28 / 40
第四章 マクロ・シーン2 「殺意」 7
しおりを挟む7
アリサは、毎日決まって行う病床の瑠奈の世話を終えた趙と一緒に瑠奈の病室を出た。そのままナースセンターに戻って行こうとする趙の白衣の袖をつかむと、アリサは回廊の隅に彼女を引っ張り込んだ。
「どうしたんですか、医局長」
アリサの行動に目を丸くしながら、趙はその医局長の顔を覗き込んでいる。
「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」
「はい?」
病棟看護師や入院患者が回廊ですれ違って行くのを横目に見ながらやり過ごすと、アリサは趙の耳に顔を近付けて声を潜めた。
「瑠奈に対する多比良先生の回診回数が、このところちょっと多くない?」
すると趙は、アリサにとって意外な答えを返した。
「やっぱり、先生も気づいていましたか」
趙はニヤリとして肩をすぼめながら、横目でアリサを見やった。アリサは怪訝な目つきで趙を見返す。
「やっぱり……って、どういうこと」
「怪しいんですよ、あのお二人」
「怪しいって、何それ」
「できてるんじゃないかってことですよ」
「え……」
「看護師仲間の間でもうわさです。でも、お似合いですよね。お二人とも独身だし。多比良先生は、結構看護師たちにも人気で、狙っている人も多いと思うんですけど、相手が瑠奈先生じゃかなわないなって、みんな言ってます……」
その後趙はさらに何かペラペラしゃべっていたが、もうそれ以上のことはアリサの耳には入って来なかった。
ふと気が付くと、回廊の隅に茫然と一人立っている自分がいた。
多比良と自分の関係は、まだ医局や看護師の誰にも話していない。趙もまさか多比良が医局長である自分と付き合っているなどと夢にも思わず、さっきはあんなことを言っていたのだろう。
アリサの胸中には、にわかに多比良と瑠奈に対する疑惑と嫉妬心が湧き始めていた。
自分との関係をオープンにすることを躊躇している恋人多比良と、その多比良との関係などアリサにはおくびにも出さぬ親友の瑠奈。
世間には良く聞く話だな、などと冷めた見方をしている自分と、とめどもなく膨れ上がってくる憤りに翻弄され始めている自分とが、アリサの中で交錯している。
「まさか、そんなことあるはずない」
そう振り切ることは、一つの選択肢だ。
というより、恐らく自分や看護師たちの思い違いだろう。あの多比良が自分を裏切るなんて……。
アリサは自身の中でそうけりをつけ、回廊をわざと大股に歩きながら、医局長室に戻った。
だがアリサは、午後の医局長回診を前に昼食を摂ることも忘れて、医局長室の肘掛椅子にじっと座り込んだままさっきの趙の話を振り切れずにいた。
「多比良と瑠奈が、できている……」
趙のそんな下世話な言葉が、アリサの胸の奥に入り込んで暴れている。
思い当たることは、ないわけでもない。
多比良は瑠奈の主治医である。瑠奈の病状を頻繁に見に来ていてもおかしくはない。
だがそれにしても、病状が安定して退院まぢかな瑠奈の様子を見に来る頻度が、あまりにも多すぎないだろうか。聴診も他の患者に対するより念入りな気がする。
最近アリサと一緒に食事をしていても、多比良は研究や仕事の話ばかりで、どこか浮かない顔をしていた。
アリサは多比良との結婚を考えているが、一方の多比良には全くその気が見えない。それどころか、自分たちの関係を表に出したくないようなそぶりだ。
疑心暗鬼……?
そう思いたい。
趙が言っていたような看護師たちの噂を真に受け、多比良と瑠奈にあらぬ疑いを掛けているが、それは全く根拠のない疑惑ではないか。
アリサは額に手を当て、デスクの上でうつむいた。
その時、デスク上の内線電話がコール音を発した。
ゆっくりと面を上げたアリサは、物憂そうに受話器を取った。
「佐伯先生。今ちょっと時間あるかな」
名乗らずに、いきなり電話口から聞こえてくる横柄そうなだみ声は、血液内科講座の主任教授の呉地だ。
慌てて背筋を伸ばすと、アリサは頭を切り替えた。
「はい。十五分くらいなら」
「ああ、それでいいよ。今すぐ教授室に来られるかい」
「大丈夫です。すぐ参ります」
受話器を置くと、アリサは小さくかぶりを振って、さっきまでの煩悩を必死に振り切った。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる