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第2話 翼
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「ねえ、アース。ホントにあのシーラじゃないのかい?」
「姉さんの葬式には婆ちゃんも来ただろ? 似てるけど別人だって」
天使と過ごすようになってから、ひと月が経とうとしていた。
彼女は一週間ほどは怖がって家から外に出ることができずにいたが、ついに不安を好奇心が上回り、最近では一人で街なかを歩くことさえ平気になっていた。
言葉同様に天使には名前など存在しないらしく、俺は彼女にシーラという名をつけることにした。
他に、ふさわしい名前など見つかるはずもなかった。
「あたしには信じられないね。あの子はシーラだよ、でなきゃシーラの生まれ変わりにきまってる」
「婆ちゃん、昨日も同じこと言ってたけど……」
正確にはシーラがここに通いはじめた日から、毎日だ。
「……だって、名前もシーラなんて偶然とは思えないじゃないか。いちおう頭ではわかってるんだ、シーラじゃないって。けど……だけどね、あの子が帰ってきたとしか思えないのよ、あたしには」
「ああ、俺もそう思うよ」
シーラは驚くほどの早さで言葉を覚え、すでに違和感なく日常会話をこなしていた。誰の目にも人間としか映らない。いつの間にか、俺も彼女を人間としてしか見なくなっていた。
「ただいまー」
買い物にいっていたシーラが帰ってきた。
「ただいま。アース、お婆ちゃん」
二人でおかえりと言うと、満面の笑みでシーラが応じる。
「ねえねえっ、お婆ちゃんこれ見て」
「……なんだい?」
「おまけして貰っちゃった」
両手一杯に野菜やら果物の入った袋を持ち、シーラは嬉しそうに笑った。
「よかったわねぇ、シーラ。ちゃんと材料は買えたかい?」
「うん、お婆ちゃんの書いてくれたメモがあったから大丈夫だった」
俺は重そうに抱えている袋を取り上げ、
「これだけで、いいのか?」
「うん、二人で食べるだけだから。あんまり買いすぎると、せっかくの新鮮な材料が食べる前にダメになっちゃうし」
「それじゃ、帰るか」
「お婆ちゃん、今日もありがとうございました。もっと練習してお婆ちゃんと同じ味が出せるように頑張るわ」
「ああ、頑張るんだよ」
俺とシーラは、婆ちゃんの家を出た。
「……」
「どうしたの?」
「言葉、本当にうまくなったな」
「アースが教えるの上手だからよ。それにまだまだ知らない言葉もたくさんあるから、もっと勉強しなくちゃ」
「そうだな。あと、」
「私が天使だって事、知られちゃいけないんでしょ?」
「ああ。どう見ても人間にしか見えないから大丈夫だと思うけど、気をつけないとな」
「でもどうして?」
翼を失った天使の末路――。
男は一般の人たちの目の見えない部分で奴隷のように使われ、犬や猫よりも下等なものとされ、迫害、嫌悪の対象となった。女も同様、時には物好きの快楽の道具として、商品とされることもあると聞いたことがある。
だが、俺たちのグループは、翼を奪った後は何もせずに立ち去ることにしていた。だから、彼らがどうなったのか知らないし、知りたくもない。今回のシーラのような事は初めてだった。
「……みんな、天使が嫌いなんだよ」
俺はそう呟いた。
どんなに姉に似ていようが、言葉を喋れようが、関係ないのだ。天使と知った瞬間、皆の表情は一変するだろう。生前の姉をすごく可愛がっていたライザ……婆ちゃんだって二度と家に入れてはくれない。
そういうものだ。人は、人でない物が人のカタチをしていることが気に入らないのだ。
でも、俺は……。
例えそうなっても、俺だけは彼女の味方でいようと思う。
「他のことはどうでもいい、それだけは絶対に守って欲しい」
「うん、わかった。アースがそう言うならそうする」
シーラが虐げられる姿など見たくない。そんなことは誰にもさせない。
「さあ、帰るか」
「うんっ」
鮮やかな夕日を頬に受け、俺とシーラはなだらかな丘を歩いていた。楽しそうに腕を巻き付けてくるシーラの体温が伝わってくる。懐かしい。いや、彼女といて気持ちが高ぶるのは、それだけではないのかもしれない。
「空、キレイだね」
「……」
不安。
「空を飛ぶのってすごく気持ちがいいのよ。アースにも味わって欲しいくらい……とっても、とっても幸せな気分になれるの」
不安で、心が埋まった。
「もう、私……二度と飛べないんだよね」
いつかシーラが俺の前からいなくなってしまう気がした。
「帰りたいのか?」
「いいの。無理だってわかってる。今、毎日がすごく楽しいの。街のみんながいて、アースがいて、天使なのを隠すのはちょっと嫌だけど、しあわせだよ」
「……」
「ほんとうに、しあわせだよ」
そんな、彼女の精一杯の言葉。俺はその言葉に対して、何も示すことができなかった。罪の意識が日に日に俺を塗りつぶそうとしていた。
今日も、天使を狩る。
この仕事を辞められない理由が俺にはあった。
彼女に不自由をさせないためにも、決して聞き慣れることのない天使たちの悲鳴をまた心に刻む。シーラを騙していることになろうとも、やめるわけにはいかなかった。
見つかってはいけない。知られてはいけない。
そのことだけが、俺の頭の中を目まぐるしく駆けめぐっていた。
「仕事頑張ってね」
「なるべく早く戻るよ、ちゃんと鍵をかけて寝るんだぞ」
「うん。おやすみ、アース」
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
幸せが永遠に続くことなんてあり得ない
終わりが来るのだ
別れが来るのだ
明日か、来年か、10年後かはわからない
今日……かもしれない
あんな思いはたくさんだ
姉さんが、死んだ
俺は、何もできなかった
誰にでも優しかった姉さんは
最後まで、呆れるほど優しくて
ささやかな夢を語って
静かに、目を閉じた……
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
シーラとの生活。
まるで、欠けていた心の一部を返されたような感覚だった。
夢の中にいるように幸せで、同じ明日を信じて疑わない日々が続いた。
シーラがどれくらい幸福を感じていたか分からなかったが、俺にとっては人生の中で一番、震えるほど嬉しい時間だった。
ある、やや冷え込んだ日の朝。
こんなことが起こるとは考えてもみなかった。
彼女も同様だったようで、信じられないといった表情で俺を見つめていた。
背中から広がる純白の翼。
シーラは、再び、天使となったのだ。
「姉さんの葬式には婆ちゃんも来ただろ? 似てるけど別人だって」
天使と過ごすようになってから、ひと月が経とうとしていた。
彼女は一週間ほどは怖がって家から外に出ることができずにいたが、ついに不安を好奇心が上回り、最近では一人で街なかを歩くことさえ平気になっていた。
言葉同様に天使には名前など存在しないらしく、俺は彼女にシーラという名をつけることにした。
他に、ふさわしい名前など見つかるはずもなかった。
「あたしには信じられないね。あの子はシーラだよ、でなきゃシーラの生まれ変わりにきまってる」
「婆ちゃん、昨日も同じこと言ってたけど……」
正確にはシーラがここに通いはじめた日から、毎日だ。
「……だって、名前もシーラなんて偶然とは思えないじゃないか。いちおう頭ではわかってるんだ、シーラじゃないって。けど……だけどね、あの子が帰ってきたとしか思えないのよ、あたしには」
「ああ、俺もそう思うよ」
シーラは驚くほどの早さで言葉を覚え、すでに違和感なく日常会話をこなしていた。誰の目にも人間としか映らない。いつの間にか、俺も彼女を人間としてしか見なくなっていた。
「ただいまー」
買い物にいっていたシーラが帰ってきた。
「ただいま。アース、お婆ちゃん」
二人でおかえりと言うと、満面の笑みでシーラが応じる。
「ねえねえっ、お婆ちゃんこれ見て」
「……なんだい?」
「おまけして貰っちゃった」
両手一杯に野菜やら果物の入った袋を持ち、シーラは嬉しそうに笑った。
「よかったわねぇ、シーラ。ちゃんと材料は買えたかい?」
「うん、お婆ちゃんの書いてくれたメモがあったから大丈夫だった」
俺は重そうに抱えている袋を取り上げ、
「これだけで、いいのか?」
「うん、二人で食べるだけだから。あんまり買いすぎると、せっかくの新鮮な材料が食べる前にダメになっちゃうし」
「それじゃ、帰るか」
「お婆ちゃん、今日もありがとうございました。もっと練習してお婆ちゃんと同じ味が出せるように頑張るわ」
「ああ、頑張るんだよ」
俺とシーラは、婆ちゃんの家を出た。
「……」
「どうしたの?」
「言葉、本当にうまくなったな」
「アースが教えるの上手だからよ。それにまだまだ知らない言葉もたくさんあるから、もっと勉強しなくちゃ」
「そうだな。あと、」
「私が天使だって事、知られちゃいけないんでしょ?」
「ああ。どう見ても人間にしか見えないから大丈夫だと思うけど、気をつけないとな」
「でもどうして?」
翼を失った天使の末路――。
男は一般の人たちの目の見えない部分で奴隷のように使われ、犬や猫よりも下等なものとされ、迫害、嫌悪の対象となった。女も同様、時には物好きの快楽の道具として、商品とされることもあると聞いたことがある。
だが、俺たちのグループは、翼を奪った後は何もせずに立ち去ることにしていた。だから、彼らがどうなったのか知らないし、知りたくもない。今回のシーラのような事は初めてだった。
「……みんな、天使が嫌いなんだよ」
俺はそう呟いた。
どんなに姉に似ていようが、言葉を喋れようが、関係ないのだ。天使と知った瞬間、皆の表情は一変するだろう。生前の姉をすごく可愛がっていたライザ……婆ちゃんだって二度と家に入れてはくれない。
そういうものだ。人は、人でない物が人のカタチをしていることが気に入らないのだ。
でも、俺は……。
例えそうなっても、俺だけは彼女の味方でいようと思う。
「他のことはどうでもいい、それだけは絶対に守って欲しい」
「うん、わかった。アースがそう言うならそうする」
シーラが虐げられる姿など見たくない。そんなことは誰にもさせない。
「さあ、帰るか」
「うんっ」
鮮やかな夕日を頬に受け、俺とシーラはなだらかな丘を歩いていた。楽しそうに腕を巻き付けてくるシーラの体温が伝わってくる。懐かしい。いや、彼女といて気持ちが高ぶるのは、それだけではないのかもしれない。
「空、キレイだね」
「……」
不安。
「空を飛ぶのってすごく気持ちがいいのよ。アースにも味わって欲しいくらい……とっても、とっても幸せな気分になれるの」
不安で、心が埋まった。
「もう、私……二度と飛べないんだよね」
いつかシーラが俺の前からいなくなってしまう気がした。
「帰りたいのか?」
「いいの。無理だってわかってる。今、毎日がすごく楽しいの。街のみんながいて、アースがいて、天使なのを隠すのはちょっと嫌だけど、しあわせだよ」
「……」
「ほんとうに、しあわせだよ」
そんな、彼女の精一杯の言葉。俺はその言葉に対して、何も示すことができなかった。罪の意識が日に日に俺を塗りつぶそうとしていた。
今日も、天使を狩る。
この仕事を辞められない理由が俺にはあった。
彼女に不自由をさせないためにも、決して聞き慣れることのない天使たちの悲鳴をまた心に刻む。シーラを騙していることになろうとも、やめるわけにはいかなかった。
見つかってはいけない。知られてはいけない。
そのことだけが、俺の頭の中を目まぐるしく駆けめぐっていた。
「仕事頑張ってね」
「なるべく早く戻るよ、ちゃんと鍵をかけて寝るんだぞ」
「うん。おやすみ、アース」
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
幸せが永遠に続くことなんてあり得ない
終わりが来るのだ
別れが来るのだ
明日か、来年か、10年後かはわからない
今日……かもしれない
あんな思いはたくさんだ
姉さんが、死んだ
俺は、何もできなかった
誰にでも優しかった姉さんは
最後まで、呆れるほど優しくて
ささやかな夢を語って
静かに、目を閉じた……
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
シーラとの生活。
まるで、欠けていた心の一部を返されたような感覚だった。
夢の中にいるように幸せで、同じ明日を信じて疑わない日々が続いた。
シーラがどれくらい幸福を感じていたか分からなかったが、俺にとっては人生の中で一番、震えるほど嬉しい時間だった。
ある、やや冷え込んだ日の朝。
こんなことが起こるとは考えてもみなかった。
彼女も同様だったようで、信じられないといった表情で俺を見つめていた。
背中から広がる純白の翼。
シーラは、再び、天使となったのだ。
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