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第26話
しおりを挟む「そういえば、動物園は楽しかった?」
赤信号で車が停車すると、エレナは言った。
『とても楽しかったです』
「気づいたかしら?」
カナの反応を横目で窺う。
『……はい』
「あなたの想像通り、言葉の枷を取り除く方の手術は終わってるわ。四度目の検査は嘘」
『知らない間に手術をしてしまうなんて酷いです。わたしの命なのですから』
「だから、死ぬのも自由だって言うの?」
『……そうです』
「カナちゃん、人は、生まれ変わりなどしないのよ」
エレナは、語勢を強める。
『どうして希望を持っては……いけないのですか。わたしは、ようやく幸せを見つけることができたんです』
カナは、訴えかけるような瞳を向ける。
「下らない幻想に惑わされて、死んで、どこが幸せなの? 独り善がりって言うのよ、そういうの。たくさんの人を巻き込んで、周囲の人間を悲しませることを知っていながら、ああいったことをやる。ただのバカよ」
信号が青に変わり、車がまた走り出す。
エレナは押し黙ってしまったカナから視線を外して、前方のトラックの背に注意を向ける。
「希望は現実に持ちなさい。あなたの幸せは別の場所にあるわ」
『わたしは、独りです。わたししか居ない世界に、どうすれば希望を持つことができるのでしょうか』
「んー、厳密に言えば一人ではないわよね。あなたは、もともと人間だったのだから。覚えていないとはいえ、そんな身体になってしまった自分を見続けるのは、つらいわよね」
カナは驚きの表情を見せたがすぐに顔を背け、俯いてしまう。
『そこまで……知っているのですか』
「まあね。本題はこれから。続けるわよ。あなたを創ったのは、あなたのお兄さんね。彼は、死んでしまった妹の遺伝子から、何体ものクローンを創った。その一人が、あなたの心の基礎。ほぼ独学で、たった一人でそこまで辿り着いたことは、賞賛に値するわ。でもね、そのクローン技術は、お粗末な設備──それでも数千万単位なんだけど──そのせいもあって、完璧には程遠く非常にムラがあった。多くのクローンが創られ、育てられては、殺されていった。五体満足でない個体や、先天性知的障害を持つ個体、肉体が極端に弱い個体、成功と言えるクローンは結局、一体もできなかった。だけど成果はあった。数限りない犠牲の果てに、あなたが生まれた。あなたは、成功に最も近い存在だった。でも、致命的な欠陥があった。身体が非常に弱かったの。無菌室から外に出ることができないほど。そこであなたのお兄さんは、あなたに機械の身体を与えた」
『……やめて……ください』
「だいたい合ってるわよね」
きつく口元を引き締め、エレナの問いを肯定する。
「屋敷の跡地にも行ったわよ。黒ずんだ大地と瓦礫の山……で、わたしはそこであるものを見つけた」
『……』
「でもね、ちょっと問題が発生してね。時間がかかってしまったわ。私がそれと対面できたのは、昨日、あなたと伊月を送り出してから」
『……何が、あったのですか』
「見ればわかるわ」
**********
屋敷に到着するとカナは、エレナに部屋で待つように言われた。指示に従って、与えられている自室に向かう。
宇佐美エレナが見せたいもの。
焼け崩れた屋敷の残骸の中から、エレナは何を見つけ出したのだろうか。屋敷全体に火を放ち、ほとんど焼け落ちてしまったのだから、重要なものが残っているとは思えなかった。
ドアノブを回す。
部屋に入ってカーテンを勢いよく開き、窓を全開にして空気を入れ替える。
ぼんやりと外を眺める。
カナは、庭に数本の向日葵が植えられているのを見つけた。先端に小さな蕾が見え、瑞々しい緑色をした太い茎と大きな葉が風で揺れていた。
まだ見ぬ満開の向日葵を思い、カナの顔はつい綻んでしまう。
高く、高く、太陽に憧れるかのように、日を追って回る向日葵の鮮やかな大輪──夏の強い日差しにも負けずに咲く輝く黄色と、ひたむきな感じがするこの花の特性がカナは好きだった。
しばらく待ってもエレナはやって来ないので、カナは、しおりを挟んでいた小説の続きを読むことにする。
五十ページほど読んで、次のページをめくろうとしたとき、エレナがドアをノックして入ってきた。
「待たせちゃったわね」
『いえ』
「ついて来てくれるかしら」
長い廊下を抜け、階段を下りる。裏手の出入口から一度外に出て、屋敷を迂回するように右回りに歩いていくと、ドーム型のイグルーに似た小さな建物が見えてきた。
入り口が一箇所、窓もない。
「あまり大きな音を立てないようにね」
エレナは錠前を外し、カナにも中に入るよう促す。
『……』
建物の中は仕切りなどなく、外観そのままの形で円状の部屋がひとつあるだけだった。三百六十度、白い壁が繋がっている。
室内はひんやりとしていて空気は澄んでいた。外から通気口は見えなかったが、どこからか換気しているらしい。
床の中央に地下へと続く階段があり、エレナはそこを指差す。
「この先よ」
『……はい』
言われるがままにカナはついて行く。
十段ほどの階段を下りきって、一本道の通路を数歩進んだところで、行く手は金属の扉に塞がれていた。
「わたしはね、この扉の向こうにいるものを見つけ、あなたのお兄さんのやろうとしていたことを知った。そして、ある疑問を持ったわ」
『……』
「人間とは何だろう、って』
『……どういう……ことでしょうか』
エレナは扉の鍵を開ける。
「あなたの今の機械の身体は、仮のもの。あなたのお兄さんは、最終的に、あなたを人間に戻すつもりでいた」
『……え』
「彼が求めたのは丈夫な肉体。そのために、クローンは絶え間なく創り続けられた。不良品を大量に創り出し、処分し、また創る。その繰り返し」
カナが見たのは、黒髪の少女──それは、自分自身の姿だった。自分と瓜二つの人
間が、部屋の壁にもたれかかるように立っていた。
点滴台からチューブが右腕に伸びていて、点滴針がテープで固定されている。
『……あなたは?』
近寄り、カナが問いかける。
しかし反応はない。無表情に、カナの後ろ、さっきまで扉が閉まっていた場所を注視している。
少女の口元から涎が落ちる。
それでも気にすることもなく、まるで意志を失った人間のように佇んでいた。
「どんなに話しかけても無駄よ。聞こえてないわけじゃないけど、この子には、言葉が理解できないの」
『……』
「あなたとは対照的に、この子は丈夫な肉体を持っていながら、心がないのよ」
『……そんな』
「どうやってこの子が生きてきたか、意志を持たないこの子が、まともな肉体を保っていられたのか知りたい? この子の地獄は、あなたの比じゃないと思うわよ」
『……教えてください』
エレナは目を閉じて、
「自動のエサやり機、運動器具、排泄物処理機──いま思い出しただけでも吐き気がする。あなたのお兄さんが亡くなってしまってからも、装置は動き続けていた。死体が三体。生きていたのはこの子だけ。酷い有様だったわ、本当に」
カナは崩れるように、両膝をつく。
『わたし、知りま……せんでした』
「無理もないわ。あなたに隠れてやっていたことでしょうから。あなたのお兄さんの本来の目的はアンドロイドを創ることではなくて、人間として新たな生を与えることだった」
カナは震える指先で少女の頬に触れる。
少女は動かず、うつろな瞳で何もない空間をただ眺めている。
『……ごめんなさい』
カナは植物のように動かない、自分の分身を強く抱きしめた。
少女は規則的に、時折、瞬きを繰り返すだけだった。
『……許して……ください』
「聞いて頂戴。車の中で、あなたの命はあなたのものだって言ってたわよね。だけど、私にはそうは思えない。生きたい? 死にたい? そんな選択すらできない子だっているのよ。自分だけが不幸だと思い込んで、差し出された手をことごとく振り払って、挙句の果てに自殺? あなたは代表なのよ。この子や、犠牲になった子たちの」
『……』
少女の胸に顔を埋める、カナ。
「勝手に手術をしたことについては、謝るわ。ただ、この子が閉じ込められていた地下の部屋に入るには、電子キーが必要だった。私はそのキーを、検査の過程で見つけた。あなたの身体の中に」
『……』
「だから、緊急で手術をしたの。生身の肉体を持たないあなたと、心を持たないこの子……私はどちらも救いたかった」
『どうして、そこまでしてくださるんですか?』
「命の尊さを知っているから」
エレナは力強く言う。
『……わたし、この子を助けるためでしたら、どんなことでもします』
「あなたがすべきことはたった一つ。なにがあっても、私を信じること。それだけよ」
**********
カナが向日葵に思いを馳せていたとき、伊月進は一時限目の授業を終え、自席に突っ伏していた。
学校の中は、相変わらず、変わらない日常で満たされている。ホームルームがあって、授業があって、間に休み時間があって、昼休み、午後の授業へと続いていく。このサイクルは、ちょっとやそっとのことでは揺るがない。
「ようサボリ魔」
多川が不機嫌そうに言う。
「一日しか休んでねーだろ」
「寂しそうにしてたわよー、多川。この学校、いえこの世界中で唯一の友だちが休みだったから、話す相手もいなかったし」
白貫は、真顔で伊月にそう報告する。
「そこの女、失礼なことを言うな。友だちなら腐るほどいるっつの」
自信を持った口調で断言する多川に、
「悪いけど俺、友だちだと思ってないし」「私も」
伊月と白貫は絶妙なタイミングで言葉を被せ合う。
「なんですとっ!?」
伊月は、少し、寂しく思う。
カナがこうした日常の中にいたら、自らの命を絶とうとすることなど、しなかった
のではないか。
ぜんっぜん役に立ってないじゃない、宇佐美エレナの言葉が痛かった。
また、何もできなかった。
今度はうまくやれたと思っていた、しかし、カナには届いていなかった。そのことがとても悲しかった。
「ねえ、伊月。聞いてる?」
「ああ」
「休んで元気を取り戻してくると思ってたら、またかよ。しみったれたのは、嫌いなんだよ俺は。気分を変えに、帰りにどこかに遊びに行こうぜ」
「……そうだな、たまにはいいかもな」
「いい企画、思いついたわ。私に奢りまくるイベントってのはどう?」
「却下」
「不許可だ」
俺と白貫とは違って、多川の反応はワンテンポ遅い。
ちっちっ、と、舌を鳴らし、白貫がメトロノームのように人差し指を左右に動かす。
「まだまだ甘いわね、多川クン。伊月と呼吸を合わせるなら、0.5秒遅いわ」
「友だち失格だな」
「そうね」
「なんですとっ!?」
伊月は笑いながら、ふと、思った。
まだ、終わってない。
まだ、やれることはある。
二人を連れて、カナに会いに行こう。それと、二院や片瀬姉妹も誘ってみよう。
他者との繋がりは、カナに生きようとする力を与えてくれるかもしれない。
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