アンドロイドが真夜中に降ってきたら

白河マナ

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第25話

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 机の上の目覚まし時計が騒ぎ出したのは、午前七時五分前。
 きぃん、という時計のアラームとは思えない金属音が室内の空気を叩いた。

 突如、音だけの殺陣たてがはじまる。
 刀身がぶつかり合い、小気味のいい音を響かせる。ざしゅざしゅ、と、ひとりまたひとりと斬られ役たちが地面に倒れる音が続く。

 伊月進いつきすすむが昨日、カナと行った動物園の帰りに買った目覚まし時計は、店内で聴いたとき以上に騒々しい。

 目覚ましが鳴りはじめてから十三秒。そこで音は止んだ。
 すすむは、不機嫌そうな顔を浮かべ、二刀流の武士をぼんやりと見つめる。それから秒針と時針を凝視する。すこぶる寝覚めが悪かった。

 アラームを止めるために半身を起こしていた身体をまたベッドに沈める。
 手探りでカーテンを開け、窓を開け、朝の陽射しと澄んだ空気を部屋に招き入れた。

 天井に僅かに残る補修の跡を見つめながら、その天井を突き抜けて降って来た、機械の身体を持つ少女のことを考える。

 人は死ぬ。
 ハカナのときがそうだったように。根拠のない期待は、更なる愁嘆しゅうたんをもたらす。

 すすむは夕焼け色に染まったカナの横顔を思い出す。
 手術をることをカナが選んだことは、可能性を得る反面、別れを早める危険性を新たに生み落とす。あの横顔がこの世界から失われるかもしれない、そのことは、すすむの心に重くのしかかっていた。

 全身の力を抜いて、目を閉じる。
 どういうわけか、二院麻子にんあさこのことが思い浮かんだ。宇佐美うさみエレナの昼休みの放送をきっかけに、一緒に昼食をとるようになった、C組の女の子のことだ。

 麻子あさこは放送を通じて、自分の弱さを告白した。
 強くなりたいです、どうしたらいいのでしょうか。

 二院は強くなれたのだろうか、すすむは考える。
 本人は何も言わないけれど、クラスではうまくやっていけてるのだろうか。まだ嫌がらせは続いているのだろうか。

 人はどこかしら欠けてるものだと、エレナは言った。
 俺の欠けている部分は?
 すすむは考えを巡らせる。記憶がおぼろげなイメージを明瞭なものへと──玄関先で父親がハカナの頭を撫でている場面が見える、別れの日の──すすむは、その記憶を振り払うようにベッドから降りた。

 寝巻きのまま廊下に出る。
 隣の部屋のドアがほんの少し開いていた。

 ──なにやってんだ……?
 すすむは、音を立てないように、部屋に入る。

 カナが、右手にキリンのぬいぐるみ、左手にすすむが昨日まで使っていた目覚まし時計を持って、何やら考え込んでいた。

 意を決したようにキリンのぬいぐるみをタンスの上に置く、カナ。
 すすむは、すり足でさらに近寄り、真後ろに立つ。

 一メートルも離れていない場所まで近づいたのに、まだ気づかない。カナは、今度はキリンの右隣に刀の折れた戦国武将の目覚まし時計を置いた。
 何の脈略もなく、可愛らしいキリンのぬいぐるみと、厳しい表情をした家康公が並んでいる。とても奇妙な組み合わせだった。

『とても華やかになりました』

「どこがだ」

『す、すすむさんっ! いつからそこにっ!』

 長い髪を跳ねさせて振り返り、

『酷いです! 女の子の部屋に勝手に入ってくるなんて!』

 顔を真っ赤にさせて、すすむを非難する。

「ドアが開けっ放しだったからだ。それより、なにやってんだ。そのぬいぐるみと目覚ましは、先生んとこに持って行くんじゃないのか?」

『わたしがいないと、進さんが寂しがると思いましたので、このぬいぐるみは置いて行きます』

 いつもであれば「いや、寂しくねーし」そんな風に否定するすすむだったが、

「早く帰って来いよ」

『はいっ。それまでは、わたしだと思って、大切にしてくださいね』

「おう。毎朝、挨拶しておく」

『安心しました』

「学校にもちゃんと行くからな、もっと安心しろ」

『さらに安心しました』

 口元をほころばせる、カナ。

「帰ってきたら、またどこかに行こうな。今度は、水族館なんかどうだ」

『楽しみです』

「絶対に行こうな」

『はい』

「……」

すすむさん、』

「ん?」

『絵本の続き──伝えて下さって、ありがとうございました』

 進は頷く。

『間に合い……ますよね』

「……なにがだ?」

 その言葉に、すすむは疑問を持つ。
 間に合う?

 手術に、だろうか。
 しかしそれをカナに確認することはできなかった。その摯実しじつな瞳を前に、どういう意味なのか聞き返したり、その言葉を否定することは躊躇ためらわれた。

「ああ。大丈夫だ」

 すすむはやや違和感を感じながらも、肯定する。

『わたしは……いっぱい、痛いのに我慢しました。苦しいことに、つらいことに、我慢しました。神さまは、わたしに、チャンスをくれますよね』

「当たり前だ」

 カナの勇気になればと、強く断言する。

「お前のようなやつが報われねー世の中なんて、間違ってる」

『はいっ』

 間違っている、けれど……伊月進いつきすすむは、続く言葉を抑え込む。人の都合通りに物事が運ぶことは、稀である。それは一度、身をもって知った。

 現実は、人の思いとは、同列に存在しない。しかし、どんなに無駄であろうとも、願わずにはいられなかった。



 穏やかな朝に漂う、味噌汁と葱の匂い。
 すすむの母が皿に料理を盛りつけ、カナは茶碗に炊き立てのご飯をよそる。進にとっては見慣れた光景も、カナが加わるだけで、また違った印象を受ける。

 台所という舞台で微笑み合う二人。
 いつもの、朝食。こういった時間こそが、カナにとってなにより大切なのかもしれない、すすむは二人を見ながら思う。

「……実に微笑ましい光景ではないか。なあすすむ、カナさんは、本当に行ってしまうのか。父として寂しいぞ」

「お前の娘じゃねえ」

「もはや家族同然だ。たとえあの子が違うって言ってもなッ!」

「つくづく迷惑なオヤジだな……」

 箸入れを持ってやってきたカナは、嬉しそうに、

『迷惑ではありません。嬉しいです。わたしには、両親の記憶がありませんから。お二人のことを、勝手に、両親のように思わせて頂いていましたし』

 すすむの父である進也しんやは、その温かい言葉を聞いて、感動に打ち震えていた。

「カナさんは、いつ出発なのかしら」

 ニンジンの絵柄がプリントされたエプロンを取りつつ、伊月浅子いつきあさこは尋ねる。

すすむさんと一緒の時間に、家を出ます』

 カナは、どこからか取り出したブロックタイプのカロリー〇メイトのような、灰色の固形燃料を食べはじめる。

「俺にもくれ」

『……え』

 すすむは、カナの手から固形燃料を奪い、半分に折って、残りを返す。

「私もいいかしら」

 浅子あさこは、すすむが返そうとした半分をさらに2等分して、残りを夫である進也しんやに手渡した。

「なんとも言えねー味だな」

「うまいではないか」

 あっと言う間に、家族全員がカナの食事を口にしていた。

『……皆さん』

 時計の針は、万物に対して、平等に進む。
 カナが伊月家いつきけにやってきてから幾度か繰り返された、いつもの朝は、いつものように終わった。

 玄関まで見送りに来た伊月いつき夫妻に頭を下げ、カナは、最後にもう一度、感謝の言葉と挨拶を述べる。

 靴を履いて振り返ったカナは、正面の壁にあるものを見つける。

『素敵な絵です』

「……母さん、」

「この絵には、ここが相応しいと思ったの。外さないでね」

 額縁に収められた、クレヨンで描かれた絵だった。見ればすぐに子どもが描いたものと判る、稚拙な、それでいて温かみのある、家族の絵──

『ハカナさんの……絵でしょうか』

 そう言ったカナに、三人の視線が集まる。

「どうして……?」

『昔、ニュース番組で見ました。ハカナさんの情報を求めて訴えかける、すすむさんのことを……』

 すすむが目を見開く。

「だから、ここに来たのか」

 頷くカナを見て、すすむは、

「そうかよ。知ってたのかよ……それでか」

『はい。たぶん、すすむさんが考えている通りです』

「ハカナは、ハカナはな、お前みたいに打算してうちに来たんじゃねーんだよ!」

すすむ、やめなさい」

『いいんです。わたしは、ここなら……ここであれば、わたしのことを受け入れてくれるかもしれないと、ハカナさんのことを通じて思ったのですから』

「……なんで最後になって……そんなこと」

『最後、だからです』

 カナは、左腕に爪を立てて、皮膚をはがす。
 内側が薄いゴムの膜のような皮膚の、その下から機械の、くすんだ鉛色なまりいろの表面が露呈する。

『わたしは、皆さんを、偽ってきました』

 カナは三人を見つめる。

『人間ではないのに、人間のフリをして。わたしは、どんなに隠そうとしても、やっぱり、皆さんとは違うんです』

「カナさん……」

『たくさんの優しさを踏みにじってしまいました。申し訳ありません』

 三人から遠ざかるように一歩下がるカナ。

 瞬間──
 すすむは、を感じ取る。

 カナは、微笑んでいた。
 まるで、すべてのことを言い終えたように、満足そうに。

「やめろ! カナ!!」

──間に合いますよね。

 カナの部屋で聞いた、その言葉の意味を悟る。

──わたしは……いっぱい、痛いのに我慢しました。苦しいことに、つらいことに、我慢しました。

──神さまは、わたしに、チャンスをくれますよね。

 チャンスとは。
 アルビノという絵本に残された、希望の言葉、それを聞いて思ったことは。明日への希望なんかじゃなくて。

 次の生への、祈り──
 どこから取り出したのか、カナはマイナスドライバーを強く握っていた。その先を、喉もとに突き当てる。

『ごめんなさい、すすむさん。皆さんが本当の家族だったら、よかったです』

 目を閉じる、カナ。

 たった数歩の距離が、すすむには、とても遠い距離に感じられた。

 身体が前に動かない。

 カナの喉が貫かれる瞬間が、届かない自分の手が、閉じた瞳から流れる涙が──

「ひょっとして、間一髪だった?」

 かつん、という音を響かせ、マイナスドライバーが床に落ちる。カナの後ろから宇佐美うさみエレナが、ドライバーを握っていた手首を掴んでいた。

「先生……」

 泣き出しそうな顔をして、すすむは、その場にへたり込む。

「なんか劇的な瞬間に立ち会っちゃったみたいだけど。いいのよね? これで」

 ぐすぐすと泣き出すカナのもとに、すすむの両親が駆け寄る。

 宇佐美うさみエレナは、伊月進いつきすすむの首根っこを掴んで、ずるずると家の中に引きずっていく。客間まで連れて行くと、思いきり頭突きをかます。

「なに状況を悪化させてんのよ、あなたは」

「んなこと言われても、」

「原因は何?」

「……」

「心当たりはないの?」

「……絵本」

「絵本? 私が返しに来た、あのアルビノとかいう本?」

「はい、たぶん。後輩から聞いた、あの絵本の続きを話してから、カナの様子がおかしかったような……」

「どんな内容なのかしら」

 進は、口づてに聞いた物語の続きを話す。

「ふぅん」

 再び、すすむの額目掛けて、頭突きをお見舞いする。

「そんな話されたら、ああなることくらい予測できなかったの?」

「勇気が……出ると思って……」

「免罪符でしょ、それ。手術が失敗したときのための。ここまで信用されないと、ムカついてくるわね。誰も私のこと信じてないじゃない」

「でも、」

「それ以上喋ると殴るわよ。せっかく出番をあげたのに、ぜんっぜん役に立ってないじゃない」

「……」

「まーいいわ。あとは私が全部やるから」

「……先生の家に行ったとき、俺に言いましたよね。生きるってことは、長く生きれればいいってものじゃないって。もしそうなら、先生のやることに、意味はあるのかよ」

「おおアリよ」

「カナの意思を無視して、延命させて何になるんだ」

「ミラクルを起こすのよ」

「……」

 バカを見る目で、エレナを見つめるすすむ

「そんな顔をして私をバカにしたこと、覚えてなさい。開いた口が塞がらなくなるほど驚かせてあげるから」

「……」

 すごいバカを見る目で、エレナを見つめるすすむ

「まー凡人にはどう言っても無駄でしょうから、指を咥えて待ってなさい」

「めちゃめちゃ心配なんですけど」

杞憂きゆうに終わるだけよ。そんなことより、再来週からはじまるテストの心配でもしてなさい。古典が赤点だったら、退学させるから」

「そんなテストあるか!」

「なぜかしら、私なら出来ちゃうのよねー」

 不敵に笑うのを見て、宇佐美うさみエレナであれば本当にやりかねないと、すすむは不安に思う。
 二人が玄関に戻ると、カナは落ち着きを取り戻していた。

「さあ、行きましょう」

『行きたく……ありません』

 宇佐美うさみエレナは、拒絶するカナに耳打ちする。
 すると、カナの表情が一変した。

 半信半疑な気持ちと、期待が同居したような顔でエレナを見上げ、

「行くわよ、カナちゃん」

 その呼びかけに、今度は、小さく頷いた。
 
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