視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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オフィスに潜む狂気

邪魔は許さない

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 中に入っているスマホを取り出してみると、勤めていた会社の上司からの着信で驚く。今更なんだろう、忘れ物か、退職する手続き上何か不備でもあったのだろうか。私は慌ててそれにでた。

「はい、もしもし!」

 耳に入ってきたのは聞き慣れた不機嫌そうな声だった。

『随分元気そうね?』

 通話する相手が誰かわかっていたはずなのに、その声を聞いた途端あの体の重さが突然蘇ったように感じた。心臓がバクバクと暴れだし、手がわずかに震えていることに自分でも気がついた。

「……あ、は、すみません」

『急に退職されたおかげでこっちがどんな迷惑を被ったかわかる?』

「す、すみませ……何か引き継ぎに不備でも? あ、あの」

 この人の前になると、言葉がうまく出てこない。喉が音を出すことを拒否しているように狭くなる。それでも、もう戻ることのない場所なんだから、と懸命に自分を励ました。

 相手はわざとらしい大きなため息をついた。それだけでびくっと体が反応する。

『あーあ。そりゃあんたみたいな出来ない人間いなくなってもらったほうが助かるとはいえ。
 わかる? 私がどれだけあんたに時間を奪われたか! 成長させるために必死になってきたのに、あんな簡単に辞めてどうすんのバカじゃないの?』

「……え、す、みませ……」

『あんたみたいなの、どこに行ってもやっていけないわ。どうせまた仕事についていけなくてすぐ辞めるでしょ。もうそのまま引きこもってたら? 誰の役にも立たないし、根性もないし。どこの仕事もやれないわよ』

 ケラケラと笑いながらそう言われた時、ただただ目の前が真っ白になった。

 深い深い水の奥底に自分が沈んでいくような感覚に陥る。底がない世界のようだった。心が重い、だなんて、初めて感じる感覚だった。

 どこに行ってもやっていけない。

 誰の役にも立てない。

 この世に私がいていい場所なんてないんだろうか。



『すぐにわかるわよ、私が言ってる意味がね。辞めたことも後悔するわよ。ああ、あんたって母親ずっといないんだっけ。だからかもね。じゃあしょうがないか』



 そう言い放った無責任な言葉だけを残し、電話はぶつりと音を立てて切れた。

 それでも未だ耳に当てたまま、私はぼんやりと目の前の一点を見つめていた。

 少ししてようやく手をおろした。ぶらりと力なくそれが揺れる。意外とスムーズに持っていたスマホを鞄の中に仕舞い込んだ。

 そうか。私自身、すごくダメな人間なんだ。

 どこに行ってもああやって辛い毎日を送るんだ。また怒鳴られる日々なのかな。私が間抜けなせいで、お父さんまでばかにされてしまう。

 電車がやってくるアナウンスが耳に入ってきた。だがそれもひどく遠くで流れているように聞こえる。耳の前に一枚壁があるようだった。

 足元を眺める。黄色い点字ブロックがつま先に見える。そしてその向こうには線路があった。

 突然線路からふわりふわりと何かが出てくる。蝶々のような優雅な動きだった。一、二、三、四。どんどんと線路からは蝶々が増えてきていた。あまりに美しく優しく、その者たちに魅入られた。

 それはこっちにおいで、ここにあなたの居場所はあるよ、と言っているように思えた。

 その蝶々たちは私を呼んでいる。優しく手招きをする彼らがなんだかとても羨ましかった、私もなりたいと思った。もう誰にも怒られない世界へ行きたいと思った。

 そのままゆっくりと足を踏み出す。何もない無音の世界だった。ただ誘われるがままに腕たちの元へと飛び込んでいく。



「きゃああああ!」

 背後からそんな叫び声がしてハッとした。目の前にあるのは蝶々なんて美しいものではなく、多くの腕だった。腕が私を引き込むよう手のひらを広げて迎え入れている。気がついた時には遅かった、私は線路の中に飛び込んでしまったあとだった。

 頭が冷静になった瞬間目に入ったのは、未だスピードがあるまま私に向かって突進してくる電車だった。




なんで 私

飛び込ん






 強く体を揺さぶられた。頭がガクンと揺れ首に少し痛みを感じるほどだった。

「起きなさい! 光さん!」

 そんな声が耳に入ってくる。ようやく私はゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりと白い天井が目に入った。少し年季の入った色に見える。そしてそれと同時に、彫刻のように顔が整った人と、可愛らしい男性が心配そうにこちらを覗き込んでいることに気がつく。

「起きましたか……よかった」

 自分は抱きかかえられていた。自力で頭を起こし少しそれを振った。やや頭痛がする気がする。鮮明になってきた視界で見れば周りには棚とそれに詰め込まれた多くの資料たち。見慣れた資料室だった。

「随分ガッツリ入られましたね。今回あなたは波長が合いやすいようです」

「光ちゃん大丈夫?」

 二人が声をかけてくれた。私はそれに何も答えることなくすっと立ち上がる。ふらつきもなく成功した。

 ああ、資料室だ。

 会社の中にいるんだ。



 あの女もここにいるんだ。



 すっと部屋の隅に歩み寄る。汚らしい黒いペン立てにハサミが立っているのが見えた。それを取り出して刃を開いてみる。銀色の刃をみて頷いた。多分、大丈夫。

「普通のハサミだから……先端は尖ってないから……腹部じゃだめだ……大した傷にならない……裁ち鋏とかあればよかったんだけどしょうがない……目、目だ。目で行こう、目をくり抜けばいい」

「光さん?」

 背後で知らぬ名前を呼ぶ声がした。私はそのままくるりと踵をかえす。

 見知らぬ男二人が唖然とこちらを見ていた。私は目もくれず脳内でシミュレーションを重ねる。

「目……目をくり抜くには十分だ……死ぬか、そうでなくても……きっと苦しくて痛いはず」

 手に持ったハサミを改めてしっかり握ると、男二人の間をすり抜けて資料室から出ようとした。

「待ちなさい!」

 そんな私の手首を掴んで止める。強い力で、熱い手だった。振り返って見上げると、厳しい顔をした男が私を必死に止めていた。

「光さん、しっかりしなさい!」

「離して」

「いえ、のぞみさん! あなたの体ではないです、落ち着いてください!」

「邪魔しないで」

 掴む腕を思い切り払った。一旦離れた手だったが、すぐにまた腕を掴まれる。苛立った私は持っていたハサミを振り上げながら叫んだ。

 誰だ。私の邪魔をするのは。



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