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オフィスに潜む狂気
黒いオーラ
しおりを挟むゆっくり目を開けた時、自分の顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。濡れたまつげで視界がぼやけている。
その涙が目の前にある白いシャツを汚していることに気づく。適当に引いたアイラインが溶けて黒い染みができていた。はっとした瞬間、頭上から声が聞こえた。
「光ちゃん、大丈夫?」
声に反射して顔を上げる。すると思ったよりずっと近くに伊藤さんの顔があったのでぎょっとした。なぜか彼に抱擁されている形であることにようやく気がつく。
ひどく同様した私は、離れようとした瞬間体のバランスを崩した。想像以上に体が自分の言うことを聞かなかったのだ。
ふわりと背後に体が倒れていく。しまった転ぶ、と思った時、後ろから誰かの腕が私の体を倒れないようにしてくれた。振り返ってみると、九条さんが私を後ろから支えてくれたのだ。
「……あ、くじょ、さ」
そう私が呟いた瞬間、すぐ前に立っていた伊藤さんが脱力したように床に崩れ落ちた。大きな音が響く。彼は尻餅をつくように座り込み、頭をがくんと落とした。
「あ! い、伊藤さん!」
そう叫んで駆け寄ろうとしたのはいいものの、私も体がいうことを聞かなかった。九条さんはそっと私をそのまま床に座らせてくれる。そしてすぐに伊藤さんの元へと移動した。
「伊藤さん」
声を掛けられた伊藤さんはううん、と唸り声を上げた。頭を抱えるようにして顔を歪める。それでも意識はあるようで、顔をしかめながら返事をした。
「は、はい……生きてます……」
いつだってシャキッとしてる伊藤さんが力なくそう言ったのはどこか新鮮だった。でもちゃんと受け答えができることに私は少しほっとする。
あれ、待って。何があったんだっけ。私資料室にいて、ええとのぞみさんに入らせようとして、それで……
混乱しつつ脳内を回転させると、今ここで起こった出来事が一瞬で蘇った。そうだ、そうだった。今まで以上に入られちゃって、私のぞみさんに乗っ取られてたんだ……!
少なからず黒島光としての意識も僅かに残ってて、なんとか彼女を止めようと必死になった覚えがある。
そうだ! そしたら、拓郎さんの霊が現れて……!
だからこんなにも体が脱力しているのか。フルマラソンを走り終わった後みたい。マラソンしたことないけど。
「さて、いくつか疑問があります」
床で座り込む私と伊藤さんをよそに、九条さんはその間で一人立っていた。見上げると、普段から無表情気味の彼がどこか怒っているようなオーラを感じびくっと反応した。
黒い。なんだか、黒いオーラを感じる!
「のぞみさんたちの霊がおそらく浄霊できたことは喜ばしいことです。あなた方二人のお手柄です。ですが、明確にしておきたい点があります。
光さん。あなたまさかわざと入られるように仕向けました?」
彼が鋭い目でこちらを見下ろしてきた。ひゅんっと心臓が冷える。私はただ一時停止した。
うそ。なんでバレているの?
私の心の声を察したように九条さんはさらに続けた。
「普段のあなたの入られ方と違いました。今までも何度も見てますが、体を操られるほど入った経験はありません。今回の霊が今までの霊達と比べそんなに力が強いとは到底思えません」
「…………」
「答えてください」
「すみませんでした……のぞみさんの考えを知りたくて……」
私は素直に認めた頭を下げた。九条さんはため息をつく。だがしかしすぐに、今度は伊藤さんに問う。
「さて伊藤さん。
あなたはお守り持ってないですね?」
「え!!?」
私は驚きで声を出してしまった。だって、新しいお守りを作ってきましたって言ってたのに。それがなくては、彼はかなり引き寄せやすい体質なのに?
未だ床に座り込んだ伊藤さんは困ったように視線を泳がせた。これまた珍しい光景だ、叱られた子供のようだ、と思ってしまったのは心に秘めておこう。
「あのお守りを持っていれば、これぐらいの力の霊に入られるということはありませんよ」
「え、伊藤さん入られたんですか!?」
私はまたしても大きな声で叫んだ。伊藤さんは頭をかいて苦笑した。
いやでもそうだ。あの時振り返ったら、拓郎さんがいた。今までずっとのぞみさんに声が届かないと嘆いていた彼だ。ようやくその声が届いてのぞみさんを踏みとどまらせることができた。
そうか。私という肉体をのぞみさんに取られ、そして伊藤さんという肉体は拓郎さんに取られた。入られた人間二人が揃って、のぞみさんたちはお互いを認識できたのか。
普段から見る伊藤さんの寄せ付けやすさを見てれば、お守りを持っていなければ入られてしまうのは納得だ。
伊藤さんは肩を回しながら答える。
「すみません。なんかこう、いつも僕は安全圏内にいるから。女の子の光ちゃんも現場で大変な思いしているのに……少しくらいそれを分かってみたかっていうか。てゆうか入られるってすごい体力つかうね、光ちゃん凄いね」
九条さんは再び長いため息をついた。そして少しの間目を閉じていたかと思うと、鋭い視線で私たちを交互に見た。
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