【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

文字の大きさ
34 / 40

第五章 ミクロ・シーン3 「交殺点」 カットシーン5、6

しおりを挟む

     5

『カットシーン・マクロ』

 血液内科病棟の個室に肺炎の治療で入院していた東御兼 瑠奈の病態が急変したという知らせを受け、病棟の医局長であり瑠奈の友人でもある佐伯アリサは、患者の病室に急いだ。

 アリサは腕時計を見た。

 午前零時を少し回ったところである。

 昨日の午後の回診では、患者である瑠奈の容体が回復したことを確認していた。そして瑠奈は今日にも退院の予定であった。

 東御兼瑠奈の病室には、多比良准教授と看護師の趙がいた。ノックもせず突然アリサが入って行くと、趙が青い顔で振り返った。

「医局長」

 アリサは趙を無視して、治療を続けている多比良に向かって言った。

「一体どうして……」

 多比良は無表情で、ちらとアリサを睨んだ。

 しかし多比良は何も言わず、怒りを秘めたような眼光を再び患者に戻した。

 アリサは、ベッドに横たわる東御兼瑠奈を見た。

 瑠奈は目をつむったまま、顔をゆがめている。息は粗く、額にうっすらと汗の玉が浮き出ている。頬は赤く熱があるようだ。

「昨日の午後はあんなに元気だったのに……」

 アリサは絶句した。

「君は彼女の容体をきちんと診ていたのか」

 多比良は横に立つアリサに目を向けぬまま、小さく吐き捨てるように言った。

 瑠奈の主治医は多比良であったが、アリサは医局長としての立場と瑠奈の親友であるとの意識から、何かと瑠奈の診療に口を出していた。多比良はそのことを芳しく思っていなかったらしい。

「もちろんです。平熱だったし、肺のX線像も正常でした。聴診でも異常はありませんでした。唯一、血液検査値の中で、先生もご存知のようにヘルパーT細胞を示すCD4陽性細胞数が少なかったのは以前から気になっていましたが……。でもそれ以外は全く問題ありませんでした」

 アリサは、弁解がましく早口にまくし立てた。

「どうやら君の見立ては間違っていたようだな」

 多比良は冷たく突き放した。

「ともかく、ベータラクタマーゼ阻害薬配合ペニシリン製剤で、エンピリックセラピーを開始しましょう。きっと肺炎球菌がぶり返したんだわ」

 アリサは腹を立てたように提案して多比良に迫ったが、多比良は彼女のその提案を突っぱねた。

「君はこれ以上一切手を出さないでもらいたい。患者である東御兼瑠奈の主治医は、この僕だ」



     6

『カットシーン・再びミクロ』

 チモシーも死んで、ヘルパーT細胞がほとんど体内から消失した宿主には、今危機的状況が訪れていた。

 宿主の免疫機能の中心を担うヘルパーT細胞は、司令官であるデンドロの命令を基に免疫ネットワークを統率するかなめである。

 そのセンターとなる細胞群が欠けた今、宿主の免疫系は一気に崩壊した。

 気道や肺などの呼吸器系を介して宿主体内に侵入した種々の病原微生物が、肺胞内感染を通じて全身に散らばり、さらにあらゆる臓器組織の感染や炎症を引き起こしていた。

 チモシーやデンドロが住んでいた宿主は、二十八才の健康な女性の身体であった。

 だが、今その宿主体内に侵入して来た病原性細菌、真菌、ウイルスらが宿主の臓器組織に致死的病変を発生させていた。

 複数の外敵の情報を、デンドロは必死に収集して免疫細胞たちに伝えようとした。

 しかし、その情報を受けて免疫ネットワークを発動させるための、肝心のヘルパーT細胞がいない。

 キラーTが、敵の大群の中に放り出された勇猛な一将軍のように一人で暴れまわるのだが、統率の取れていない軍隊は見る間に細菌の集団に取り囲まれ、やがて壊滅していった。

 ファージたちは、操縦士を失った戦車のように、無数の敵中で軌道のない暴走を繰り返した。だが、やがてファージも病原微生物たちに八方を囲まれ、援軍もないまま細菌の海に飲まれて行った。

 抗体というミサイルを武器にしていたB細胞のマローも、ヘルパーT細胞の命令が無ければ参戦できず、うろうろしながら死に絶えていく。

 原発病巣から血液循環中に入って来た侵略者たちは、敗血症を起こして全身の臓器組織にまで到達し、破壊を繰り返した。

 こうしてついには、ありとあらゆる臓器の機能がマヒして多臓器不全の状態となり、宿主は全身性ショックを起こした。

 血圧が急激に低下し、心臓の筋肉にも、酸素と栄養が供給されなくなった。

 その結果、重篤な心不全が起き、宿主の心臓は停止した……


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...