Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

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オメガの所有権

第149幕

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 神崎総合病院の閉鎖病棟では、何もかもが一流である。有能な医師が揃い、最新鋭の医療機材が並ぶ。特権階級のアルファ性の静養のために滞在する部屋はホテルのスイートルームを思わせ、配膳される病院食は、五つ星ホテルから引き抜いた優秀なシェフが彼等の特別治療食を美食へと昇華させている。

 時刻は十二時を過ぎである。特権階級の患者たちの昼食を配膳するために、厨房や看護師たちが慌ただしく動き始めていた。

「本条さん」

 木製のトレイを受け取り、長い廊下を歩いていた看護師は声の主を見上げた。本条を呼び止めたのは、長身の医師であった。

「452号室を本日の夕方の六時に空けることになりました。患者の退出後に病室のクリーニングをお願いします」

 宮沢医師は、淡々と本条看護師に通達する。
 本条の脳裏に過ったのは、今朝、神崎薫の病室に訪れた理事長の姿であった。

「どうかされましたか?」
「いいえ、承知しました」

 宮沢医師は、返答のない看護師に首を傾げてみせた。本条は、歯切れ悪くも理解を示した。患者が退院することは喜ばしいはずであった。

「それと452号室は、本日の昼食と夕食はキャンセルするそうです」
「え……」

 本条の持つトレイに乗せられている「452」のプレートを目に留めて、宮沢医師はやんわりと本条の手から奪い取った。

「これは私が返しておきますね」

 宮沢医師は、微笑を残して立ち去っていく。手持ち無沙汰となった本条は、ほんの少し考えあぐねて、患者の病室に足を向けたのであった。



 最早、神崎総合病院は、神崎薫を治療するための施設でも、閉じ込めるための施設でもない。僅かでも薫から目を離せば、重い瞼は二度と開くことはないだろう。
 結城博己は、病室に備え付けられたソファに腰かけて、欠伸を噛み殺しながら、読書に耽っていた。彼が手にした本は、ベッドサイドに置かれていた文庫本であった。長い指で、ページを捲っていけば、如何にも、世の大人たちが中高生に勧めるような物語が綴られている。

 物語は、輝かしい経歴を持つスポーツマンの少年が事故に遭い、身体的な障害を抱えるところから始まった。深い絶望と葛藤、それでも周囲の支えの末に、新たな将来を切り拓ていく……というようなヒューマンドラマが繰り広げられている。けれど、アルファ性の頂点に君臨する結城博己にとっては、あまりにも現実味がなく、まるで異世界のファンタジーのようである。

「隼人か……」

 博己の指が活字をなぞる。物語の主人公から連想されるのは、ベータ性の河島隼人であった。いや、博己が知るベータ性は河島隼人ぐらいのものであった。オメガ性の神崎薫はこの物語を読んで、一体、何を想ったのだろうか。

「失礼します」 

 男にしては、ハスキーな声が響いた。
 博己は顔だけ振り返る。

「君は……」

 来訪者は、小柄な看護師の男であった。睨み付けてくる姿は、まるで小動物の威嚇のようで、博己は片眉を上げながらも薄く笑う。

 看護師は、いけ好かない見舞い客が手にしている本に目が留まる。それが神崎薫に貸していた本の一冊であることに気がついて、更に眉間の皺を深くする。そうして、貸し手を探してベッドに視線を流せば、病室の主はぐったりと横たわっていた。

「薫くん?」

 本条はベッドに駆け寄ると、患者の肩を揺すった。薫の顔は一層青白く、一瞬、息をしていないのではないかと思わせた。

「触るな」
「…………ッ」

 薫の顔に触れようとした手を背後から掴まれる。背後の男を睨み付ければ、掴まれた手首を捻られて、本条は痛みに顔をしかめた。

「薫くんを、どうするつもり?」

 看護師を見下ろす瞳は氷のように冷たい。

「勝手に薫は死なせない」

 本条は言葉を失った。神崎薫は、自ら死を選ぼうとしたのだろうか。そうであるなら、彼を追い込んだのは、間違いなく目の前の狼である。

 博己は掴んでいた手を緩めると、看護師を突き放した。軽い肢体はソファの背凭れに倒れ込む。間髪いれずに、男の手が本条の細い首を掴む。若い狼は瞳を赤く染め、オメガ性を捩じ伏せる。どれ程強固な意思を持っても、歴然とした体格差で組み敷かれれば、小柄なオメガ性は造作もなく屈服させられる。ナースウェアの襟口からは、番の契約が覗いた。

「お前はオメガか」
「……ひ、……ッ」

 嘲笑混じりに鼻を鳴らされ、本条は小さく悲鳴を上げると弾かれたように男を押し退けて、病室から駆け出していった。



 ナースステーションに舞い戻った看護師は、息を切らしていた。両足は小刻みに震え、忌々しそうに自身の膝を叩いた。あの傲慢なアルファ性に、忘れかけていたオメガ性の屈辱を突きつけられた。

「本条さん、大丈夫ですか?」

 宮沢医師は、気遣うように本条の肩を叩いた。本条は、びくりと肩を震わせ、咄嗟に医師の手を払い除ける。

「大丈夫です。なんでもありません」

 気丈なオメガ性の男は襟を正して、微笑んだ。宮沢医師は、何か言葉を探そうとしたが、すぐにでも他の医師に呼び止められて、その場を離れていく。

 事態は深刻な局面を迎えている。
 本条は胸ポケットから一枚の付箋を取り出した。それは、捨てるに捨てられずに、胸に閉まっていた電話番号であった。

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