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㉓混戦2
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パァー!パァー!パァー!
笛の音が鳴るたび、【陽キャグループ】は怯えた。
彼等はナノハナに逃された後、飯田先生と二手に分かれて巡回していた【ヤクザ教師】一文字先生に見つかるもののなんとか逃げ、物陰に隠れていた。
近くで、笛が鳴り続ける。
一文字先生が自分たちを探し続けている。
隠れたはいいが、身動きが取れなくなってしまっていた。
「ちょっとスイセンさん、様子を見てきてよ」
尚也が、スイセンの背中をつつく。
「は?何で俺が」
「あんた一番年上だろ!行って来てよ!」
「お前さっきの女教師の様子見ただろ。ナノハナさん殺されかけていたぞ?俺に死ねって言うのか?」
「そんな事は言ってないけど……」
「ちょっと、言い争っている場合じゃないでしょ!」
揉める彼らにアリサが一喝すると、二人は素直に黙った。
普段から救急用具を持ち歩いている曜子は、圭一の怪我の手当てをしていた。
小型クナイによって出来た傷は決して浅くなかった。
ハンカチで傷口近くを結んで血止めをしようと、いくらガーゼを当てようと、血は止まらないでいた。そして、一番の深手は、最後に放たれ背中に命中したクナイだ。
抜いてしまっては、余計出血するかと思い、今も背中に痛々しく刺さっている。
「圭一君、大丈夫?」
曜子が心配そうに呼びかけ、顔をのぞき込む。
圭一は大丈夫とばかりに片手を上げて見せるが、その額には玉のような汗をかき、呼吸も不規則だった。
「アリサ、どうしよう!早くなんとかしないと、圭一君が……」
「ちょっと、静かに!」
突然龍が、声を上げた。
「なんか、声がする……呼んでる」
皆が耳を澄ませると確かに、鳴り響く笛の中に人の、女性の声が混ざっている。その声は、どんどん近づいていた。
「……俺?俺を呼んでいる?……お母さん?」
龍は居ても立っても居られず、物陰から飛び出した。
「ちょっと龍!」
アリサの呼び止める声など耳に入らず、彼は駆け出して行ってしまった。
「お母さん?お母さん!」
「龍!」
お互いの呼びかけを頼りに走り、遂に逢えた親子は、抱き締め合った。
「龍!ああ、よかった!怪我はない?」
「俺は大丈夫。でも友達が!」
「わかった。皆でとりあえず、ここから離れるわよ」
その時、背後で笛の音がけたたましく鳴った。
二人は恐る恐る振り返ると、そこに来ていた。
一文字先生が迫っていた。
「お母さん!逃げよう!」
「いえ、お母さん少しあの先生と話すから、友達を連れて少し離れて」
「ダメだよ!先生達は、無関係の人でも邪魔する人は殺すんだよ!」
「大丈夫よ。さっきあの先生と一回お話しているし」
相場龍の母は、息子の背中を押しながら、言い聞かせる。
「いい?もし駄目だったら、大声で『逃げて』って言うから聞こえたらすぐ逃げて。お母さんの事は気にしないで逃げるの。いいわね?」
「えっ?駄目だったらって……」
「もう、話している暇はないわ。早く行って!」
最後に背中を強く押すと、相場母は、一文字先生に立ち向かった。
「貴女は先ほどお会いした……相場君のお母さんですね」
「はい……先ほどはどうも」
一文字先生に対峙した相場母の手には、出刃包丁が握られていた。
「先生。おかげさまでうちの息子は見つかりました」
「……そのようですね」
「はい。ですからもう、先生の手を煩わせることはなくなりました。私が連れて帰るので」
包丁を握る手に力が入った。
それは、無意識に行った意思表示だった。
見逃さないなら、殺すぞという意思表示。
それを感じ取ったのか取っていないのかはわからないが、一文字先生は鼻で笑った。
「相場さん。そういうわけにはいかないのですよ。それで済んだら、そもそもこんな事にはなっていないでしょう。こっちも仕事なもので」
一文字先生は、持っている刺又を、カシャンと変形させた。
その悪魔的なビジュアルの得物を見せつけ、彼も意思表示をした。
彼女は、その意思表示を正しく受け取り、叫んだ。
「逃げて!」
母の叫びが聞こえ、相場龍は心臓が冷える感覚を味わった。
「逃げて」という言葉の合図。
まさに今、母と一文字先生のいる空間では、駄目な事が起きているということだ。母は逃げろと言っていたが、いざその時になると、逃げる気なんて起きなかった。
「龍くん!聞こえただろ?逃げなきゃ!」
その場を動こうとしない、ましてや引き返そうとしている龍にスイセンが声を掛けた。そんなスイセンの簡潔な物言いに、龍は噛みついた。
「あんた、今回は一緒に助けてよ!お母さんが、一文字に勝てるわけがないじゃん!殺されちゃうよ!」
「いや……一文字とか知らんし……」
「ヤクザみたいな先生なんだよ!いいから来てよ!早くしないと!」
腕を引っ張ってくる龍を、スイセンは鬱陶しそうに振り払った。
「やめろ!お前、自分が何を言っているのかわかってんのか!俺がいなくなったら誰がお前たちをナノハナさんの家まで連れて行くんだよ?お前のワガママは皆まで危険に遭わすんだぞ!」
その剣幕に、中学生達は息をのむ。
自分に怯えた表情を向けられ、スイセンは咳払いをした。
「怒鳴ってごめん。俺は、ナノハナさんから君達を任されたんだ。ナノハナさんが戻ってくるまでは、なんとか……もう、ナノハナさんは、殺されてしまっているかもしれないけど……」
心底悔しそうに呟くスイセンに、皆何も言えなくなってしまった。
龍は、もう何も言わず、母の元に駆け出してしまった。
「おい龍!」
引き留めようとした尚也は、動きを止めた。
視界の隅に、とんでもないものを見てしまったのだ。
少女の小さな悲鳴と共に。
曜子が、後ろから羽交い締めにされ、その喉元に刃物を当てられていた。
そして、彼女の肩越しからそれは顔を見せた。
「あれ?ナノハナくんって言葉が聞こえたから来たのに、ナノハナくんいないじゃん」
聞く者誰もが嫌悪感に襲われ、一度聴いたら忘れる事を許されないその粘着質な声。
【ストーカー】小山数子が、そこにいた。
「ねぇ……どうしてナノハナくんいないの?あなた達、ナノハナくんといっしょにいた子達よねえ?」
羽交い締めにあっている曜子はもちろんのこと、その場にいる誰もが、恐怖と度重なる災難によって声を出せなくなっていた。
「どうして黙っているの?……ねぇ!答えてぇ!」
数子がヒステリックに叫んだ。
曜子は目に涙を浮かべ、肩を震わす。
「……はぐれてしまったの」
答えたのは、アリサだった。
「はぐれた?」
「はい。私たちを教師の追手から逃すために私達と分かれたんです」
それを聞いた数子は突然、恍惚とした表情を浮かべた。
「……ほわぁあ!ナノハナくん……やっぱり優しい人。見ず知らずの子供のために、自己犠牲ができるなんて!ほんとに素敵……ああ、ナノハナくんナノハナくん……!」
その場の誰もが気味の悪いものを見る目を向けたが、彼女はそんなもの気にせず、圧倒的一方通行で愛する人に想いを馳せた。
そんな彼女であったが、スンと表情が消え失せた。
「……じゃあなに?……ナノハナくんはまさか?……あなた達、ナノハナくんを見捨てたというの?」
今度は、アリサも答えられなかった。
強靭な武器を持ち、豹変した飯田先生に殺されている可能性は、大いにあったからだ。
「うそ……うそでしょ?そんな事……」
数子の情緒は定まることを知らない。
その表情はみるみるうちに絶望に満ちた。
そのまま悲しみに明け暮れるのかと思いきや、今度は憎しみに顔を歪めた。
充血した目をカッと見開き、その憎悪満点の瞳で、腕の中に納まっている少女を睨みつける。
「お前たちのせいだ……お前らのせいで……!」
「あっ……う、あ……」
曜子が小さく唸る。
首に押し当てられているカッターナイフに力が加わり、ツーッと彼女の血が首を伝っていた。
「ああっ!やめて!」
アリサが叫ぶも数子の耳には、もはや何も届かない。
ぶつぶつと呪いのように恨み言を呟く彼女は、いまにも曜子の首を掻っ捌きそうな様子だった。
その時、皆の意識外から、また別の声がした。
「あー!よかった!皆ちゃんと生きてるじゃん!」
子供達の命がある事に、屈折した喜びの声を上げたのはもちろん、【人気教師】飯田先生だった。
「んん?よくわからない状況になってるな。一文字先生もいないし……まぁいいか、独り占めできるわけだし!」
飯田先生は、嬉々として刺又を変形させ、『指導』を始めようとした。
しかし、飯田先生が動くより、アリサの頭の回転が速かった。
「あの人!あの人がナノハナさんを殺したんです!」
飯田先生を指さし、数子に訴えた。
彼女の言葉を受けた数子は、血走った眼を飯田先生に向けた。
飯田先生は、一旦動きを止め、皆を見回す。
「ああ?ナノハナ?あいつは、殺してねーよ?……まぁ、怪我は負わせたけど」
そう言った瞬間、数子は曜子を放り出して飯田先生に襲い掛かった。
「おまえぇぇぇぇ!」
「うわぁ!何だこいつ!」
完全に意表を突かれた飯田先生は、数子に馬乗りにされた。
「くっそ!放せ!クソババア!」
「いいいいいいいいいいいいいいい!」
数子は奇声を上げながらカッターナイフを振り回す。
飯田先生は両手足をばたつかせ、必死に抵抗していた。
放り出された曜子のもとに、アリサが駆け寄る。
「曜子!大丈夫?」
曜子は力なく頷いた。
彼女を立たせると、アリサは争っている二人の様子を見た。
双方、けたたましく奇声を上げながら揉みくちゃになっている。
度々血が飛び交う。
飯田先生は、振り回されるカッターナイフに刻まれていた。
数子もまた、自分の身体を揉み合いの中、誤って切り付けてしまっていた。
「皆、逃げるよ!」
アリサが叫ぶ。その声に一番早く反応したのは、数子だった。
「待てぇえぇ!お前らもだぁああぁぁぁあ!」
咆哮を上げると、飯田先生から体を離し、逃げ出す子供達を追おうとする。
カチッっという音がした直後、数子の背中に衝撃が走る。
痛みが遅れてやってきた。
反射的に、背中を見ようと首を回すと、視界の隅に銀色の物体があるのが見えた。
物体の全貌を見るには首が回らない。代わりに数子は背後を見た。
ついさっきまで殺そうとしていた男、飯田先生がうつ伏せに倒れながらも上半身をやや起こし、刺又を構えていた。
仕込み刺又に搭載されている小型クナイが、数子の背中に放たれたのだ。
「うぇーい!ざまぁ!」
血まみれの飯田先生が、歓喜の声をあげる。
背中に刺さった物体を引き抜こうと、数子は糸の絡まった操り人形のように体をくねらせる。しかし、小型クナイは絶妙に手の届かない位置に刺さっており、抜こうとして身体を無理に捻ると、先程付いた切り傷が広がる。
「うぁああぁぁぁぁぁぁぁああ!ちくしょぉぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉ!」
痛みともどかしさに、吠えた。
そんな彼女を飯田先生は笑って見ていた。
背中の異物を取り除く事を諦め、数子は笑顔を向けてくる飯田先生に、憎悪の視線を送る。
「なんだ……お前ら……邪魔ばかり……ジャマだ邪魔だ……じゃまだじゃまだじゃまだ……!」
数子の呪詛を聞いた途端、飯田先生の顔から笑顔が消えた。
「……なんだと?邪魔はお前だろ。ふざけんなよほんとに……どいつもこいつもさぁ!」
飯田先生は再び、刺又から小型クナイを発射した。
顔面に目掛けて飛んでくるクナイを、数子は咄嗟に手で防いでしまった。
手の甲から、クナイの鋭利な先端が突き出るのを見た。
その瞬間、彼女の脳裏に一人の人物の顔が浮かんだ。
数子のカッターナイフを鷲掴みにして堪えていた時の、ジニアの顔だった。
そして、苦痛に顔を歪ませたジニアが悲鳴を上げる。
その悲鳴は、数子の声をしていた。
それに気づいた途端にジニアの顔は消え、手を貫通したクナイが視界いっぱいに現れる。
「うぅ……う……うぁ……うぁああぁぁぁぁぁぁぁああ!」
数子はもう一度叫ぶと、手に刺さったクナイを思いっきり引きく。
穴の開いた血まみれの左手で頭を掻きむしると、恨めしそうな顔を飯田先生に向けた。
「わ、わたしは、わたしは……ナノハナくんに、逢いたい……だけなのよ!……どうして?どうしてずっと、ずっと……みんな邪魔ばかり……!」
数子は意味不明な呟きを吐きながら、ふらつく身体を必死に動かし、逃げた子供達を追いかけ始めた。
飯田先生も続いて追いかけようとしたが、体中の切り傷が痛み、すぐさま起き上がることが出来なかった。
「ああ……くそ」
飯田先生は、肩掛けカバンから、白色の笛を取り出す。
キー!
笛を鳴らすと、深くため息をついた。
笛の音が鳴るたび、【陽キャグループ】は怯えた。
彼等はナノハナに逃された後、飯田先生と二手に分かれて巡回していた【ヤクザ教師】一文字先生に見つかるもののなんとか逃げ、物陰に隠れていた。
近くで、笛が鳴り続ける。
一文字先生が自分たちを探し続けている。
隠れたはいいが、身動きが取れなくなってしまっていた。
「ちょっとスイセンさん、様子を見てきてよ」
尚也が、スイセンの背中をつつく。
「は?何で俺が」
「あんた一番年上だろ!行って来てよ!」
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「そんな事は言ってないけど……」
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普段から救急用具を持ち歩いている曜子は、圭一の怪我の手当てをしていた。
小型クナイによって出来た傷は決して浅くなかった。
ハンカチで傷口近くを結んで血止めをしようと、いくらガーゼを当てようと、血は止まらないでいた。そして、一番の深手は、最後に放たれ背中に命中したクナイだ。
抜いてしまっては、余計出血するかと思い、今も背中に痛々しく刺さっている。
「圭一君、大丈夫?」
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「ちょっと、静かに!」
突然龍が、声を上げた。
「なんか、声がする……呼んでる」
皆が耳を澄ませると確かに、鳴り響く笛の中に人の、女性の声が混ざっている。その声は、どんどん近づいていた。
「……俺?俺を呼んでいる?……お母さん?」
龍は居ても立っても居られず、物陰から飛び出した。
「ちょっと龍!」
アリサの呼び止める声など耳に入らず、彼は駆け出して行ってしまった。
「お母さん?お母さん!」
「龍!」
お互いの呼びかけを頼りに走り、遂に逢えた親子は、抱き締め合った。
「龍!ああ、よかった!怪我はない?」
「俺は大丈夫。でも友達が!」
「わかった。皆でとりあえず、ここから離れるわよ」
その時、背後で笛の音がけたたましく鳴った。
二人は恐る恐る振り返ると、そこに来ていた。
一文字先生が迫っていた。
「お母さん!逃げよう!」
「いえ、お母さん少しあの先生と話すから、友達を連れて少し離れて」
「ダメだよ!先生達は、無関係の人でも邪魔する人は殺すんだよ!」
「大丈夫よ。さっきあの先生と一回お話しているし」
相場龍の母は、息子の背中を押しながら、言い聞かせる。
「いい?もし駄目だったら、大声で『逃げて』って言うから聞こえたらすぐ逃げて。お母さんの事は気にしないで逃げるの。いいわね?」
「えっ?駄目だったらって……」
「もう、話している暇はないわ。早く行って!」
最後に背中を強く押すと、相場母は、一文字先生に立ち向かった。
「貴女は先ほどお会いした……相場君のお母さんですね」
「はい……先ほどはどうも」
一文字先生に対峙した相場母の手には、出刃包丁が握られていた。
「先生。おかげさまでうちの息子は見つかりました」
「……そのようですね」
「はい。ですからもう、先生の手を煩わせることはなくなりました。私が連れて帰るので」
包丁を握る手に力が入った。
それは、無意識に行った意思表示だった。
見逃さないなら、殺すぞという意思表示。
それを感じ取ったのか取っていないのかはわからないが、一文字先生は鼻で笑った。
「相場さん。そういうわけにはいかないのですよ。それで済んだら、そもそもこんな事にはなっていないでしょう。こっちも仕事なもので」
一文字先生は、持っている刺又を、カシャンと変形させた。
その悪魔的なビジュアルの得物を見せつけ、彼も意思表示をした。
彼女は、その意思表示を正しく受け取り、叫んだ。
「逃げて!」
母の叫びが聞こえ、相場龍は心臓が冷える感覚を味わった。
「逃げて」という言葉の合図。
まさに今、母と一文字先生のいる空間では、駄目な事が起きているということだ。母は逃げろと言っていたが、いざその時になると、逃げる気なんて起きなかった。
「龍くん!聞こえただろ?逃げなきゃ!」
その場を動こうとしない、ましてや引き返そうとしている龍にスイセンが声を掛けた。そんなスイセンの簡潔な物言いに、龍は噛みついた。
「あんた、今回は一緒に助けてよ!お母さんが、一文字に勝てるわけがないじゃん!殺されちゃうよ!」
「いや……一文字とか知らんし……」
「ヤクザみたいな先生なんだよ!いいから来てよ!早くしないと!」
腕を引っ張ってくる龍を、スイセンは鬱陶しそうに振り払った。
「やめろ!お前、自分が何を言っているのかわかってんのか!俺がいなくなったら誰がお前たちをナノハナさんの家まで連れて行くんだよ?お前のワガママは皆まで危険に遭わすんだぞ!」
その剣幕に、中学生達は息をのむ。
自分に怯えた表情を向けられ、スイセンは咳払いをした。
「怒鳴ってごめん。俺は、ナノハナさんから君達を任されたんだ。ナノハナさんが戻ってくるまでは、なんとか……もう、ナノハナさんは、殺されてしまっているかもしれないけど……」
心底悔しそうに呟くスイセンに、皆何も言えなくなってしまった。
龍は、もう何も言わず、母の元に駆け出してしまった。
「おい龍!」
引き留めようとした尚也は、動きを止めた。
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曜子は目に涙を浮かべ、肩を震わす。
「……はぐれてしまったの」
答えたのは、アリサだった。
「はぐれた?」
「はい。私たちを教師の追手から逃すために私達と分かれたんです」
それを聞いた数子は突然、恍惚とした表情を浮かべた。
「……ほわぁあ!ナノハナくん……やっぱり優しい人。見ず知らずの子供のために、自己犠牲ができるなんて!ほんとに素敵……ああ、ナノハナくんナノハナくん……!」
その場の誰もが気味の悪いものを見る目を向けたが、彼女はそんなもの気にせず、圧倒的一方通行で愛する人に想いを馳せた。
そんな彼女であったが、スンと表情が消え失せた。
「……じゃあなに?……ナノハナくんはまさか?……あなた達、ナノハナくんを見捨てたというの?」
今度は、アリサも答えられなかった。
強靭な武器を持ち、豹変した飯田先生に殺されている可能性は、大いにあったからだ。
「うそ……うそでしょ?そんな事……」
数子の情緒は定まることを知らない。
その表情はみるみるうちに絶望に満ちた。
そのまま悲しみに明け暮れるのかと思いきや、今度は憎しみに顔を歪めた。
充血した目をカッと見開き、その憎悪満点の瞳で、腕の中に納まっている少女を睨みつける。
「お前たちのせいだ……お前らのせいで……!」
「あっ……う、あ……」
曜子が小さく唸る。
首に押し当てられているカッターナイフに力が加わり、ツーッと彼女の血が首を伝っていた。
「ああっ!やめて!」
アリサが叫ぶも数子の耳には、もはや何も届かない。
ぶつぶつと呪いのように恨み言を呟く彼女は、いまにも曜子の首を掻っ捌きそうな様子だった。
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「んん?よくわからない状況になってるな。一文字先生もいないし……まぁいいか、独り占めできるわけだし!」
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しかし、飯田先生が動くより、アリサの頭の回転が速かった。
「あの人!あの人がナノハナさんを殺したんです!」
飯田先生を指さし、数子に訴えた。
彼女の言葉を受けた数子は、血走った眼を飯田先生に向けた。
飯田先生は、一旦動きを止め、皆を見回す。
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そう言った瞬間、数子は曜子を放り出して飯田先生に襲い掛かった。
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完全に意表を突かれた飯田先生は、数子に馬乗りにされた。
「くっそ!放せ!クソババア!」
「いいいいいいいいいいいいいいい!」
数子は奇声を上げながらカッターナイフを振り回す。
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放り出された曜子のもとに、アリサが駆け寄る。
「曜子!大丈夫?」
曜子は力なく頷いた。
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双方、けたたましく奇声を上げながら揉みくちゃになっている。
度々血が飛び交う。
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「皆、逃げるよ!」
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「待てぇえぇ!お前らもだぁああぁぁぁあ!」
咆哮を上げると、飯田先生から体を離し、逃げ出す子供達を追おうとする。
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「うぇーい!ざまぁ!」
血まみれの飯田先生が、歓喜の声をあげる。
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「うぁああぁぁぁぁぁぁぁああ!ちくしょぉぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉ!」
痛みともどかしさに、吠えた。
そんな彼女を飯田先生は笑って見ていた。
背中の異物を取り除く事を諦め、数子は笑顔を向けてくる飯田先生に、憎悪の視線を送る。
「なんだ……お前ら……邪魔ばかり……ジャマだ邪魔だ……じゃまだじゃまだじゃまだ……!」
数子の呪詛を聞いた途端、飯田先生の顔から笑顔が消えた。
「……なんだと?邪魔はお前だろ。ふざけんなよほんとに……どいつもこいつもさぁ!」
飯田先生は再び、刺又から小型クナイを発射した。
顔面に目掛けて飛んでくるクナイを、数子は咄嗟に手で防いでしまった。
手の甲から、クナイの鋭利な先端が突き出るのを見た。
その瞬間、彼女の脳裏に一人の人物の顔が浮かんだ。
数子のカッターナイフを鷲掴みにして堪えていた時の、ジニアの顔だった。
そして、苦痛に顔を歪ませたジニアが悲鳴を上げる。
その悲鳴は、数子の声をしていた。
それに気づいた途端にジニアの顔は消え、手を貫通したクナイが視界いっぱいに現れる。
「うぅ……う……うぁ……うぁああぁぁぁぁぁぁぁああ!」
数子はもう一度叫ぶと、手に刺さったクナイを思いっきり引きく。
穴の開いた血まみれの左手で頭を掻きむしると、恨めしそうな顔を飯田先生に向けた。
「わ、わたしは、わたしは……ナノハナくんに、逢いたい……だけなのよ!……どうして?どうしてずっと、ずっと……みんな邪魔ばかり……!」
数子は意味不明な呟きを吐きながら、ふらつく身体を必死に動かし、逃げた子供達を追いかけ始めた。
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「ああ……くそ」
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