溺愛のフリから2年後は。

橘しづき

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助けて


 小野寺に心配そうな目で見送られながら、上司に会議室へ連れていかれる。中へ入ると、山本と、彼の上司が座って待っていた。山本は愛理を見ても表情を崩さず、平静を装っている。そんな様子を見て、はらわたが煮えくり返りそうになる。

 問い詰めてやりたいが、上司の手前今すぐには出来ない。愛理は怒りを抑え、山本の隣に腰かけた。愛理と山本、それからそれぞれの上司四人で向かい合う。

 愛理の上司が早速本題を切り出す。

「ずいぶんと大きな騒ぎが起きていて……私の耳にも入っている。何のことか分かってるよね?」

 彼は五十歳くらいの男性で、普段から温厚で物分かりのいい人だった。何事に関しても決して決めつけず、平等な視点で判断することに長けているので、彼が相手でよかったと愛理は思ったくらいだ。

 こちらが誠心誠意込めて話せば信じてくれて、今後の対応を一緒に考えてくれるかもしれない。

 愛理が口を開きかけたとき、隣の山本が突然立ち上がり、深々と頭を下げた。

「お騒がせして申し訳ありません。僕と、岡部の写真のことですね」

「ああ。どうやら昨晩から少しずつSNSで出回っていて、朝会社のメールを開いて爆発的に広がってしまっているようで。私も見たけれど、これは……」

「僕たちが不倫関係にあったことで、こんな騒ぎになってしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 山本の発言を聞いた瞬間、愛理は勢いよく隣を見上げた。一瞬理解ができなかったくらいだ。今、彼はなんて言ったの?

 愛理より先に、上司が戸惑った声を上げる。

「では、この写真は事実で、二人の不倫関係は認めるということか?」

「その通りです。申し訳ありません」

 山本が再び深く頭を下げたところで、愛理が勢いよく立ち上がる。山本に向かって大声を出した。

「何言ってるの!? 私とあなたはそんな関係じゃないじゃない!」

「隠すのはもう無理だよ。こんな写真も撮られたし……素直に認めようよ」

「こんな写真って……角度的にそう見えるだけじゃない! この日は同期の結婚祝いのプレゼントを買いに行っただけで……元々四人で行く予定だったのが、たまたまドタキャンが出たから二人でいただけでしょう!?」

「岡部、言い訳はみっともないからやめよう」

 山本はやけに優しい声で愛理に話しかけ、さも親しいようなそぶりで愛理の肩に手を置いた。愛理はぞっとして言葉も出ない。

(何……何言ってるの、この人? 私と不倫関係だったって広めて何がしたいの? そんなの、山本くんにだって不利益しかないのに。なんでこんな嘘を?)

 状況について行けず、愛理は倒れそうだった。自分が何を言っても、不倫を何とか隠したくてもがいているだけの女に見えてしまう。

 いやでも、今はもがくしかない。

 愛理は上司に向き直って必死に訴えた。

「違います! 山本くんは嘘をついてます! 彼から告白を受けたことはありますが、きっぱりお断りしています! 私は不倫なんてしていませんし、山本くんがなぜこんな嘘をついているのかもわかりません。この写真も、虫がいるから少し止まってて、って言われて、その通りにしただけで……!」

 真実だけを口にするも、上司は眉を顰めたまま厳しい表情を変えることはなかった。第三者から見れば、あんな写真が出回っている上、男の方が不倫を認めているという方が信憑性が高く見えてしまうのだろう。

 それでも愛理は諦めるわけにはいかない。このままでは、自分は不倫をしたことになってしまう。

 湊斗との結婚は、はじめは確かに偽装だった。でも、偽装だとしても自分は他の誰かと恋愛をするつもりはかけらもなかった。今は湊斗と思いも通じ合って、なおさらありえない。

 こんな騒ぎになってしまっては、仕事も続けられるかどうか怪しい。

「山本くん、なんでそんな嘘つくの……!? 私と何の関係もないでしょう!? そうだ、スマホを見てください。私と彼の間には親しいメッセージをやりとりした過去なんて一度もありません!」

 愛理は持っていたスマホを出して上司に差し出す。だが、山本はやけに柔らかな口調で言う。

「岡部、そんなに足掻いてももう無理だよ……ちゃんと認めた方がいい」

「な、何を……」

「俺が岡部に告白したのは事実です。初めは断られましたが、彼女に受け入れてもらえました。この事実を隠すつもりはないです。責任は俺が取ります」

 山本はまるでヒーローのように言い放つと、また頭を下げた。愛理は彼の言動に真っ青になる。

(こんなの……誰が見ても私が不利に決まってる……)

 結局、真実を証明することは難しいので、みんな手元にあるカードだけで判断する。この写真と山本の自白さえあれば、ほとんどの人は山本を信じる。さらには、愛理は不倫をした挙句、それを認めずみっともなく駄々をこねるように見えてしまうので、話せば話すほどどんどん愛理の立場が危うくなる。

 切り抜ける方法が思いつかず、愛理はただ立ち尽くした。

 しばらく経って、上司が二人とも立ち上がる。

「この件は一旦こちらに任せてほしい。私たちだけの判断ではなんとも。処分が決まるまで、とりあえず時間をもらいたい」

 それだけ言うと、二人はさっさと会議室から出て行ってしまった。上司は一度だけ愛理を見て困ったような表情を浮かべたので、愛理を信じたい気持ちはあるが、状況的に厳しいのだろうとわかった。

 扉がぱたんと閉まり、沈黙が流れる。

 呆然としていた愛理だが、しばらく経って言いようのない怒りを自覚し、山本を振り返る。他人にこれほど怒りを覚えたのは初めてかもしれない、と思った。

 中学の頃自分を無視してきた女子たちにすら、こんなに嫌悪感を抱いたことはない。

「……なんのつもり? あの写真、千紗と協力して撮ったわけ?」

「なんのこと?」

 しらばっくれる山本にカッとなった愛理は、彼の胸倉を思い切り掴んだ。

「なんであんな嘘を言ったの!? 私をはめてどうしたいの! 私たちに恋愛関係なんてこれっぽっちもない。私は湊斗と結婚してるし、彼だけが好きなの!!」

 取り乱す愛理に、山本は何も表情を変えなかった。ただ、冷静な声で一言だけ発する。

「俺は何が何でも岡部の目を覚ましたかっただけ」

「…………」

「そのためなら、どこまででも一緒に堕ちていくよ」

 山本は恍惚の表情で答えた。

 怒りが、恐怖に変わる。

 愛理は手を離し、ふらふらと後退した。目の前の男があまりに恐ろしかった。

 山本の中で、湊斗は『ろくでもない男』だと決めつけられている。元カノの経験があったせいだが、千紗も何かしら吹き込んだのだろう。愛理がそんな湊斗の事を好きだと言ったことで、『湊斗に騙されている愛理』が彼の中で完成されてしまっている。

「岡部はあいつを本当に好きみたいだけど、結婚は偽装なんだろ?」

 山本は未だに千紗の発言を信じているので、偽装婚だと思い込んでいるようだ。

「違う。偽装じゃない、私たちはちゃんと想い合ってる。湊斗もそう言ってくれてる。山本くんが過去に電話したのは別人だったってわかったの。当時、その元カノには他にも彼氏がいて……」

「そんな分かりやすい嘘信じてるの? 岡部は純粋だな……確かに、いつも正義感強くて曲がったことが嫌いだもんね。でもだから騙されるんだよ。岡部の目を覚まさせるのは俺しかいないってよくわかる」

「目を覚ますって、何が目的なの!?」

「俺たちの関係が公になれば、岡部は職場にいられなくなるかも。そして、あいつは『不倫された男』と見られるんだよ。プライドを傷つけられて、きっとぶちぎれるんじゃない? 無職の岡部を養うメリットなんて何もないし、偽装婚はこれで終わりになるだろ。大丈夫、岡部は何も心配しなくても、俺がちゃんと岡部の面倒を見るから。俺と結婚すれば万事解決」

 にっこり笑う山本は、もはや正気とは思えなかった。一体彼はどうなってしまったのか。

 はじめは同期として結婚を祝ってくれた。告白もされたが、言ったことですっきりした顔になっていた。終わったと思っていたのに、どこでこんなずれが生じたのだろう。

 もはや愛理は話の通じない山本と二人きりでいることが恐ろしくなり、震える足でその場から立ち去った。もう何を言っても彼は聞かないということがわかった。

 会議室から飛び出し、そのまま会社からも出た。この後に仕事に戻るなんてできっこない。

(どうしよう……もう、頭が混乱してどうしていいかわからない)

 真っ青な顔をして走る愛理を、通行人は不思議そうに眺めていた。がむしゃらに走って会社から遠ざかり、振り返って山本が追ってこないことを確かめた。

 大通りの歩道で乱れた息を落ち着かせながら、ジワリと目に涙を浮かべる。体は熱いのに、心は氷のように冷えている感じがした。

 もう、自分だけの手には負えない。

「湊斗……」

 ポケットに入っていたスマホを取り出し、未だに震えている手で何とか湊斗の連絡先を呼び起こして通話ボタンを押した。仕事中だが出てくれるだろうか。もう、今自分がどうすればいいのかちっともわからない。

 勝手に零れる涙をそのままに、祈る気持ちでスマホを耳に押し当てる。

『愛理?』

 スマホの向こうからそんな声がした時、さらにどっと涙が溢れ出る。

『どうした? なんかあった?』

 仕事中に愛理から電話が来ることなんてまずない。それを知っていた湊斗は、焦った声で愛理に呼びかける。

「湊斗……」

『どうした!?』

「助けて」

 嗚咽を漏らしながらそれだけ言った。何から説明していいのかわからなかったし、混乱していて言葉も出てこない。一人道中で立ち尽くしながら、愛理はスマホに縋った。

『……すぐに行く』

 湊斗は力強くそう答えた。

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