【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第五章 ミクロ・シーン3 「交殺点」 1

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 バイロンはウイルスなので、ひとりでに増えることは無い。必ず宿主のどこかの細胞に入り込んでから、その細胞の栄養分や酵素系を使って増えていく。

 バイロンを退治する戦略はいくつかある。

 まず初めに、バイロンが細胞にくっつくところを邪魔して、感染を防ぐ方法だ。

 バイロンは、とにかく最初はヘルパーT細胞にくっつかなくては中に入り込めない。

 ヘルパーT細胞の表面には、糖タンパク質でできた受容体と呼ばれる突起が無数に突き出ている。バイロンは、この突起とうまくはまるタンパク質や糖タンパク質をその粒子表面に持っており、これらの突起とヘルパーT細胞表面の受容体が結合して、両者の接着が起こる。

 この接着を邪魔すれば、バイロンがヘルパーT細胞にくっつくことは無い。

 次に、くっついたバイロンがヘルパーT細胞の中に入り込んでいくところを阻止するやり方がある。

 細胞の膜は脂質二重層という構造をしており、一方でバイロン粒子の表面も脂質二重層で形成されている。従ってバイロンが細胞にくっついた後は、似た者同士の脂質二重層が互いに融合して、バイロン粒子中のRNAがT細胞の中に入り込んでいく。こうして感染が成立するのだ。

 そこで、この細胞膜脂質二重層とバイロン粒子の膜融合を阻止すればよい。

 3つ目として、ヘルパーT細胞の中に入り込んだバイロン由来RNAが、細胞内で逆転写酵素というバイロン由来の酵素によって、バイロンのDNAに作り替えられていくところを阻止するやり方がある。

 バイロン由来RNAが、ヘルパーT細胞内で逆転写されていく過程をブロックすれば、バイロンの遺伝情報は再生されず、バイロン粒子のコピー量産がストップする。

 4つ目は、量産されたバイロン粒子がヘルパーT細胞の中から外へ飛び出して行くところをブロックする戦略だ。

 ヘルパーT細胞内で、まんまと自分のコピー量産に成功しても、そこから外に出て行けなければ、結局バイロンは死滅していく。感染したヘルパーT細胞も死ぬが、バイロンが次の細胞へと感染を広げていくことはできなくなる。

 そして5つ目に、チモシーたちヘルパーT細胞がとる最後の手段がある。

 それは、バイロンが入り込んだ細胞を殺してしまう戦略だ。感染細胞を殺すことによって感染の広がりも抑えられる。つまり、バイロンを直接やっつけるのではなく、バイロンにやられてゾンビ化した細胞をバイロンがはじけ出る前に片付けるのが、チモシーの一つの重要な仕事なのである。

 この攻撃には、チモシー達ヘルパーT細胞だけでなくキラーTの存在が必要である。チモシーは、キラーTに接触したりインターフェロンやサイトカインなどの伝令物質を使ったりしてキラーTに情報を送り、バイロン感染細胞を攻撃するように仕向ける。

 このようにバイロンをやっつける方法はいくつもあるのだが、バイロンもさるもので、右記した宿主側の各戦略を回避する手段を幾つも用意している。

 バイロンが取り付く細胞は、チモシーたちヘルパーT細胞である。

 色々な外敵を相手に一緒に戦ってきた戦友なのに、ヘルパーT細胞はバイロンに取り憑かれた途端、友人の殻をかぶった恐ろしいゾンビ細胞と化す。

 このように、かつては味方だった同じヘルパーT細胞を、バイロンが取り付いた途端にキラーTに殺させなければならないのは、チモシーとしても断腸の思いである。

 しかしそれを取り逃がしてしまうと、一人のゾンビ化したヘルパーT細胞から、何千何万というバイロンが飛び出し、それらがまたひとつひとつ別のヘルパーT細胞に取り付いて感染を拡大していく。一方、バイロンがはじけて出て行ったあとのヘルパーT細胞は、結局死に絶えるのだ。

 チモシーとて、いつバイロンの餌食になってゾンビ細胞と化すかは分からない。

 もしそうなったら、覚悟を決めなければならない。

「そんな時はすぐ俺を殺してくれ」

 と、チモシーは他のヘルパーT細胞やキラーTに出会うたびに伝えている。

 自分は宿主の身体を構成する一免疫細胞に過ぎない。もともと、自己を犠牲にして宿主を守るために生まれてきた存在なのだ。

 ところが最近、チモシーはとみに感じていた。

 血流に乗って全身をめぐりめぐっていても、リンパ管の中を這いまわっていても、臓器組織の中に入って行っても、近頃自分の仲間であるヘルパーT細胞にあまり出会わないのだ。

 白血球の中には、リンパ球、顆粒球、単球という、大きく分けて三種類の免疫にかかわる細胞がある。このうち、免疫系の中心となるのがリンパ球だが、そのリンパ球のうち七五%の細胞はヘルパーT細胞なのである。

 だが宿主の体中どこをパトロールしていても、近頃ヘルパーT細胞に出会わないのだ。

 訝しく思いながらも脾臓で小休止していた時、チモシーはたまたま自分の体に触れながら通り過ぎようとする一匹のヘルパーT細胞に気付いてその手を握った。

「やあチモシー、久しぶり」

 彼はチモシーの仲間であるヘルパーT細胞の一人で、TH2という名の細胞であった。

 TH2は、アレルギーなどの生体防御反応を担うT細胞として重要な役割を持っている。アレルギーというと、悪い免疫反応と捉えられがちであるが、これもちゃんと体の防御反応として必要なものなのだ。

 アレルギー性鼻炎やアレルギー性の小児ぜん息などは、即時型アレルギー反応という、一種の生体防御反応によって発症することが知られている。

 これらの原因となっている花粉、ハウスダスト、ダニの死骸などは、呼吸によって鼻腔や気管支、肺に侵入して来る。

 こういった有害物質を体から排除するために、アレルギー反応が起こり、咳や鼻水、呼吸困難などの症状が出る。つまりアレルギー反応も、本来は人体を守る機構なのである。

 即時型アレルギー反応には、全てTH2が関与している。

 TH2はマロー(B細胞)に言いつけてIgEという抗体の産生を促す。

 このIgEが、肥満細胞という顆粒を細胞内にいっぱい持った細胞にくっつく。さらに肥満細胞表面にくっついたIgEが、花粉、ハウスダスト、ダニの死骸などのアレルギー原因物質を捕まえる。するとそれが合図となって肥満細胞が刺激され、つづいて肥満細胞内の顆粒からヒスタミンという物質が放出される。

 ヒスタミンは、全身の末梢血管を拡張させて血圧を下げ、気管支を狭めて咳を誘発する。またヒスタミンは、涙や鼻水を多く産出させて、一般的によくみられるアレルギーの症状を引き起こす。

 本来これらの症状は、有害なアレルギーの原因物質を体の外へと排出させるための、巧妙な生体反応そのものなのである。しかしこれが行き過ぎると、アレルギー性鼻炎やぜん息の病態が形成されてしまうのだ。

 こういった反応に係っている源は、TH2がマローたちに産生を命令しているIgEという抗体である。

 そんな風に、ややもすると悪者と捉えられがちなTH2だが、チモシーにとってみればもちろん仲間であり、一緒に宿主を守ってきた免疫細胞の一群なのである。

「TH2、生きていたか」

 チモシーは懐かしさのあまり、思わずTH2とハグした。

「まだ死ねない。チモシー、君もどうやら無事らしいな」

「バイロンがどこかに潜んでいる。奴らを撲滅しなければ俺も死ねない」

「そういえば、バイロン退治が君の役目だったね」

 こうして二人は触手をからみ合わせ、色々な情報を交換し合った。

「ところで、近頃ヘルパーT細胞の仲間にあまり会わないが、君の方はどうだ」

「やはり君もそう思うかい?」

「ああ」

「実は僕もさっき腹腔のリンパ節内を周っていた時、大量のヘルパーT細胞たちが破壊されて死んでいる現場に出会ったんだ」

「ヘルパーT細胞が、大量に?」

「そう。ざっと数百はやられていたな」

 チモシーは唖然として体を震わせた。

「バイロンにやられたんじゃあないだろうな」

 気を取り直して訊ねると、TH2は

「そうではない」

 と、細胞触手を介して返事の信号を送って来た。

「現場にバイロンの痕跡はなかった」

TH2はそう情報を付け加えた。

「では一体何にやられたんだ」

「……」

 チモシーの問いかけに、相手からはしばし応答がなかった。

 だがやがて彼はチモシーの質問に対し、細胞膜表面の糖タンパク質性の突起を介する分子信号で応えた。

「証拠は無いが、キラーTの集団にやられた可能性が高い」

「キラーT……? まさか……」

 キラーTは、チモシーたちヘルパーT細胞と協力し合いながら、ウイルス感染細胞やがん細胞を殺してくれる、強力な免疫細胞の一群である。つまり仲間なのだ。

 キラーの名は、そのまま殺し屋を意味する。

 敵に忍び寄って行って、パーフォリンというまるで消音ピストルのような武器で確実に相手を仕留める。もちろん、チモシーたち仲間のヘルパーT細胞を攻撃することは、通常あり得ない。

 だがTH2が言うには、そのキラーTが、少なくとも数百のヘルパーT細胞を殺害したらしい。

 仲間の集団虐殺にも等しい、キラーTの暴挙……。

 チモシーは、TH2からのこの情報を、にわかに信じられずにいた。

「今、この宿主の体の中には、何か異変が起きている……」

 チモシーは、以前から感じていたことを茫然と呟いた。

「とにかく、キラーTには気をつけろ。すべてではないが、奴らの中に一部狂った集団がいることは間違いない」

 TH2がそう危険信号を出してきたので、チモシーは震える触手で相槌を打った。

「……心得た」

「それじゃあチモシー、また会おう。達者でな」

 TH2は突起を通じてそうチモシーに意思を伝えると、握っていた触手を名残惜しそうに外し、彼から速やかに離れて行った。

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