Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

文字の大きさ
85 / 168
ベータの飛躍

第85幕

 神崎響は、大きな歩幅で颯爽と歩く。弟の腕を力強く掴み、振り返りもせずに、真っ直ぐに駐車場を目指していた。
 響より頭一つ分背の低い薫は、兄に腕を引かれて、前のめりに小走りでついていくのがやっとであった。頭の中は、博己の言葉や仕草の意味を掴み取ろうと、ぐるぐると渦巻きながらも、何一つ、考えがまとまならない。

「あ、あの、兄さん、」

 競技場から出たところで、薫は、ハッとして顔をあげる。

 響は構わず、ぐっと腕を引く。
 それでも薫の足は動こうとせず、響は怪訝そうに振り向いた。

「……隼人と、少し話をしてきたいんだけど、」

 薫の言葉に、響はあからさまに眉を曇らせた。
 その様子に、薫は不安げに兄を見上げる。自分の面倒な野暮用に、何の義理もない兄を付き合わせている自覚はあった。

「兄さんは、先に車に戻っててくれても、いいから、」
「……いや、俺も行くよ、」

 薫の腕を掴んだ手に、ぎゅっと力を込める。
 もう一瞬でも、薫から目を離すわけにはいかなかった。今、この手を離してしまえば、薫は直ぐにでも、どこか遠くに行ってしまうような、そんな焦燥感に駆られていた。


 指定された控え室の扉をノックする。
 ドアが開くと、ユニフォーム姿の河島選手が顔を覗かせた。隼人と薫が、離れていたのは、たったの三週間のことであったが、薫の瞳に映る「河島隼人」は、随分と逞しい大人の男であった。

「隼人、遅くなって悪かった、」

 薫は、誤魔化すような苦笑いを浮かべて、待っていた隼人に謝った。隼人は、そんな薫に薄く笑って首を横に振った。

「……いや、俺の方こそ、急に呼んで悪かったよ、」
「それで、話って?」
「ああ、うん、……」

 隼人は薫の横に立っている男に視線を流した。釣られるように、薫も兄を見上げる。二つの視線を浴びて、神崎響は、息を吐いた。

「廊下で待ってるな、」

 弟の友人同士の話に、同席するような無粋な真似をするつもりはない。響は、控え室を見渡して、他の選手がいないことを確認すると、薫の頭をポンポンと撫でて、扉の外側にいることにした。


 ドアが閉まると、隼人と薫の二人きりの空間になる。隼人は、久しい薫の姿を見つめながら、じっと、その場に立ち尽くした。

「隼人?」

 どことなく漂う緊張感に、薫は息苦しくて、小首を傾げて見た。それでも、隼人は、口を開こうとしなかった。

「インターハイ出場、よかったな。おめでとう、」

 薫は、思い出したように微笑んだ。そうだ、直接、隼人に「おめでとう」と言いたくて、ここまで足を運んだのだ。

「……ああ、でも、優勝は逃がしてしまったけどな、」
「でも、すごいよ! ベータでは一位だし、それに、」

 隼人の顔はどこか暗い。
 地区大会五位という成績は、誇らしいものである。薫は、謙遜している隼人に、嬉しそうに口を開く。

 ドゴンッと鉄板の凹む音が反響した。

 薫はビクッと肩を震わせた。見れば、隼人が横にあったロッカーを殴り付けている。

「……俺は、もう、性別を言い訳にしたくないんだ、」

 隼人は苦しそうに言葉を吐き捨てた。奥歯を噛み締めて、肩を震わせている隼人に、薫は言葉を失った。
 ベータ性の少年は、ベータの世界に住んでいる。ベータの世界では、自らをベータ性と意識することも稀であった。アルファやオメガの世界は、彼等の世界よりも、遥か遠く、小さな異国である。

 けれど、今の河島隼人には「ベータ性」であることが、耐え難い苦痛となっていた。同室のオメガと出会ってから、隼人の世界はガラガラと崩れ始めた。神崎薫に惹かれれば惹かれる程に、隼人は否応にも「ベータ性」を意識させられ、謂れのない劣等感を味わわされている。

 隼人は顔をあげると、目の前で身体を硬直させている薫の両肩を掴んだ。

「薫、好きだ、」

 真っ直ぐな隼人の瞳に射貫かれて、薫は息を飲んだ。

「今更、そんなことを言える資格はないのはわかってる。でも、どうしようもなく、薫のことが好きなんだ……、」
「……や、やめてくれ、」

 隼人の実直な言葉は、曖昧にしてきた二人の関係を白日の下に晒す。唐突に、突き付けられた現実に、薫は戦慄し、隼人の視線から目を逸らした。「知らなかった」などという誤魔化しは通用するはずもない。言葉などにしなくとも、隼人の仕草や触れ方から、優しくも熱い情愛が、薫の中に染み込んできていた。

「…………俺たちは、そういうんじゃ、」

 そして神崎薫が、その熱い情愛を、受け入れることができないことも、隼人には痛いほどに伝わっていた。隼人は、薫の頬に手を添えて、俯いていた顔をあげさせた。

「薫、俺から目を逸らないでくれ、」

 隼人と薫の始まりは、決して誉められたものではなかった。
 河島隼人は思春期らしく「オメガの肢体」に興味を持ち、神崎薫はそんな「ベータの劣情」に付け入ることにした。等価交換であったはずの二人の関係は、一年以上の月日の中で、彼等の気づかない間に、「別の何か」を含んで、築き上げられてしまっていた。彼等は互いの想いから逃げ、三年間を曖昧にやり過ごし、苦味を帯びた甘い青春の過ちとして、「別の何か」を昇華していくことを暗黙的に約束していた。けれど、それは、結城博己の存在により、脆くも崩れ去ったのだ。

 隼人の縋るような眼差しに、薫の涙腺は緩み、熱いものが込み上げてくる。

「…………ご、めん、」

 絞り出した拒絶の言葉は、隼人の心臓に鋭く突き刺さる。けれど、隼人はどこか肩の荷が降りたように、息を吐いた。

「ごめんなさい、」

 薫の瞳から涙が溢れて、頬を伝う。
 泣きたいのは、隼人も同じはずであった。それでも、薫が涙すれば、隼人は込み上げるものを抑え込んで、薫の肩を抱き寄せて胸を貸してやった。

「……もう、触らないから、今だけ、こうしててもいいか?」
「……ごめ、……なさい、」

 薫は、拒絶している隼人の腕の中で、ポロポロと涙を流した。仄かに甘い匂いに包まれながら、隼人は薫の背中を優しく撫でた。そうして、そっと薫の頭に唇を寄せて、手に入らない愛しい存在の体温を感じていた。

感想 1

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

全寮制の学園に行ったら運命の番に溺愛された話♡

白井由紀
BL
【BL作品】 絶対に溺愛&番たいα×絶対に平穏な日々を過ごしたいΩ 田舎育ちのオメガ、白雪ゆず。東京に憧れを持っており、全寮制私立〇〇学園に入学するために、やっとの思いで上京。しかし、私立〇〇学園にはカースト制度があり、ゆずは一般家庭で育ったため最下位。ただでさえ、いじめられるのに、カースト1位の人が運命の番だなんて…。ゆずは会いたくないのに、運命の番に出会ってしまう…。やはり運命は変えられないのか! 学園生活で繰り広げられる身分差溺愛ストーリー♡ ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承ください🙇‍♂️ ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

貧乏Ωが御曹司αの将来のために逃げた話。

ミカン
BL
オメガバース

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。