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第五章 ミクロ・シーン3 「交殺点」 カットシーン5、6
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『カットシーン・マクロ』
血液内科病棟の個室に肺炎の治療で入院していた東御兼 瑠奈の病態が急変したという知らせを受け、病棟の医局長であり瑠奈の友人でもある佐伯アリサは、患者の病室に急いだ。
アリサは腕時計を見た。
午前零時を少し回ったところである。
昨日の午後の回診では、患者である瑠奈の容体が回復したことを確認していた。そして瑠奈は今日にも退院の予定であった。
東御兼瑠奈の病室には、多比良准教授と看護師の趙がいた。ノックもせず突然アリサが入って行くと、趙が青い顔で振り返った。
「医局長」
アリサは趙を無視して、治療を続けている多比良に向かって言った。
「一体どうして……」
多比良は無表情で、ちらとアリサを睨んだ。
しかし多比良は何も言わず、怒りを秘めたような眼光を再び患者に戻した。
アリサは、ベッドに横たわる東御兼瑠奈を見た。
瑠奈は目をつむったまま、顔をゆがめている。息は粗く、額にうっすらと汗の玉が浮き出ている。頬は赤く熱があるようだ。
「昨日の午後はあんなに元気だったのに……」
アリサは絶句した。
「君は彼女の容体をきちんと診ていたのか」
多比良は横に立つアリサに目を向けぬまま、小さく吐き捨てるように言った。
瑠奈の主治医は多比良であったが、アリサは医局長としての立場と瑠奈の親友であるとの意識から、何かと瑠奈の診療に口を出していた。多比良はそのことを芳しく思っていなかったらしい。
「もちろんです。平熱だったし、肺のX線像も正常でした。聴診でも異常はありませんでした。唯一、血液検査値の中で、先生もご存知のようにヘルパーT細胞を示すCD4陽性細胞数が少なかったのは以前から気になっていましたが……。でもそれ以外は全く問題ありませんでした」
アリサは、弁解がましく早口にまくし立てた。
「どうやら君の見立ては間違っていたようだな」
多比良は冷たく突き放した。
「ともかく、ベータラクタマーゼ阻害薬配合ペニシリン製剤で、エンピリックセラピーを開始しましょう。きっと肺炎球菌がぶり返したんだわ」
アリサは腹を立てたように提案して多比良に迫ったが、多比良は彼女のその提案を突っぱねた。
「君はこれ以上一切手を出さないでもらいたい。患者である東御兼瑠奈の主治医は、この僕だ」
6
『カットシーン・再びミクロ』
チモシーも死んで、ヘルパーT細胞がほとんど体内から消失した宿主には、今危機的状況が訪れていた。
宿主の免疫機能の中心を担うヘルパーT細胞は、司令官であるデンドロの命令を基に免疫ネットワークを統率するかなめである。
そのセンターとなる細胞群が欠けた今、宿主の免疫系は一気に崩壊した。
気道や肺などの呼吸器系を介して宿主体内に侵入した種々の病原微生物が、肺胞内感染を通じて全身に散らばり、さらにあらゆる臓器組織の感染や炎症を引き起こしていた。
チモシーやデンドロが住んでいた宿主は、二十八才の健康な女性の身体であった。
だが、今その宿主体内に侵入して来た病原性細菌、真菌、ウイルスらが宿主の臓器組織に致死的病変を発生させていた。
複数の外敵の情報を、デンドロは必死に収集して免疫細胞たちに伝えようとした。
しかし、その情報を受けて免疫ネットワークを発動させるための、肝心のヘルパーT細胞がいない。
キラーTが、敵の大群の中に放り出された勇猛な一将軍のように一人で暴れまわるのだが、統率の取れていない軍隊は見る間に細菌の集団に取り囲まれ、やがて壊滅していった。
ファージたちは、操縦士を失った戦車のように、無数の敵中で軌道のない暴走を繰り返した。だが、やがてファージも病原微生物たちに八方を囲まれ、援軍もないまま細菌の海に飲まれて行った。
抗体というミサイルを武器にしていたB細胞のマローも、ヘルパーT細胞の命令が無ければ参戦できず、うろうろしながら死に絶えていく。
原発病巣から血液循環中に入って来た侵略者たちは、敗血症を起こして全身の臓器組織にまで到達し、破壊を繰り返した。
こうしてついには、ありとあらゆる臓器の機能がマヒして多臓器不全の状態となり、宿主は全身性ショックを起こした。
血圧が急激に低下し、心臓の筋肉にも、酸素と栄養が供給されなくなった。
その結果、重篤な心不全が起き、宿主の心臓は停止した……
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