【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第五章 ミクロ・シーン3 「交殺点」 2

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     2
 
 自分たちの心強い味方と思っていたキラーTの中に、仲間であるはずの自分たちを殺そうと息をひそめている殺し屋がいる。

 なぜ? 

 どういった経緯で、そんなルール違反の殺し屋がこの宿主の身体に生まれたのだろう。

 チモシーたちヘルパーT細胞は、宿主の身体を病原性の細菌、ウイルス、真菌などの外敵や、体の中で発生してしまったがん細胞から守るため、昼夜を問わず宿主身体の隅々まで巡回して必死の活動を続けている。そのヘルパーT細胞を抹消する殺し屋キラーTが宿主体内に存在すること自体、チモシーには信じられなかった。

 だがさっきのTH2の証言にもあったように、この宿主体内を巡回するヘルパーT細胞の数は極度に減っている。何者かがヘルパーT細胞を殺して消去しようと企んでいることは間違いなかった。

 では一体だれが、何の目的で……?

 あくまでも外敵から宿主を守るという共通の目的を持った宿主の免疫細胞たちの中に、ヘルパーT細胞を殺すなどという、それこそ宿主の自殺行為にも等しい愚挙を敢行する奴がいるとはとても思えない。

 脾臓から血流に乗って、いつものようにチモシーは全身循環を始めたが、肝臓の細網内皮組織へ行っても胸腺を通過しても、やはりヘルパーT細胞にはほとんど出会わない。

 赤血球と血小板のやつらが、ごつごつとチモシーにぶつかりながら彼を追い越していく。チモシーは少々気が立っていたので、

「こらこら、お前らもっと優しく泳げないのか」

 と強い口調で注意したが、何の返答もない。

 考えてみれば、相手は生きた細胞ではなく言ってみれば物である。チモシーからの叱責が彼らに伝わるはずもなかった。

 適当に三、四個の赤血球を捕まえて、そこからヘモグロビンにくっついている酸素をもぎ取ると、チモシーはそれを口にしながら

「ちぇっ」

 と舌打ちして、無数の彼らが慌ただしく流れ去って行く様子を漫然と見送った。
 
 やがてチモシーは、腹腔内の毛細血管から、血管を形成している細胞と細胞の隙間を潜り抜けて、腹腔側に入り込んだ。そこはちょうど、肝臓とおなかの皮の間ぐらいの位置である。

 そこでしばし体を休めようと、毛細血管の外枠を構成する血管壁細胞の一つから出ていた突起を捉えて、血管の壁にへばりつく。

 腹腔とは、腹部の臓器と、それを覆う膜の間の空間であるが、空間といっても実際は生暖かい組織外液で満たされている。

「チモシーさん、久しぶり」

 血管壁細胞がシグナルを送って来る。

 その声を聞いてチモシーは、さっきまでのくさくさしていた気分を少しばかり取り直した。

「やあ君たち、変わりないかい」

「私たちは相変わらずよ。ただこうしていつも、心臓の拍動に従って、一定方向に血液を送っているだけ」

「それとて宿主の命にとっては必要な仕事だ」

「チモシーさん、あなたは?」

「オレかい? 俺は今のところ無事だ。だが、最近どこへ行っても不穏な雰囲気が漂っている」

「不穏って、何が……」

「君たちは、バイロンとヘルパーT細胞の両方のタンパク質がつながったような、ハイブリッド抗原に出会わなかったか?」

「ハイブリッド抗原?」

「そうだ。これまで見たこともないような」

「さあ、あなたたちはどう」

 血管壁細胞は、周囲の仲間の細胞に問いかけたが、皆「ノー」の信号を送って来た。

 ハイブリッド抗原に敏感に反応するのは免疫系の細胞であって、血管壁細胞などの非免疫細胞の表面には、外来抗原を察知する受容体や抗体は付いていない。ましてや、外来抗原よりもさらに複雑なハイブリッド抗原を、彼らが察知するのは難しいであろう。

 血管壁細胞からの情報収集をあきらめたチモシーは、彼らから離れ、腹腔内の組織液中を彷徨った。

 ここでもヘルパーT細胞に会わない。

 今、宿主体内に病原微生物などの外敵が多量に侵入して来たら、それこそ一大事だ、とチモシーは思った。

 病原性細菌やウイルスが入って来ると、樹状細胞のデンドロや、食細胞のファージらがその情報をかみ砕いてチモシーたちヘルパーT細胞に伝える。

 さらにヘルパーT細胞はその情報を、キラーTや抗体を産生するマロー(B細胞)に伝え、これら免疫細胞が一致団結して外敵をせん滅する。

 この免疫ネットワークの中心にいるのが、チモシーたちヘルパーT細胞である。

 もしヘルパーT細胞が宿主体内から消えたら、免疫ネットワークはたちまち機能しなくなってしまうだろう。

 やがて免疫崩壊が起き、従来病原性を示さないような細菌や真菌などにも感染して、宿主は死に至る。それは、後天性免疫不全症候群(エイズ)の症状にも似ている。

 近頃、気味の悪いハイブリッド抗原によく出会うようになったことと、自分たちを襲うキラーTが現れたことは、ヘルパーT細胞数の減少と何か関係があるのではないか。

 チモシーはそんな疑念を抱いた。

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