ヒロインになれませんが。

橘しづき

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ボブ、怒る

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 私はにやにやする顔を隠すことなく、上機嫌で会話を続ける。

「坂田さんとかはどうでしょう? 可愛らしいし誰からも気に入られそうですけど」

「ああ……坂田さんは」

 軽い気持ちで彼女の名前を出した私だが、隣で坂田さんの名前を噛みしめるように呟いた吉瀬さんの声を聞いて、ふと横を見る。彼はまっすぐ前を向いたまま、でもどこか優しい眼差しで答えてくれる。

「あの子は俺よりはずっと愛想がいいし穏やかで人から好かれると思うけど、案外雑談とかは苦手らしくて。入った当初苦労していたよ。だから、無理に会話を広げようとしなくていい、ってアドバイスはしたかな。仕事の話をとにかく誠実に頑張れば相手も聞いてくれるから……ってね。いつも一生懸命だし、最近はコツをつかんだのかぐんぐん伸びて来てるし、よかったね」

 そう言った彼の声色と表情が、いつもとどこか違った気がしたので、驚きで足を止めた。

 とても柔らかで優しい顔だった。横顔だけど、しっかり分かる。私の事や蒼井さんの事を話す時とはどこか違う、特別な顔。

……え、ちょ、ちょっと待って!??

 いや、思い返してみればここに来た当初、吉瀬さんと坂田さんが話しているのを見た時、彼の表情が柔らかかったことは今でも覚えている。それってもしやのもしや? あれ、もしやのもしや!?

 あわあわ慌てた挙句、私はわざとらしくひっくり返った声で大げさに言う。

「坂田さんってめっちゃいい子ですよね! 真面目で優しいし、仕事で悩んでたかもしれないけど今は慣れたみたいでよかったですね!!?」

 私がそう言うと、少し前を歩いていた吉瀬さんの足が止まり、こちらを振り返る。その表情はどこかいたずらっぽい、少年のような顔に見えた。

「言っとくけど、安西さんは人の事より自分の事をちゃんとした方がいい」

「え……それって」

 仕事のことですか? それとも、恋愛のこと?

 そう尋ねたかったけれど、吉瀬さんはすぐに前を向いて歩いて行ってしまったので慌てて追いかける。色々言いたくて聞きたくてたまらないうずうずを必死に堪える。

 落ち着け朱里! お前は前も人の恋愛を応援するだとか言って暴走しただろ! 余計なことするな、お前の出番はここじゃない!

 自分に言い聞かせ深呼吸をする。が、興奮が収まらないのだがどうしてくれよう。坂田さんと吉瀬さんが両想いだったら、もう私なんていうか、もう、もう……

「そういえば、新しく入ってきた子だけど」

 興奮状態の私に吉瀬さんがそう話題を振る。昂っていた気持ちはすんと落ち着き、私は普段通りのテンションで答える。

「鈴村さんですか?」

「あの子、ほとんど蒼井の妹みたいなもんだって。前、蒼井から聞いたことがある。年も離れてるしね」

「そうなんですか……」

「あの子、なんか今までにいなかったタイプだな」

 ぽつりと吉瀬さんが言ったので、私は首を傾げる。

「自分で言うのもなんですが、なんか私とタイプが似てるかなーって勝手に親近感を持ってたんですが」

「いや。違う」

「そ、そうですか。失礼だったかな」

「ぱっと見そう見えるかもしれないけどね。あれは多分全く違うタイプだ。あれから蒼井と話した?」

「い、いえタイミングがなくて……二人で食事に行って凄く盛り上がった、って鈴村さんからは聞きましたけど」

「それほんとかな?」

 吉瀬さんが珍しく眉を顰めたので、少し驚いた。彼はいつもあまり表情を変えないのだが。

「と、いいますと?」

「……まあ俺がとやかく言うことじゃない。とりあえず話してみたら」

 そう短く言った吉瀬さんはそのまま黙ってしまった。私もそれ以上何も聞けず口を閉じた。

 吉瀬さんにも坂田さんにも、ちゃんと話せって言われてるし自分でも分かってるんだよね。とはいえ仕事中は無理だし、やっぱり彼を誘うしかない。今日は残業は免れそうだし、何とか声を掛けたい……。

 そう思うと同時に、坂田さんと吉瀬さんが両想いと思われる事実に胸がいっぱいだ。ああでも、私の口から『吉瀬さんも坂田さんが好きっぽいよ!』なんていうのは違うよなあ。ああ、どうしたら素敵な二人が幸せになるんだろうか!




 歌いだしてしまいそうな気分のまま会社に戻る。まだ仕事は終わりではないというのに、のんきなものだと自分でも思う。

 軽い足取りで職場に足を踏み入れたとき、やけに甲高い声が響いてきた。

「えーっ。これ難しい! とーまくん……はまだ戻ってないのかあ」

 しょんぼりしてそう大きな独り言を言ったのは、鈴村さんだった。私はつい、そのまま足を止める。彼女は自分の席に座ったまパソコンを眺め、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。

 隣にいた吉瀬さんにも聞こえたはずだが、何も言わずそのままデスクに戻っていった。そしらぬ顔をして座っている。

「あ、鈴村さん、分からないところは俺が見てみようか」

「え~ありがとうございます! これってどうすればいいんでしょう?」

「あーこれはね……」

 近くにいた男性社員が嬉しそうな顔で説明し、鈴村さんはふんふんと頷きながら聞いている。

「えーちょっとこの辺やってみてもらってもいいですか? お手本!」

「こんな感じ、かな。あ、貸して。ここはもうちょっとこうすると」

「すごーい!」

 何となくその光景を見ていた。私も最初、分からないことを吉瀬さんに質問攻めにしてたっけ……やっぱり私と鈴村さんって、タイプが似てるのかな。

 すると、隣に誰かが立ったのが分かる。見てみると、井ノ口さんが腕を組んで苦い顔をして立っていたのでぎょっとしてしまった。

「なにあれ」

 低い低い声で、一言だけ呟く。お、おお、ボブ、その表情久しぶりだな!

「あ、あれとは?」

「あの子。さっきからずっとあんな調子なんだけど」

「ま、まあ入ってきたばかりですから、そりゃ質問攻めになるかと。私もそうでしたよね」

 私がそう答えると、ボブがこちらをちらりと見て、はあと分かりやすくため息をついた。彼女は眉を顰めながら小さな声で言う。

「そう、そうね……私ようやく分かった気がするわ。本物のぶりっこっていうのがようやく」

「ぶりっこ? あ、私よく言われますけどね。同じタイプでしょうか」

「あんたのは天然。あれは養殖」

「私がぶりっこなのは否定しないんだ……」

 ボブは再度大きなため息をつき、鈴村さんを嫌そうに見た。

「今思うと、あんたの場合マニュアル読んでメモ取ってそれを指導係に聞く、っていう、まあ至極真っ当なやり方ではあった。でも養殖は違う。マニュアルはデスクの横に置きっぱなしで大して読んでないし、ちらっと見たかと思うとすぐに誰かに質問してる。しかも指導係には一切聞かず、男にだけ助けてもらってる」

「よく見てますね」

「ぱっと見で判断して間違えたことがあるからね」

 ボブは私を見る。うーん、よくわかんないけど、私は頑張ってたってことを分かってくれたのかな。まあ優しくしてもらえてる感じはしないけど、ボブにはこれくらいが合ってる気はする。

「よって、第一印象は確かに安西さんと似たものを感じるけど、全くタイプは違う」

「はあ。よく分からないですけど」

「彼氏にあんなべたべたされていいの? 私なら顔引っかいてやるかも」

「彼氏?」

 私がきょとんとすると、ボブは目を見開いて驚く。

「蒼井さんだよ。付き合ってるでしょ?」

「え!? い、いや違います!」

「え!? じゃあ振ったの!?」

「そ、それも違います! まだそんな段階じゃないと言いますか、その、一度ゆっくり話したいと思ってたんですがタイミングが合わず」

 私が慌てて説明すると、ボブは心配そうに目を細める。

「早いとこちゃんとしなよ。あれ、ほっとくとよくないって」

「ずいぶん優しくなりましたね、ボブ。……あ」

「ボブ?」

「あ、いやあ、まあ、ははは」

 しまった、つい油断して心の声が出てしまった。だって、敵意むき出しの頃は心でボブ呼ばわりすることで気を紛らわせていたんだもん、もはやボブ呼びは癖になってしまっている。

 彼女はじろりと私を睨みつけ、つんと向こうを向いてしまう。

「あんたが私を裏でどう呼んでるかよくわかった」

「い、井ノ口さん~」

「いいのよお互い様だし。私もさんざん突っかかって、今更許してもらえるなんて思ってないから。とにかく、あれは何とかしないと多分よくないから、とりあえずあんたたちがまず収まるところに収まりな」

「簡単に言わないで下さいよ井ノ口さん~」

 私が情けない声で呼ぶのも聞かず、彼女はさっさと自分の席に戻って行ってしまう。きりっとした顔で仕事を始めてしまうものだから、これ以上会話を続けられなかった。

 私は頭を掻きつつ、ようやく自分の席に戻っていく。

 養殖、かあ。

 よく分からないけど、私とはタイプが違うって吉瀬さんも言ってたな。ただ、設定だけ見ると彼女は完全に『ヒロイン』の座だよ。幼い頃お世話になってたかっこいい幼馴染と再会するんだからね。

 運命だ、と鈴村さんは言っていたが、そう感じてしまうのも無理はない。私だって立場が同じだったそう思ってしまうだろう。そして、気持ちが勝手に燃え上がっていってしまうかもしれない。

……そうしたら、どうしよう。

 設定から見るに、新しい職場に行ったら偶然にも昔憧れていた近所のお兄さんがいて。その彼に想いを寄せている顔が派手な女がいる、って……これまた当て馬女の立ち位置なんですが、私。

 ぶるぶると首を振る。とにかく蒼井さんとちゃんと話さないといけない。そして自分の気持ちも伝えないと。
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