Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

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逃避行

第153幕

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 夜の公園は宵闇に覆われていた。唯一の頼りは、ぽつりぽつりと点在する外灯だけである。行くあてのない隼人と薫は、屋根つきの休憩所で、夜風から身を守るようにして肩を寄せ合っていた。夕食はコンビニで買った温かい紅茶と惣菜パンという侘しいものである。
 黙々と遅い食事をしていた二人であったが、薫は遂に重い口を開いた。

「よく思い出せないんだけど、隼人が俺を病院から逃がしてくれたのか?」 

 隼人は最後の一口を飲み込むと、薫を見下ろした。暗闇に慣れた目には、少し緊張した面持ちのオメガがいる。

「薫は入院していたんだろ? もう治ってるのか?」

 隼人の声は落ち着いていた。薫は目を伏せて押し黙る。

「やっぱり俺には話してくれないんだな」

 ぽんと頭に大きな手が乗せられた。隼人の声色は責めるようなものではなかった。優しくて、温かくて、そして諦めきっていた。

「隼人、巻き込んで悪かった」

 薫は顔をあげて、隼人に懺悔する。
 河島隼人を「神崎」に巻き込みたくはなかった。けれど、それは隼人と関わってしまった瞬間から、全てが手遅れであったのだ。

 薫は観念したように、ここに全てを告白する。あまり言葉は上手くはなかったが、隼人は黙って、薫の声に耳を傾けていた。

 神崎薫のこれまでの三年と半年余りは、隼人の想像を遥かに超えるものであった。薫は禁じられた「神崎の恥部」を晒し、博己から受けた「惨い仕打ち」を打ち明けた。 

 隼人は言葉を失い、両手で顔を覆う。

 神崎薫の告白は、薫がオメガの性欲を持て余していたからと、隼人に股を開いたわけではなかったのだという真実をも隼人に突きつけた。あの薫と過ごした一年あまりの蜜月は、薫に苦痛を強いていただけであったのだろうか。

「黙ってて、ごめんなさい」

 薫は目を伏せて、叱られた子供のように縮こまっていた。これで河島隼人も、遂に薫を見捨てるだろう。

「…………辛かったな」

 薫はハッとした。
 両手で顔を覆い、肩を震わせて嗚咽を漏らす男に、心底驚いた。オメガ性である自身に寄り添ってくれる者など居ないと思っていたのだ。

 確かに薫の推測は正しいものであったのだろう。番に棄てられたオメガの不遇は、とてもベータ性の男子高校性に背負えるような代物ではなかった。それでも、薫がこれまで強いられてきた苦悩と苦痛を思い、隼人は胸を痛めていた。

「博己がお前を引き取るって連絡があったんだ」
「え……」
「俺は、黙っていられなかった。だから、薫が病院から出てきたところを見計らって、拐ってきてしまったんだ」

 隼人の言葉に、薫の頭は真っ白になった。何もかもが理解できない。それでも、一つだけ確かなことがあった。

「隼人、俺と居ない方がいいと思う」

 薫の胸の中には、言い知れぬ不安感が渦巻いていた。隼人は顔をあげ、薫の手を取った。

「大丈夫だから。薫は俺が守るよ」

 自身より一回り小さな手を握り、言葉を紡ぐ。それは、まるで自身に言い聞かせるようであった。ようやく手の届く範囲に連れ戻したこの不遇のオメガを守らなければならないと思う。たとえ、薫に想われていなくても、放っておけるわけがなかった。それができるのであれば、薫が博己と出会った頃に、とうに諦めがついていただろう。

「明日は北の方に向かおう」

 薫は不安げに目をしばたたかせた。
 常識的なベータ性の両親に神崎薫を拐ったことの説明などできるわけもない。それに薫を実家に匿えば、早々に結城博己に見つかってしまうだろう。

「県を二つ跨げば、ばあちゃんの家があるんだ。すごく田舎だけど、そこなら、しばらく身を隠せると思う」
「…………うん」

 隼人には頼れる者が少なかった。けれど、自身を無償の愛で包んでくれた祖母であれば、隼人の決意を理解してくれるのではないかと思った。
 物言いたげな薫であったが、隼人の真剣な眼差しを向けられれば、黙って頷くほかなかった。



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