溺愛のフリから2年後は。

橘しづき

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事件勃発



 翌朝になり、愛理はいつも通り出勤の準備を行った。昨日はあの後、いつも通りお風呂に入って、いつも通りお互いの部屋で寝たのだが、なんだかふわふわした気持ちでなかなか寝付けなかった。

 湊斗に握られた手がやたら熱かった。抱きしめられた体は湊斗のがっしりした体つきを覚えていた。そしてキスは、柔らかな感触がずっと残っているようだった。

(一人で思い出して、なんかヘンタイみたい……)

 鏡で出勤前のチェックをしながら愛理はため息をつく。アラサーにもなって、こんなに舞い上がるなんて恥ずかしいと思う。もう少し経験が豊富だったらここまで振り回されずにいられるのかな。

 恥ずかしく思いながらカバンを持って自室を出ると、丁度湊斗が家を出るところだった。彼は普段通りびしっとした姿で立っている。

「あ、おはよ愛理」

「お、おはよ」

 いつも通りの涼しい顔をした湊斗だ。愛理はそんな湊斗を見てほっとしつつも、なんだか悔しい気持ちにもなった。私は一人で意識してるのに、湊斗は案外普通なんだなあ、と。

……普通なわけがなく、湊斗は昨晩自分の部屋で祭り状態だった。すっきりした顔をしているが一睡もできていない。ただ興奮してアドレナリンは分泌されまくっているようだ。愛理のことを思い出しては悶え、決して忘れてなるものかと思い、その日あった出来事を事細かく日記に書くという大変気持ち悪い行動をとっていた。

 それを、もちろん愛理は知らない。

「湊斗はもう朝ごはん食べたの?」

「うん。愛理の分もあるからね」

「あ、ありがとう。行ってらっしゃい。山本くんには伝えておくから」

「よろしく。仕事は定時で切り上げて、愛理の会社にいくから。あ、愛理……」

 湊斗はふっと愛理に近づき、その肩に手を置く。どきりとした愛理に、湊斗は囁いた。

「行ってきますのキス、していい?」

 びくっと体が跳ねるも、愛理は小さく頷いた。それを見た湊斗は微笑んで、そっと愛理の唇にキスを落とす。

 ほんの一瞬だったが、湊斗の唇には愛理が塗ったばかりのリップがついてしまっていた。それを指で拭う湊斗の仕草が、どこか色っぽくてまたドキッとしてしまう。

「……行ってきます」

「……行ってらっしゃい」

(はいーーーーやりたいことリスト、また一つ叶いましたあああああ!!)

……と、心で叫んでいることを愛理に悟らせず、湊斗は平静を装って家から出た。玄関の扉が閉まった瞬間、大きくガッツポーズを取る。

 残された愛理は、ムズムズと不思議な感覚に襲われていた。これがカップル……いや、結婚してるんだけど。今までとは全然違う甘い雰囲気。ああ、やっぱり私にはレベルが高い。

「……ご、ご飯食べよう」

 夢見心地になってしまった自分を戒めて、慌ててリビングへ向かった。

 


 会社に辿り着いた愛理は、自分の部署に向かいながら山本へどう伝えようか頭を悩ませていた。

(直接伝えるのもあれだし、ラインしておこうかな。それが一番だよね)

 出来れば彼とはあまり顔を合わせたくないとすら思ってしまっている。元カノのことは不憫に思うが、やっぱり結局勘違いだったようだし、全て向こうの暴走なのだ。

 今日湊斗と会うことで、納得してくれればいいのだが……。

 そう考えながらいつもの場所へ足を踏み入れた瞬間、普段と違う空気感を感じ取って足を止めた。

 同僚たちが戸惑いの視線を自分に向けていたのだ。いつもなら軽く挨拶をしたりするのに、誰も愛理に話しかけようとして来ない。それぞれが愛理と距離を置くようにしている。

(……え、なに?)

 昨日の帰りまでは普通だった。何か仕事でやらかしてしまっただろうか? でもそれならそれで、直接教えてくれるはずなのに。
 
 愛理が戸惑った顔で辺りを見回していると、小野寺が素早く近寄って来た。いつも愛理に懐き、スケスケランジェリーまで買ってきてくれた後輩だ。

「岡部さん、岡部さん!」

「あ、小野寺さん……」

「ちょ、ちょっといいですかっ!」

 小野寺は周りの視線から逃れるように愛理を廊下に連れて行き、人目のつかない隅の方で声を潜めつつ愛理に言う。

「岡部さん、なんかヤバいです!」

「えっと、私も今出勤してきて、雰囲気が変なことに気づいたんだけど……私なんかしたかな? 身に覚えがないんだけど」

「これですよ。これ!」

 小野寺はポケットからスマホを取り出して愛理に画面を見せる。そこにあった画像を見て、愛理は絶句した。

 街中で、男と女がキスを交わしている、ように見える。一人は手に大きな荷物を持った男性と、相手は……どう見ても自分だった。

 山本だ。自分と山本が、まるで外でキスでもしているかのように映っている。

「……これ……」

 はっと湊斗が言っていた言葉を思い出した。千紗がそんな画像を湊斗に見せたと言っていたじゃないか。湊斗はデータを削除させたらしいが、それがまだ残っていたのか。

 小野寺は泣きそうな声で言う。

「会社のメールに送られてきたのと、それからSNSでも出回ってるみたいなんですよ! ぱっと見、顔ははっきり映ってませんけど、見る人が見たら岡部さんってわかっちゃうじゃないですか。岡部さんってただでさえスタイルよくて目立つから……みんなこの画像を知ってて……」

「それでよそよそしい空気が……」

「……これ、岡部さんの同期の人ですよね? 山本とかいう……メールとかSNSには、ご丁寧に『不倫中』って文章も入ってて。私、最初は岡部さんと旦那さんのラブラブツーショットなのかと思ったんですけど、違うってわかって……」

 血の気が引いていく。こんな誤解される画像がいろんな人へ送られて出回ってしまっている。

 身に覚えがあるのは、やっぱりあのプレゼントを買いに行った時のことだ。途中、虫がついてるだとか言われて、少しの間動かずにいた時間がある。撮影するとしたらあのタイミングしかない。

 白昼堂々と夫以外の男とキスをする……そんな構図が出来上がってしまってる。

 小野寺は涙目で言う。

「何かの間違いですよね!? だって、岡部さんは正義感強くて曲がったことが嫌いだし……こんなこと、ありえないですよ。それに、不倫するにしてもこんな街中で堂々とするなんてありえないじゃないですか! ここ、結構会社の近くですよね?」

「……うん、ありえない。私は山本くんとそんな関係はないの。本当に……ただの同期なんだから」

 そう力強く言ったものの、眩暈を覚えてふらついてしまう。小野寺が咄嗟に支えてくれたので倒れずに済んだが、愛理のショックは大きい。

 小野寺が信じてくれているのは救いだが、全ての人がこんな風には思ってくれないだろう。

「これ、多分結構の人が見ちゃってて……騒ぎになってるから、上司も気づいてると思うんです……」

「……」

 最悪だ。まさかこんなことまでしてくるなんて。

(落ち着け自分……私はやましいことなんて何一つしてない。この写真だって、角度的にそう見えるというだけ。自分の潔白をしっかり証明できれば、大丈夫なはず)

 頭を抱えつつ、必死に自分に言い聞かせた。狼狽えると怪しく見えてしまうだろうから、私は淡々と自分の潔白を証明すればいいのだ。

 ただ、それを『言い訳』ととらえる人も一定数出てくるのは間違いないだろう。これから先、白い目で見られるのは間違いない。それを想像すると吐きそうになった。

……しっかりしろ。

 愛理はぐっと足に力を入れて体を立て直す。一度深呼吸すると、力強く前を見据えた。

「小野寺さん、教えてくれてありがとう。言ったように、私は不倫なんてしてない。この写真はそう見えるように撮られただけ。元々、他の同期達と寿退社する仲間に結婚祝いを買うために集まる予定だったのが、仕事でキャンセルがあって山本くんと二人になっただけなの」

「そ、そうですよね。ありえないですよね!」

「私は湊斗以外を好きになったりしない」

 愛理がきっぱり言い放つと、小野寺はホッとしたような顔になり、熱い眼差しで愛理を眺めた。

「イケメンすぎます~岡部さん……湊斗さんっていうんですね、旦那さん。今のセリフ聞かせてあげたい~……」

「小野寺さんが信じてくれて嬉しいよ」

「いえ!! 私はここに入ってからずっと岡部さんのお世話になって憧れナンバーワンなのでっ!! 絶対岡部さんの味方です!!」

 ガッツポーズを取って力説してくれる後輩に微笑み、愛理は拳を握りしめた。

(千紗……ここまで私の事を嫌ってたんだ。それに山本くんも、こんな写真を仕組んで……)

 ふつふつと怒りがわき上がってくる。一体なぜここまでするのか。

 千紗のことは友達だと思っていた。それが湊斗と繋がることが目的で、さらにはここまでの嫌がらせをしてくるなんてありえない。

 山本くんだって、普通にいい人だと思ってたから告白はありがたく思ってた。あのまま終わっていればいい思い出で済んだのに。

 二人とも、常識を逸脱している。

「あー岡部さん、ちょっといいかな?」

 名前を呼ばれてハッと振り向くと、上司が気まずそうな顔でこちらを見ていた。ああ、あの写真の件だ、と愛理はすぐに気が付いた。
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