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第六章 マクロ・シーン3 「告白」 5
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「君は、このハイブリッド抗原を、ヒトに使ったらどうなるだろうかと考えた。動物実験で有害作用の方が強く現れることが分かったワクチンは、臨床試験の前段階で没になる。だから岩清水さんの動物実験の結果がまとまらぬうちに、君はそれを彼女に投与したのだ。結果が分かってからでは、ハイブリッド抗原を彼女に投与した後の彼女の病態を、死んだマウスの病態と結び付けて考える者も出てくるだろう。その前に彼女を殺った方が、発覚の恐れは少ない」
多比良のその発言を捉えた私は、すかさず一矢を放った。
「ハイブリッド抗原を彼女に投与した? どうやって」
私は、作りものの冷笑を表情に出して続けた。
「実験動物レベルの安全性と有効性がまだ確かめられていないハイブリッド抗原を人へ投与するなど、誰が認めるものですか。人体実験を開始するには、倫理審査委員会の承認を得る必要もあります。そんなことは先生に言うまでもありません」
「そこは僕も疑問に思った。だが恐らく君は、彼女の同意を得ず密かにハイブリッド抗原を彼女に注射したのだ」
「そんなことできるわけがないでしょう。彼女に知られず、抗原を注射するなんて」
あきれたように返すと、多比良は一瞬押し黙った。
だがやがて彼は、あの諭すような鼻に付く言い方で、述懐を続けた。
「ハイブリッド抗原を彼女に注射する機会など君にはなかったと君は言うが、それは間違いだ。唯一、君にはその機会があった。しかもそのことを彼女に知られずに、それを成し遂げる機会が」
「どんな時だというのですか。彼女が寝ている時? でもワクチン注射などされれば痛いから、いくら熟睡していても気付かぬはずはないわ」
私はせいぜい反論したが、多比良は相変わらず落ち着き払った態度でじっと私の様子を見ていた。
「僕に言わせるのか。君には分かっているはずだ」
「何を言っているの。私には何のことやらさっぱり……」
「とぼけるな」
多比良は私を睨みつけたが、私も負けじと睨み返した。
彼ははったりを言っているに違いない。私が自滅して犯行を漏らす機会を引き出そうとしているのだ。
「ちゃんと説明してください。あなたは私にあらぬ罪の濡れ衣を着せようとしているのだわ。あなたが愛していた彼女が死んだものだから、その腹いせにわたしを……」
私は毅然と返したが、多比良はひるまなかった。
「それじゃあ教えてやろう。君は毎年季節になると、医局員にインフルエンザの予防接種をしていた。彼女に対しても君はインフルエンザワクチンを接種した。逆に君が予防接種を受けるときには、それを彼女が担当した」
「それがどうしたというの」
「君は、インフルエンザワクチンに例のハイブリッド抗原を混合し、それを彼女に注射したのだ。もちろん他の医局員に打ったワクチンは規格通りのもので、何も混ぜていない」
「……」
「黙っているところを見ると、図星のようだな。インフルエンザワクチンは、宿主の免疫を刺激する作用があるから、接種後はインフルエンザウイルスに対する免疫機能が高まると同時に、ワクチンに混合されていたハイブリッド抗原が宿主の自己免疫も強く刺激した。それによって彼女の体内のヘルパーT細胞が徐々に破壊されていったのだ」
「……面白い仮説ね。それをきちんと示すデータがあれば、あなたは有能な刑事になれるわ」
私は精一杯の虚勢を張って、笑顔さえ見せる余裕を示した。
だが多比良の表情は、凍り付いたように動かなかった。
「確かに直接的な証拠はない」
「それごらんなさい」
「だが君があくまでシラを切るというなら教えてあげよう。彼女が病床にいるとき、僕たちは検査のために何回か彼女から採血している。その血液を調べてみたのだよ」
「何を調べたというの」
私の心臓の動きが、にわかに高まって来た。
「まず一つはハイブリッド抗原だ。君も知っての通り、あの抗原は当血液内科の研究グループが独自に設計し、岩清水さんが合成した、世界中他のどこにもない抗原だ。
免疫科学的手法で彼女の血液のこの抗原を調べたところ、微量だが確かにハイブリッド抗原が検出されたのだ。その事実は、彼女が自分自身でハイブリッド抗原を注射したか、あるいは誰か他の人物に注射されたか、そのどちらかしかない」
多比良は自信に満ちた口吻で、淡々と述懐を続けた。
「そこで僕は、彼女と病室で二人きりになったときに彼女に訊ねてみたのだよ。『まさかとは思うが、君は自分自身でハイブリッド抗原を注射するような馬鹿な真似はしていないだろうな』と。
もちろん彼女はそれを否定した。研究熱心な彼女のことだから、あるいはかつて英国医師のジェンナーが息子に種痘を接種したように、自らの身体でワクチン実験をしたのではないかと僕も疑ったのだがね。
だがそうでないとすると、残る可能性は一つ。誰かが、彼女に偽ってハイブリッド抗原を注射したのだ。そしてその機会は、彼女にインフルエンザの予防接種を行った君以外にあり得ない」
ほぼ完ぺきな状況証拠だと思った。だがあくまで状況証拠であって、絶対的な証拠ではない。
往生際悪く、私がそのことを指摘して最後の抵抗を試みようとした時、私の心中を見透かしたように多比良が呟いた。
「もっとも、君が考えているようにこれは君の犯行を示す絶対的な証拠ではない。もちろん僕は、君を警察に突き出そうなどとみじんも思ってはいない。僕が君を告訴し、もし裁判になったとしても、きっと勝つのは君だろう」
多比良はおもむろに立ち上がった。
そして彼は、ソファーの中で沈没している私を一人残し、ドアを空け放したまま静かに自室を出て行った。
最後に一言、こう言い残して……
「話はそれだけだ、医局長。いや、東御兼 瑠奈」
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