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第一章

第23話 重なる魔女とハンナ

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「ここから先は若い御二方だけで庭園でも散歩なされてはいかがですか?」

 そう口にしたルイスに促され、俺とハンナは庭園へと場所を移した。

「夕食の準備が整いましたら、またお声掛けさせて頂きます」

「ルイスさん。 どうも、ありがとうございました」

 頭を下げるハンナにルイスもまた一礼で返し、そのまま一直線に俺の方へと歩み寄って来たルイスは俺の耳元で囁くようにこう言った。
 
「ハンナ嬢、とても素敵な方ではありませんか」
 
「…………」

 ルイスの言葉に無視を決め込む俺に、ルイスは眉を顰めて更に言う。

「明日の花嫁に対してくれぐれも泣かせるような事が無いようお願いしますよ」

 その言葉を最後に、ルイスは屋敷の中へと入っていった。

 ……はぁ。

 俺は隣のハンナに聞こえないよう、小さい溜め息を吐いた。

 やれやれ、全くいい加減にして欲しいものだ。
 父といい、このルイスといい、一体なんの嫌がらせのつもりなんだ?

 俺は結婚はもとより、そもそも女性が苦手だ。

 『2人きり』、あの独特な空気感は俺の体を強張らせ、変な汗が吹き出てくる。

 特に、おとなしめの女性が相手だった場合なんかは悲惨で、ただでさえ口数の少ない俺と揃えば、その場の空気は重苦しい沈黙に包まれる。

 故に、どちらかと言えばよく笑いよく喋る、そんな天真爛漫な――そう、魔女のような………………。

 ここでも俺は性懲りも無く、いつものように魔女の幻想を見る。

 少女のように無邪気に笑う魔女のキラキラとした笑顔が頭の中で鮮明に浮び上がり、そして、猫だった頃に魔女から掛けられたあの言葉が脳裏に響く。

『――もしも、クロが猫じゃなかったら……そしたら、クロは私をお嫁さんにしてくれる?』

 あの魔女の事だ。どうせ、深い意味も無く、何気なく口にした言葉だったに違いない。
 でも、そう思いながらも俺は、今尚この言葉に縋り、囚われ、儚い幻想をあの時からずっと頭に想い描いている。
 俺と魔女との幸せな結婚生活――そんなあり得ない光景を馬鹿みたいに今でも……。

 せめて……あの、たった一言さえ無ければ……

 そしたら、俺が魔女に、ここまで囚われる事も無かったのかもしれない。

「――ヴィルドレット様?」

 回想にふけていた俺を覗き込むようにして声を掛けてきたのは、隣りを歩くハンナだ。

「大丈夫ですか? なんだか、心ここに在らずといった様子でしたけど?」

 小首を傾げるハンナ。

「いや……何でもない……」

 俺はハンナの声掛けに対し、前を向いたまま軽く答え、ハンナもそれを受けて「そうですか……」と、顔を無表情に直して、前へ向き直った。

「――――」

 重苦しい沈黙の中、俺とハンナの視線上には丁度、沈みかけの太陽が黄金色に輝き、その光の影響で庭園の中央にある噴水の水もキラキラと輝いていた。

「……綺麗な夕日ですね……」

「そうだな」

 横目でちらっとハンナの顔を覗くと、その美しい光景に見惚れているのか、柔く微笑んでいた。しかし、そんな情緒ある表情も、

「あ、猫!」

 突然上がった声と共に崩れ、今度は少女のようなキラキラとした笑顔で中腰に、両手を広げ「おいでー、おいでー」と、のそのそと歩み寄るその先には、噴水の影からひょこっと顔を覗かせた一匹の灰色の猫がいた。

 近づくハンナに対して猫は逃げるどころか、逆に歩み寄っていく。

「捕まえたー!!」

 ハンナは猫の前脚の脇に素早く手を回し、そのまま勢いよく自分の顔の高さまで抱き上げた。

 にこにこと満面の笑顔で猫を見るハンナの姿はまるで、かつての俺が同じ様に抱き上げられている時の魔女と重なり、懐かしいような、愛おしいような、切ないような……そんな複雑な想いが心の中で湧き立った。

「猫、好きなのか?」

「はい! とっても!!」

 視線を猫から俺に移し、答えたハンナの顔には、どれ程の猫好きなのかが分かるくらいのキラキラとした笑顔が張り付いていた。 
 そして、それを計り知るに丁度良い比較対象も、俺は知っている。 

 そう。『魔女くらい』だ。

 ……まただ。

 ハンナと邂逅してから僅か数時間の間に一体何度、彼女と魔女を重ねた事か。

 俺はそう心の中で溜息と小言を並べる。

「そうか」

「この猫の名前は何ですか?」

 どうやらハンナはこの猫をウチの飼い猫だと思っているらしい。

「名前など無い。野良猫だ。 一応な」

「一応?」
 
 疑問符を浮かべた表情で小首を傾げるハンナ。

「餌だけ与えていてな。食ったらすぐに何処かへ行ってしまう」

 ハンナは高い位置で抱き上げていた猫を自分の胸の所に抱き抱える形へと手慣れた動作で変え、そして猫の背中を優しい手つきで撫で始めた。

「なるほど。肉付きが良いのはそのせいですね。心なしか毛並みも綺麗で、とても野良猫とは思えませね。食べてる物が良いって事ですね……て、ぉわっ!?」

 それまでおとなしくハンナの胸で収まってた猫は突然勢いよくそこから飛び降り、スタスタと歩き出したその先にあったのは丁度ルイスが屋敷から出てくるところだった。

「御坊ちゃま、ハンナ様。夕食の準備が整いました。屋敷へお戻り下さいませ」

「あぁ。分かった」

「分かりました」

 お辞儀をするルイスの手あるのは銀色の器。中には昼食で出された白身魚が入っている。猫に与える餌だ。

 ルイスは俺とハンナが歩く歩道から外れた芝生の上に餌を置くと、猫はゆっくりとそれに歩み寄り、いつものように慌てる事無く、ふてぶてしい程の態度で食べ始めた。

「……ふふ」

「?」

 猫が食事する様子を見ながらハンナが笑い、それに対して俺は疑問の表情でハンナを見る。その顔を見てハンナは、

「昔、私と一緒に暮らしてた猫にそっくりだな、と思って」

 そう言いながら……何というか、慈愛に満ち溢れた、とでも言っておこうか。そんな、表現し難い微笑みを浮かべていた。
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