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第1話 天使狩り
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「おい、墜ちたぞ!」
「アースは右からまわれ! オレ達は左からまわり込む!」
俺は頷き、走った。
前方約150メートルってところか。たいした距離じゃないが、深い森の中なので目標の姿はもう見えなかった。
ガットの指示通り、右回りに天使が墜ちた地点へ向かう。不規則に並んだ木々の間をぬけ、急な傾斜をすべりおり、目的の場所に着いた。
仲間はまだ到着していなかった。俺は天使を見失わないように遠くから見張る。
「う……ううっ……」
呻く女。
いや、この表現は適当ではない。人間では無いのだから。
後ろ姿だったが、背中から生えている真っ白な翼が、こいつが人間ではないことを証明していた。
「これは高く売れるな」
これまで見たことのないほど大きく美しい翼だった。
「……うう」
天使は肩に刺さった矢を必死で抜こうとしているが、それが不可能なことを俺は知っていた。矢じりには特殊な返しがついていて、矢を取り除くには貫通させるしか手段が無い。仮に抜けたとしても、微量だが毒が塗ってあるから無駄だ。逃げられない。
「ようやく来たか」
俺は小さく手を振るガットに頷きを返して、木陰に座った。
いつも思う。『こと』が終わるまでのこの数秒は、自分が処刑されるのを震えながら待つ感覚に似ているのかもしれない。とにかく、この仕事でいちばん嫌な時間だ。
天使の絶叫と肉がちぎれる音の後、
俺は肩に手を置かれ、立ち上がった。
ガットに目をやると、嬉しそうに2枚の翼を抱えていた。
根元から溢れ出した血が地面を赤く染めていた。
「ほらよ」
同行していたニタに翼を持たせ、ガットは俺についてくるように言った。珍しいことだった。血にまみれ倒れている天使の正面にまわって俺を促す。
「見てみな」
「俺に死体を見せてどうするんだ?」
「……こいつを見ろ」
「ったく、なんだってんだよ」
回りくどい言い方をするガットに苛立ちながら、仕方なく俺は翼のもがれた天使を見やった。
「生きてるぜ、大抵のヤツは痛みでショック死しちまうんだけどな、どうする?」
「……どうするって?」
死んだ姉に似ていた。似ていたと言うより、思い出の姉そのものだった。苦痛に歪む姉とそっくりの顔、赤く染まった身体、それを見ていると吐き気がした。
だが、懐かしさを同時に感じた。
「どうする? 今なら助かるぜ」
「……なんのことだ」
「大丈夫だ。コイツはお前の顔は見てない。仮初めかもしれないが、また……」
「また、なんだよ?」
ガットを睨む。
意図していることが理解できたのもあるが、なにより一瞬だがその情景を想像してしまった自分に対して腹が立った。
こいつは人間じゃない。俺は血迷った考えに頭を振る。
「俺に……」
こいつと、ままごとでもやれと言うのか?
「すまん、出過ぎた真似だったな」
白い肌からとめどなく流れる血。荒い息をしている姉。二度と思い出すこともなく消えるはずだった記憶が、閉じこめていた想いが、胸の扉をこじあけた。
「助けて……やってくれ……」
「最初からそう言えばいいんだよ、アース」
ガットは待っていたとばかりに、肩に刺さった矢を押し抜き、手際よく止血をし、布を巻き、着ていた獣皮の上着をかける。華奢な天使の身体を優しく抱え上げて俺に預けた。
見るほどに姉そのものという気がしてくる。ずっしりと両腕にかかる重みが、なんだか俺を安心させた。
俺が覚えている最後の姉は、やせ細り、握った手はひどく冷たかった。
だからこの眠る天使は、過去の俺が求めてやまなかったものそのものだった。
「俺とニタが翼を売りにいくから、お前は帰っていい」
「……ああ」
しかし偽りなのだ。姉は死んだのだ。
その証拠に、天使は過去の姉とそっくりなのであって、現在の姉ではない。
「……」
俺は二度も姉が死ぬのを見ていられなかった。ただ、それだけだ。出ていきたくなったら出ていけばいいし、居たければいればいい。
そう自分に言い聞かせながら、俺は天使を抱え、静かな森を歩いた。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
水鳥のスープを器に注いでスプーンと一緒に手渡すと、天使はそれを払いのけた。
床から湯気が立ちのぼり木の器がカラカラと音をたてる。瞳には恐れの色がありありと窺えた。
無理もない。大切な翼をもがれたのだ。人に恐怖を覚えたのだろう。
こうなることは予想していたが、姉の姿を持つ彼女に拒絶されるのは、想像以上に、ひどく俺の胸を痛ませた。
だが後悔はない。生きるために天使を狩るのは仕方ないことだ。ヤツらは人間じゃない。鳥と同じなのだから。
喋ることも出来ない。そのくせに人間に警戒心を持たない…だから狩られる。
美しい翼から万能薬が生まれる、それを誰かが見つけて以来、彼らは狩られ続けた。
人の為に……。
「なあ、少しでいいから食べないか?」
床を拭き、新しい容器にスープを注ぐ。慣れない料理に自信なんてなかったが食べて欲しかった。彼女がシーラ姉さんの服を着ていると、姉さんが帰ってきたとしか思えないほど似ているのだ。
「……」
温かいスープをまた差し出す。
ベッドの上でうずくまりながら、天使は無表情でそれを見ていた。
「シーラ姉さん……」
半ば無意識に呟くと、思いがけない反応が返ってきた。
「……ら……」
声。
天使が、
「し……ら……?」
声を、発したのだ。
天使の鳴き声や音に近い悲鳴なら、数限りないほど聴いたことがあったが、そのどちらとも違った。
「喋れるのか、お前は?」
「……しーら」
彼女は不思議そうな表情をした。俺は天使の口元を見つめていた。
喋れるわけがないと思っていた天使の口から言葉が発せられたことは、それまでの俺の天使というものに対する考えを一掃するほどの衝撃だった。
「これじゃあ、まるで……に、人間じゃないか……」
「……?」
「お前らは喋れないんじゃなかったのか? だた、人のカタチを真似ただけの獣…」
「……ケ……モノ?」
言葉を理解している訳ではないみたいだが、これなら、しばらくすれば話せるようになるだろう。俺たちが他の国の言葉を覚えるのと同じ…。
途端に罪悪感が俺を支配した。
無いはずのそれが、存在しなかったモノが激しく胸を叩く。
俺は今まで人を殺してきたのか? 人を!?
「……」
突然、天使が立ち上がった。
悲しそうな表情で、俺の肩に手を置く。俺はその手を乱暴にふりほどき、壁に向けて突き飛ばした。
「触るなっ!!! お前は人間じゃないんだよ!!!! 鳥の仲間のくせにシーラ姉さんに似てるからって調子に乗るな!!!!! 俺が、俺が助けてやらなきゃ死んでたんだからな!!!」
咳き込んだ天使は俺の言葉に身を震わせたが、再び近寄ってきた。その目は、まっすぐ俺に向けられていた。
「近寄るなって言ってるだろ!!!」
「……しーら?」
半歩ほどの所まで近寄ってきた天使に、俺はこぶしを振り上げた。だが、下ろすことは出来なかった。不意に、彼女の手が俺の手元にのばされる。
彼女は俺の手からスープの入った器を取り、おもむろにそれを飲みだした。
一気に飲み干し、俺に笑ってみせた。
「……ば、ばかだな……お前……」
「……バ……カ?」
天使はきょとんとした顔で聞き返した。
「……違う、違うんだ。スープを飲んでくれないから怒ったわけじゃない」
俺は彼女を抱きしめていた。
強く、強く、彼女の無垢な温もりにしがみついていた。先程までの苛立ちと不安と恐怖は次第に薄れ、彼女への愛おしさだけが胸に広がった。
そして、この日から天使との暮らしが始まった。
「アースは右からまわれ! オレ達は左からまわり込む!」
俺は頷き、走った。
前方約150メートルってところか。たいした距離じゃないが、深い森の中なので目標の姿はもう見えなかった。
ガットの指示通り、右回りに天使が墜ちた地点へ向かう。不規則に並んだ木々の間をぬけ、急な傾斜をすべりおり、目的の場所に着いた。
仲間はまだ到着していなかった。俺は天使を見失わないように遠くから見張る。
「う……ううっ……」
呻く女。
いや、この表現は適当ではない。人間では無いのだから。
後ろ姿だったが、背中から生えている真っ白な翼が、こいつが人間ではないことを証明していた。
「これは高く売れるな」
これまで見たことのないほど大きく美しい翼だった。
「……うう」
天使は肩に刺さった矢を必死で抜こうとしているが、それが不可能なことを俺は知っていた。矢じりには特殊な返しがついていて、矢を取り除くには貫通させるしか手段が無い。仮に抜けたとしても、微量だが毒が塗ってあるから無駄だ。逃げられない。
「ようやく来たか」
俺は小さく手を振るガットに頷きを返して、木陰に座った。
いつも思う。『こと』が終わるまでのこの数秒は、自分が処刑されるのを震えながら待つ感覚に似ているのかもしれない。とにかく、この仕事でいちばん嫌な時間だ。
天使の絶叫と肉がちぎれる音の後、
俺は肩に手を置かれ、立ち上がった。
ガットに目をやると、嬉しそうに2枚の翼を抱えていた。
根元から溢れ出した血が地面を赤く染めていた。
「ほらよ」
同行していたニタに翼を持たせ、ガットは俺についてくるように言った。珍しいことだった。血にまみれ倒れている天使の正面にまわって俺を促す。
「見てみな」
「俺に死体を見せてどうするんだ?」
「……こいつを見ろ」
「ったく、なんだってんだよ」
回りくどい言い方をするガットに苛立ちながら、仕方なく俺は翼のもがれた天使を見やった。
「生きてるぜ、大抵のヤツは痛みでショック死しちまうんだけどな、どうする?」
「……どうするって?」
死んだ姉に似ていた。似ていたと言うより、思い出の姉そのものだった。苦痛に歪む姉とそっくりの顔、赤く染まった身体、それを見ていると吐き気がした。
だが、懐かしさを同時に感じた。
「どうする? 今なら助かるぜ」
「……なんのことだ」
「大丈夫だ。コイツはお前の顔は見てない。仮初めかもしれないが、また……」
「また、なんだよ?」
ガットを睨む。
意図していることが理解できたのもあるが、なにより一瞬だがその情景を想像してしまった自分に対して腹が立った。
こいつは人間じゃない。俺は血迷った考えに頭を振る。
「俺に……」
こいつと、ままごとでもやれと言うのか?
「すまん、出過ぎた真似だったな」
白い肌からとめどなく流れる血。荒い息をしている姉。二度と思い出すこともなく消えるはずだった記憶が、閉じこめていた想いが、胸の扉をこじあけた。
「助けて……やってくれ……」
「最初からそう言えばいいんだよ、アース」
ガットは待っていたとばかりに、肩に刺さった矢を押し抜き、手際よく止血をし、布を巻き、着ていた獣皮の上着をかける。華奢な天使の身体を優しく抱え上げて俺に預けた。
見るほどに姉そのものという気がしてくる。ずっしりと両腕にかかる重みが、なんだか俺を安心させた。
俺が覚えている最後の姉は、やせ細り、握った手はひどく冷たかった。
だからこの眠る天使は、過去の俺が求めてやまなかったものそのものだった。
「俺とニタが翼を売りにいくから、お前は帰っていい」
「……ああ」
しかし偽りなのだ。姉は死んだのだ。
その証拠に、天使は過去の姉とそっくりなのであって、現在の姉ではない。
「……」
俺は二度も姉が死ぬのを見ていられなかった。ただ、それだけだ。出ていきたくなったら出ていけばいいし、居たければいればいい。
そう自分に言い聞かせながら、俺は天使を抱え、静かな森を歩いた。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
水鳥のスープを器に注いでスプーンと一緒に手渡すと、天使はそれを払いのけた。
床から湯気が立ちのぼり木の器がカラカラと音をたてる。瞳には恐れの色がありありと窺えた。
無理もない。大切な翼をもがれたのだ。人に恐怖を覚えたのだろう。
こうなることは予想していたが、姉の姿を持つ彼女に拒絶されるのは、想像以上に、ひどく俺の胸を痛ませた。
だが後悔はない。生きるために天使を狩るのは仕方ないことだ。ヤツらは人間じゃない。鳥と同じなのだから。
喋ることも出来ない。そのくせに人間に警戒心を持たない…だから狩られる。
美しい翼から万能薬が生まれる、それを誰かが見つけて以来、彼らは狩られ続けた。
人の為に……。
「なあ、少しでいいから食べないか?」
床を拭き、新しい容器にスープを注ぐ。慣れない料理に自信なんてなかったが食べて欲しかった。彼女がシーラ姉さんの服を着ていると、姉さんが帰ってきたとしか思えないほど似ているのだ。
「……」
温かいスープをまた差し出す。
ベッドの上でうずくまりながら、天使は無表情でそれを見ていた。
「シーラ姉さん……」
半ば無意識に呟くと、思いがけない反応が返ってきた。
「……ら……」
声。
天使が、
「し……ら……?」
声を、発したのだ。
天使の鳴き声や音に近い悲鳴なら、数限りないほど聴いたことがあったが、そのどちらとも違った。
「喋れるのか、お前は?」
「……しーら」
彼女は不思議そうな表情をした。俺は天使の口元を見つめていた。
喋れるわけがないと思っていた天使の口から言葉が発せられたことは、それまでの俺の天使というものに対する考えを一掃するほどの衝撃だった。
「これじゃあ、まるで……に、人間じゃないか……」
「……?」
「お前らは喋れないんじゃなかったのか? だた、人のカタチを真似ただけの獣…」
「……ケ……モノ?」
言葉を理解している訳ではないみたいだが、これなら、しばらくすれば話せるようになるだろう。俺たちが他の国の言葉を覚えるのと同じ…。
途端に罪悪感が俺を支配した。
無いはずのそれが、存在しなかったモノが激しく胸を叩く。
俺は今まで人を殺してきたのか? 人を!?
「……」
突然、天使が立ち上がった。
悲しそうな表情で、俺の肩に手を置く。俺はその手を乱暴にふりほどき、壁に向けて突き飛ばした。
「触るなっ!!! お前は人間じゃないんだよ!!!! 鳥の仲間のくせにシーラ姉さんに似てるからって調子に乗るな!!!!! 俺が、俺が助けてやらなきゃ死んでたんだからな!!!」
咳き込んだ天使は俺の言葉に身を震わせたが、再び近寄ってきた。その目は、まっすぐ俺に向けられていた。
「近寄るなって言ってるだろ!!!」
「……しーら?」
半歩ほどの所まで近寄ってきた天使に、俺はこぶしを振り上げた。だが、下ろすことは出来なかった。不意に、彼女の手が俺の手元にのばされる。
彼女は俺の手からスープの入った器を取り、おもむろにそれを飲みだした。
一気に飲み干し、俺に笑ってみせた。
「……ば、ばかだな……お前……」
「……バ……カ?」
天使はきょとんとした顔で聞き返した。
「……違う、違うんだ。スープを飲んでくれないから怒ったわけじゃない」
俺は彼女を抱きしめていた。
強く、強く、彼女の無垢な温もりにしがみついていた。先程までの苛立ちと不安と恐怖は次第に薄れ、彼女への愛おしさだけが胸に広がった。
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