僕を閉じ込めてしまったあなたがくれた青色の櫂

沖弉 えぬ

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 手記の著者はクレティノという宿場町をよく経由した。クレティノに泊まった後に向かうのは決まってアンイェッタという港町だ。前回セラフィーノからアンイェッタの名が出てきた時、旅行記を没収されてしまった事を思い出してつい身構えてしまった。
 アンイェッタへ向かった著者はそこで変わった海賊と出会う。話せば話すほど浮世離れした男で調子が合わないとある。
 海賊は名をフレイザーといった。港町より更に北にある島出身だ。マルコやセラフィーノの言っていた海賊が定住した島だろうか。
 著者はフレイザーと交流を続けた。一ヶ月ほどほとんど毎日フレイザーの居る漁師小屋に顔を出して魚を買い、何とかして打ち解けようと試みている。そのうち著者は何らかの確信を得たらしく「フレイザーは生き証人だ」と踊るような文字で記している。「まさか宗教嫌いの海賊に継承者が居るとは」という短い所感とともに、「協力を得た」ともあった。
 求めていたものが得られたらしく著者は港町から引き上げた。再びクレティノを経由し故郷へ。
(彼にとってはすごい収穫だったみたいだけど……)
 読み始めた頃は旅行記には及ばないものの、あちこちに足を伸ばす著者の旅を想像して読むのが楽しかった。が、四ヶ月を越えた辺りから著者の必死さが顕著になり始め、それに合わせて筆跡も更に乱れるようになり、段々と読むのが怖くなっていた。
 バタンッ、と階下から騒音がして、レモは手記の世界から戻ってくる。
 腕の傷の包帯を変えた翌日である今朝、セラフィーノはいつものようにレモと短く会話をして屋敷を出て行った。それから一時間も経っていないと思うが。もう戻ってきたのだろうか。
 意識を部屋の外へ向けていると、微かに会話が聞こえてくる。が、会話というよりそれは。
「叔父様! 勝手に決めないで下さい!」
 口論だった。片方はセラフィーノだ。でも、相手は誰だろう。レモの知る限りこの屋敷に客人が来たのは初めてだ。
 レモは足音を忍ばせて扉に近付き、マルコに鍵を開けてもらう。すると曇っていた階下の声がクリアになって、広い空間に反響しながら聞こえてくる。
「こんな時にどうしてですか叔父様!」
「こんな時だからこそだ」
 セラフィーノが怒鳴ると叔父と呼ばれた男もセラフィーノに負けない声量で言い返した。
「やはりお前に爵位を継がせるべきではなかったな」
「今、何と? 言葉が過ぎます。父を侮辱しないで頂きたい!」
「兄ではなくお前が当主足らなかったと言っているんだ馬鹿者!」
「父の遺志を軽んじていると言ってるんです! とにかく、今のバルトロメイ伯は俺です。叔父様の命令を聞く必要はない」
 バルトロメイ伯に当主。二人の会話から導き出されるセラフィーノの新たな一面で頭は既に一杯だったが、叔父の発した次の言葉で容量オーバーになって停止する事になる。
「道理の分からん奴だ。この縁談を受けなければバルトロメイ家はお前ごと共倒れになるのだぞ?」
 縁談――。
衝撃を受けるレモをよそに、二人の舌戦は続く。
「受けませんよ。婚姻で金回りを良くしたいとお考えなのでしょうが、堂々巡りになるだけです」
「……聞いているぞ、セラフィーノ」
「何をでしょう?」
「近頃屋敷に孤児が出入りしているそうだな」
 思わずマルコと顔を見合わせた。マルコが焦った表情を浮かべる。
「二階に何かを飼っているそうじゃないか?」
 今度はレモが焦る番だった。
 口ぶりからしてレモもマルコも存在を許してもらえる雰囲気ではない。
「叔父様待って下さい! 二階は家人の私室です。いくら叔父様でもそんな勝手は許されません!」
「家人だと? 夫人も実家に出戻った今、屋敷にはお前一人ではないか。……やはり何か良くないものを引き入れたようだな」
 何とかセラフィーノが引き留めようとしているが相手は一筋縄ではいかないようで、セラフィーノの静止を振り切り階段を上り始めた。
「マルコ、中に入って」
 少年の腕を引き、初めて内側から扉に鍵を掛ける。ベッドまで下がって、二人で毛布を被って息を潜めた。
「何を隠している?」
 怒声と共に足音が近付いてきて、怯えるマルコの肩を抱く。レモとて恐ろしかったが、子供の前で弱音は吐けない。
 もし見つかったら、レモとマルコはどうなってしまうのだろう。警察組織のようなところへ突き出されるのだろうか。そうなったら、レモは自分を弁護しきれない。この世界の常識をレモは何も知らない。自分自身を助けられないという事は、マルコの事も助けられないという事だ。
「どこの部屋だ」
「叔父様、もう帰って下さい」
 扉を乱暴に開けては閉める音が繰り返され、マルコの顔は真っ白になっていた。レモもそう変わらないだろう。
(セラフ……!)
 とうとう部屋の前まで苛立たしげな足音がやってきて、一巻の終わりだと覚悟を決めるのとほとんど同時に、廊下の奥の方から誰かがセラフィーノを呼ぶ声がした。
「旦那様、叔父上様の使いの方がいらっしゃっています」
 ほんの短い沈黙が挟まり、叔父がぎりぎりまで目の前の扉を睨みつけているのが想像出来た。
 ややあって、足音が離れていく。ほっとマルコと共に胸を撫でおろした瞬間、コンと小さなノックの音がして再び身を強張らせた。
「マルコを匿ってくれてありがとう、レモ。……縁談の事は聞かなかった事にしてくれ」
 セラフィーノの声だった。答えるべきか躊躇してしまい結果黙ったままになると、セラフィーノも去ってしまった。
 マルコがびくびくしながらもベッドから降りて廊下の方へ戻っていく。それを見るともなしに見ながら、考えていた。
「縁談なんて……」
 寝耳に水だ。
『縁談の事は聞かなかった事にしてくれ』
 焦っているような痛みを堪えているようなセラフィーノの切実な声。この屋敷に来てから慣れ親しんだ「疑問」が湧き起こる感覚に誘われて思考の海に潜っていく。
 レモに縁談の件を知られてはならなかった理由を探っていくと、ほとんど一番最初の記憶に辿り着く。セラフィーノがレモに、記憶が戻るまでいつまでもここに居て良い、と言った事だ。
記憶なんて本当に戻るのだろうか。「この世界ではない世界」の記憶はレモの頭の中にしか無いもので、本当に違う世界なんてものがあるかも懐疑的にならざるを得ない。そんな状態のレモを、つまり思い出すべき記憶が存在するかどうかも分からないレモに「いつまでも」と言ってしまった以上、誠実で優しいセラフィーノはその言葉を守り続けるだろう。
 レモは「バルトロメイ伯爵」にとって邪魔者以外の何者でもなくなってしまう。単なるごく潰しならまだしも、レモは――。
 ああ……、と溜め息にも似た悲嘆するような、或いは諦めのような声が漏れていく。
(僕は、セラフが好きなんだ)
 縁談という言葉に動揺し、妻を迎えるセラフィーノを想像して瞬間的に耐えられないと思ってしまった。これまで無意識に見ないようにしてきた心のどこかに芽生えていたものに、はっきりとした輪郭が表れていく。
 何度となくこの部屋から出たいと思ったし、セラフィーノの負担になるかもしれないと考えた事もあった。それでもこの部屋を出て行かなかったレモは、愚かにも期待していたのだ。いい子で待っていればいつかセラフィーノが自分を好いてくれる、と。
 この世界で初めて見た人に、まるで卵から孵った雛のような恋をして。親鳥の元から巣立たなくてはならないと知って漸く、いかに自分がこの状況に甘んじていたかを思い知る。レモは一度も本気でセラフィーノに抵抗しなかった。逃げようと思えばきっといつだって逃げ出す事が出来たはずなのに。
 今度こそ屋敷を、セラフィーノの元を離れなくてはと胸の痛みに急き立てられるように、そうでなければ逃げ出すように考えていた。
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