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憧れの人
自分の居場所
しおりを挟むしばらく経ち、事務所内もピカピカになっていた。伊藤さんと仮眠室の冷蔵庫内の在庫を確認し、そろそろ買い出しにでも行こうか、と相談している時、事務所の扉が開いた。
ドキッとして振り返る。やはり、九条さんが立っていた。
会うのはあれ以降初めてだ。やたら緊張してしまう。でも今は仕事、仕事中だからね。
九条さんがちらりとこちらを見た。
「おはようございます」
「あ、九条さんおはようございまーす」
「おは、おはようございます」
やや声が震えてしまった、気づかれただろうか。だって、顔を見るだけで苦しくてならない。私って恋愛するとこうだったっけ。
伊藤さんが明るい声で話しかけている。
「光ちゃん今日豪華弁当作ってきてくれたんですって!」
「そうなんですか」
「僕にもなんて申し訳ないぐらいですよー」
「あなたの情報収集の能力がなければ、いつも解決まで辿り着けてませんよ」
「ええ、そうですかね」
九条さんはいつもとなんら変わりない。変わりなさすぎて拍子抜けするぐらいだ。黒いコートに黒いパンツ、髪は濡れてる。見慣れた姿に、私も気を引き締めた。
ううん、前付き合ってた人も同じ職場だったけど、こんなふうにならなかった。多分、人数が多かったからかな。ここは三人しかいないから、どうしても意識してしまう。
ぐっと背筋を伸ばす。ちゃんとしなきゃ、仕事とプライベートは別。仕事に支障が出るようなら私もまだまだだ。ここは自分を戒めて、なんとか今までの調子を取り戻さなきゃ。
そう考えていた時、九条さんの首元に何かを見つける。不思議に思いながら少し近づいてみる。
黒いコートの襟から飛び出す白いもの。
クリーニングのタグだ。
この人、タグつけっぱなしだ。
「九条さん! コートにクリーニングのタグが付いてますよ!」
私は悲痛な声をあげた。イケメンなのにこの真冬、髪は濡れてるしタグはついてるし、どんだけツッコミどころ満載なんだ。
九条さんは振り返って言った。
「ああ、そういえばクリーニングから取ってきたんでした」
「もう、これで歩くなんて恥ずかしいですよ……ほら脱いでください、取りますから」
「どうも」
「でも、九条さんってちゃんとクリーニングとか出せるんですね……! そこには感激しています」
「私を何だと思ってるんですか」
いやだって素直な感想だ。あれだけ生活力ないし、クリーニングに持ってくなんてできないかと思っていた。ちゃんと人間らしい生活してるじゃないか。それにまあ、タグのとり忘れって結構みんなあるよね。
九条さんが脱いだコートを私に渡した。さて取って……
……ん!?
「く、九条さん! 下のセーターもタグつけっぱなしじゃないですか!!」
コートの下に着ていた白いセーター。なんとそこからも、タグが飛び出して『こんにちは』と顔を出していたのである。
膝から崩れ落ちるかと思った。タグのとり忘れはあるあるだよね、と思ってたが、まさか着ている服二枚ともなんてありえない。そんなことある?
九条さんはああ、と声を漏らし、表情を変えずに言った。
「そういえばそれも出したんでした」
「着ている服二枚ともって! 心の中で、『タグつけっぱなしはまあよくあるよね』ってフォローしてた私を返してください」
「よくありませんか?」
「普通ないですよ、あ! もしかしてパンツも!」
「安心してください、それはクリーニングに出してません」
「あ、よかった」
「洗濯もせずに一年になります」
「ぎゃあああ!」
「冗談です」
飄々と言ってくる九条さんを睨んだ。ありえるかもって思わせるあなたが問題なんですよ。
すると背後で伊藤さんの大きな笑い声がした。振り返ると、目に涙を浮かべて笑っている。
「いやあ、さすがいいコンビだよねえ」
「だって伊藤さん、一年履き続けるって、九条さんならあり得るかもって思いませんか!?」
「ああ、信じちゃうよね」
九条さんはなぜか不満げに言う。
「心外です。私は結構綺麗好きだと言ったはずです」
「だってポッキーの袋いつもそこいらに置いておくから……」
「そうでした、タグなんかより見てください。ここに来る途中新発売のポッキー見かけて買ってきたんです」
目をキラッキラ輝かせて、左手にぶら下げていたビニール袋を掲げる。袋にびっしりポッキーが詰められていた。これを会計した店員さんはドン引きしたことだろうと思う。
私と伊藤さんは呆れて九条さんをみる。タグつけっぱなしでポッキーの山を購入。イケメン無駄遣い。
九条さんはすぐにソファに腰掛けて封を開けていた。それを合図に、伊藤さんはパソコンを開いて仕事を始める。私もファイルを整理するために棚に移動した。
大丈夫そう、九条さんが相手ならどうしてもツッコミになるし、おかげで通常モードだ。仕事は仕事、こうやって今まで通りやっていこう。
そう決意し、ずらっと並んだ今までの調査ファイルを見た。ここに、今回の事件も加わるんだろう。今から受ける依頼たちも。
それを眺めながら、ぼんやりと思う。いろんな依頼があったなあ、と。
簡単なものから厄介なものまで、多くの依頼をこなしてきた。これからも依頼は絶えないだろう。摩訶不思議な現象は終わりがない。
考え事をしていると、背後から九条さんの声がした。
「どうしました」
振り返ると、ソファに座ったままポッキーを齧る九条さんがいる。苦笑して言った。
「いいえ。いろんな依頼があったなーって思い出していたところです」
「嫌になりましたか」
「え?」
「今回、あなたは特に辛かったと思うので。ここにいるのにうんざりしたかと」
九条さんの言葉に、伊藤さんが顔を上げた。二人の視線が私に集まる。それをしっかり受け止めて、微笑んだ。
「ありえないですね。前も言ったと思います、私はこの事務所に一生を捧げるつもりなんですよ。この仕事以外、できることはないと思っています」
心の底からそう思っている。そりゃ仕事は怖いし、散々な目にもあってきた。でもいつだって、大切な人が支えてくれた。
私にとってこの事務所はかけがえのない居場所なんだから。
二人が優しく笑う。
ここに来て一年か。色々ありすぎて、全部は思い出せない。
ただ確かなのは、何にも変え難い大事な人たちができたということ。一年前は持っていなかった宝物。
ほしくてほしくてしょうがなかった、私の理解者で味方の人たち。
(いいとこに来たよ、お母さん。ありがとう)
これからも頑張れる。
何があっても、ここなら乗り越えていける。
もう命の無駄遣いはしない、もがきながら生きていくからね。
私は『幸せ』だよ。
そう心の中で話しかけると、どこからか声が聞こえた気がした。温かくて柔らかなものだった。
胸が熱くなる。幸せすぎて、大丈夫かなってぐらい。
「あ! そうだった! 依頼の電話が入ってたんですよ!」
伊藤さんが思い出したように言った。
「留守電に入ってたんです」
九条さんが顔を上げる。ポッキーを齧りながら言った。
「折り返しかけ直してくれますか」
「オッケーです。確か、住んでる家から、夜になると赤ちゃんの泣き声がするとかで……」
「近所の子供の夜泣きですかね」
「答え簡単すぎでしょう。
電話掛けてみますね! 光ちゃん、この資料ファイリングしてくれる?」
「はい!」
次から次へ入り込む摩訶不思議な依頼たち。
私たちは今日も忙しい。
完
→あとがき
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