藍沢響は笑わない

橘しづき

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あなたはなぜここにいる?

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 昼休憩が終わり、決まった時刻になると自然とステーションに人が集まりだした。カンファレンスの時刻なのだ。ナースたちがあふれやや狭くなったそこで、私は一番壁際に立っていた。カンファレンスが始まった後、目立たずそっと抜け出せるよう場所を考えたのだ。

 私は無表情で立っていた。自分の中の何かが外れた、そんな感覚だった。

 午前中に会った奥さん。久保さんにもっとできたことはなかったのか、と後悔し泣いているそのそばで、彼は私の背後についていただけ。あんな涙を見たら、そのあと家族について帰るのが普通ではないのか。声が届かなくても、触れられなくても、そばにいて見守ってあげるぐらいのことをしようと思わないのか。

 そんなに医療者がみんなで病気を隠していたことが悔しいのだろうか。誰かに復讐したいとでも思っているのだろうか。

「はーいじゃあ時間ですね、カンファレンスします」

 看護長の声が響く。すぐさま開始される。カンファレンスはせいぜい十分程度だ、うかうかしている時間はない。

 私は自然な装いですっとその場を離れた。そしてなんとなく足音を立てないように、廊下一番奥の個室へと向かう。今現在誰も入院していない部屋だ。

 背後から、裸足の誰かが付いてくるのを感じていた。私はそのまま廊下を突き進み、病室前にたどり着く。

 隣を見ると、久保さんが立って私を見ていた。そのほかには幸運にも誰もいない。私は扉を開けて中へと入った。

 誰もいないベッドは、綺麗にメイキングされている。荷物もないので閑散とした部屋だ。私はその部屋の中央まで足を進めると、くるりと振り返った。

 藍沢先生はまだ来ていない。多分時間を見てそろそろ来てくれるだろう。私は無言でそれを待っていればいい。

 ……待っていればいいだけ、なのだが。

 ふつふつと湧き出る怒りが、全身を支配しているように思えた。分かってる、死という最大の苦しみを味わった相手に、私なんかが何を言っても綺麗ごとに聞こえるんだろう。

 それでも耐えきれなかった。こんなとこで、奥さんの知らないすきに、久保さんが強制的に消されてしまうなんて。

 奥さんはなんて思うだろうか。亡くなった後はどうか安らかにいてほしい、と願う彼女が、あなたのこんな姿をみてどう感じる? 健人くんに今の姿を見せられるのだろうか。

 この人は死と共に、一番大事なものを見失ってしまったの?

「一体あなた何をしてるんですか」

 ついに、声をかけた。震えた小声だった。これは恐ろしさに震えたわけではなく、怒りによるものだった。

 霊に関わればろくなことにならない。それを身をもって経験したばかりだが、黙っていられなかった。このままここに居続ければ、先生に消されてしまうのに。

 そんな最期のために今まで生きてきたわけじゃないだろうに。

 私はしっかり久保さんの目を見た。そらすこともせず、彼の存在を認識していると示すように見つめる。私はあなたがみえていますよ、その上で話しかけたんです。これほどしっかり目が合ったのは初めてのこと。初めて彼の存在をハッキリ認識した瞬間でもある。

 私の言動に、彼は一瞬驚いたように目を丸くした。そして何かを言いかけるように、わずかに口を開けた。彼の発言を聞く前に、私は言葉をかぶせる。

「こんなとこで何してるんですか? 自分が視える相手を探し続けて、執着して。ほかの患者を巻き込むこともして、何がしたいんですか! 
 今日の奥さん見たでしょう? 何も思わないんですか? そばで見守ってあげようぐらい思いませんか! 死んだら温かな心も失ってしまうんですか!?」

 ポロリと涙がこぼれた。それを拭う余裕もなく、私は嗚咽を漏らしながら泣いた。

 今一人で踏ん張ってる奥さんのそばにいてあげてほしい。それが何も伝わなくとも、視えなくとも。目には見えない何かが伝わるかもしれないじゃないか。

 そしてあなたはこんなとこで消されるのではなく、安らかに眠るべき人だ。病により人生を短く終わらされ、生前家族を思っていた温かな人なんだから。
 
「お願いします、ここにいたら強制的に消されてしまいます……そんな最期、私も嫌です……家族の近くにいて、ちゃんと自分で眠ってくださいよ……奥さんと健人くんは、あなたにただ安らかに眠ってほしい、これだけを願ってるんですよ、どうしてこんな。そんなに未告知が悔しかったすか? 私たちに何か仕返しでもしたいですか?」

 縋りつくように泣いて訴えた。自分の情けない嗚咽だけが病室に響いている。悔しくてなるせなくて、涙は止まることなく溢れ続けた。どうか少しでも、生きていた頃の温かな気持ちを思い出してほしい。今ならまだ間に合う、先生が来る前に自分の意志でいなくなって。

 そのまましばらく間が流れた。そしてついに、目の前にいる久保さんがようやく口を開いた。

『看護師さん』

 その声色に、私は顔を上げた。
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