442 / 450
九条尚久と憑かれやすい青年
終わり
しおりを挟む「私はあなたが嫌いです」
途端、戸谷の動きが止まる。九条の腕から手を離し、数歩後ずさりをした。
「私はあなたのことなんて好きではないです。他に愛する人がいます。あなたを受け入れられません。嫌いで仕方ないです」
「あ……あ……」
「触らないでください。目の前に現れないでください。私はあなたのパートナーにはなれません」
九条のすがすがしいほどの拒絶の言葉に、わなわなと戸谷が震える。尋常ではない震え方で、顔も真っ青になっていく。伊藤はまだちっとも動けず、ただ呆然とその光景を見ているいしか出来なかった。
次の瞬間、戸谷が割れんばかりの悲鳴を上げた。悲痛で、それでいて怒りのこもった恐ろしい声だった。全てのものを憎むような声色に、部屋全体が揺れたような錯覚に陥る。
すると彼女の体から、黒い影のようなものがじわじわと現れたのを九条は見逃さなかった。まるで彼女の体の中にいるもう一人の誰かが体からぶれているようだ。
戸谷は両手で顔を覆ったまま床に崩れ落ち、叫び声を上げながら涙をこぼし、口の端から涎を流した。
九条の目が少し光る。そして、ずっと小脇に抱えていた小包を手早く開けた。
「円城寺綾子さん。あなたにはそばにいてくれる人がいます」
中から何かを取り出す。それは人型をした白い人形だった。頭と手足がある、ということがどうにか分かるほどの簡単な作りで、顔も書かれておらず中に綿があるかどうかも不明だった。
だがそれが袋から出た瞬間、ふわりと一人の男が現れた。半分透き通った男は二十代前半ぐらいの若い男で、黒髪短髪の爽やかな顔をした人だった。
戸谷の目の前に彼が立ったとき、ずっと止まらなかった悲鳴がぴたりとやんだ。彼女は驚愕の目で突然現れた男性を見上げる。
「義雄……」
戸谷の口からその名が出たかと思うと、ぶわっと彼女の体から違う人間が現れた。長い髪をした円城寺綾子だった。綾子が戸谷の体から離れた後、戸谷は電源が切れたおもちゃのようにすとんと床に倒れこんでしまう。
綾子はわなわなと義雄を見つめる。義雄はそれに答えるように、にっこりと笑った。
『義雄!』
綾子はそのまま義雄に抱き着くと、口角を不自然なほどに持ち上げ、まるで幸せそうとは比喩出来ない卑しい笑いを浮かべて叫んだ。
『義雄が来てくれた、義雄が私を迎えに!』
もはや悲鳴のような喜びの声に義雄はひるむこともなく、ただ優しそうに笑っている。そんな彼を綾子はギラギラ光らせた目で見つめながら、頬を撫でる。
『あなたがやっと来てくれたなら……私はもうどうなってもいい』
そう言って、義雄の口にキスを落とした。愛の表現とは到底思えない、恐ろしさを感じる振る舞いだった。相手のことなど何も考えない、身勝手でどこか暴力的なキスだった。
満足げに笑った綾子は、そのまま義雄に抱き着いたまま自然と消えていく。最後まで離してなるものか、と義雄の体を爪が食い込むほど強く抱き、瞬きもせずに義雄だけを見つめていた。
静かになった部屋に、苦々しい顔をした九条が立っていた。
最後の最後まで、自分の事しか考えない恐ろしい女だ、と九条は吐きそうになる。同情するところなど欠片もない、人間として大事なものが欠落している、と。
あんな人間に愛されてしまった義雄は、不憫としかいいようがない。
「く、九条さん……?」
やや間抜けが声が部屋に響いた。綾子が消えた瞬間、ようやく体の自由を取り戻した伊藤だった。彼は何が起こったのか分からずぽかんとしながら、その手に白い布の塊を持った。
「な、なにがあったんですか……?」
「ああ……あなたには何も見えてなかったんですか。さすが、鈍感ですね」
九条は伊藤が持つ人形を手に取り、気絶している戸谷を見下ろしながら説明する。
「これは、私が一流の除霊師に頼んで作ってもらった身代わり人形です」
「これが?」
「小川さんに写真をお借りしたでしょう? あれを使って作ってもらいました。やや癖のある人ですが、腕は一流の除霊師なので、簡単なこの作りでも効果は抜群でしたね。今回、綾子はすぐに人を取り殺せるほど強くなかったので、これで十分でした」
「あ、つまり、綾子は義雄さんの身代わりに会って満足して、いなくなったんですか!?」
「そういうことです。これはあくまで身代わりなので、義雄さんの本体には何の影響もありません。自分の知らない間にこんなことに写真を使われたと知れば嫌な気持ちになるでしょうけど、まあ緊急事態ですからね」
「あれっ、じゃあ、もう、綾子はいない!?」
「そう言ってるじゃないですか」
やや呆れたように九条が返事をすると、伊藤は長いため息をついた。何も見えず、感じられない自分だが、事件の結末ぐらいは何かしら分かるかもしれないと期待していたのだが、彼には本当に才能がないので仕方がない。
(終わったのか……混乱してパニックだけど、終わったのか……!)
問題は部屋ではなく隣人にあった。戸谷と波長があった綾子は二人で融合してしまっていたんだろう。近くにいる男性を自分勝手に愛し、縛り付けようとしていた。一方的な思いをこじらせて……。
伊藤は床に横たわる戸谷を見る。
80
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。