溺愛のフリから2年後は。

橘しづき

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ようやく





 残業で遅くなってしまった愛理がふとスマホを覗き込むと、いつの間にかメッセージが届いていた。集中していて全く気が付かなかった。

 時計はもう二十一時を回っている。

「今日忙しかったからなあ」

 はあとため息をついて、まずはパソコンを落とす。

 ちょっとトラブルが発生して、予想外の残業になってしまった。湊斗には遅くなることを連絡しておいたので、先に夕飯を済ませているだろう。

 愛理は肩を回しながら深呼吸をし、カバンを持ってまだ残っている同僚たちに挨拶をすると、まずはエレベーターに向かう。呼び出しボタンを押して待っている間、スマホを手に取った。すると湊斗からのメッセージだった。

『俺も今日、ちょっと用事があるから丁度良かった 夕飯はそれぞれにしようか』

「湊斗もまだ帰ってないのかも」

 彼は仕事が終わるとすぐに帰宅するタイプで、飲みに行ったりすることなんてなかったので珍しいと思った。でも、湊斗だって付き合いがあるんだから、たまにはいいね。

 そう思って微笑んだ時、もう一通届いていることに気が付いた。確認してみると見覚えのない差出人だったので、一瞬『迷惑メールかな』と愛理は思った。最近、かなり増えてきてうんざりしていたのだ。

 だがちらりと目に入った本文の一部に、湊斗の名前が入っていたので固まった。

(……何だろう?)

 胸が小さくざわめく。少し迷った挙句それを開いてみると、ずらりと文章が並んでいた。


『初めまして、羽柴湊斗と付き合っている者です
 岡部愛理さんですよね?
 
 二人が幼馴染ということも、今結婚しているということも湊斗から聞いています
 私は大学の頃に一度湊斗と付き合い、つい最近再会してまた付き合いだしました
 湊斗から岡部さんの事を聞き、また岡部さんに愛情がないことも聞きました
 でも湊斗は優しいので、なかなか結婚の解消を言い出せずにいるみたいです
 岡部さんも湊斗に対して愛情はないですよね?
 だったらここは穏便に、なにも知らないフリをして湊斗に結婚の解消を提案してくれませんか? 
 
 二人は大親友とのことですから、親友の幸せを考えてくださることを祈っています』


「なに、これ」

 愛理の口から低い声が漏れる。見知らぬ連絡先の相手は、湊斗が現在付き合っている女性からだという。

 愛理や湊斗が偽装結婚していることも知っているとのこと。

「急にこんな――」

「岡部」

 ハッと振り返ると、山本が立っていた。愛理は反射的にスマホを隠し、一旦カバンにしまう。

「お疲れ。最近よく会うね」

 愛理は何事もなかったようにそう言うと、丁度やって来たエレベーターに乗り込んだ。山本も続く。

「私はちょっとトラブルがあって、残業になっちゃった。山本くんは?」

「俺は岡部を待ってた」

 ストレートにそう言われ、愛理は驚いて隣を見上げる。バチっと目が合い、気まずくなった愛理は『閉』ボタンを押し、視線を逸らす。

「なんか用だった? 連絡くれたらよかったのに」

「ちゃんとあいつと話したのか聞きたんかったんだけど……さっきのメール、見えちゃった。なにあれ」

 山本が冷たい声で言った。愛理はむっとして山本に言う。

「人のスマホを覗き込むの、やめた方がいいよ」

「見るつもりはなかったけど、岡部があんな顔真っ青で見てたら気になるだろ」

「私は大丈夫だから」

 一階に到着すると愛理は山本を置いて足早に歩き出すが、それを山本が追う。

「岡部の連絡先、あいつが教えたんだよきっと。そこまでして結婚っていう形が必要? だったら俺が相手になるし」

「ちょっと黙ってくれる」

「俺は岡部が心配なんだって」

 外に出て家に向かう愛理に、山本はしつこくまとわり続けた。少し歩いたところで、ついに愛理が勢いよく山本を振り返る。

「いい加減にして! これは私と湊斗の問題なの。このメールだってなんかおかしい。湊斗は私には何も言わないまま、他の人に連絡先を教えるなんてこと絶対しない。絶対何かおかしいってわかるの」

「岡部、信じすぎだよ……洗脳っぽくなってない? 騙されてる。もっと冷静に考えろよ。俺は岡部の幸せを思って言ってるんだよ。なんでそんな好きでもないただの幼馴染を……」

「好きなの!」

 愛理はしっかりと口に出した。山本は絶句する。

「私は湊斗のことが好きなの。彼の人間性も理解したうえで惹かれて、納得して今の形にいる。そりゃ同居しはじめは違ったけど……今は自分の意思で湊斗のそばにいる」

「……まさか、そんな男を……?」

「思ってたんだけど、あなたこそ洗脳はないにしても思い込みが凄すぎない? 元カノの件があるからだろうけど、昔の話だし何かの間違いっていう可能性もあるでしょう。私は人づてに聞いたことより、自分の目で見た物を信じる。湊斗に直接話を聞く」

 きっぱり言い切った愛理を、山本はただ呆然と眺めていた。あまりに特殊な関係の愛理たちを何とか終わりにしたいと思っていたのに、まさか愛理が相手のことを好きだとは思っていなかった。

 予想外だった。二人に恋愛関係はないのだと千紗から聞いていたからだ。

「え、まさか、そん……」

「というわけで私は湊斗の元に帰る」

 愛理は冷たくそう言うと、山本を置いて足早に去っていった。一人残された彼はぽつんと立ち尽くす。

「そんな……嘘だろ……あんな最低な奴を好きとか。つまり、そばにいられればいいからこの結婚を受け入れた……?」

 山本は愕然とするしかなかった。




 愛理が山本と別れた頃。

 駅前にある飲み屋の一番奥の席で、湊斗が一人で座っていた。先に頼んでおいたウーロン茶を少し口に含み、どこか普段より固い表情でスマホを眺めている。

 そこへ、千紗が顔を出した。千紗は湊斗を見るとパッと顔を明るくさせ、嬉しそうに彼の正面に腰かける。

「湊斗、久しぶり。今日は来てくれてありがとう。呼び出しちゃってごめんね? 二人で会うのって何気に初めてだよねえ! なんか新鮮ー。あれ、湊斗ウーロン茶? 飲もうよ」

 にこにこした千紗とは真逆で、湊斗は少しも口角を上げない。

「飲みに来たわけじゃないから。そもそも俺は既婚者だから、千紗と二人で会うとかしたくないんだよ。でも、愛理について話したいことがあるっていうから来ただけ。用件聞いたらすぐ帰る」

 無表情でそう言った湊斗を、千紗は不服そうに見た。

(既婚者って言っても、噓の夫婦のくせに……そんなに愛理が大事?)

 出来れば酔わせて既成事実を、と思っていた千紗は心の中で舌打ちをした。だがすぐに気を取り直して話し出す。

「そうだよね、ごめん。どうしても湊斗と話したくて……単刀直入に言うね。愛理のことは諦めて離婚した方がいいと思う」

 湊斗のグラスを持つ手がぴたりと止まり、ゆっくり千紗を見た。

「……なに?」

「愛理は他に好きな人がいるんだって。私、それでよく相談されてるの。同じ会社の山本さんって人……湊斗は知ってる?」

「……」

「……湊斗と愛理の関係について、愛理から全部聞いてるの。愛理は後悔してるよ。湊斗とは離婚して、自分の恋愛をしたいって思ってるみたい」

 千紗は置いてあったバッグからスマホを取り出し、操作すると湊斗に画像を見せた。

 愛理と山本が街中でキスをしているような画像だった。山本の手には何やら大きな荷物がある。

 湊斗は少し目を見開いた。

「ね? 私は愛理の親友だから、愛理には幸せになってほしいの。湊斗ももちろん大事な友達だけど……このまま一緒にいても誰も幸せにならないかなって。愛理は優しいし責任感が強いから、なかなか離婚を言い出せないみたい。湊斗、愛理が大切なら、黙って身を引いてくれないかな? それが愛理のためなの」

 泣き出しそうな、苦しそうな表情で千紗はそう言った。

 湊斗はスマホを手にして、食い入るように画像を見つめている。確かに服装も髪型も愛理と、山本という男性にしか見えなかった。

 千紗はこっそりほくそ笑む。

「湊斗は愛理にずっと片思いしてたこと……みんな知ってるから、湊斗も辛いよね。でもそろそろ、見切りをつけて他を見た方がいいんじゃないのかな。愛理は湊斗じゃない他の人を好きになった……これは事実なんだよ」

 千紗はそっとテーブルの上に置いてある湊斗の手を握る。

「可哀そうな湊斗……」

 そう目に涙を浮かべたとき、湊斗の低い声が響いた。


「ようやくわかった。全部お前のせいか」


 湊斗から『お前』なんて言葉が出てきたのは初めてのことで、千紗は一瞬きょとんとする。それが湊斗の声だと認識するのに、若干の時間を要した。

 千紗が顔を上げると、冷たい目で千紗を見る湊斗がいる。


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