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手紙
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今日、私は病棟から奥さんに電話を入れた。久保さんの病室から、忘れ物らしきものを発見した、と。それは小さな封筒だった。私は奥さんに断りを入れ、直接届けに来たのだ。郵送でもよかったのだが、どうしても直接渡したい、と強く願った。そしてこのアパートまで足を運んだ、というわけだ。
奥さんは快く了承してくれ、やっとたどり着くことができた。ようやく私は、あれを手渡すことができた。
シンプルなもので、真っ白封筒には何も書かれていない。奥さんは何の気なしに中を覗き込み、そこに紙が入っていたことに気づく。彼女は恐る恐るそれを静かに取り出した。
どこか震える指先でそっと開く。
私は少し迷ったが、立ち去ることなくその光景を見つめていた。すぐ後ろに、水色の病衣を着た男性が立っていることに気づきながら。
しばらく音のない時間が流れる。奥さんのまつ毛が、字を追うごとに揺れ動き、震えた。
そして、中身を読んだ奥さんの目から、一気に涙があふれかえるのを見つめていた。
嗚咽が漏れ、立っていられなくなり、その場で泣き崩れてしまうほどの彼女を、私はただ見守っていたのだ。奥さんは私のことなど目もくれず、ただ白い紙に打たれた文字たちを、必死に追い続けていた。彼女の息苦しそうな泣き声が、今回ばかりはどこか嬉しく思った。
『美和へ
あなたと大学のサークルで出会い、結婚し、もう四年が経ちました。息子の健人も生まれて、とても充実した四年でした。
健人が生まれるとき、おろおろする自分に「しっかりしろパパでしょうが!」と喝を入れ、一人いきむ美和の姿は頼もしくて今でも忘れません。
その後も良き妻、良き母として、美和はとても頑張ってくれていました。健人は可愛くて、こんな素敵な家族を持てて本当に嬉しく思っています。健人はやんちゃだけど人懐こくてみんなに可愛がられて、本当に自慢の息子です。
そんな美和と健人を残してしまうことを、本当に申し訳なく思っています。
俺の病気が判明した後も、健人を連れて見舞いに来てくれてありがとう。自分も大変だろうに、笑顔を絶やさずにいてくれてありがとう。八つ当たりしたこともあるのに、怒らずそばにいてくれてありがとう。
何より、嘘をついてくれてありがとう。
これは誰かから聞いたわけではありません、ただ、俺の体はやっぱり俺のものなので、もしかしたら、という思いがずっとありました。二人を残していってしまうのではないかと。美和は、それを必死に隠しているんじゃないかと。この手紙を読んでいるということは、自分の予感が当たっていた、というわけですね。
美和、とても優しい嘘をありがとう。俺はそのおかげで、今もこうして諦めずに前を向いている。悲観せず毎日を迎えていられる。
美和も辛いのに笑顔で俺に隠し事をしているのは、俺を悲観させたくないからだって分かってるから。
美和がやってくれたことはすべて間違いではなかったし、すべて俺の力になりました。感謝してもしきれません、俺は世界で最高の人と結婚できました。きっと一人で悩み苦しんだでしょう。本当に感謝しています。それほど俺を思ってくれていたということが、何より嬉しかったんです。
恩返しができないことだけが心残りです。でも、いずれはまた家族みんな会えると思うので、その時まで頑張ってくれませんか。近くでずっと見守っています。また会えた時には、美和にお疲れ様ってことでとことん甘えてもらいます! その時まで、踏ん張ってはくれませんか。
それだけが、俺の願いです。
そばにいられなくてごめん。助けられなくてごめん。美和を、健人を幸せにできなくてごめん。
もし俺以外の誰かが二人を幸せにすることが出来るのなら、何も迷わず新しいパパを作ってあげてください。二人の幸せは俺の幸せです。
健人へ……たくさん泣いて、たくさん笑って、元気な子に育ってください。君の名前は二人で考えて付けました。健康は何にも代えがたい素晴らしいものです。これからママは忙しいし大変だと思うけど、いつだって健人の味方でいてくれるのはママです。必ず、大事にしてください。
そして君もいつか、パパのように世界で最高の人と出会えるといいですね』
奥さんは快く了承してくれ、やっとたどり着くことができた。ようやく私は、あれを手渡すことができた。
シンプルなもので、真っ白封筒には何も書かれていない。奥さんは何の気なしに中を覗き込み、そこに紙が入っていたことに気づく。彼女は恐る恐るそれを静かに取り出した。
どこか震える指先でそっと開く。
私は少し迷ったが、立ち去ることなくその光景を見つめていた。すぐ後ろに、水色の病衣を着た男性が立っていることに気づきながら。
しばらく音のない時間が流れる。奥さんのまつ毛が、字を追うごとに揺れ動き、震えた。
そして、中身を読んだ奥さんの目から、一気に涙があふれかえるのを見つめていた。
嗚咽が漏れ、立っていられなくなり、その場で泣き崩れてしまうほどの彼女を、私はただ見守っていたのだ。奥さんは私のことなど目もくれず、ただ白い紙に打たれた文字たちを、必死に追い続けていた。彼女の息苦しそうな泣き声が、今回ばかりはどこか嬉しく思った。
『美和へ
あなたと大学のサークルで出会い、結婚し、もう四年が経ちました。息子の健人も生まれて、とても充実した四年でした。
健人が生まれるとき、おろおろする自分に「しっかりしろパパでしょうが!」と喝を入れ、一人いきむ美和の姿は頼もしくて今でも忘れません。
その後も良き妻、良き母として、美和はとても頑張ってくれていました。健人は可愛くて、こんな素敵な家族を持てて本当に嬉しく思っています。健人はやんちゃだけど人懐こくてみんなに可愛がられて、本当に自慢の息子です。
そんな美和と健人を残してしまうことを、本当に申し訳なく思っています。
俺の病気が判明した後も、健人を連れて見舞いに来てくれてありがとう。自分も大変だろうに、笑顔を絶やさずにいてくれてありがとう。八つ当たりしたこともあるのに、怒らずそばにいてくれてありがとう。
何より、嘘をついてくれてありがとう。
これは誰かから聞いたわけではありません、ただ、俺の体はやっぱり俺のものなので、もしかしたら、という思いがずっとありました。二人を残していってしまうのではないかと。美和は、それを必死に隠しているんじゃないかと。この手紙を読んでいるということは、自分の予感が当たっていた、というわけですね。
美和、とても優しい嘘をありがとう。俺はそのおかげで、今もこうして諦めずに前を向いている。悲観せず毎日を迎えていられる。
美和も辛いのに笑顔で俺に隠し事をしているのは、俺を悲観させたくないからだって分かってるから。
美和がやってくれたことはすべて間違いではなかったし、すべて俺の力になりました。感謝してもしきれません、俺は世界で最高の人と結婚できました。きっと一人で悩み苦しんだでしょう。本当に感謝しています。それほど俺を思ってくれていたということが、何より嬉しかったんです。
恩返しができないことだけが心残りです。でも、いずれはまた家族みんな会えると思うので、その時まで頑張ってくれませんか。近くでずっと見守っています。また会えた時には、美和にお疲れ様ってことでとことん甘えてもらいます! その時まで、踏ん張ってはくれませんか。
それだけが、俺の願いです。
そばにいられなくてごめん。助けられなくてごめん。美和を、健人を幸せにできなくてごめん。
もし俺以外の誰かが二人を幸せにすることが出来るのなら、何も迷わず新しいパパを作ってあげてください。二人の幸せは俺の幸せです。
健人へ……たくさん泣いて、たくさん笑って、元気な子に育ってください。君の名前は二人で考えて付けました。健康は何にも代えがたい素晴らしいものです。これからママは忙しいし大変だと思うけど、いつだって健人の味方でいてくれるのはママです。必ず、大事にしてください。
そして君もいつか、パパのように世界で最高の人と出会えるといいですね』
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