盟約の花婿─魔法使いは黒獅子に嫁ぐ─

沖弉 えぬ

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「光の魔法と黒の呪い」前編

4馬闘祭

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「プタール・グリなら十年は牢から出られないだろうって話ですね。本当なら極刑ですよ。でもまぁ、相手はあのしょう族ですからどうなるやら」
「人身売買を行っていたえん族の拠点はほとんど見つかってます。アスラン様が奔走したおかげですね。あちこちに軍を派遣してるんで猿族にとっちゃひとたまりもないですよ」
「あ、午後は種族院の会議なので俺とアスラン様は会議の間に行きますね」
 名はマーサム、歳は十八、種族はたぶん犬。茶系の髪に黒い毛が束になって生えており、後ろを短く刈りあげている。背は高い。アスラン同様筋肉質な体つきは鍛えているものかも知れない。
 猫族のケディはじっとしている時は本当にじっとしているが、一度動き出すと忙しなくちょこまかしている。一方マーサムはどんな時でもせかせかしている様子がなくて落ち着いて見えるのだが、その振る舞いにはどこかぎこちなさを覚える。敢えてゆったりと振る舞おうと意識しているようなわざとらしさを感じるのだ。
 それでもティキが彼を推薦した理由はよく分かる。マーサムは優秀だった。訊ねれば大抵の事は答えが返ってくるし、完璧とは言わないまでも問題なくティキの仕事をこなしていた。
 問題は、ケディが全身全霊をかけてマーサムを避けている事だ。ティキを含めた三人は同じ王立孤児院出身なのでティキが二人の確執を知らなかったという事はないだろう。抜け目のないティキの事なので何か意図があっての采配に違いない。
(犬族かぁ……)
 ピンと閃くものがある。王室御用達の機械マキネ技師ルカの機械工房を訪れた時の事だ。彼の自称愛弟子であるクルトという青年がいるが、彼は犬科である狼の亜獣人だった。
『犬だ……犬だぁー!!』
 半分寝ぼけていたケディは一気に目を覚ましてカルディアの背中に隠れてフーッフーッとクルトを威嚇していた事を思い出す。
 もしかしてケディは、大の犬嫌いなのだろうか。
「あのさマーサム──」
 バンッと音を立てて執務室の扉が開く。言葉を遮られたカルディアと呼びかけられたマーサムの視線がそちらに向かうと、扉の向こうからいきり立った様子のケディがアスランの方にずかずかと歩いていく。
「アスラン様、隊からの伝言。猿族の拠点の掃討が一段落したから折を見て兵舎に来てくれって」
「分かった」
「次は?」
「無い。ここでマーサムの仕事を手伝え」
 途端に口をへの字に曲げて渋い顔をするケディ。視線が右に行ったり左に行ったりキョロキョロしたかと思えばポンッと手を打ち「俺お使い頼まれててー!」と見え透いた嘘を吐く。
「はぁ」
 溜め息。アスランからその音が鳴るのは珍しい事ではないが、自覚があるだけにケディはいつものようにおどけてお茶を濁す事は出来なかった。
「いい加減にしろ」
 凄みを持たせた低音に、ケディの尻尾と耳が総毛立つ。一喝されたケディはすごすごと下がってカルディアの向かいに腰を下ろしたが、ぶすっと頬を膨らませて頬杖をついて不満を隠さない。
(ティキ……何でマーサムを呼んじゃったんだよ……!)
 今頃どこかでクファルと旅するティキに三回くしゃみの呪いよ届けと彼への愚痴を胸に納める。
 マーサムはどこ吹く風で自分の仕事を着々と進めているのでこれがまた性質が悪い。傍から見ている分には一度腹を割って話すべきだと思うが、本人たちにとってはそうもいかないからこうなっている訳で。
 結局カルディアに出来る事はないのであった。




 ケディとマーサムの確執は一向に解消される兆しはないものの、暑さの加速は止まらない。一体いつになれば秋が来るのかと気の早い事を言うカルディアにケディは衝撃的な事実を告げる。
「あと二月くらいは暑いかなぁ」
 しゅるしゅると全身から力が抜けてぐったりと背凭れに倒れかかるとカルディアの視界に広場を見下ろす獅子の王の姿が映り慌てて飛び起きた。シリオの元首、ジェサーレ・ジェシアフその人だ。項垂れている場合ではない。今日は楽しみに待っていた馬闘祭当日である。
 ジャナヴァラ城から北に伸びる大通りを真っすぐ北上し、途中東に道を逸れて更に行くと視界を狭めていた建物が一斉に姿を消して大きな広場が現れる。ここがジャナヴァラで催される祭りの会場となるカーレ広場だ。
 カーレ広場は古い闘技場であるコロッセオを模して造られたものでまさに景勝地に相応しい場所だ。現在、円形に造られた客席の中央に次々と馬に乗った戦士たちが集まって来ていた。祭りに参加する選手たちは軍の厩舎から貸し出される馬に乗って町の中をぐるりと一周してきた後に続々とカーレ広場に入場してくる。
 カルディアは客席より一段高い王族席にケディと共に座っている。さしものケディも従者がこの席に座るのはと怯えていたが、クファルは不在でアスランが選手として出場すると王族席にはカルディアの他にはジェサーレしか居なくなるのだから仕方がない。後生だからどうか隣に居てくれと頼むと、このところの負い目もあってかケディは渋々了承した。
 わっと歓声が上がるのを聞きつけカルディアは広場の入り口を見遣る。歓声の渦の中心に満を持して登場したのはアスランだ。
 王太子自らが馬闘祭に出場すると聞いて広場の観客席はぎゅうぎゅう詰めである。見たところ獅子族以外の姿も多くあるので、風の噂で聞きつけた剣闘好きがジャナヴァラに見物にやって来ているのだろう。
 初めてジャナヴァラを訪れた日の事を思い出す。あの時、アスランはフードを目深にかぶってひっそりと城へ帰還した。王太子が伴侶を連れた目出度いはずの帰還は何故か秘密裡に行わなくてはならないようだった。
 その理由は今でこそ分かる。カルディアを襲わせないためにだ。他にも考えられるとすればクファルの事か。
 ジェサーレ、アスラン、クファルの関係性が、過去が、果たして民にどのようにして伝わっているのかをカルディアは知らない。だが、皆クファルの正体については知っているのだろう。
 アスランを快く思わない民はカルディアが想像するよりきっと多く居る。そうした民衆にとってはアスランの慶事は真逆の意味を持ってしまうのだ。民に歓迎されないと分かっていたからこそ、アスランたちは花嫁道中を大々的に行わず密かに済ませる選択をせざるを得なかった。
 今アスランがこうして民の歓声を受ける背景にはやはりクファルの国外追放の事があるのだろう。クファルの悪事は民に知らしめる事なく水面下で処理されたのだが、屋根に出来た隙間から雨が染み出してくるように、不祥事とはどこからともなく噂として広まってしまうものなのだ。
 今のアスランの評判は、クファルの起こした事件を解決し誘拐されていた被害者たちを助け出したさしずめ英雄といったところか。アスランへの歓声を何となく喜ぶ気持ちになれないのは、クファルの生い立ちを知ってしまったからだろう。
「馬闘祭みたいに血の気の多い連中が集まる祭りはさ、小難しい事考えないではしゃぐのがコツだぜカルディア様」
 気持ちが顔に出ていたのだろうか。さり気なく励ますように言われ、広場を見る事に集中する。視線の先にはアスランがまさに剣を持った右手を掲げるところで、客席から怒号じみた雄叫びが轟いた。
「強いは正義。分かりやすくてオレは好き。ま、オレは非戦闘員の猫だけど」
 いかにも亜獣人らしいケディの言葉に、しかしカルディアは同意出来なかった。正義が何かなどカルディアはこれまで考えてきた事がなかったのだ。
 シリオ武獣国はその名の示す通り武の国である。己の肉体で戦いシリオという国を作り上げた亜獣人たちの肉体的強さがその名に刻まれている。
 フォトス魔法国はもちろん魔法使いの興した国で、文明国は剣と機械技術の国だ。クリーノス公国とトリンタフィーロ王国は共に文明国家を自称して、剣で守り機械技術という文明の力で発展させてきた。
 それぞれの国に、それぞれの考え方がある。その中でもフォトスに生まれ育ったカルディアは、争いとは無縁の日々を生きてきた。
 正義とは何か。カルディアは想像も及ばないが、ケディは強さだと言う。
「……やっぱ出んのかよ」
 考え込んでいたカルディアの隣からケディの呻くような声がした。何事かと思ってケディの視線を追うとそこには馬に跨るマーサムの姿。
「マーサムも出るんだね。ケディ知ってたんだ?」
「し、知らない!」
 てっきり二人は全く言葉を交わしていないと思い込んでいたがカルディアの知らないところで交流はあったようだ。
「でも勝てないよどーせ」
「本当マーサムの事になると冷たいよね」
「別に勝てないってのはマーサムだからって訳じゃなくてさ」
 呆れた様子で膝の上に肘を置き、更にその上に顔を乗せて嘆息する。
「勝てっこないんだ。参加者自由なんて言ってるけど、ほとんどが現役の兵士か、そうじゃなけりゃ退役軍人だもん」
 呆れて言う割には目でマーサムの駆る馬を追っているし、あんなにも避けるくせに関心を隠し切れていない。犬嫌いでもなければマーサムを完全に嫌っているわけでもない様子だ。
「もしかして心配してる?」
「し……っ」
 してない、と返したケディの声は弱々しく本意ではないことは明白だ。イライラとケディの靴が地面を叩く音は、面倒そうに崩した姿勢とは裏腹に今にも広場に行きたがっているように聞こえる。
「もう少し前の方に行く?」
 王族席にはたった三人しか居ないのでみっちり埋まった客席と比べると侘しいほどに隙間が空いている。一番下の段には念の為に兵士が配置されているが、そこまで降りたところでジェサーレはいちいち咎めはしないだろう。
 ケディの手を引き階段を降りて手摺りを掴んで身を乗り出すようにして会場を見下ろすと、中央に立った人間の表情が辛うじて見えるといった距離感だ。亜獣人は視力も良いので、ケディの目にはカルディアよりも更にはっきりと映っているだろう。
 アスランの姿を探していると、王族席の丁度反対側の客席の真下に立って待機しているアスランを見付ける。じっとそちらを見つめていると、アスランと目が合ったような気がした。ここからでは顔がこちらを向いている事しか分からないが、試しに手を振ってみると組んでいた腕を顔の横に上げて応えてくれる。
「最初はカルディア様とアスラン様っていがみ合ってたんでしょ? 俺が合流した頃にはそうでもなかったけど、ティキが感慨深そうにしてたよ。仲良くなりましたねーって」
 アスラン様が手振ってくれるなんてあり得ないよ、とケディ。彼の言う通りなので何も言えない。
「アスラン様は優秀な人だし、国の未来は安泰だなー」
 猫の尻尾がゆらゆら揺れる。リラックスしている時の仕草だ。少しは気持ちが落ち着いたようだがいつになく元気が無い。
「ケディは何になりたかったの?」
 耳がピクピクッと揺れて訝しげな顔を向けられる。「どういう意味?」
「僕の従者をやる以前から、そもそも使用人になったのも成り行きなのかなって」
 アスランはケディに甘い。カルディアにも甘いしティキの事はあれで頼りにしていたと思う。アスランは懐に入れた人間に対して厳しくなりきれない人なのだ。そんなアスランのおかげでケディは王宮を追い出されずに済んでいるだけで、ケディの仕事ぶりはとてもいい加減だ。アスランなら許してくれるという甘えもあるだろうが、見方を変えればケディは従者の仕事に執着が無いとも受け取れる。
「カルディア様って時々嫌んなるくらい鋭いよね」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよー」
 兵士になりたかったんだよね、と会場を見下ろしてこぼすように呟く。
「体は使えても獣化すると猫はほとんど役に立たないし、武器も下手くそ。だから諦めた。でもあいつは……」
 その言葉の続きは喧騒の中に消えていった。
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