巡回

ねこ皇子

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㉔正義対愛

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「……くそ、なんでだ」

 飯田先生と小山数子が争っていたのと同じ頃、【ヤクザ教師】一文字先生は相場龍の母と対戦していた。
 一文字先生が圧倒するかと思われるその戦いは、意外にも長引いていた。

 一文字先生は、飯田先生が根口卓也の母を難なく殺した時のように、相場母を殺せると思っていた。しかし、いざ面と向かって争うと、見込みの甘さに気付く。

 やはり子を守る母親は強かった。

 一文字先生も相場母も、傷だらけになっていた。
 傷だらけで血まみれ。
 それでいてもその瞳に闘志を宿している彼女に、一文字先生は苛立ち始めていた。何より解せなかった。

 なぜこんな事があり得るのか。
 体格も、体力も自分の方が上のはずなのに。
 なぜ彼女はここまで抵抗できているか?なぜ戦えているのか?
 飯田先生が殺すことのできた根口の母親と彼女とでは、何が違う?

 やはり、闘う意味であるのか?
 復讐のため襲い掛かった根口の母親より、子供を守る為に闘う彼女の方が強いとでもいうのか。

 ふざけるな。
 そんな綺麗ごとで殺されてたまるか。
 正義は、こちらなのだ。向こうは感情論でしかない。正しいのは自分なのだ。

 一文字先生は仕込み刺又を投げ捨てると、相場母に素手で襲い掛った。
 彼女は咄嗟に出刃包丁を突き出したが、身軽になった一文字先生はその腕を掴み上げ、背負い投げを見舞った。
 硬いコンクリートの地面に背中から思い切り叩きつけられ、相場母は思わず唸る。すぐに追い打ちが来た。髪を鷲掴みにされ半身を起こされると、顔面に膝蹴りが打ち込まれた。
 顔面からメキッと多少の硬さがあるものが折れる音が聞こえた。

 出刃包丁は手元から離れ、相場母は力なく地面を転がる。
 鼻の骨が折れたのか、歯が折れたのか、彼女は痛みで反射的に顔面を抑えたそのついでに、損傷個所を確認する。
 落胆した。鼻も歯も折られていた。

 涙で視界が霞み、鼻血で顔面がぬめぬめする。

 一文字先生は相場母に歩み寄りながら肩掛けカバンの中身を漁り、予備として教師達に配布されていたサバイバルナイフを取り出した。

 霞む目を必死に凝らし、手放してしまった出刃包丁を探す。
 出刃包丁は、一文字先生の足元に落ちていた。
 一文字先も、それをわかっているようで、相場母の前で足を止めると重々しい口調で告げてきた。

「……おしまいです」

 相場母は、改めて死を覚悟した。
 それと同時に、喪失しかけた闘志を、再燃させる。

 息子が逃げるまでは、死んでも食らいつき続けてやると。
 全身に力を入れる。

 ついに一文字先生がサバイバルナイフで襲い掛かろうとした時、彼女の霞む視界の中、一文字先生に飛び掛かる影を見た。

 その影は、相場母の息子である相場龍だった。


 龍は、一文字先生に飛び掛かって馬乗りになると、一心不乱に殴りつけた。
 龍の母は、隙を見て出刃包丁を拾い、荒々しく一文字先生に殴りかかっている我が子の背中に向かって叫んだ。

「龍!なに戻ってきてるの!何で逃げてないの!」
「お母さん!逃げて!」

 龍は振り返らずに叫び、一文字先生を殴り続けた。
 しかし、彼の攻撃は長くは続かなかった。

「おおおおお!」

 一文字先生は野獣のような雄叫びを上げると、龍の右頬に巨大な拳をめり込ませた。殴られた龍の身体は、後方に軽々しく吹き飛ぶ。

 大男の一撃を食らい、龍は昏倒してしまった。

「龍!」

 相場母が駆け寄り、龍の身体を支える。
 一文字先生は身体を起こし、落としたサバイバルナイフを拾い上げる。
 その血塗られた強面を怒りに歪ませ、【ヤクザ教師】の異名も生温いほどの有様になっていた。

「……先生に手を挙げるとは何事ですかっ!」

 怒鳴った一文字先生は、ひどく動揺していた。
 彼は今まで生徒から、手を出されることはもちろんのこと、口答えされた事すらなかったのだ。

 一文字先生は生徒の事を想い、あえて子供達に厳しくしていた。
 そんな様子でいたら生徒達からは、多少の反感を買われるはずなのだが、彼の場合は違った。

 その強面のビジュアルにより常に恐れられ、反感を持つことすら恐れられていたのだ。彼が姿を見せれば、生徒達は楽しそうなお喋りをやめ、顔を俯かせ、怯え、離れていく。それが、普通だった。

 しかしだ。
 たった今、この相場龍という生徒は自分の意志で一文字先生の前に姿を現した。
 さらに、立ち向かってきた。これは、異常だった。

 何が、彼に反感を持たせたのか?
 何が、彼を動かしたのか?

 答えはすぐに出た。

 いつからか、幾度となく邪魔をしてくる感情。愛だ。

 相場母は、出刃包丁を構えて、龍と一文字先生の間に立つ。
 その親子の姿に、一文字先生は恐怖し、身体を震わす。

 前回の《巡回》でも目の当たりにし、彼は殺されかけた。
 この愛という感情に。

 だから、次からはそれを圧倒するために、身体を鍛えるなど努力をしたのに。
 一文字先生は、歯ぎしりをした。

 生徒達を殺したいわけではない。
 思った事もある。
 道を誤った生徒を殺す事のない世界が、あるのではないかと。
 口うるさく説教するだけで済む世界があったのではないかと。

 ただ、自分の生きているこの世界は、違った。
 これが、この世界での、正義なのだ。

 お互いが、各自の得物を、強く握りしめる。
 そして、共存するはずの『正義』と『愛』が、ぶつかり合った。

 一文字先生のサバイバルナイフは、相場母の腹部に深く突き刺さっていた。
 相場母の出刃包丁は、一文字先生の腹部に深く突き刺さっていた。
 
 二人は自分の得物を手放すと、受けた傷を見る。
 一文字先生は膝を着き、相場母はその場に崩れ落ちた。

「うり……ゃあぁぁああああ!」

 一文字先生は、咆哮を上げながら腹部に刺さっている出刃包丁を引き抜いた。
 傷口からドボドボと血が流れ出る。

「……は、ははは」

 痛みのあまり、乾いた笑い声を上げた。
 そして、虫の息でいる相場母に近づく。

「ほらな……私は、立てている……気の毒ですが……私が正しいのだ。ほら、勝つのは……正義なんだ……!」

 出刃包丁を両手で握り締め、彼女目掛けて振り下ろした。
 手応えがあった。

「……えっ」

 一文字先生は、顔に似合わない間の抜けた声を出した。

 振り下ろされた出刃包丁は、相場龍の胸に刺さっていた。

 龍は、母の盾となったのだ。

「ひぃいい!」

 龍に腕を掴まれた一文字先生は、彼の顔を見て甲高い悲鳴を上げた。

 龍は、白目を剥いていた。

 完全に意識を取り戻していなかった。
 それでも、母を守るために動いたのだ。

 一文字先生は恐怖のあまり叫んだ。

「ま、まただっ!」

 彼は悟ってしまった。
 この愛という感情には、何をしても勝てないということを。

 首筋に衝撃が来た。

 いつの間にか立ち上がっていた相場母が、サバイバルナイフを一文字先生の首に突き刺したのだ。


 相場母は、一文字先生に掴み掛っている龍を引き剥がした。
 龍を抱きかかえてその顔を覗く。
 今はもう白目を剥いてはいない。
 輝きを失った黒目が、母の事を見ていた。

「……なんで……なんで戻ってきたのよ……!これじゃあお母さん、来た意味ないじゃない……バカな子ねほんとに、馬鹿……バカ……」


 正義と愛が激突した結果、三人の命が散った。
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