盟約の花婿─魔法使いは黒獅子に嫁ぐ─

沖弉 えぬ

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「光の魔法と黒の呪い」後編

22乳兄弟

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「銀細工にガラス工芸、ですか?」
 あくまで材料が揃うまでの参考にといって仮縫いされた婚礼衣装を試着して、鏡に映った花文様を見てユリの花のブローチの事を思い出した。
「頼んだのはオレンジのラナンキュラスだよ。元々婚礼衣装に合わせて頼んだ物じゃなかったんだけど、アスランはそのつもりだったのかもって今ふと考えついちゃって」
 タルジは逞しい上腕二頭筋をきゅっと窄めて器用に針を通していく。着丈の長い真っ赤なドレスは本来なら刺繍を施して、腰帯を留めて着る。生地は絹で織ったベルベットを使うが無いものは無いのでリネンで代用してある。着心地から裾の広がり方からまるで違うので、これを婚礼衣装にする訳にはいかないという。
「オレンジ……なるほど瞳のお色と合わせたんですね! ガラス工芸ですかぁ。うわぁー見てみたいなぁ……!」
 分厚い瞼の下にある赤褐色の瞳がキラキラと輝く。タルジは服飾のみならず、装飾への興味も尽きないようで、装飾具も含めて婚礼衣装を用意しようとあちこち手を回しているらしい。オスマ曰く、タルジの納得のいく物が見つかるのが先か、王家の伝手に限界が来るのが先か、というこだわりぶりだそうだ。
「ひとまずこちらが獅子族の伝統の婚礼衣装です。形だけですが。もし馬に乗られるようでしたら丈を短くして、全体がゆったりとしたシャルワールをつけます」
「タルジ、勉強したんだね。最初は王族の婚礼衣装は分からないって言ってたから心配してたけど」
「と、とと当然です! 曲がりなりにも仕立物師を名乗るなら知らない事は徹底して調べませんと。ですが絹不足はやはり解消するのが難しいようです。私の故郷に遣いを出して頂き伝統の生地をいくらか買い付けてきてくださるようですが、その年によって色や柄もまちまちです。両殿下に気に入って頂けると良いのですが……」
 獅子族の伝統衣装ではなく大猩猩族の織物を婚礼衣装に使おうというのだから、改めて考えると我ながら大胆な提案だったと思う。
「一等良いものを作ろうよ。そして大猩猩族の織物の技術をみんなに広めるんだ」
「……はい! カルディアさま! タルジは一生懸命お二方に似合う衣装を考えますね!」
 それで少しでも大猩猩族の偏見がなくなれば良いと思う。猿族の近縁種だというだけでジャナヴァラのような都市部ではゴリラは敬遠されるという。大猩猩族に猿族へと協力したような過去はないのだから、婚礼衣装が彼らが大手を振って歩けるようになるための一助になれたらいい。
 獅子族の伝統衣装を作るのは腕が鈍らないようにするためと、クラム織物を使う時に少しでも獅子族の衣装に似せられる部分を探すためだという。せっかく縫った衣装だが、当日に身に付ける事はない。もったいないなぁと思っていると、廊下の方から誰かの走る足音が聞こえてきた。
「これは……誰だろう?」
「シデンだよカルディア様。今にそこの扉が開いて『ご報告します!』って真面目くさった顔で言ってくるから見てて」
 と、ケディが言い終わるのとほとんど同時に扉を開けてシデンが入ってくる。そして言うのだ。
「カルディア様、ご報告します!」
 思わずケディと見つめ合って吹き出す。タルジも布で顔を隠しているが肩が震えている。
「あ、あの、自分が何かしましたでしょうか?」
「違うんだ。ごめんねシデン。どうかしたの?」
「はい! 何でもカルディア様にお客人がいらしていると」
「僕に?」
「間違いありません。アスラン様からすぐにカルディア様を呼んでくるよう申し付けられました」
 今度はケディと目を合わせ、互いに首を傾げる。




 客と言われても当然心当たりはない。取り急ぎ普段の服に着替えて裁縫室を後にすると、『使節の間』へと急ぐ。手頃な小部屋ではなく使節の間に通されるという事はそれなりの身分か要人であるという事だ。俄かに緊張しながら部屋へ訪れると、数人の男たちがアスランと対面していた。
「僕に客人って……」
 カルディアは声を失った。
 カルディアの入室に気付いて振り返ったその人の顔には、あまりにも見覚えがあり過ぎた。驚くと同時に混乱する。
「ニーマ!!」
 驚きで止まっていた足はすぐに速度を上げて、最後は駆け足になってその人へと走り寄る。
「カルディア様、久しぶり」
「本当に、ニーマだ……。でも、でも、どうして……」
 カルディアの頭に浮かんだのは国にある掟の事だ。フォトスの人間は一度国を出たら二度と故郷の土を踏んではいけないという厳しい掟がある。それは王族であるカルディアさえ破ってはならないもので、カルディアはこの先一生家族に再会しない覚悟を持たなくてはならなかった。
 ニーマに会えて嬉しいという気持ちが止まらないと同時、動揺も募る。
「もちろんからくりがある。と言っても大したことじゃあないんだけどな」
 そう言いながらニーマはちらと横目にアスランの方を見遣る。彼の言う『からくり』とはフォトスの秘密に関わる事のようだ。
「フォトスにも外で活動する集団が居るんだ。俺はそれに加わったというだけさ」
「そう……そっか、うん。ニーマが決めた事なら僕は応援するよ」
 再会の握手をするとニーマがいたずらっぽく笑う。ああ、ニーマだと思うと漸く感情が追いついてきて段々と高揚していく。
「ねぇニーマこの国はすごいんだよ! 町の景色は見て来た?」
 興奮して言うとニーマが困ったように笑う。
「カルディア様、ここがどこだか忘れてないか?」
「あっ」
 使節の間に居た人間の視線を集めている事に気付き、いそいそとアスランの隣に移動する。アスランは今日も今日とて表情に乏しいのだが、気のせいでなければどことなく不満げにも見える。
 ニーマは他に五人のフォトス人を連れてジャナヴァラを訪れていた。皆腰に剣を差している。ニーマははっきりと言わなかったが十中八九、全員が〈濃魔症オヒマギア〉という病を患う、フォトス人でありながら魔法を使えない人たちだろう。彼らに外の活動を任せるその理屈は分かるが、どこか理不尽なものを感じてしまう。その上全員Ωだ。自分の経験を思い返すだに道中無事に来られたのか不安になった。
「俺たちはカルディア様の結婚式があるって聞いて駆け付けたんだよ。お祝いの品を持ってさ」
 ニーマを含めた六人は姿勢を正すと胸に手を当て目線を下げる。それから声を揃え「カルディア様、アスラン様両殿下の吉日をお祝いします」と祝福の言葉をくれた。
「ありがとう、みんな」
 今なら彼らの言葉を素直に受け取る事が出来る自分に気が付いて、興奮したり不安になったりと忙しかったカルディアの心も落ち着きを取り戻していく。森を出る日に散々泣いてニーマに取りすがった事も今では嘘のようだ。
「贈答品はマーサムという方にお任せしました。アスラン王子、厚かましいようですが、カルディア様と話をする時間を頂けませんか?」
 ふう、とアスランは溜め息めいたものを吐き出した。どうしてだろう、今日のアスランはどことなく元気が無いようだ。そうでなければ機嫌が悪いようにも見えて、陰影を深める端正な横顔を見上げる。
「……分かった。庭に席を用意させよう」
「ありがとうございます」
 終ぞカルディアの視線には気付かないまま、アスランはマーサムと合流して太陽の宮へと行ってしまう。取り残されたような気持ちになりながらもニーマに声を掛けられて、彼らを伴い中庭に向かう。




 獅子の象が中央に鎮座する噴水は、乾季の間は節水のために水は張られていない。燃料を使わずに水の重さと空気圧を利用した噴水で、水場から水が落ち切ってしまうと噴水は止まってしまう。雨季の間振り続ける雨水を利用したもので、乾季の終わりごろになると必然、貯水も減って乾いた獅子の石像を飾るばかりになる。しかしこれも魔法機械の技術が進めば水が循環するようになって、いつでも吹き出す水辺で獅子が優雅に寝そべる景色を作り出せるようになるのだとか。
 ニーマたちが持参した祝いの品は大量の魔法結晶だった。荷台に山と積まれたそれの価値は王侯貴族のように日常的に魔法具を使っている者にしか分からない。おかげで透明な石を積んだだけの荷台は賊に狙われたりすることなく無事王都まで運ぶ事が出来たと話し、旅の間に危ない目に遭わなかったかと心配するカルディアを安心させた。
「元気そうで良かったよ。みんな心配してたんだ。子供の時から盟約の事では文句を言わなかったカルディア様が婚礼の儀ですごく嫌がってたからさ。よっぽど獅子族の王子と合わないんだろうって。会議での態度も見てたしな」
 そんな事もあったなと数ヶ月前の自分を懐かしむ。アスランの態度は酷いものだった。カルディアの事は無視し、父はおろか国ごと見下して、口は悪いし無理矢理番うしで、お世辞にも良い思い出だとは言えない。だけどそこに嫌な感情はもう芽生えなくなってしまった。
「……上手く、いってるんだ」
 ニクスが気が抜けたように微笑む。
「うん」
 少し照れ臭くなって頬に手の甲を当てる。噴水が動いていたら風が頬を冷ましてくれたろうか。
「カルディア様、伝えなくちゃいけない事があるんだ」
 ニーマの供をしてきた他の五人は少し離れたところに控えていたが、二人の会話は聞こえる距離に立っている。五人のうち一番若そうな男が顔を強張らせて俯いた。気にかかる反応だったが、ニーマの次の言葉を聞いた瞬間カルディアは何も考えられなくなった。
「マーラ様が先月、亡くなられた」
「え……お、母様が……?」
 静かに首肯が返る。心臓はドクドクと脈打っているのに、頭の芯から熱が奪われていく。くらりと眩暈がして数歩よろめき、ニーマに肩を支えられながら噴水の縁に座り込んだ。
 病がちだったマーラは侍医にいつ何があってもおかしくないという宣告を受けていた。それでも最後に見た母の姿は自ら厨房に立てるくらいには元気だったせいで俄かには信じがたい。しかしニーマはこんな性質の悪い冗談を言う人ではないと知っていた。
「悲しませるだろうって分かってた。カルディア様には黙ったままでいようかって思ったけど、でも今を逃したら次は無いかもしれない。そしたらカルディア様この先ずっとマーラ様の事を知らずに過ごしていくのかと思ったら、伝えずにいるのは違う気がしたんだ」
 肩に置かれたニーマの手を取って、小さく「ありがとう」と震える声で伝える。
 知りたくなかった。だけど知らずにいれば良かったとは思えない。ただ、悲しい。二度と会えない覚悟を決めて国を出ても、もうあの優しい声をした少し天然なところのある母はもうどこにもいないのだと思うと、急速に息が苦しくなっていって、カルディアは顔を伏せ、声もなく涙を堪えた。
 今は泣きたくはなかった。ニーマが来てくれている。彼とて今回が本当に最後の機会になるのかも知れないのだから、今はニーマと過ごす時間を大切にしたかった。
 しばらくの間、誰も何も言わない静かで痛ましい時が流れる。やがて目元を赤くしたカルディアが顔を上げるとニーマの瞼が短く震え、薄く涙の膜が張った。
「言うべきじゃ、なかったな」
「そんな事ない、そんな事ないよニーマ。お母様はニーマやみんなに看取られて逝ったのでしょ?」
「……うん」
 泣きそうなニーマの肩を抱き寄せる。
「ニーマ、伝えてくれてありがとう。何より、君に会えて嬉しい。今はもっと、君の話を聞きたい」
 乾いた噴水の水盤の縁に並んで座り、お互いに少し無理して明るく話した。
 マーラはカルディアからの最後の贈り物であるラナンキュラスの花籠を受け取ったそうだ。柳で編んだ籠にいっぱい詰まったオレンジの花籠は姉のデイモナが定期的に魔法を掛け続け、マーラの最後を看取ると主の死を悟ったかのように翌朝窓辺で散っていた。
 悲しい報せばかりではない。兄のアビアストスには子供が出来たそうだ。アビアストスの妻が腹に二人分のディナミの気配を感じるというのでどうも双子らしいと吉報を国中に届けた。姉のデイモナも婚約が決まり、やがて城を出て城下で暮らす事になるという。
「俺だけ残ってしまったよ。って言っても、もう城から出てるから、そのうちフォトス城は陛下とアビアストス様方だけになるな」
「リルディの貰い手あるかなぁ、お転婆だから。でも、寂しくなるね。どうかイエルノに良いハンカチを贈ってあげて。あ、そうだ! 僕がこっちの物を見繕おう。みんなに持って帰ってくれる? ニーマ」
 ニーマはふと赤くなった目を伏せる。
 従兄弟同士だが二人の面差しはあまり似ておらず、カルディアは丸い輪郭と大きな目と銀の髪が特徴だが、一方ニーマはカルディアよりも幾分骨っぽく、眦が上向きに上がっている。髪は金色で目の色が銀だ。彼の瞳の色は〈濃魔症〉の証である。年老いてディナミの生成量が少なくなってくると、フォトス人の目は段々と白化していく。それでも同じ従兄弟であるアスランと比較すればよほどカルディアとの血縁は分かりやすいと言えた。
「……カルディア様、俺少し疲れたみたい。王宮に部屋を用意してもらえるって聞いたから、そっちで休む事にするよ」
「また、明日も話せるよね?」
 立ち会がったニーマは吹き出した。
「まるで子供の頃に戻ったみたいだな!」
「茶化さないでよ。そんなに長くはいられないでんしょ?」
 ニーマは笑顔を浮かべたようだが上手く形にならず消えていく。それから「またね」と言って供をしてきた者たちを連れて庭を去っていく。
 カルディアは少し離れたところに控えていたカティルとシデンを伴い太陽の宮へ向かいながらニーマの事を考える。
 彼は何かを隠しているような雰囲気があった。具体的に何がどうと言葉には出来ないが、長く一緒に暮らしてきた家族にだけ働く勘のようなものがそう言っている。ニーマが城の外で働き始めてからというもの、カルディアは彼の仕事は猟師なのだと思い込んでいた。城に来るたび獲物と一緒に森で採れる果物やきのこを籠に詰めてよく持ってきていたが、本当は濃魔症の者たちで構成されているという組織で外の活動をしていたのかも知れない。それが彼の隠し事だろうか。
 何かが腑に落ちないまま、カルディアもまた自分の仕事に戻っていく。
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