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ナースコール
しおりを挟む「椎名さん?」
緑川さんの不思議そうな声がして正気に戻る。私は慌てて視線をそらし、作り笑いを浮かべた。やや裏返った情けない声で、わざとらしく言う。
「ええー? ありませんねえ? おかしいな、他のメンバーのところかもしれませんね! 私聞いてきます」
「いいの?」
「もう回り終えたので。行ってきますね!」
私はそう言って、山中さんとは反対方向に進んでいった。もう振り返らない。そう固く決意し、なるべく彼の近くには寄らないでおくことも心がけた。
ナースコールの対応などをしながら夜は更ける。零時には再度巡視があるので、みんなで暗くなった部屋を一つ一つ訪問していく。廊下も電気は消されており、中央にあるトイレのあかりだけが漏れていた。昼間よりずっと静まり返った病棟内で、カートを押す音だけが響いている。古くなって接触が悪いのか、時折キイキイと高い音が漏れていた。
私はなるべく山中さんの近くには寄らないようにしていた。が、それも限界がある。なんせ、彼のすぐ前にはもちろん病室がある。ナースコールで呼ばれれば行かねばならない。仕事をしているうえで、完全に彼を避けるのは無理なのだ。
慌ただしく動いていると、休憩時間がやってくる。看護師が交代で二時間ずつ仮眠を取れるのだ。一人目は一時から三時、二人目は二時から四時、そして三人目が三時から五時、というわけだ。
まず緑川さんが一番最初に休憩に入ることになった。私ともう一人のメンバーは、静かなステーションで仕事をこなしていると、二時が訪れる。そのまま仲間も休憩に入り、私は一人残された。
二時から三時まではどうしても、一人で病棟を見ることになる。仲間を見送り、一人パソコンの前に座って記録を読んでいた。真夜中ともなれば、時々トイレに呼ぶ患者がいるくらいで、比較的静かだった。
普段なら、この一時間はどうってことない。だが今日は、絶望を覚えた気になった。
早く緑川さんに帰ってきてほしい、と心で思う。山中さんに指さされたシーンが、蘇って仕方ないのだ。言ってしまえば、なんだか怖い。
(はーあ。こんな時に限ってナースコールも鳴らないなあ。いっそ忙しいと気が紛れるのに)
げんなりしながら時計ばかり眺めていると、突然ステーション内に大きな音が響いた。
ピンポーン
ナースコールだった。
私は立ち上がる。コールはこちらが停止ボタンを押さなければ止まることなく鳴り続けてしまう。私はすぐに音をを止め、どこの部屋か見てみた。ランプが表示されているのは605、個室の部屋だった。
……ここって。
ため息を漏らした。よりにもよってこの部屋かあ。今山中さんが立ってる場所の真ん前の部屋だ。
高齢の女性が使っている個室だ。でもトイレは一人で行ける人のはず。何かあったんだろうか。
私はすぐさま廊下に出た。
暗闇の中で、また彼が立っている。今は両腕を垂らしていた。私はそれをなるべく視界に入れないようにしながら、目的の部屋へと急いで移動する。
小さくノックをして中に入る。体調不良とかじゃないといいな、と思ってベッドを見てみると、静かに横たわっている患者がいたので目が点になった。
小さなおばあちゃんが、規則的な寝息を立てている。近づいて様子を見てみるも、異変はない。ナースコールを見てみるが、彼女の手からは離れたところに置いてあった。
(……寝ぼけて押したのかな? それとも、不具合?)
首を傾げながらも、何もないのならいる必要がない。すぐさま部屋から出た瞬間、体をこわばらせた。
山中さんがこちらを向いて指を指している。
すぐに視線を落として、足早にそこを去る。やっぱり間違いなく私を示している。
視えてることが伝わったから、何か伝えたいのだろうか。だからまだここに残っている? どうしよう、私のせいで留まっているとしたらどうすればいいんだろう。
ぐるぐると考えを巡らせながらステーションに戻った途端、再度ナースコールが鳴り響いた。びくんと体が跳ねる。
ランプはまた、あの部屋に付いている。
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