【完結】ミクロとマクロの交殺点

睦良 信彦

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第六章 マクロ・シーン3 「告白」 3

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 三十平米くらいの長細い部屋の、奥まった東側窓際手前に、多比良は無造作に足を組んで座っていた。

「お呼びでしょうか」

 さり気なく尋ねると、多比良は口元にだけおざなりの笑みを浮かべながら、ゆっくりと腰を上げた。

「まあ、そちらに掛けてくれ」

 部屋の入り口と多比良の肘掛椅子の間に設けられた応接セットのソファーを私に指し示すと、彼は先に、私の対面にある革張りのソファーに自分の肘掛椅子やデスクを背にしてどっかと座った。私も言われた通り、両足を揃えてソファーに浅く掛ける。

 相手の話を催促すべく、私は多比良の顔から目を離さなかった。

「親友を亡くした君の気持はよく分かる。亡くなった彼女に対しても、心からお悔やみを言いたい」

 こちらの心中を察してか、多比良は間を置かず神妙な面持ちで言った。一方の私は憮然として応じた。

「まるで人ごとのような言い方をなさるのですね。彼女は血液内科学講座の大事な教員だったのに。そして先生にとっても……」

「むろん突然の彼女の死は、血液内科の医局にとっても僕にとっても、大変な痛手だ」

「それだけですか」

「どういう意味かね?」

「看護師たちが噂をしています。彼女は、先生とお付き合いをされていた」

「まさか」

「先生は、私という存在がありながら、彼女とも……」

 私は勢い突っ込んで言及した。

 多比良の顔に、かすかな狼狽が垣間見られた。

「何を言うんだ、君は」

「先生は卑怯です。彼女にも私にも、はっきりとした答えをくれず、どっちつかずの煮え切らない態度を取り続けて」

「やめないか」

 語気を荒げたのは、本音を言い当てられたからであろうか。

 私は黙った。

 彼の勢いに押されたからではない。その様子から、心の中を探ろうとしたのだ。

 私たちの間に、重い沈黙がよどんだ。

 その問題はどうどうめぐりだった。

 私が親友だったあなたを殺した動機の一つに、多比良を奪われたのではないかという懐疑心があった。それが疑いではなく事実であると私は信じている。

 しかしそうやってあなたと命をかけて奪い合った(あなたはそう思っていなかったかもしれないが)多比良という男が、今あなたがいなくなってみると実につまらない男のような気がしてきて、私はにわかに戸惑いにも似た気持ちを抱き始めていた。

 こんな男の私に対する愛の不貞を、私がいくら真面目になって追求したとて、一体何になるだろう……。

 そんな冷めた気持ちが一気に私の中を駆け下りた。

「私を呼んだのは、そんなことを話すためではなかったのでしょう。お互い多忙の身。ご用件を承りたいわ」

 私は抑揚のない口吻で言った。

 言い訳をもっと連ねたかったのか、多比良は一瞬言葉を詰まらせて私を睨んだ。そしてこちらに聞こえないくらいの小さなため息を鼻から漏らすと、その視線を私から応接セットのテーブルの上へと逸らせた。

 またしばしの沈黙があった。

 この男は何を語りたがっているのだろう。そしてその開口に何を逡巡しているのだろう。

 私があきれたような顔をして腰を上げかけた時、多比良はつぶやくように言った。

「岩清水さんから、動物実験の結果報告があった」

 私は、遠くに投げていた視線をもう一度多比良に戻した。

 「どんな報告だったのですか」

 私がやや興味を示して訊ねると、多比良はソファーからこちらに少しだけ身を乗り出し、そして私の目をしっかりと捉えながら続けた。

「君も知っての通り、岩清水さんはT細胞ウイルス由来抗原と正常なヘルパーT細胞の抗原を合体させたハイブリッド抗原をマウスに投与し、T細胞ウイルスに対する強力な免疫誘導を試みた」

「ええそれが?」

 私はつんとした態度を貫く。

 実験のプロトコールと抗原投与までの過程は、既に私が医局のカンファレンスで発表したことだ。私たちは皆その結果を早く知りたがっていた。

 多比良はまた私から視線を逸らし、しばし言葉を切った。

「失敗だったのですか」

 先を催促するように訊ねると、多比良はゆっくりと首を左右に二、三回振った。

「そうとも言い切れない」

「おかしないい方ですね」

「言葉通りだ」

「ちゃんと説明してもらえますか」

 私は浮かしていた腰を、またソファーの上に戻した。

「次回のカンファレンスで岩清水さんに詳しく説明してもらうが、T細胞ウイルスに対する抗体が、ハイブリッド抗原を投与した十二匹のマウス中十匹に産生されていた」

「それは、予備実験としては成功と言えるのではないですか」

 抑揚のない声で私見を述べると、多比良は表情を変えずに首肯する。

「しかし」

 多比良は同じ口調で淡々と続けた。

「同時にヘルパーT細胞に対する自己抗体も多量に産生されていたのだ。さらには、それに基づく自己免疫から来るヘルパーT細胞の破壊が、全てのマウスに見られた。一部のマウスには、後天性免疫不全や日和見感染症も発生しており、これらの有害事象による死亡例が半数のマウスに起こったということだ」

 そこまで言い終わると、なぜか多比良は私の反応を楽しむかのように、口元に気付けない位の笑みさえ浮かべてこちらを睨んだ。

 もともとハイブリッド抗原は、T細胞ウイルスとその感染宿主とを同時に刺激するワクチンである。
 
 好ましい免疫反応、すなわちT細胞ウイルスに対する感染防御反応を加速度的に呼び起こす効果が期待される反面、宿主自身の重要な免疫細胞であるヘルパーT細胞をも攻撃する自己免疫反応を引っ張り出してしまう危険性がある。

 岩清水によるマウスを使った実験結果も、ある意味では我々研究グループの視野に入っていた。

「そうですか。でもそれは、全く予想できなかったわけではありませんね」

 多比良の視線を避けながら、私は遠くを見る目つきで他人事のように返した。

 一方で多比良は、私のその返答を予期していたかのように、口元に今度ははっきりとわかる不敵な笑みを浮かべて言い放った。

「そう。君はハイブリッド抗原の副作用を予期していた。むしろそれに期待していたと言ってもいい」

「どういうことですか。実験は失敗した方が良かったと、私が思っているとでも?」

 私は反発したが、多比良はまた静かな口調に戻ると、おもむろに告げた。

「そうやって、

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