上 下
32 / 84
第一章

第32話 ハンナの前世の記憶

しおりを挟む
「ねぇ、クロ。 私って、人間じゃないないんだ。 知ってた?知らないよね」

 黒くフサフサとした背中を撫でながら私は語り掛けるようにして呟いた。もちろん、クロからの反応は無い。床で背中を丸くしているだけだ。

 果たしてクロに、私の言う事が伝わっているのだろうか? 

 そんなあり得もしないような事をわざわざ考えてしまう程に私は言葉が交わせる相手に飢えていた。

 私の心は常に冷え、どうしようもない侘しさにもがき苦しみながらただただ孤独に……クロだけを頼りに生きている。

 私は、私をそんな風に作った女神様の事を恨んでいる。

「私はね。女神様によって作られた存在で、この世界を壊す事が私の使命で、それ以外に存在意義なんて無いんだってさ……」

 だったら……いっその事、そんな馬鹿げた使命を何の躊躇もなくやってしまえるような残酷非道な思考回路しか持たない、ただの殺戮人形のように私を作って欲しかった。

「……ただの殺戮人形で良かったのに……何であるんだろうね。私に、こんな『寂しい』なんて感情が……」

 寂しいだけならまだしも……

「……どうしてこんな願望まで抱いちゃうんだろう……こんなの辛いだけだよ」

 私は『人』に強い憧れを抱いている。

 人は皆、互いに助け合い、支え合い、愛し合いながら人同士の交わりの中で生きている。私もそんな風に生きてみたい。人が羨ましい。

 人を殺す事を使命に持つ私のような存在が、こんな事を思う事自体、烏滸がましい事だと自分でも思う。でも、私の中から湧き上がってくる本望は抑えきれず、ただただ膨張していくばかり。

 嫌われながら一人寂しく過ごす日々は辛い。辛過ぎる。もう嫌!もうたくさん!孤独は嫌!嫌わられながら生きるのも嫌! 

 私は人として生きてみたい。愛されて、誰かと交わりながら生きてみたい。 もっと言えば結婚してみたい。

 しかし、人から疎まれる存在の魔女の私には、こんな夢物語はもはや雲を掴む方がよっぽ簡単なのでは?と、そう思ってしまう程にあり得ない事だった。

「……だけど思っちゃうんだよね。馬鹿みたいに。 愛されるってどんな感じなんだろう、って。 きっと幸せな事なんだろうなぁ」

 そう言いながらクロを抱き上げ、クロの顔を見る。

「…………」

 こちらを見つめるクロのこのつぶらな瞳に私の心はどれほど救われている事か。もはや計り知れない。

 孤独で、寂しがり屋の私にとって、唯一癒しを感じさせてくれるクロ。
 だけれど、言葉を交わせない事への虚無感は埋まらない。

「……クロ。私を助けて……そして、クロが私の旦那さんになって?」

 私にはクロしか居ないから、だからクロに対してこんな戯言をよく口にしてしまう。
 でも、それを戯言としている一方では、本当にクロが人間だった場合の架空の人物像を私の中で形成しているような気がする。
 そして、それはきっと私にとっての理想の人物像なのだろうと思う。

 ふわっと、私の目に映るクロの顔がぼやけて意識が浮上していく。



 ――あぁ。 夢か。
しおりを挟む

処理中です...