爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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2.雪の降る国

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 ゴーゼルとの取引も無事に纏まり、明日にはレイノアール王国の迎えの馬車に乗って国境へと向かう。
 リーゼロッテにとっては、今日が最後のアカネース国の夜となるかもしれなかった。ゴーゼルが用意した来客用の宿の最も豪勢な一室の窓際に立ち、リーゼロッテは街の風景を見渡している。
 その横顔を、入り口付近に控えたマリンハルトが見つめていた。彼も同様の宿に、質は劣るが一室を用意されている。叶うなら彼は、リーゼロッテが眠るまで、側に控えていたかった。
 マリンハルトの我が儘を、リーゼロッテが咎めることはしなかった。廊下には護衛としてゴーゼルの部下が控えているため、間違いが起こるということもないだろう。
 彼女をこの瞳に写すことが出来るのは、この夜が最後となる。マリンハルトはこの先に同行することはできない。遠くを見つめる瞳に、もう一度自分を写してはくれないだろうか。そんな叶わぬ夢を見る。
「ゴーゼルが話のわかる方で安心しました」
 まるで独り言のように、リーゼロッテは呟いた。瞳は街に向けられたまま、マリンハルトは映さない。
 返事を期待しているわけではないのだろう。証拠に、リーゼロッテは一人言葉を続ける。
「こちらの出した金額で、まさか鉱山を一つ手に入れられるとは私も予想外でした。ゴーゼルにとっても、レイノアール国という国には期待が大きいようですね」
 リーゼロッテは窓辺から離れると、テーブルへと近付いて上に広げていた鉱山の権利書を手に取った。ゴーゼルとの間に結ばれた取引は、アカネース国北部に位置するゴジア山の経営権を買い取るというものであった。
 しかし、リーゼロッテに経営の知識があるわけではないため、実質的に鉱山を管理するのは変わらずオズマン商会の仕事となる。リーゼロッテはゴジア山で産出された鉱石のうち、前月の産出量の四割を自身の資産として受け取る契約となっていた。
 人件費や道具、流通に関わる諸々の費用はオズマン商会で持つというのだから、四割の鉱石というのは決して少なくはない。
 今回の取引は、レイノアールという国の後ろ盾があってのものだ。リーゼロッテも良く理解しているようで、利益の配分については特に反論を示さなかった。
 ゴーゼルを相手に怯むことなく向き合うリーゼロッテは、マリンハルトの知らない彼女のようにも思えた。それもそのはずである。マリンハルトは、この先遠く離れた地で暮らすために手を回す彼女の後ろ姿など、一生目にしたくはなかったのだから。
「……そんな顔をするのなら、早く部屋に戻った方がお互いのためですよ」
 一瞥もくれぬまま、優しく投げられた言葉。マリンハルトは顔を上げ、権利書に目を通すリーゼロッテへと苦しそうに唇を噛み締める。
「辛いのは、俺だけですか」
 ぎり、と嫌な音を立ててかち合った奥歯の更に深く、腹の底から絞り出された声はか弱く。
 リーゼロッテの耳に届いたのは、奇跡に等しいだろう。彼女は権利書を手にした腕を胸に抱き、僅かに首を縦に振った。
「そうですよ、マリンハルト。辛いのは貴方だけ。……私は少し、寂しいだけです」
 今すぐにでも、逃げ出したいと言ってほしかった。マリンハルトはこの一週間、その言葉を涙が干上がるほどに待ち望んでいた。
 しかし、同時に知っていた。
 リーゼロッテは逃げることを望まない。彼女の瞳に、レイノアールの王子は既に映っている。
 叫びだしたい衝動が胸の奥に沸き上がる。このまま、強引にでもリーゼロッテを拐ってしまうことは容易い。
 これから先、リーゼロッテの瞳に自分が映り込むことはない。ならば、離れた土地にいて二度と会えないよりも、彼女の瞳が向けられなくとも側にいた方が幸せではないか。
「マリンハルトは私にとっては兄のような存在でしたから、離れるのは寂しく思います」
「兄……」
「手の掛かる妹で申し訳ありませんでした」
 妹だなんて、一度たりとも思ったことはない。マリンハルトの言葉を牽制するように、リーゼロッテは微笑みと共に頭を下げる。言葉の行く先を見失った想いは、マリンハルトの胸の中で消化されないまま積もり重なった。
「……手の掛かる、だなんて。むしろ聞き分けの良い手の掛からない妹だったと思いますよ」
 心にもない言葉が、すんなりと唇から溢れ落ちた。聞き分けが良いのは自分も同じ。
 ありがとう、と囁かれたリーゼロッテの小さな声は、最後の夜に溶けて消えた。
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