料理に凝りだしたせいで、今ではすっかりこの通りでございますよ」

 錦野は苦笑しながら、ぽっこりと膨れたたぬき腹をポンポンと叩く。

「ささ、どうぞ、スープが冷めないうちにお召し上がり下さい。すぐに次の品を持ってまいりますので」

 錦野はそう言うと、慇懃に頭を下げて再びキッチンへと戻っていった。

「じゃあ、食べようか。もう腹ペコだよ~ぅ。いただきま~す」

 と、手を合わせる仄香に続いて、他の面々も一斉にスプーンを手に取った。熱いスープをスプーンで掬い、口へ運ぶ。爽やかなトマトの酸味の後に野菜の甘みがふわりと広がり、その風味に全員が舌鼓を打つ。
 ミネストローネの後は空心菜とオクラのサラダ、メインディッシュは松坂牛のステーキ。最後にパリパリのパンとデザートのシャーベットが夕食を〆る。いずれも店に出してもおかしくないほどの味で、皆貪るように全ての品を平らげた。

「ふぅ~、満腹満腹」
「おいしかったね~」
「あんなでかい肉、初めて食ったよ」

 食後の紅茶を啜りながら、四人は口々に料理の味を褒めたたえ、錦野はダイニングの隅で目を細めながらそれを眺めていた。
 望が、ふと錦野に尋ねる。

「そういえば、野菜は主にここの菜園で採れたものだと伺いましたけど、肉とかパンとか、野菜以外の食材はどうしているんですか?」
「ああ、それはですね。あのボートを使って最寄りの島に行って、そこのスーパーから買い出しをしているんですよ」
「ボートですか……」
「ええ。何しろ、外部との連絡手段が全くないものですからね。こちらから出向くしかないわけです」
「錦野さんも、普段からこんなに豪華な料理をたくさん食べているんですか?」

 解釈によっては錦野の体型に対する当てこすりにも聞こえなくもない質問だったが、錦野は全く気にする様子もなく、穏やかな表情のままで答えた。

「いえ、普段はもう少し慎ましく暮らしております。今日はお嬢様とそのお友達がいらっしゃるということで、奮発して、特別に取り寄せたのですよ」
「そうだったんですか……私たちのために、なんか、すみません……」

 望が申し訳なさそうに頭を下げる。

「いえいえ、そのような、謝られてはこちらが困ります。私のような中年オヤジが、この広いお屋敷で、外との連絡手段もなく一人で暮らしておりますと、時折ふっと寂しくなることがありましてね……しかし、皆さんが来てくれたおかげで、今日は非常に賑やかになりました。ですから、私もとてもありがたく感じておるのですよ」


!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i


 夕食の後は、望の強い希望によって、リビングでの映画の鑑賞会になった。AVラックに収められていた数枚のBlu-rayディスクの中から選ばれたのはハリウッドのアクション映画。有機EL大型テレビの美しい映像と5.1チャンネルの大型スピーカーによる大迫力のサウンドに、四人とも終始圧倒されていた。


 その日の夜、自室の隣にあるバスルームでシャワーを浴び、パジャマに着替えた仄香は、一度四人の部屋に顔を出して様子を見てから、再び自室に戻ってきた。細かく手を動かしながら、彼女は呟く。

「みんな、喜んでくれてるみたいでよかった……。ほんとはね、ちょっと心配してたんだ。行ってみたいとは言われたけど、スマホも使えないし、実際本当に何もないところだから、退屈させちゃうんじゃないかって。それに、管理人の錦野さんも、信頼できる人だって聞いてはいたけど、今回が初対面だし、やっぱり少し不安はあった。でも、みんなすごい楽しんでくれてるし、錦野さんもいい人そうだし……みんなを連れてきて、本当によかった」

 パジャマに着替えた頃にはまだ生乾きだった仄香の髪は、四人の部屋を回るうちにすっかり乾いていた。

「あっ、そういえば、明日は水着になるんだった! ムダ毛の処理しとかないと……」
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