視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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九条尚久と憑かれやすい青年

終わり

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「私はあなたが嫌いです」



 途端、戸谷の動きが止まる。九条の腕から手を離し、数歩後ずさりをした。

「私はあなたのことなんて好きではないです。他に愛する人がいます。あなたを受け入れられません。嫌いで仕方ないです」

「あ……あ……」

「触らないでください。目の前に現れないでください。私はあなたのパートナーにはなれません」

 九条のすがすがしいほどの拒絶の言葉に、わなわなと戸谷が震える。尋常ではない震え方で、顔も真っ青になっていく。伊藤はまだちっとも動けず、ただ呆然とその光景を見ているいしか出来なかった。

 次の瞬間、戸谷が割れんばかりの悲鳴を上げた。悲痛で、それでいて怒りのこもった恐ろしい声だった。全てのものを憎むような声色に、部屋全体が揺れたような錯覚に陥る。

 すると彼女の体から、黒い影のようなものがじわじわと現れたのを九条は見逃さなかった。まるで彼女の体の中にいるもう一人の誰かが体からぶれているようだ。

 戸谷は両手で顔を覆ったまま床に崩れ落ち、叫び声を上げながら涙をこぼし、口の端から涎を流した。

 九条の目が少し光る。そして、ずっと小脇に抱えていた小包を手早く開けた。

「円城寺綾子さん。あなたにはそばにいてくれる人がいます」

 中から何かを取り出す。それは人型をした白い人形だった。頭と手足がある、ということがどうにか分かるほどの簡単な作りで、顔も書かれておらず中に綿があるかどうかも不明だった。

 だがそれが袋から出た瞬間、ふわりと一人の男が現れた。半分透き通った男は二十代前半ぐらいの若い男で、黒髪短髪の爽やかな顔をした人だった。

 戸谷の目の前に彼が立ったとき、ずっと止まらなかった悲鳴がぴたりとやんだ。彼女は驚愕の目で突然現れた男性を見上げる。

「義雄……」

 戸谷の口からその名が出たかと思うと、ぶわっと彼女の体から違う人間が現れた。長い髪をした円城寺綾子だった。綾子が戸谷の体から離れた後、戸谷は電源が切れたおもちゃのようにすとんと床に倒れこんでしまう。

 綾子はわなわなと義雄を見つめる。義雄はそれに答えるように、にっこりと笑った。

『義雄!』

 綾子はそのまま義雄に抱き着くと、口角を不自然なほどに持ち上げ、まるで幸せそうとは比喩出来ない卑しい笑いを浮かべて叫んだ。

『義雄が来てくれた、義雄が私を迎えに!』

 もはや悲鳴のような喜びの声に義雄はひるむこともなく、ただ優しそうに笑っている。そんな彼を綾子はギラギラ光らせた目で見つめながら、頬を撫でる。

『あなたがやっと来てくれたなら……私はもうどうなってもいい』

 そう言って、義雄の口にキスを落とした。愛の表現とは到底思えない、恐ろしさを感じる振る舞いだった。相手のことなど何も考えない、身勝手でどこか暴力的なキスだった。

 満足げに笑った綾子は、そのまま義雄に抱き着いたまま自然と消えていく。最後まで離してなるものか、と義雄の体を爪が食い込むほど強く抱き、瞬きもせずに義雄だけを見つめていた。

 静かになった部屋に、苦々しい顔をした九条が立っていた。

 最後の最後まで、自分の事しか考えない恐ろしい女だ、と九条は吐きそうになる。同情するところなど欠片もない、人間として大事なものが欠落している、と。

 あんな人間に愛されてしまった義雄は、不憫としかいいようがない。

「く、九条さん……?」

 やや間抜けが声が部屋に響いた。綾子が消えた瞬間、ようやく体の自由を取り戻した伊藤だった。彼は何が起こったのか分からずぽかんとしながら、その手に白い布の塊を持った。

「な、なにがあったんですか……?」

「ああ……あなたには何も見えてなかったんですか。さすが、鈍感ですね」

 九条は伊藤が持つ人形を手に取り、気絶している戸谷を見下ろしながら説明する。

「これは、私が一流の除霊師に頼んで作ってもらった身代わり人形です」

「これが?」

「小川さんに写真をお借りしたでしょう? あれを使って作ってもらいました。やや癖のある人ですが、腕は一流の除霊師なので、簡単なこの作りでも効果は抜群でしたね。今回、綾子はすぐに人を取り殺せるほど強くなかったので、これで十分でした」

「あ、つまり、綾子は義雄さんの身代わりに会って満足して、いなくなったんですか!?」

「そういうことです。これはあくまで身代わりなので、義雄さんの本体には何の影響もありません。自分の知らない間にこんなことに写真を使われたと知れば嫌な気持ちになるでしょうけど、まあ緊急事態ですからね」

「あれっ、じゃあ、もう、綾子はいない!?」

「そう言ってるじゃないですか」

 やや呆れたように九条が返事をすると、伊藤は長いため息をついた。何も見えず、感じられない自分だが、事件の結末ぐらいは何かしら分かるかもしれないと期待していたのだが、彼には本当に才能がないので仕方がない。

(終わったのか……混乱してパニックだけど、終わったのか……!)

 問題は部屋ではなく隣人にあった。戸谷と波長があった綾子は二人で融合してしまっていたんだろう。近くにいる男性を自分勝手に愛し、縛り付けようとしていた。一方的な思いをこじらせて……。

 伊藤は床に横たわる戸谷を見る。
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