そして銀の竜は星と踊る

サモト

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そして銀の竜は星と踊る

15.

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 翌朝、イーズは頭上に生温かいものを感じて、眠りから醒めた。腫れぼったいまぶたは開けないまま、身体を上に動かす。当たっているのは生き物の腹のようで、生き物が呼吸するたび、強く頭を押し返された。

 一体なんだろう、とイーズは目を開けた。寝ぼけ眼は一気に開いた。鮮やかな金色の両眼が、イーズを興味深そうに見下ろしていたのだ。それも二対も。緑色のうろこにおおわれた生き物は、翼はなく、身体も小さいが、竜に似ていた。鋭い牙の間から垂れた唾液が、イーズの頬に落ちる。

「おっ――とっと! 危ない危ない、落ちるぞ」

 驚きのあまり飛び退ったイーズは、勢いあまって張り出しの上から落ちそうになった。身体を抱きとめてくれた黒竜にぴったりと寄り添う。

「びっくりしたか。これは緑竜の子孫だ。地下通路の番をしている。翼は退化してしまっているから、二本足で立って歩く大きな蜥蜴といった風情だけれど、炎も使うし、知能もある」
「朝ごはんにされたりしない?」

 番人たちは瞳孔が縦になっている目を爛々と輝かせて、肉の柔らかそうな子供を凝視していた。口からはみ出た真っ赤な舌が、物欲しそうにちろちろと動く。 

「襲うんじゃないよ。この子に手を出したら、私がただではおかない」

 かばわれているイーズですら背筋が粟立つほどの殺気を、オーレックは放った。地下での長い囚人生活にも拘わらず、オーレックの肉体はよく鍛えあげられ、若馬のような躍動感と、鋼のような強靭さを感じさせる。真紅の両眼に一睨みされると、番人たちはすぐに大人しくなり、そらぞらしく視線を他にそらした。

「朝食にしよう。おなかが空いただろう」

 オーレックはパンとチーズとハムを少しと、干した果物を黄金の器に入れて、イーズに差し出した。水も、銀細工の足がついたゴブレットになみなみと満たされ、用意されている。

「こんなに、どこから」
「厨房だ。余りものをもらってきた」
「もらって?」
「これでも昔、私はこの国の将軍をしていたんだ。ニールゲンの守護神とまで呼ばれていた。そのときのことを覚えているやつらが、私を助けてくれる」

 手助けしてくれることを、オーレックはこともなげに言うが、四十年経っても助けられるのだから、地上にいたとき、オーレックは人望があったのだろう。イーズは、物怖じせず番人にもたれかかる黒竜を、改めてまじまじと観察した。

「全部食べなさい。私はもう済ませてきたから」

 オーレックの牙はかすかに血で濡れている。何を食べてきたのか、イーズは聞かなかった。黙ってパンをかじる。いつも食卓に上るパンに比べ、歯ざわりも味も劣るが、毒の心配をすることのない食事は何より美味に思えた。

 食事の間、オーレックはずっとイーズを眺めていた。話す気力も萎えているイーズは、食べることに夢中になっていたが、オーレックは飽きもせずに食事風景を見ていた。長い間一人だったので、自分以外の人間がそばにいるのが嬉しいようだった。イーズの髪についていた毛皮の毛をつまみとって、くすりと笑う。

「少しはすっきりしたか?」
「はい。こんなに落ち着いた食事は久しぶりです」
「すぐに戻れとはいわない。ゆっくりしていきなさい」
「戻らないと……いけませんか?」

 すがるように見上げると、オーレックは瞳を揺らした。後ろから、ここ以外に行く場所のない少女を抱きしめる。

「アルカがそうしたいなら、ずっとここにいてもかまわない。好きなだけいなさい。本当は私もその方が嬉しいんだ」

 それまでずっと鬱々としていたイーズの表情が、はじめて晴れた。紅潮する白い頬に、オーレックの頬が押し付けられる。オーレックの身体は熱く、うろこはゴツゴツとして肌に痛かったが、イーズはかまわなかった。黒竜の腕の中に収まろうと、身体を小さく折り曲げた。

「だれか来た」

 突然、オーレックが剣呑につぶやいた。ひびく足音が軍靴だと察すると、イーズは身体を硬くした。

 オーレックはイーズの身体をはなし、できるだけ奥へと追いやった。自分は床に四つんばいになり、低いうなり声をあげて、全身に力をこめる。たちまち筋肉が肥大し、うろこがさらに広く厚く身体をおおい、顔は人間らしさを残しながらも竜らしく変化する。逆立った尾の棘からは毒液がにじみ、牙の隙間からは熱い吐息が漏れた。

 恐る恐るといった体で扉を開け、中に入ってきたのは、城を巡回する兵だった。槍先で扉の前に何もないことを確認し、目が薄暗さに慣れてから、部屋へと足を踏み入れた。

 その瞬間、オーレックは張り出しから跳んだ。侵入者の前に立ちはだかり、太い腕で首根っこを掴み上げ、猛然と咆えかかる。

「何ノ用ダ!」

 竜に威嚇された兵士は、真っ青になって、情けない悲鳴を上げた。宙に浮いた足をばたつかせ、槍を振り回す。黒竜は片手であっさり槍の柄をへし折った。

「何ノ用デ来タ! 宝カ! ナラバ殺ス!」
「ち、ちちっ、違いますっ! と、扉がっ、開いていたのでっ!」

 鍵は外からしか施錠できない。昨晩、イーズは一人で地下室を訪れたため、鍵は開いたままだ。不審を誘われて、兵は様子を見にきたのだ。

「出テ行ケ!」
「出ます、出ます出ます! ですが、その前に一つ。昨日、ここに子供が来ませんでしたか?」
「知ラン! ソレガドウシタ!」
「な、なんでもありません! 失礼しました!」

 兵が自分の足で外に出る必要は無かった。オーレックが兵を扉の外に放り投げ、足で扉を蹴り飛ばし、荒々しく入り口を閉じた。あっという間に地下は元の静けさを取りもどした。

「早いな。もうここに来たことが分かっているようだ」
「昨日、出てくるときに、念のために書置きを残してきてしまったんです。この小屋の方に行くって」

 イーズは書置きを残してきたことを後悔したが、オーレックは反対に、それを聞いて心配そうにした。

「いいのか? ずっとここにいては、書置を残した相手が心配するのではないか?」
「……いいんです。戻らなくても、私の代わりはいます」

 か細い声で言う少女を、オーレックはまた腕の中に抱いた。あやすように背を叩き、黒い頭に顔をすりつける。

「懐かしいな。私の子供も真っ黒な髪をしていたんだ」
「お子さんがいらっしゃるんですか?」
「ここに投獄される前の話だ。といっても、男の子で、こんなに大きくなかったがな」

 昔を語る赤い目に、深い哀切が湛えられていた。もはやこの腕にない子供の感触を、なんとか取りもどそうとするように、イーズの白い肌をなで、黒髪に口付け、そのにおいを肺腑いっぱいに吸い込んだ。子供を襲わないのは、自分の子供のことを思い出すからなのだろうと思うと、イーズも胸が痛くなって、オーレックの首元に鼻をすりつけた。

「かわいい私の娘。私の教えることに気をつけていれば、この地下で生きていくのは難しくない。何も心配しなくていい。私がおまえを守ってあげるよ」

 黒竜はやさしくささやいて、小鳥のヒナを扱うような慎重さで、娘の額に口付けを落とした。
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