足摺りて たな知らぬもの 頬張るも ころもまとうて 食えど飽かぬも

茅絃(ちづる)——長編名義:あむゆさ

文字の大きさ
2 / 9

第二首 バレンタインチョコ

しおりを挟む
 まだかのう、まだかのう。
 未だ口にせぬ……、いや、みさとに「手をつけるな」と言われたわちしは、口にしたくともできずにいる甘味が熟すそのときを、ただひたすらに待ち望んでいた。
————あれはちょうど、二晩ほど前のことであったか……——。
 "ちょこれいと"なる土塊つちくれのごとき色をした、溶ける板をみさとが大量に持ち帰り、かと思えば、そそくさと調理場に立つなり、いつにもまして更に分量に気を配り丹精を込め、わちしがいましがた待つ、甘美なる甘味かんみを作り給ふたもうたは————。

 ///

「————若紫はさ、甘いものって食べるのか?」
 そろそろ、世にいうバレンタインデーだ。
 本来おれはチョコを貰う側なのだが生憎学校でおれが所属しているコミュニティに、そんな粋なことをしてくれる女子なんて一人もいない。
——いや、昔は確かにいた。けれど、どいつもこいつもひと月後ホワイトデーに渡されるおれからのお返し手作りクッキーを食べたいがために、既製品のチョコを寄越すだけだった。
 こんなことが昨年まで、毎年通算六年も連続で起きたいまとなっては、『見返りを求めない本命チョコなんてのは架空のものでしかない』と思い至ってしまっている。
 ちなみに、おれは見返りとして料理を振る舞うような性分は持ち合わせていない。そこまで自分の料理の腕を過信してもいないし、なにより、どうしても料理に対して失礼と思えてしまうのだ。

 おかげで、おれはこうして、目の前で雅やかに茶を啜る、ついこの前おれと出逢ったばかりの、座敷わらし改め若紫に、こんな質問を投げつけることになっているわけで……。
「問われれば、答えぬわけにはいかぬまい。わちしの食ぶりし、甘味とは、椿餅つばいもちひなる、菓子なりけり。」
「あぁ、そういえば源氏物語にも出てたな。その、椿餅つばきもち。けど現代いまじゃ食えるところもほとんどないし、味が全く分からんのだが、それ、美味いのか?」
 若紫と会話をする上で言葉の壁が邪魔に入ることを避けるため、おれは学校の図書室でそれなりに古語の勉強もしている。

 さて、とはいえ実際、椿餅なんて、どこで買えばいいのかすら不明だし、作り方はなおさら分からない。
 唐揚げを美味そうにたいらげたり、じいさんが生きていた頃におれの料理を好んで食べてたりしていたわけだから、味覚や美味うま不味まずいの基準に、露骨な差があるとは思えないけれど。

「椿餅、菓子とはいえど甘味あまみは薄い。餅の名残が拭われぬ仄かに甘いだけのもの。」
「あぁ、若紫の時代にはまだ砂糖はないんだったか」
 おれの言葉を受け、若紫は少しばかり頬を膨らませる。
「……みさといま、わちしをばかに、せなんだか?」
「まさか、してねぇよ。けど、砂糖がないんじゃ、現代いまを生きてる人たちが食べてるような甘いものは、口にするどころか、作れもしなかっただろうな……」
 やや機嫌を悪くしている若紫に向け、おれは小さく咳払いを挟み、言葉を重ねる。
「料理の師匠として一ついいことを教えといてやる。若紫、源氏に美味いものを食わせてやりたいなら、若紫はあらゆる"美味びみ"を知っておいた方がいい。飯を作る側が味に不安を持ってちゃ、自信をもって振る舞うこともできないだろ?」
 納得するように、「……一理ある」と溢しながら、小さく頷く若紫。
「しかしまた、不意に甘味の話を繰り出すは、何故か?」
「……お前こそ、急にいつもと違うテンポで核心を突くこと口にするなよ」
 落ち着いて返しているつもりだが、内心ではかなり驚いてしまっている。
「わちしにも、この時代に蔓延る話し口調、覚える学は、持ち合わす。さてみさと、弟子のわちしから師への問い、未だ流れはしておらぬ。」
「あぁ、甘いものの話題を出した理由だったか。あのな、そろそろ"バレンタインデー"、っていう、年に一回の甘いものが出回りまくる、特別な日が来るんだよ」
 「にわかには信じ難し……」と言葉を溢しつつ、羨望の眼差しを向ける若紫だったが、それにおれは一つ嘆息を漏らし、続きを語り聴かせる。
「普通なら、女の子が"好きな男の子"にそいつを渡すんだが、おれの場合ちょっと、"特殊"でな……」
 諦めを孕んだ上での"特殊"という言葉が入ったフレーズに、若紫の表情は先ほどの無邪気なものではなく、いぶかしげなものへと変わっていく。

 ……こいつになら、話してもいいか——。
 そう思ったおれは、いつの間にかここ六年のバレンタインデーにおけるおれ自身の経験のあらましを伝え尽くしてしまっていた。
「————わちしには、その陸年ろくねんは、そのままみさとの腕の証・・・と映りける。女子おなごから、貰いしそれは、お前の料理の対価と同義。」
 こっちが恥ずかしくなることを、こいつは一首詠むようにさらりと、されどまた、ズバリと的を捉え射る言葉を口にしやがる。
「わちしの師、既にそこまで認められ、弟子のわちしも鼻が高きし。」
 若紫の高くなっている鼻を、ピノキオ……いや若紫は日本出身だからここは"天狗"というべきか、なんにせよ、嘘の象徴にするわけにもいかないな。
「ありがとう、若紫。よしっ、感謝の気持ちも込めて、今年は特別に、お前だけの、手作りチョコレートを振る舞ってやるよ」
「……先ほどは、女子おなごがすると、聴こえたが、みさとが作るも、良き日なるや?」
「逆チョコって文化も現代いまじゃ浸透してるんだよ、心配すんな」
 この柔軟さも、時代錯誤によるものなのだろうか。
 やはり平安時代ともなれば、風習や慣習が決まっていれば、そこにイレギュラーの入る余地などなかったのかもしれない————。

「ところでだ、"ちょこれいと・・・・・・"とは、なんじゃるろ?」

————……うん、やっぱりその疑問は無視できないですよね、若紫さん。
 おれはこのあと、いちからチョコレートについて説明するはめになった。とはいえ、原材料が国内で容易に確保できる代物ではなく、それが平安時代にあったかも定かでないことが功を奏し、若紫への説明をそこそこ簡略化できた。

 若紫とのやりとりを簡略化したい気持ちは、二日後に差し迫ったバレンタインデー当日に最も美味しくなる"あのチョコレート"を作りたいと思ったからだ。
 早速おれは、いつものように巾着袋を手に、近所のスーパーまで自転車を走らせ、必要なものの買い出しを済ませ、帰路につく。
 さてと、少し買いすぎたかもしれないが、材料は揃った。
 さぁ、調理開始だ————。

 手作りチョコを作るにあたって、板チョコを覆っているアルミホイル製のカバーをひたすら外すという行程は、どうあっても避けられない。
 当然のごとく、指先が徐々にベトベトになっていくわけだが、それに気をとられて逐一手を洗っていては、更に手際が悪くなる。
 全て剥き終わったら、包丁で粗く刻む。どうせこれから湯煎してとろけさせ尽くしてしまうんだ、細かくする必要性は今回はないだろう。
 ボウルに移したときに思い知ったが、一人のために板チョコ八枚は買いすぎだった。
「おれもお裾分けしてもらえばいいか」
 調理場で独り言を呟くおれに、若紫は、まだ実態の見えない料理に興味をそそられ、目を耀かせてこちらの様子を窺っている。

「若紫、お前も食うか?」
 分量を合わせるにあたって、どうしても、省かなければならないチョコの切れ端も出てくる。
——手渡しだと、若紫のことだし、手の中で溶かしてしまいそうだな……。
「ほれ、口開けて上向いとけよー」
「こうか?」
 天井を仰ぎ見るその姿は、最早ただのうがい中の小学生のそれでしかなかった。
 若紫の口に板チョコの欠片を放り込む。
「ぬぁっ、あんまい……っ! こ、これ以上……、美味なるものを、みさとはついぞ、作る気か……?!」
「お前の師匠だからな、美味くなるようがんばるよ」
 たったひと欠片の"板チョコの端くれ"がこんなにもハードルを上げるものだったなんて……。普段の料理より手間をかける代物とはいえ、若紫の期待の眼差しが痛い。

 沸騰直前の熱湯を別のボウルに入れ、それよりひと回りほど小さいボウルに入ったチョコを、湯煎にて溶かしていく。
 溶けきったら無塩バターを加えて、更に混ぜて溶かし込む。
 バターも溶けてしまったらツヤが出てくる。そこにグラニュー糖も加え、また混ぜる。
 溶いた卵を三回から四回に分けてそれに加え、その都度混ぜてよく馴染ませる。
 ツヤも出て少しばかりヘラに抵抗を感じるようになってきたら、クッキングシートを敷いた型に生地を流し入れる。
 若紫の口にチョコの欠片を放り投げたとき、もう片方の手でオーブンのスイッチを押しておいた。
 百八十度に予熱したそこに、型ごと入れて、そのまま二十分焼く。
 二十分近くなると、オーブンから甘い匂いが漂ってくる。それにつられて、若紫も調理場に顔を出してはオーブンの中で膨らむそれを眺めていた。

 ……気合い入れて板チョコ買いすぎたせいで、この行程をあと四、五回は繰り返さないといけないのか。自業自得とはいえ一種の苦行だな。

 焼き上がったものを型から取り出し、適当に形を整える。
 さて……、多分ここからが大変だ。
 おれが全て焼き終えるまで、若紫のつまみ食いを阻止しなければならない。
————思ったそばから……、ほら、早速手を伸ばす若紫……。
「……————本当に美味くなるのは明後日だ。本当に美味しいものを食べたいなら、いまはなるべく手をつけず、ひたすら耐えろ・・・
「そんなこと……、わちしは聴いておらぬ故、てっきり本日ほんじつ口にできると……っ。」
 ほんの少し瞳を潤ませる彼女を見て、重要なことを伝え忘れていたことに気付く。
 若紫に、いま作ってるものを教えていなかった。
 いや、教えたところで納得するとは皆目思っていないが。
「あぁ、今日作ったこれは"ガトーショコラ"っていって、作ってから三日目が一番美味くなるんだと。だから、他の料理みたいに、焼きたてが一番美味い、って常識は通じないんだよ。そういや言ってなかったな、悪い。……けど確かにもどかしいよなぁ」
 おれもこのもどかしさには覚えがある。だが、三日目が美味いのは間違いないから、結局は三日目に悔いるのだ。一日目に食べ過ぎたことを……。

 ///

 三日目の今日、みさとは帰ってくるやいなや、保存していた"がとぉ・しよこら・・・ ・・・・"なる、焼きたての時点で甘美な香りを漂わせていた甘味を切り分け、食卓に並べた。
「待たせたな、若紫。ハッピーバレンタ————……、おい」
「いただきます!」
 みさとには悪いが、わちしはもう限界だったのだ。
 食べたくて食べたくて、このときを待ち焦がれていたのだ。言葉の途中とはいえ、「いただきます」と手を合わせたのだから、そのまま素手で手に取り口に含めたことくらい、この際勘弁してもらいたい。
「び、美味なりぃ……!!」
 卒倒するかと思った。
 外側のざらつきとは裏腹に、しっとりとした食感の内面。柔らかいのに、しっかり口の中を独特の甘味あまみが覆っていく。
 こんなもの……、ひと口たりとも、他の女子おなごには渡せない……っ。
 わちしに甘味の耐性がないと、みさとはしかとわきまえていたのだろうか。
 これを食ろうてしまえば、源氏様に渡せるどんな甘味も劣ってしまうと、ちゃんと認識していたのだろうか。
 そんな些末な疑問を抱えつつ、しかし、それでもやはり、この甘味の海にわちしは浸り続けるのだった————。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

疑惑のタッセル

翠月 瑠々奈
恋愛
今、未婚の貴族の令嬢・令息の中で、王国の騎士たちにタッセルを渡すことが流行っていた。 目当ての相手に渡すタッセル。「房飾り」とも呼ばれ、糸や紐を束ねて作られた装飾品。様々な色やデザインで形作られている。 それは、騎士団炎の隊の隊長であるフリージアの剣にもついていた。 でもそれは──?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

処理中です...