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事故現場
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放課後、僕は人がいなくなったタイミングを見計らって、校舎の三階の、とある教室に忍び込んだ。
あの日、更紗の命を奪った植木鉢が置かれていた窓。その教室だ。
入り口のプレートには、三年B組と書かれている。
警察の事情聴取の際に聞いた話を要約すると、事故当時、この教室には三人の女子生徒が残って雑談をしていた。いずれもこの日、教室の掃除当番だった三人で、掃除が終わった後に休憩しながら教室の前方に集まってお喋りをしていたらしい。
窓は教室の掃除の際に開けられた。掃除をすればホコリが舞うから、天気のいい日に窓を開放するのは決して珍しいことではなく、当然ながら、特にあの日だけ窓が開いていたわけでも、それが作為的だったわけでもない。帰る際に閉めていくつもりだったらしいが、あの時はまだ開いたままだった。
植木鉢は、他のクラスに常備されているのと全く同じもの。こちらも何らおかしな点はない。
花倉高校は、学校名に『花』という文字が入ることもあり、各クラスでそれぞれ花を育てるという風習がある。入学したばかりの僕たちのクラスではまだ花を植えていなかったが(皮肉にも、更紗の机に生けられた花瓶の白菊が、僕たちのクラスの最初の花になった)、この三年B組で育てられていたのはパンジーだった。
事故当日はちょうど育ったパンジーを花壇に植え替えたばかりで、植え替えが終わり、洗った植木鉢を教室で乾かしていたのだそうだ。
ちなみに、植木鉢を洗った生徒と掃除当番の生徒は別々で、掃除当番の生徒は植木鉢には触れていないという。植木鉢を洗った生徒は『自分は窓際に置いた覚えはない』と言うし、他の生徒に聞いてみても、植木鉢をあの窓際に置いたのが誰かはわからなかった。
いずれにしても、あの瞬間、誰も植木鉢に触れていなかったということは、三人の女子生徒の証言によって明らかになっている。花倉に入学したばかりの更紗と三人の女子生徒の間に接点はなく、三人が更紗を狙って植木鉢を落とす、或いは三人が虚偽の証言をして誰かを庇う動機はない。
つまり、事件性はない、というのが警察の判断だった。これは不幸な偶然が重なって起こった事故だということ。そう言われても、何の慰めにもならないけれど。
僕は、植木鉢が落ちてきた窓の前に立った。
この窓が、僕らの運命を変えてしまったのだ。
クレセント錠を回し、窓を開けて、外を眺めた。
その窓からは、僕と更紗が口づけをかわした桜の木を、やや左手に見下ろすことができた。あの日桜吹雪を舞わせていた桜の木は既にほぼ花が散っており、辺り一面に桜の絨毯が敷き詰められている。桜の木の根元には、更紗を弔うためだろうか、花束がいくつか供えられていた。
僕は、あの日の、あの瞬間のことを思い出す。
桜の木の下で結ばれた僕たち。それから、更紗は恥ずかしそうに頬を赤らめながら、この窓の下まで走ってきたのだ。
桜の木からこちらへ駆けてくる更紗の姿を思い浮かべる。
突風。
立ち止まる更紗。
落下する植木鉢……。
あの時、風が吹かなければ。
あの時、彼女が歩いてこちらへ向かって来ていれば。
あの時、僕がもう一度、彼女を呼び止めていたら。
あるいは、あとほんの少しだけ長く口づけを交わしていたら。
彼女が死ぬことはなかったんだ。
死ぬことは――。
「うわあっ!」
地面に横たわる更紗の顔がフラッシュバックして、僕は思わず窓から飛び退いた。
心臓の鼓動が異常なほど早まり、いつの間にか、額には汗が滲んでいる。
落ち着け、葉太郎。
自分にそう言い聞かせながら、再び窓から顔を出す。
更紗の体が横たわっていた場所に見当をつけ、彼女に駆け寄る僕の姿をイメージする。
そして、その背後に……。
そう、僕が最も気掛かりなのは、僕の背後に立っていた、着物姿の女のことだった。
警察では誰にもまともに取り合ってもらえなかったが、あの面妖な女の姿は僕の網膜にしっかりと焼き付いている。単なる幻覚だとは到底思えなかったし、あの時偶然そこを通りがかったとも思えない。要するに、あの女は更紗の死に何らかの関わりがあるのではないか――僕はそう考えたのだ。
いや、有り体に言えば、あれは婆ちゃんが言っていた『お紺』という女だったのではないか。
更紗が死んだのは事故ではなく、お紺の呪いによるものではないか。
これを誰かに話したら、あまりに荒唐無稽な、単なる思い込みだと笑われてしまうかもしれない。でも、僕には確信があった。あの女について調べなければならないという、これは強迫観念めいたものかもしれないけれど。更紗が死んだ直後に、杳之介という男の視点を通して、初めてお紺の夢を見たことも、僕がそう確信する大きな理由の一つだと言えるだろう。
あそこに実際に女がいたとしたら、どうなるだろうか。
更紗に駆け寄って屈んだ僕が背後を振り返ったとすると、方向的にはちょうど桜の木が立っているあたりの角度になるはずだ。
事故現場から桜の木までは、大体二十メートル程だろうか。桜の木から数メートル離れた向こうには、敷地をぐるりと囲む形で張り巡らされた高さ一メートル弱の簡単なフェンスがあり、その外はもう学校の敷地外。
フェンスの向こうはコンビニやマンション、住宅などが広がっていて、汚れた着物姿の非常に目立つ格好のまま、人目につかずに脱出するのは困難だろう。いや、そもそも、着物を着たままあのフェンスを跨ぐ、あるいは乗り越えるのもなかなか難しいのではないだろうか。
かといって、校門方面に逃げると、今度は帰宅途中の生徒と鉢合わせする確率が飛躍的に高まる。長い距離を移動しなければならないし、やはり、目立つ格好で誰にも見つからずに脱出するのはまず不可能。
一度校舎に逃げ込んで、花倉の制服に着替えてから何食わぬ顔で……いや、それなら、最初から制服姿でいたほうがいいはずだ。わざわざ着替えに手間のかかる着物を着る必要はどこにもないように思える。
考えれば考えるほど不自然だ。
やはり、僕が見た着物姿の女は、刑事さんが言っていた通り、強いストレスを受けたことによって生じた、単なる幻覚だったのだろうか……。
と、その時。
「今川くん? そこで何してるの?」
あの日、更紗の命を奪った植木鉢が置かれていた窓。その教室だ。
入り口のプレートには、三年B組と書かれている。
警察の事情聴取の際に聞いた話を要約すると、事故当時、この教室には三人の女子生徒が残って雑談をしていた。いずれもこの日、教室の掃除当番だった三人で、掃除が終わった後に休憩しながら教室の前方に集まってお喋りをしていたらしい。
窓は教室の掃除の際に開けられた。掃除をすればホコリが舞うから、天気のいい日に窓を開放するのは決して珍しいことではなく、当然ながら、特にあの日だけ窓が開いていたわけでも、それが作為的だったわけでもない。帰る際に閉めていくつもりだったらしいが、あの時はまだ開いたままだった。
植木鉢は、他のクラスに常備されているのと全く同じもの。こちらも何らおかしな点はない。
花倉高校は、学校名に『花』という文字が入ることもあり、各クラスでそれぞれ花を育てるという風習がある。入学したばかりの僕たちのクラスではまだ花を植えていなかったが(皮肉にも、更紗の机に生けられた花瓶の白菊が、僕たちのクラスの最初の花になった)、この三年B組で育てられていたのはパンジーだった。
事故当日はちょうど育ったパンジーを花壇に植え替えたばかりで、植え替えが終わり、洗った植木鉢を教室で乾かしていたのだそうだ。
ちなみに、植木鉢を洗った生徒と掃除当番の生徒は別々で、掃除当番の生徒は植木鉢には触れていないという。植木鉢を洗った生徒は『自分は窓際に置いた覚えはない』と言うし、他の生徒に聞いてみても、植木鉢をあの窓際に置いたのが誰かはわからなかった。
いずれにしても、あの瞬間、誰も植木鉢に触れていなかったということは、三人の女子生徒の証言によって明らかになっている。花倉に入学したばかりの更紗と三人の女子生徒の間に接点はなく、三人が更紗を狙って植木鉢を落とす、或いは三人が虚偽の証言をして誰かを庇う動機はない。
つまり、事件性はない、というのが警察の判断だった。これは不幸な偶然が重なって起こった事故だということ。そう言われても、何の慰めにもならないけれど。
僕は、植木鉢が落ちてきた窓の前に立った。
この窓が、僕らの運命を変えてしまったのだ。
クレセント錠を回し、窓を開けて、外を眺めた。
その窓からは、僕と更紗が口づけをかわした桜の木を、やや左手に見下ろすことができた。あの日桜吹雪を舞わせていた桜の木は既にほぼ花が散っており、辺り一面に桜の絨毯が敷き詰められている。桜の木の根元には、更紗を弔うためだろうか、花束がいくつか供えられていた。
僕は、あの日の、あの瞬間のことを思い出す。
桜の木の下で結ばれた僕たち。それから、更紗は恥ずかしそうに頬を赤らめながら、この窓の下まで走ってきたのだ。
桜の木からこちらへ駆けてくる更紗の姿を思い浮かべる。
突風。
立ち止まる更紗。
落下する植木鉢……。
あの時、風が吹かなければ。
あの時、彼女が歩いてこちらへ向かって来ていれば。
あの時、僕がもう一度、彼女を呼び止めていたら。
あるいは、あとほんの少しだけ長く口づけを交わしていたら。
彼女が死ぬことはなかったんだ。
死ぬことは――。
「うわあっ!」
地面に横たわる更紗の顔がフラッシュバックして、僕は思わず窓から飛び退いた。
心臓の鼓動が異常なほど早まり、いつの間にか、額には汗が滲んでいる。
落ち着け、葉太郎。
自分にそう言い聞かせながら、再び窓から顔を出す。
更紗の体が横たわっていた場所に見当をつけ、彼女に駆け寄る僕の姿をイメージする。
そして、その背後に……。
そう、僕が最も気掛かりなのは、僕の背後に立っていた、着物姿の女のことだった。
警察では誰にもまともに取り合ってもらえなかったが、あの面妖な女の姿は僕の網膜にしっかりと焼き付いている。単なる幻覚だとは到底思えなかったし、あの時偶然そこを通りがかったとも思えない。要するに、あの女は更紗の死に何らかの関わりがあるのではないか――僕はそう考えたのだ。
いや、有り体に言えば、あれは婆ちゃんが言っていた『お紺』という女だったのではないか。
更紗が死んだのは事故ではなく、お紺の呪いによるものではないか。
これを誰かに話したら、あまりに荒唐無稽な、単なる思い込みだと笑われてしまうかもしれない。でも、僕には確信があった。あの女について調べなければならないという、これは強迫観念めいたものかもしれないけれど。更紗が死んだ直後に、杳之介という男の視点を通して、初めてお紺の夢を見たことも、僕がそう確信する大きな理由の一つだと言えるだろう。
あそこに実際に女がいたとしたら、どうなるだろうか。
更紗に駆け寄って屈んだ僕が背後を振り返ったとすると、方向的にはちょうど桜の木が立っているあたりの角度になるはずだ。
事故現場から桜の木までは、大体二十メートル程だろうか。桜の木から数メートル離れた向こうには、敷地をぐるりと囲む形で張り巡らされた高さ一メートル弱の簡単なフェンスがあり、その外はもう学校の敷地外。
フェンスの向こうはコンビニやマンション、住宅などが広がっていて、汚れた着物姿の非常に目立つ格好のまま、人目につかずに脱出するのは困難だろう。いや、そもそも、着物を着たままあのフェンスを跨ぐ、あるいは乗り越えるのもなかなか難しいのではないだろうか。
かといって、校門方面に逃げると、今度は帰宅途中の生徒と鉢合わせする確率が飛躍的に高まる。長い距離を移動しなければならないし、やはり、目立つ格好で誰にも見つからずに脱出するのはまず不可能。
一度校舎に逃げ込んで、花倉の制服に着替えてから何食わぬ顔で……いや、それなら、最初から制服姿でいたほうがいいはずだ。わざわざ着替えに手間のかかる着物を着る必要はどこにもないように思える。
考えれば考えるほど不自然だ。
やはり、僕が見た着物姿の女は、刑事さんが言っていた通り、強いストレスを受けたことによって生じた、単なる幻覚だったのだろうか……。
と、その時。
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