【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第六章 マクロ・シーン3 「告白」 1

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     1

 あなたは、医学部学生時代から私の良き友人であり理解者だった。

 私の目から見たあなたは、美しく、聡明であり、そして私に対して限りなく優しかった。

 でもあなたは知らなかったでしょうね。あなたのことを親友のように、時には妹のように、近しい存在として接していた私の中に宿っていた本当の思いを。

 医学部時代、あなたは常に成績優秀で、美人で人懐こい性格だったから、先生や周りのみんなから好かれていたわ。血液内科の医局に一緒に入局してからも、あなたは臨床面と研究面で頭角を現し、私の地位を脅かす存在になっていた。

 そして私のプライベートな面にまで、あなたはずかずかと侵入して来た。

 あなた自身にはきっと、そんな意識は無かったのでしょう。そう。私の恋愛を蝕もうとしている自分の行為を、あなたは全く知らなかったでしょうね。

 悪気がなかった、といえば確かにそれまでだわ。

 確かに私も悪かったわ。多比良先生とお付き合いしていることを、親友であるはずのあなたには一言も言っていなかったのだもの。

 そこへ割り込んで来たあなた……。

 繰り返すけれど、あなたに私を陥れるような邪悪な意思がなかったことは認めるわ。

 でも私たちは、結婚の約束まで交わしていた仲だったのよ。

 多比良先生もひどいわ。

 私たちの関係を医局のみんなに公表することを、いたずらに伸ばしていたのだもの。そのうちに、何も知らないあなたが、私と多比良先生の間に入って来たのよ。

 そして私の知らないうちに、あなたは多比良先生との関係を徐々に深めて行った。多比良先生の心が私から離れて行ったのも、みんなあなたのせいだわ。

 そう。私はあなたを憎んでいた。

 あなたの存在は、全ての面で私には疎ましく妬ましく映った。

 もちろんそんなこと、あなたの前では一度も態度に示したことは無かったし、一言も口にしたことは無かったわ。

 だからあなたは不思議に思うでしょうね。私があなたに対して、殺意を抱いていたなんて……。

 確かに初めは、本気に考えてはいなかったわ。

 あなたを殺す? 

 まさか……

 自分自身、何度もそう思っては打ち消したわ。

 でもそんな気持ちが、段々と私の中で悪性腫瘍のように増殖していく様を、私はどうしても止めることができなかった。

 体の中で膨れ上がったその悪性腫瘍に操られるように、私の頭脳はどうやったらあなたを殺せるかを、具体的に考えるようになって行った。

 と言うと人ごとのようだけれど、そんなずるい言い方はやめるわ。

 私にとってあなたが目障りな存在であることを、私ははっきり認識したのよ。そして私は殺人者として、それを実行に移すことにした。

 じゃあどうやってあなたを殺すのか?

 私が殺人罪で捕まらないようにあなたを殺すには、一体どんな方法を使ったらいいのか。私は考え貫いたわ。

 でも不思議なものね。そういう目的で研究計画を練るように考えを巡らせてみると、素晴らしいアイデアが私の中に湧いてきたのよ。

 誰にも知られず、そしていかにも自然にあなたを葬る方法。

 それは、あなたも私も専門としている領域の知識と、ちょっとした技能を使うことで達成できる実験計画だった。

 そしてもしかしたらその成果は、私たち血液内科の研究プロジェクトの成就にとっても、またとない供物になるかもしれない。

 そう。一見これは殺人ではなく、私とあなただけが関わった人体実験なのだわ。

 この実験の結果を起点として、人を死に追いやるかもしれないT細胞ウイルスの感染予防法が大きく発展する。あなたはそのモルモット人間第一号。

 私はそう思うことにしたの。

 もし私が疑われて警察に捕まったとしても、私はこう言うわ。

「二人の同意のもとに人体実験をしただけです。その結果は失敗でした」

 この実験は確かに人体実験でもあるので、それを始める前には、あなたも知っているように大学の臨床研究倫理審査委員会の承認を得なくてはならない。

 私が罪に問われるとしたら、この倫理審査委員会の承認を経ずに臨床研究を勝手に遂行した、ということくらいよ。

 いざとなったら、もちろんあなたも同意のうえで実験を行った、と警察には申し立てるつもりよ。あなたはきっと、何も知らなかったでしょうけれどね。

 でももうあなたはこの世の人ではない。

 私が警察に嘘の申し立てをしたって、誰が分かるものですか。

 一方で、もしかしたら、実験は成功するかも知れなかった。その可能性も確かにあったわ。

 ハイブリッド抗原をあなたに投与したら、それがちゃんとワクチンとして成立し、あなたはT細胞ウイルスに対して免疫ができるかもしれない。その確率だって、ゼロじゃない。

 それはそれで、大発見になるわ。

 あなたを殺すのが目的である私にとって、その結果は成功ではなく失敗ということになるけれどね。

 もしそんな成果が得られたら、私はまた、あなたを殺す別の方法を考えたでしょう……。

 しかし結果として、この実験は私にはうまく行った。

 つまり私が望んでいた通り、あなたを葬ることができた。

 あなたの遺体が焼き場で遺骨になったと聞いて、私はようやく安堵の胸をなでおろしたわ。

 万が一、あなたの遺体の司法解剖が行われて、臓器や血液が保存されていたとしたら、それは私にとって一大事だったからよ。

 解剖したあなたの御検体の試料からは、私があなたに投与したハイブリッド抗原が見つかる可能性があった。

 もしそんなことになれば、きっと私が疑われる。それは何としても避けたい事態だった。

 ハイブリッド抗原は、岩清水さんが薬学研究の知識を生かして合成した抗原だから、天然に存在するはずがない。

 そしてそれは研究としても初めての試みだから、ハイブリッド抗原を持っているのは世界中で私たちの研究グループだけ。もちろんそれは、人の身体の中で自然に作られる物でもない。

 したがって、ハイブリッド抗原であなたが殺されたことが分かってしまったら、犯人は私たちの研究グループの人間に限られてしまうわ。

 このようにもしそれがあなたの血液中から検出されたら、私にとっては、とてもまずかったのよ。

 ところで、そのハイブリッド抗原を私がいつあなたに投与したか、あなたは知らないでしょうね。

 それはね。私が相当量のハイブリッド抗原を、インフルエンザワクチンに混合してあなたに投与したからだわ。

 あなたには黙って、それがインフルエンザのワクチンだと言って、私はあなたの腕に注射したのよ。

 インフルエンザワクチンを私に注射されたことは覚えているでしょう? そう、あの時よ……。

 結果としてハイブリッド抗原は、宿主であるあなたの身体の免疫系を存分に刺激してくれたようね。それは、ハイブリッド抗原のいわば重篤な副作用だったというわけ。

 T細胞ウイルスに対する免疫は、確かに効率よく活性化されたかもしれない。それはあなたの血液中にある抗T細胞ウイルス抗体の存在を調べればわかったでしょうね。

 でもハイブリッド抗原は同時に、あなたの体を守っている免疫細胞の中心であるヘルパーT細胞に対しても、自己免疫反応をもたらした。

 すなわちあなたの体の中では、自分のヘルパーT細胞を攻撃してしまうキラーTが活性化されて増殖し始めた。そしてそのキラーTが、あろうことかあなたの体の中のヘルパーT細胞を殺し始めたのだわ。

 その結果、あなたの免疫系は崩壊し、そしてそれが種々の病原微生物の侵入と宿主体内での増殖を許す結果となり、やがて宿主であるあなたは敗血性ショックで死に至った。

 それはまさに、この人体実験で私が目的としたところだった。こうして私の実験は成功したのよ。

 もちろんあなたの死は私にとって悲しい出来事だったわ。医学部時代からずっと、あなたは私の友人だったのだもの。

 私に対してあなたは、いつも無垢な清い心で接してくれたわね。

 あなたはご両親が開業医で育ちも良かったし、周りのみんなにちやほやされながら育ったから、あなたが人を疑ったり傷つけたりする思惑を一物秘めて人に接することなど、決してなかったわ。

 人がいいというか、お嬢さんというか。あなたは、貧乏育ちだった私とは違っていた。そんなところが、あなたに対する私の憧れだったのかもしれない。

 でもその憧れが段々と憎しみや妬みに変わって行ったことを、あなたは知らない。

 診療や研究に対するあなたの才能を私は羨み、そして私の恋人の心まで奪おうとしているあなたを、とうとう私は許すことができなくなったのよ。

 ところで、血液内科の研究室で、岩清水さんの実験試薬やハイブリッド抗原が盗難に会った事件をあなたは覚えてる? 彼女のPCに保存されていたデータの改ざんもあったわね。

 その犯人はいまだに見つかっていないけれど、それもそのはず。今まで誰にも黙っていたけど、あれは実は私の仕業だったのよ。

 盗みたかったのはハイブリッド抗原だけだったけれど、それだけ盗んだのでは、犯人の目的が分かってしまうわ。岩清水さんの試薬やデータなどもいくつか一緒に盗んで、私が何を欲しかったのかをかく乱させようとしたのよ。

 まあ、細かいことはどうでもいいわ。

 とにかくこうして私は、あなたを殺すという計画を、成功裏に完了した……

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