【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第四章 マクロ・シーン2 「殺意」 7 

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     7

 アリサは、毎日決まって行う病床の瑠奈の世話を終えた趙と一緒に瑠奈の病室を出た。そのままナースセンターに戻って行こうとする趙の白衣の袖をつかむと、アリサは回廊の隅に彼女を引っ張り込んだ。

「どうしたんですか、医局長」

 アリサの行動に目を丸くしながら、趙はその医局長の顔を覗き込んでいる。

「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」

「はい?」

 病棟看護師や入院患者が回廊ですれ違って行くのを横目に見ながらやり過ごすと、アリサは趙の耳に顔を近付けて声を潜めた。

「瑠奈に対する多比良先生の回診回数が、このところちょっと多くない?」

 すると趙は、アリサにとって意外な答えを返した。

「やっぱり、先生も気づいていましたか」

 趙はニヤリとして肩をすぼめながら、横目でアリサを見やった。アリサは怪訝な目つきで趙を見返す。

「やっぱり……って、どういうこと」

「怪しいんですよ、あのお二人」

「怪しいって、何それ」

「できてるんじゃないかってことですよ」

「え……」

「看護師仲間の間でもうわさです。でも、お似合いですよね。お二人とも独身だし。多比良先生は、結構看護師たちにも人気で、狙っている人も多いと思うんですけど、相手が瑠奈先生じゃかなわないなって、みんな言ってます……」

 その後趙はさらに何かペラペラしゃべっていたが、もうそれ以上のことはアリサの耳には入って来なかった。

 ふと気が付くと、回廊の隅に茫然と一人立っている自分がいた。

 多比良と自分の関係は、まだ医局や看護師の誰にも話していない。趙もまさか多比良が医局長である自分と付き合っているなどと夢にも思わず、さっきはあんなことを言っていたのだろう。

 アリサの胸中には、にわかに多比良と瑠奈に対する疑惑と嫉妬心が湧き始めていた。

 自分との関係をオープンにすることを躊躇している恋人多比良と、その多比良との関係などアリサにはおくびにも出さぬ親友の瑠奈。

 世間には良く聞く話だな、などと冷めた見方をしている自分と、とめどもなく膨れ上がってくる憤りに翻弄され始めている自分とが、アリサの中で交錯している。

「まさか、そんなことあるはずない」

 そう振り切ることは、一つの選択肢だ。

 というより、恐らく自分や看護師たちの思い違いだろう。あの多比良が自分を裏切るなんて……。

 アリサは自身の中でそうけりをつけ、回廊をわざと大股に歩きながら、医局長室に戻った。

 だがアリサは、午後の医局長回診を前に昼食を摂ることも忘れて、医局長室の肘掛椅子にじっと座り込んだままさっきの趙の話を振り切れずにいた。

「多比良と瑠奈が、できている……」

 趙のそんな下世話な言葉が、アリサの胸の奥に入り込んで暴れている。

 思い当たることは、ないわけでもない。

 多比良は瑠奈の主治医である。瑠奈の病状を頻繁に見に来ていてもおかしくはない。

 だがそれにしても、病状が安定して退院まぢかな瑠奈の様子を見に来る頻度が、あまりにも多すぎないだろうか。聴診も他の患者に対するより念入りな気がする。

 最近アリサと一緒に食事をしていても、多比良は研究や仕事の話ばかりで、どこか浮かない顔をしていた。

 アリサは多比良との結婚を考えているが、一方の多比良には全くその気が見えない。それどころか、自分たちの関係を表に出したくないようなそぶりだ。

 疑心暗鬼……? 

 そう思いたい。

 趙が言っていたような看護師たちの噂を真に受け、多比良と瑠奈にあらぬ疑いを掛けているが、それは全く根拠のない疑惑ではないか。

 アリサは額に手を当て、デスクの上でうつむいた。

 その時、デスク上の内線電話がコール音を発した。

 ゆっくりと面を上げたアリサは、物憂そうに受話器を取った。

「佐伯先生。今ちょっと時間あるかな」

 名乗らずに、いきなり電話口から聞こえてくる横柄そうなだみ声は、血液内科講座の主任教授の呉地だ。

 慌てて背筋を伸ばすと、アリサは頭を切り替えた。

「はい。十五分くらいなら」

「ああ、それでいいよ。今すぐ教授室に来られるかい」

「大丈夫です。すぐ参ります」

 受話器を置くと、アリサは小さくかぶりを振って、さっきまでの煩悩を必死に振り切った。

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