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演劇部
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「二人は演劇部室に来るのも初めてなんだっけ?」
前を歩く福島さん――妹の方の麻美さんが、スカートをひらりと翻しながらこちらを振り返って言った。放課後、僕と武田は演劇部室に案内してもらえることになったのだ。僕達は麻美さんの後について、教室から部室棟へと移動していた。
「そういや、まだ見たことねえな。どの辺にあるんだ?」
武田が辺りをきょろきょろと見回しながら尋ねる。
「部室棟の二階の、かなり奥まったところ。だから、演劇部に用事のある人以外はまず立ち入らない場所かもね」
「へえ、そんな遠いのか。不便だな」
ぼそりと零した武田の言葉に、麻美さんは一瞬不快そうな顔を見せたが、すぐに軽く口を曲げて苦笑した。
「ま、否定はできないね。何なら武田だけここで引き返してもらっても構わないんだけど?」
「ここまで着いてきて戻ったら完全な無駄足になるじゃねえか。それに、一人にしたら今川が寂しがるだろうしさ」
武田はそう言って、僕にニヤリと微笑んで見せた。いや、僕は別に全然寂しくないんだけど。顔に似合わず寂しがりなのは武田の方じゃないか。
花倉高校の部室棟は、校舎から少し離れた場所に建っている。テニス部などの運動部が占めるエリアとは反対側。まだ中に入ったことはなく、遠巻きに眺めただけだが、二階建てのそれなりに大きな建物だ。部屋数は少なく見積もっても十部屋以上はあると思う。
仮に入部して毎日通うとすると、校舎を一度出て部室棟まで歩かなければならないので、武田の言う通りたしかに不便ではある。校舎の中に部室を置いている部活もあるんだし、それと比べてしまうと。その時、麻美さんはさっと前に向き直って言った。
「でも、部室もないよりはずっといいよ。今川くんのお姉さんと織田さんが入るまで、演劇部は部員が全然少なくて、専用の部室すら与えてもらえなかったらしいから」
「えっ、そうなの? 姉貴と藍子さんが?」
僕は思わず聞き返した。演劇部のことは姉貴から結構聞かされていたはずだけど、その話は初耳だったからだ。
「うん。実はそうらしいんだ。今川先輩と織田先輩の世代は最初、一年生の新入部員が三、四人しかいなかったらしくて。どうにも人手が足りなかったから、新入りの二人にもすぐに台詞のある役が与えられて――まあ、二人が美人っていう噂は入学当初から立ってたみたいなんだけど、舞台に立ったら、少ない台詞ながらも完全に主役を奪っちゃうような存在感を放ってたんだって。それで、一年の文化祭の後ぐらいから、少しずつ部員が増え始めたらしいの」
「そうだったんだ……」
「今川さんと織田さんの人気が急上昇して部員が増えたのはいいけど、当時の二、三年の先輩たちは複雑な心境だったみたいで。ま、女子だから色々あるのよね。人気と実力があっても、二人ともすぐには主役に抜擢されなかった。ようやく主役とヒロインの座を射止めたのは、三年の先輩たちが大学受験に向けて本腰を入れ始めた二年の秋の文化祭だったの。その時二人が演じた『星のイロンデール』は、『ロミオとジュリエット』に次いで未だに語り草になっている。いえ、現代劇が好きな子の中では、むしろ『星のイロンデール』の方が高く評価されてるみたいね」
この『星のイロンデール』も、実は映像で観たことがある。不治の病に侵されてずっと入院生活を余儀なくされている天体観測が趣味の女の子に、超人的な身体能力を持つ盗人の男の子が夜な夜なプレゼントを届けに来る、みたいな話だったか。もちろん、ヒロインの女の子役が藍子さんで、盗人の男役が姉貴である。
二年の秋の文化祭。そういえば姉貴が初めてメインキャストを務めたのはたしかに『星のイロンデール』だったし、姉貴と仲良くなったのは二年の後半、という藍子さんの話とも符合する。しかし、麻美さんの話を聞いて、僕は少し意外な印象を持った。
「へぇ……演劇部って、もともと結構大きな部なのかと思ってた。藍子さんが言うには、姉貴と仲良くなったのは二年の後半。つまり、その『星のイロンデール』で主役を務めて、演技のことについて姉貴と色々話し合うようになってからだったらしいんだ。だから、それまでは大勢いる部員の中の一人、っていう認識だったのかと思ってたんだけど、今の話を聞くと、そうでもないみたいだよね。それが、なんかちょっと意外な感じがしてさ」
部員が多かったのなら話はわかるんだけど、少人数の部活で、しかも同時に入った一年生はとりわけ少なかったという。そんな状況だったら、もっと話していてもおかしくないんじゃないだろうか? 姉貴は両親が死んでからあまり友達を作らなくなったし、藍子さんも決して社交的なタイプではないようだけれど、それにしても。
「それはきっと、二人ともお互いのことをライバル視していたんじゃないかな?」
「ええ? ライバル?」
麻美さんの言葉に、僕は思わず大声で聞き返した。ライバルなんて、今の二人からは最も遠い場所にある言葉のように思えるからだ。僕の声は廊下中に響き渡り、周りを歩いていた生徒たちが一斉にこちらを振り返る。
「うん。内心ではライバルと意識して、認め合っていたからこそ、一気に仲良くなれたんじゃないかな?」
「ライバル……そういうものかな? 今の二人を見てると、ちょっと想像できないけど」
「そういうものだよ。だって、女だもの」
校舎を出て部室棟に入り、二階に上がって一番奥の部屋の前まで来ると、麻美さんは立ち止まりこちらを振り向いた。
「ここが演劇部の部室。二人の話は伝わってるはずだから、きっと皆待ってると思うよ。さ、どうぞ」
どうぞと言われても、いざ部室を目の前にするとやっぱり緊張してしまう。躊躇いつつ武田を見ると彼は、
「いや、ここはお前が行かなきゃダメだろ」
と苦笑を浮かべた。たしかに、演劇部に入りたいって言ったのは僕の方だ。麻美さんは蒲公英のように朗らかな微笑を浮かべて僕を見守ってくれている。
僕は意を決してドアノブをひねり、おそるおそる演劇部の部室の中に足を踏み入れた。
「ご、ごめんください……」
そして、中で繰り広げられていた行為を目にした僕は、驚きのあまり呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
「どうしたの、今川くん? 中に入って?」
背後から麻美さんの急かす声。
演劇部の部室の中で行われていたもの、それは――なんと、筋トレだった。
ジャージ姿の女子生徒たちが二人一組になり、一人が足を押さえて腹筋をしている。
え、ここって本当に演劇部? 部室間違えてない? どっかの運動部じゃ?
僕は麻美さんに尋ねる。
「ねえ、ここ、本当に演劇部の部室?」
「? ……ええ、そうよ」
「どうして皆筋トレしてるの?」
「あっ、今川くん!」
と、麻美さんから答えを聞く前に、僕たちの姿に気付いた姉の舞さんが、腹筋を中断してハムスターのように俊敏な動作でこちらに駆け寄ってきた。
「早速来てくれたんだね、今川くん! ねえ皆、筋トレ中止! さっき話した、今川先輩の弟の葉太郎くんが来たよ!」
舞さんがそう呼び掛けると、腹筋に勤しんでいた部員たちが一斉に起き上がり僕達を見る。その好奇と期待の入り混じった視線に晒されて、僕はたまらず足が竦んでしまった。花倉高校に入ってから、数少ない男子ということもあり注目される機会も増えたのだけれど、まだまだ慣れるまでには程遠い。
「ささ、入って入って」
舞さんに手を引かれて、僕は演劇部の部室の中央に立たされた。
部室の広さは普段使っている教室のだいたい半分ぐらいだろうか。壁に沿って隙間なく並んだ棚には、演劇に関する本や小説、美術関連の資料等の書籍、オーディオ関連機器、何に使うのかわからない種々の小道具に至るまで、ありとあらゆるものが所狭しと詰め込まれている。
棚の上の壁には、舞台上の様子を収めた写真が何枚か貼られており、その中には姉貴と藍子さんが『ロミオとジュリエット』や『星のイロンデール』で主役を演じた時のものも含まれていた。
部室の中を見れば、たしかにここは演劇部以外の何物でもないのだけれど。
僕の緊張が伝わったのか、副部長の舞さんが一際明るい口調で言った。
「どーしたの、今川くん? リラックスリラックス。だ~れも君のこと捕まえて食べたりはしないから」
「でも、一番そういうことしそうなのは舞だよね」
女子たちの中から茶化すような声が上がり、
「ちょっと~、それどういう意味?」
という舞さんのリアクションと同時にどっと笑いが起こる。舞さんは一瞬口を尖らせて見せたが、すぐにまたカラカラと笑いだした。皆仲が良さそうで、和気藹々とした部だなと僕は思った。
そして、部員たちの中から一人の女子が歩み出る。さっき舞さんを茶化した人であり、その顔に僕は見覚えがあった。
「私、演劇部部長の天野那利亜といいます。入学式の日、舞と一緒に今川先輩に挨拶したときに、葉太郎くんとも会ってるんだけど、覚えてくれてるかな?」
そう、彼女は入学式の日、姉貴に抱き付いたもう一人の女子生徒。つまりあの時会った二人は演劇部の部長と副部長だったということだ。
天野部長は、小動物系で賑やかな舞さんとは何もかもが対照的で、落ち着いた声色と涼し気な目元、墨のように黒光りするロングヘアーが目に映える。
全く見ず知らずの他人よりは、ほんの少しでも面識がある人のほうが安心できるというものだ。僕はちょっぴりほっとしながら頭を下げた。
「ええ、覚えてます! その節はありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。でも、その節、っていうほどゆっくり話せたわけでもないじゃない? 演劇部に入りたいと思ったのは、やっぱりお姉さんの――今川さんの影響なのかな?」
「う~ん、まあ、確かにそれもあるんですけど……特に強く勧めてくれたのは、藍子さんのほうなんです」
「へえ、織田さん?」
「今川くん、織田先輩に勉強を見てもらってるらしいんです。家庭教師として」
麻美さんの補足に、天野さんはますます目を細めた。
「そうなんだ! うらやましいなあ。美人のT大生に教わるなんて……でも織田さん厳しそうだしな……ああ、いえ、それはそうと、じゃあ今川くんは今川さんと織田さん両方のお墨付きというわけね」
「はあ、まあ……姉貴がお墨付きをくれるかどうかはわかりませんけど」
「その気がなかったら、私たちに『面倒見てやって』なんて言わないはずだよ。とにかく――」
天野さんはそこで言葉を切り、さっと表情を整えた。そして、まるでそれが何かの合図だったかのように、舞さんと麻美さんの福島姉妹も天野さんの横に並び立つ。天野さんがぐるりと一度、確認をとるように部員全員の顔を眺め、異論が出ないことを確認すると、再び僕の顔をまじまじと見て言った。
「私たち演劇部は、今川くんの入部を歓迎します」
その直後、割れんばかりの拍手が部室を満たし、今川くんよろしく、という声がそこかしこから上がる。予想を遥かに上回る歓待に、僕は深く頭を下げた。
「あ……ありがとうございます」
「ここにいるのは今川先輩にお世話になった子たちばっかりだから、私でも舞でも、他の子でも、困ったことがあったら何でも言ってね」
「演劇のことでも学校生活のことでも、なんなら恋愛相談でもどんと来いよ! ……でも、勉強だけは勘弁ね」
天野さんと舞さんが口を揃える。
こうして僕は、演劇部の新入部員として、みんなに温かく迎えられたのだった。
と、その時。一緒に入部を希望していながらすっかり存在を忘れられていた武田が、廊下からひょっこりと顔を出した。
「……あ、あの……俺、一年の武田っていうんですけど、俺も入部希望なんですけど……」
前を歩く福島さん――妹の方の麻美さんが、スカートをひらりと翻しながらこちらを振り返って言った。放課後、僕と武田は演劇部室に案内してもらえることになったのだ。僕達は麻美さんの後について、教室から部室棟へと移動していた。
「そういや、まだ見たことねえな。どの辺にあるんだ?」
武田が辺りをきょろきょろと見回しながら尋ねる。
「部室棟の二階の、かなり奥まったところ。だから、演劇部に用事のある人以外はまず立ち入らない場所かもね」
「へえ、そんな遠いのか。不便だな」
ぼそりと零した武田の言葉に、麻美さんは一瞬不快そうな顔を見せたが、すぐに軽く口を曲げて苦笑した。
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「ここまで着いてきて戻ったら完全な無駄足になるじゃねえか。それに、一人にしたら今川が寂しがるだろうしさ」
武田はそう言って、僕にニヤリと微笑んで見せた。いや、僕は別に全然寂しくないんだけど。顔に似合わず寂しがりなのは武田の方じゃないか。
花倉高校の部室棟は、校舎から少し離れた場所に建っている。テニス部などの運動部が占めるエリアとは反対側。まだ中に入ったことはなく、遠巻きに眺めただけだが、二階建てのそれなりに大きな建物だ。部屋数は少なく見積もっても十部屋以上はあると思う。
仮に入部して毎日通うとすると、校舎を一度出て部室棟まで歩かなければならないので、武田の言う通りたしかに不便ではある。校舎の中に部室を置いている部活もあるんだし、それと比べてしまうと。その時、麻美さんはさっと前に向き直って言った。
「でも、部室もないよりはずっといいよ。今川くんのお姉さんと織田さんが入るまで、演劇部は部員が全然少なくて、専用の部室すら与えてもらえなかったらしいから」
「えっ、そうなの? 姉貴と藍子さんが?」
僕は思わず聞き返した。演劇部のことは姉貴から結構聞かされていたはずだけど、その話は初耳だったからだ。
「うん。実はそうらしいんだ。今川先輩と織田先輩の世代は最初、一年生の新入部員が三、四人しかいなかったらしくて。どうにも人手が足りなかったから、新入りの二人にもすぐに台詞のある役が与えられて――まあ、二人が美人っていう噂は入学当初から立ってたみたいなんだけど、舞台に立ったら、少ない台詞ながらも完全に主役を奪っちゃうような存在感を放ってたんだって。それで、一年の文化祭の後ぐらいから、少しずつ部員が増え始めたらしいの」
「そうだったんだ……」
「今川さんと織田さんの人気が急上昇して部員が増えたのはいいけど、当時の二、三年の先輩たちは複雑な心境だったみたいで。ま、女子だから色々あるのよね。人気と実力があっても、二人ともすぐには主役に抜擢されなかった。ようやく主役とヒロインの座を射止めたのは、三年の先輩たちが大学受験に向けて本腰を入れ始めた二年の秋の文化祭だったの。その時二人が演じた『星のイロンデール』は、『ロミオとジュリエット』に次いで未だに語り草になっている。いえ、現代劇が好きな子の中では、むしろ『星のイロンデール』の方が高く評価されてるみたいね」
この『星のイロンデール』も、実は映像で観たことがある。不治の病に侵されてずっと入院生活を余儀なくされている天体観測が趣味の女の子に、超人的な身体能力を持つ盗人の男の子が夜な夜なプレゼントを届けに来る、みたいな話だったか。もちろん、ヒロインの女の子役が藍子さんで、盗人の男役が姉貴である。
二年の秋の文化祭。そういえば姉貴が初めてメインキャストを務めたのはたしかに『星のイロンデール』だったし、姉貴と仲良くなったのは二年の後半、という藍子さんの話とも符合する。しかし、麻美さんの話を聞いて、僕は少し意外な印象を持った。
「へぇ……演劇部って、もともと結構大きな部なのかと思ってた。藍子さんが言うには、姉貴と仲良くなったのは二年の後半。つまり、その『星のイロンデール』で主役を務めて、演技のことについて姉貴と色々話し合うようになってからだったらしいんだ。だから、それまでは大勢いる部員の中の一人、っていう認識だったのかと思ってたんだけど、今の話を聞くと、そうでもないみたいだよね。それが、なんかちょっと意外な感じがしてさ」
部員が多かったのなら話はわかるんだけど、少人数の部活で、しかも同時に入った一年生はとりわけ少なかったという。そんな状況だったら、もっと話していてもおかしくないんじゃないだろうか? 姉貴は両親が死んでからあまり友達を作らなくなったし、藍子さんも決して社交的なタイプではないようだけれど、それにしても。
「それはきっと、二人ともお互いのことをライバル視していたんじゃないかな?」
「ええ? ライバル?」
麻美さんの言葉に、僕は思わず大声で聞き返した。ライバルなんて、今の二人からは最も遠い場所にある言葉のように思えるからだ。僕の声は廊下中に響き渡り、周りを歩いていた生徒たちが一斉にこちらを振り返る。
「うん。内心ではライバルと意識して、認め合っていたからこそ、一気に仲良くなれたんじゃないかな?」
「ライバル……そういうものかな? 今の二人を見てると、ちょっと想像できないけど」
「そういうものだよ。だって、女だもの」
校舎を出て部室棟に入り、二階に上がって一番奥の部屋の前まで来ると、麻美さんは立ち止まりこちらを振り向いた。
「ここが演劇部の部室。二人の話は伝わってるはずだから、きっと皆待ってると思うよ。さ、どうぞ」
どうぞと言われても、いざ部室を目の前にするとやっぱり緊張してしまう。躊躇いつつ武田を見ると彼は、
「いや、ここはお前が行かなきゃダメだろ」
と苦笑を浮かべた。たしかに、演劇部に入りたいって言ったのは僕の方だ。麻美さんは蒲公英のように朗らかな微笑を浮かべて僕を見守ってくれている。
僕は意を決してドアノブをひねり、おそるおそる演劇部の部室の中に足を踏み入れた。
「ご、ごめんください……」
そして、中で繰り広げられていた行為を目にした僕は、驚きのあまり呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
「どうしたの、今川くん? 中に入って?」
背後から麻美さんの急かす声。
演劇部の部室の中で行われていたもの、それは――なんと、筋トレだった。
ジャージ姿の女子生徒たちが二人一組になり、一人が足を押さえて腹筋をしている。
え、ここって本当に演劇部? 部室間違えてない? どっかの運動部じゃ?
僕は麻美さんに尋ねる。
「ねえ、ここ、本当に演劇部の部室?」
「? ……ええ、そうよ」
「どうして皆筋トレしてるの?」
「あっ、今川くん!」
と、麻美さんから答えを聞く前に、僕たちの姿に気付いた姉の舞さんが、腹筋を中断してハムスターのように俊敏な動作でこちらに駆け寄ってきた。
「早速来てくれたんだね、今川くん! ねえ皆、筋トレ中止! さっき話した、今川先輩の弟の葉太郎くんが来たよ!」
舞さんがそう呼び掛けると、腹筋に勤しんでいた部員たちが一斉に起き上がり僕達を見る。その好奇と期待の入り混じった視線に晒されて、僕はたまらず足が竦んでしまった。花倉高校に入ってから、数少ない男子ということもあり注目される機会も増えたのだけれど、まだまだ慣れるまでには程遠い。
「ささ、入って入って」
舞さんに手を引かれて、僕は演劇部の部室の中央に立たされた。
部室の広さは普段使っている教室のだいたい半分ぐらいだろうか。壁に沿って隙間なく並んだ棚には、演劇に関する本や小説、美術関連の資料等の書籍、オーディオ関連機器、何に使うのかわからない種々の小道具に至るまで、ありとあらゆるものが所狭しと詰め込まれている。
棚の上の壁には、舞台上の様子を収めた写真が何枚か貼られており、その中には姉貴と藍子さんが『ロミオとジュリエット』や『星のイロンデール』で主役を演じた時のものも含まれていた。
部室の中を見れば、たしかにここは演劇部以外の何物でもないのだけれど。
僕の緊張が伝わったのか、副部長の舞さんが一際明るい口調で言った。
「どーしたの、今川くん? リラックスリラックス。だ~れも君のこと捕まえて食べたりはしないから」
「でも、一番そういうことしそうなのは舞だよね」
女子たちの中から茶化すような声が上がり、
「ちょっと~、それどういう意味?」
という舞さんのリアクションと同時にどっと笑いが起こる。舞さんは一瞬口を尖らせて見せたが、すぐにまたカラカラと笑いだした。皆仲が良さそうで、和気藹々とした部だなと僕は思った。
そして、部員たちの中から一人の女子が歩み出る。さっき舞さんを茶化した人であり、その顔に僕は見覚えがあった。
「私、演劇部部長の天野那利亜といいます。入学式の日、舞と一緒に今川先輩に挨拶したときに、葉太郎くんとも会ってるんだけど、覚えてくれてるかな?」
そう、彼女は入学式の日、姉貴に抱き付いたもう一人の女子生徒。つまりあの時会った二人は演劇部の部長と副部長だったということだ。
天野部長は、小動物系で賑やかな舞さんとは何もかもが対照的で、落ち着いた声色と涼し気な目元、墨のように黒光りするロングヘアーが目に映える。
全く見ず知らずの他人よりは、ほんの少しでも面識がある人のほうが安心できるというものだ。僕はちょっぴりほっとしながら頭を下げた。
「ええ、覚えてます! その節はありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。でも、その節、っていうほどゆっくり話せたわけでもないじゃない? 演劇部に入りたいと思ったのは、やっぱりお姉さんの――今川さんの影響なのかな?」
「う~ん、まあ、確かにそれもあるんですけど……特に強く勧めてくれたのは、藍子さんのほうなんです」
「へえ、織田さん?」
「今川くん、織田先輩に勉強を見てもらってるらしいんです。家庭教師として」
麻美さんの補足に、天野さんはますます目を細めた。
「そうなんだ! うらやましいなあ。美人のT大生に教わるなんて……でも織田さん厳しそうだしな……ああ、いえ、それはそうと、じゃあ今川くんは今川さんと織田さん両方のお墨付きというわけね」
「はあ、まあ……姉貴がお墨付きをくれるかどうかはわかりませんけど」
「その気がなかったら、私たちに『面倒見てやって』なんて言わないはずだよ。とにかく――」
天野さんはそこで言葉を切り、さっと表情を整えた。そして、まるでそれが何かの合図だったかのように、舞さんと麻美さんの福島姉妹も天野さんの横に並び立つ。天野さんがぐるりと一度、確認をとるように部員全員の顔を眺め、異論が出ないことを確認すると、再び僕の顔をまじまじと見て言った。
「私たち演劇部は、今川くんの入部を歓迎します」
その直後、割れんばかりの拍手が部室を満たし、今川くんよろしく、という声がそこかしこから上がる。予想を遥かに上回る歓待に、僕は深く頭を下げた。
「あ……ありがとうございます」
「ここにいるのは今川先輩にお世話になった子たちばっかりだから、私でも舞でも、他の子でも、困ったことがあったら何でも言ってね」
「演劇のことでも学校生活のことでも、なんなら恋愛相談でもどんと来いよ! ……でも、勉強だけは勘弁ね」
天野さんと舞さんが口を揃える。
こうして僕は、演劇部の新入部員として、みんなに温かく迎えられたのだった。
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