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第二の殺人

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 その日の夜、私は前夜にも増して悶々とした気持ちで部屋を出た。

 嬰莉を殺し、その体を貪るように犯して、それで終わりのはずだった。
 しかし、私の男としての本能は、鎮まるどころか更に強くなっていた。これまでずっと抑圧されてきた反動か、女の肌の柔らかさを知ってしまった私の性的衝動は、更なる女体を求め始めている。

 昨夜、一通りの行為を終えて冷静さを取り戻した私は、自分が犯した行為の悍ましさに愕然とした。
 殺人、そして強姦。いずれも極めて重い犯罪である。たとえこのまま友人を騙しきれたとしても、警察相手に性別を隠しきることは不可能だし、嬰莉の体に残された体液を調べれば、犯人が私だということはすぐにわかるだろう。
 これからどうするべきか。混乱する頭を必死で働かせ、私はひとまず外に出た。乙軒島で唯一の外部との連絡手段である小型ボート。あれがなくなれば、台風が通過した後でも、もう少し時間稼ぎができるのではないか――そう考えたのだ。ボートは船着き場にロープで繋留されているだけであり、結ばれたロープを解くこと自体はさほど難しくない。ロープさえ解いてしまえば、あとは今夜未明から荒れ始めるであろう波と台風が、あのボートを海の彼方へ運んでくれるはずだ。

 闇に包まれた夜の乙軒島は、昼間とは違った表情を見せた。海も風も、どこか寂寞とした雰囲気が漂う。潮の香りを孕んだ風は昼間より冷たく、確実に勢いを増している。私は屋敷と船着き場の位置関係を思い出し、スマートフォンのバックライトの微かな明かりで足元を照らしながら、ようやく船着き場へと辿り着いた。

 幸いにもロープはすんなりと解け、ボートは広大な海へ向かってゆっくり流されていった。もし万が一再びここに漂着してくることがあったとしても、荒波に揉まれたボートは航行が不可能なぐらい破損しているはずだろう。
 これで、台風が去っても、まだ数日間の猶予が与えられる。自分の発想が完全に犯罪者のそれになってしまっていることに戸惑いながら、私は船着き場を後にした。

 そして今日。悲嘆に暮れる、或いは怒りに震える彼女たちを見て、私は自らの罪の重さを痛感しながらも、嬰莉を殺し凌辱したのは私であると懺悔することができなかった。一夜明け、すっかり正常な自分、女の心を取り戻していた私にとって、昨夜の自分が自分だとは到底信じられなかったから。あれは疲れ果てた私が見た悪い夢で、真犯人は他にいる――半ば本気でそう思っていたのだ。
 それに、あれが私の犯行だと打ち明けることは即ち、私が男の体を持っていると告白することにもなる。私が男だと知った瞬間、彼女はきっと、潮が引いたように私を軽蔑するだろう。それを目の当たりにするのが、私は一番怖かった。せめて、警察が乙軒島にやってきて全ての罪が暴かれるまでは、彼女と友人のままでいたかったのだ。

 だが、私は結局、今夜も悶々と屋敷の中をうろついている。昼間はどうにか女としての自分を保てていたが、夜が更けると共に再び男としての意識が表層に浮かび上がってきたのだ。とても眠れるような精神状態ではなかった。
 私の中に突如として現れた――否、もしかしたら、彼女と出会ったその日から密かに芽生え、今までずっと身を潜めたまま牙を研いでいた男としての性的衝動が、彼女に対して取り返しのつかない過ちを犯してしまわないように。
 そのために、私の中の彼は、また他の女で性的欲求を発散させようとしていた。

 嬰莉が殺されたことで、今夜は皆が警戒している。昨夜の嬰莉のように一人で無防備に部屋から出ることもないだろう。ノックをしても無視されるかもしれないし、昨夜のように簡単にはいかないはず。

 不可能だ――私の中の理性はそう判断した。
 これ以上罪を重ねたくない。こんなことはもうやめよう。私は彼に語り掛けた。
 しかし、彼はそれを拒んだ。
 そして、思い付いてしまったのだ。警戒を強めた女の部屋へ入る方法を。
 私にはもう、狂気に囚われた彼を止める術はなかった。

 私は一旦部屋に戻り、窓を開けてバルコニーに出た。
 二階の部屋のバルコニーはいずれも隣の部屋のバルコニーまで隙間が一メートルもなく、飛び移ることが可能な距離。扉から入ることが無理だとしても、バルコニーから雨に濡れた姿を見せれば、驚いて向こうから窓を開けるのではないか――彼はそう考えたのだ。
 だが、ことはそう簡単ではない。風は昨夜とは比べ物にならないぐらい強く、目測を誤ったり風に煽られたりして着地に失敗すれば、ただの怪我ではすまない可能性がある。雨に濡れたバルコニーは足元が滑りやすく、強風の中で飛び移るには大きな危険が伴う。それでもベランダに降りられればまだマシで、最悪の場合、そのまま落下して地面に叩きつけられる。雨で泥濘んだ地面なら死ぬことはないかもしれないが、怪我は避けられないはずだし、何故ベランダに飛び移ろうとしたのかと問い詰められることにもなるだろう。
 しかし、それでも湧き上がる衝動を抑えきれない私の体は、私の意思に反してバルコニーの手摺に手をかけていた。
 何がそこまで私を突き動かすのか、それは私自身にもわからない。いや、私はもう私ではなくなってしまったのだ。多重人格とはこのようにして作られるのかと、私は雨に打たれながら、まるで他人事のようにぼんやりとそう考えた。

 部屋のバルコニーの手摺りに乗り、風の弱まるタイミングを待つ。
 こんな状況でも冷静さを保っている自分が恐ろしい。
 そして数秒後、一瞬風の勢いが収まったところで、慎重に隣のバルコニーの着地点を見定めてから、私は大きくジャンプした。
 隣のバルコニーの床も当然雨水で濡れており、着地の瞬間ほんの少し足を滑らせてしまったが、上手くバランスをとって、幸いにも転ぶことなく降り立つことができた。

 いける。
 俺は心の中でほくそ笑んだ。俺――そう、私の意識は、この時完全に彼の支配下にあった。
 ジャンプを繰り返し、俺はついに目的の女の部屋のバルコニーへと辿り着いた。雨に打たれて体は既にズブ濡れ。体にぴったりと貼り付いたパジャマと吹き付ける風が、瞬く間に体温を奪ってゆく。
 窓から中を覗くと、女はまだ起きていた。部屋の照明は消え、ベッドサイドの小さなライトが灯されているだけだったが、ベッドの上に体育座りをして、暗い表情で俯いている。おそらく死んだ嬰莉のことでも考えているのだろう。
 そして俺は作戦通り、切羽詰まった風を装いながらベランダの窓を叩く。
 女はすぐにこちらに気付き、窓際まで駆け寄って来ると、クレセント錠を回し、手早く窓を開けた。

「ちょっと、どうしたの? 何があったの?」

 俺を部屋に招き入れた女――霞夜は、怪訝そうに尋ねた。
 化粧を落とした霞夜は、昼間の彼女とかなり雰囲気が違う。アイプチとアイメイクがないだけでここまで変わるものだろうか。それなりに美少女の部類に入る女だと思っていたのだが、その認識には若干の修正が必要なようだった。白いTシャツにグレーのスウェットというラフな格好、パーマのとれたセミロングの髪を後ろで束ねている。
 霞夜は体に貼り付いた薄いパジャマの上から俺の肩に触れた。男にしては華奢な体型の俺ではあるが、大量のアドレナリンが分泌されているせいか、体中の筋肉が激しく隆起している。
 明らかに女のそれではない俺の肩の筋肉に気付いた霞夜は、驚いてさっと身を引いた。そして俺の体を上から下まで眺めまわし、

「あんた、まさか……!」

 驚愕と恐怖の入り混じった表情でそう言った。
 冷徹な霞夜が初めて見せるその表情は俺の嗜虐性をさらに刺激し、風雨に曝されて冷えた体が再び熱を帯びていく。

 危険を察知した霞夜は、咄嗟に大声をあげようとしたが、時既に遅し。
 俺を部屋に入れた時点で、彼女の命運は決していたのだ。

 俺は霞夜の口を塞ぐと、そのままの勢いで床に押し倒し、馬乗りになって、細い首に手をかけた。

「うっ……ぐっ……あんた……!」

 霞夜は体を捩らせて俺から逃れようとしたが、全くの無駄だった。性別による体力の差はもちろんのこと、霞夜は嬰莉より明らかに体力が劣っていたし、昨夜と違い、俺は最初から彼女を殺すつもりだったからだ。

「お前……男……くっ……」

 友人を殺した男を見上げる霞夜の目には激しい憎しみが宿っていたが、俺の体を押し返そうとする彼女の腕力はあまりにも脆弱だった。首にかけた両手に体重をかけて力を強めると、抜け出そうともがく霞夜の体の動きは鈍くなり、俺を睨み付けるその両目から徐々に光が失われてゆく。

「ああ……あ……」

 私はこの女のことが嫌いではなかった。
 台風によって完全に孤立した孤島で殺人事件が起こるという非常事態の中、冷静な彼女は中心的な役割を果たしていたし、今夜の食事もなかなかのものだった。殺すのが惜しいぐらい、私は同性――少なくとも精神的には――として霞夜をそれなりに評価していた。
 だが、いや、だからこそ、彼女の命がこの手の中で消えていく感覚、その背徳感が、俺を一層昂らせた。

 そして数分後。
 息絶えて屍となった霞夜の体を、俺は静かに見下ろした。

 どちらかといえば華奢ではあるが、嬰莉ほどには引き締まっていない、柔らかく白い肌。Tシャツの下の胸の膨らみは、昨夜の嬰莉より一回り大きい。

 口内に絶え間なく湧いてくる唾液を一度大きく飲み込んでから、俺は霞夜の死体のTシャツに手をかけた。
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