Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

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悪夢の痣

第53幕

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 外界から断絶された地下室は、まるで時間が止まっているようだった。昼も夜も関係なく、常に、かび臭く、薄暗い。

 汚れたシーツの上で、小さく身を丸めて、静かに眠りに落ちているオメガは、傷だらけで汚れきってきた。

 無音であるはずの室内には、どこか優しげな水音が反響していた。
 部屋の片隅にある水場は、シャワーヘッドがあるだけの簡素な造りであった。博己は、ぬるいシャワーを頭から浴びて、不快な汗や体液を洗い流した。排水溝に流れていく汚水を眺めながら、薫のとの関係性の揺らぎをどのように捉えるべきか、と自問自答を繰り返していた。

 薫が纏う闇は底が知れない程に深い。博己の輝くような未来に浸食して、飲み込んでいくような得たいの知れなさを感じて、博己の胸をざわつかせる。たった一人の最下層のオメガなどに、恐れを感じるなど、最上層の頂点に位置するアルファには受け入れ難い事実であった。

 博己は、シャワーを終えると、タオルで濡れた身体を拭いて髪の水気を取る。この部屋はドライヤーの一つもない。仕方なく、湿った髪をかきあげて、自身の衣服に袖を通した。シャツに誰のものともつかない乾いた精液がこびりついていることに気がついて、眉を曇らせる。

 薫は相変わらず、静かな寝息を立てていた。
 ベッドの上で眠っている憐れなオメガに手を伸ばし、自らがつけた喉元の噛み痕を撫でる。深く噛みついた痕からは、血液が流れ、時間の経過と共に、赤黒い瘡蓋になっていた。

 ベッドの隅に転がっていた首輪に気がつくと、鎖を外して薫の首に巻き付けてやった。
 博己が唯一、薫に贈ったものである。
 カチンと施錠される音が響き、薫の瞼がぴくりと動いた。

「薫、」

 博己は薫の頬に手を添える。
 薫の瞼が開き、涙に濡れた瞳には、僅かに光が差し込んだ。薫の視界は赤く染まり、自身の顔を覗き込む人影が見えた。

「い、いや……ッ」

 パンッと乾いた音が静かな部屋に木霊した。
 薫は咄嗟に博己の手を払い除けてしまったのだ。
 たくさんの手に押さえつけられて、虐め抜かれた薫は、今も凌辱されているかのように、酷く怯えて錯乱していた。

 博己は払われた手を眺めた。
 薫は自由になる手足に、視界が開けていることに、少しずつ正気を取り戻し、博己の手を叩き落としたことに、ようやく気がついた。

「……ぁ、ごめんなさい、」 

 薫は血の気が引いた顔で博己を見上げた。
 博己に抵抗するなど、あってはならない。
 博己は表情のない顔から、薄く笑った。
 その様子に、薫はびくりと肩を震わせ、折檻を覚悟して、固く目を瞑る。


 けれど、博己は無言のまま薫に背を向けた。

「あの、博己、……あの、ごめんなさい、」

 遠退いていく博己の気配に、薫に怖々と瞼を開き、唇を震わせた。

 知らない男たちの慰みものにされた。
 博己の手を叩いてしまった。
 博己に背を向けられた。



 捨てられる、



 薫は恐怖に戦慄して、博己を追いかけようとベッドから身を乗りだし、必死に男の背中に腕を伸ばす。

 瞬間、バランスを崩して床に転げ落ちた。

「……い、いた、……あの、博己、ごめんなさい、」

 床にぶつけた肩が痛み、手足は痺れて動かない。一晩で五人の男を相手した薫は、身も心もズタズタだった。

 博己は背後で追い縋ろうとする薫に振り返ると、片眉を上げた。そうして、薫に向かって、何か小さなものを投げつけた。コツンと音を立てて床に転がったのは、この部屋の鍵であった。

「片付けて帰れよ」

 立ち去る博己は、いつになく覇気のない微笑を浮かべていた。

「博己……」

 赤いライトが照りつける地下室には、床に這いつくばり、汚れて惨めなオメガが一人いるだけであった。




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