僕を閉じ込めてしまったあなたがくれた青色の櫂

沖弉 えぬ

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 良い旅を。そう言ってセラフィーノに送り出されておよそ丸一日。クレティノという看板を見付けて町へ入るとつい浮かれてしまった。本で読んだ土地に降り立つと、まるで自分もその物語の登場人物になったみたいで気分が高揚してしまう。
 宿場町なのでそれなりに往来は賑わっているが人いきれがするほどではない。黄褐色の煉瓦屋根に灰色の石畳が続き、水路が多くあちこちに石の橋が渡してある。大通りから外れた所には教会の尖塔が見えた。
「ねぇレモ! どこの宿にする?」
 馬上でマルコが興奮した声を上げる。セラフィーノの案で海賊に伝手を作りやすくするために、海賊の息子であるマルコも共に連れて来ていた。粛清されてきた歴史があるので海賊たちは外部の人間を警戒するのだそう。
「残念だけど泊まらないよ。馬に食事を与えて休憩を取ったらまた移動だ」
「えー。もう尻が痛いよぉ」
 そうは言いながらも鞍から降りてこようとしないので自分で歩くよりは尻の痛みを選ぶらしい。
 町には活気があった。ヴィアーニ領とバルトロメイ領をひとたび離れたら、戦争なんて嘘みたいに人々は日常を生きている。
(僕も、戦地を見た訳じゃないけど……)
 生傷が絶えなかったセラフィーノや倦んだ気配を纏っていた使用人を思えば、長引く戦が人々からどれほどの幸福を奪うかは一目瞭然だ。
 宿に寄り干し草を買い馬に与え、レモたちは屋台でパンに具が乗った物を買って食べる。
「ん。アンチョビかな、これ。ブルスケッタみたい」
「これに名前なんて無いよ」
「そうなの?」
「うん。その時にあるものを適当に乗せて食べるんだよ。日が経ったパンは硬くなるから水気のあるものと大体はチーズ」
 要するに決まった物を乗せる訳ではないから名前は無い、という事らしい。この国ではパンには必ずスプレッドの他に野菜や塩漬けの魚を乗せるのが当たり前で、食堂でパンを頼んでも必ずついてくるそうだ。
 数ヶ月ぶりに食べた塩気の濃い物は美味しさのあまり胃がひっくり返りそうだった。

 緩やかに続いていた上り坂が峠を境に急峻な下り坂に変わると、俄かに潮の香りが漂い始める。真っ白な壁をした民家が山の斜面に段々に建ち並び、南にはオリーブ畑が、北には埠頭が伸びる港が見えた。港町アンイェッタに到着だ。
 冬でもべたつくような潮風に吹かれながら、坂を駆け下り漁師小屋を目指す。元海賊のフレイザーとレオーネが交流していたのは二年近く前。今も変わらずこの町で水夫をしてくれていたら良いが。
 マルコはレモの肩に掴まりながら海を眺め、思い出を聞かせてくれた。六歳の頃の事なのによく覚えているねと褒めると照れ臭そうにしながらも父さんとも来たかったなと零していた。
 ヴィアーニ領から馬で数日かけて訪れた国の端っこは見るからに田舎だったが、レモは気を引き締めるようにフードを被り直す。レオーネの手記によれば彼は随分足しげくこの土地へ通っていたようなので、ここに来て最も面が割れる可能性が高かった。
 馬を下りて目についた漁師小屋からフレイザーを知っている人を訪ねて回ろうとしたが、幸いにもすぐにその人は見つかる事になる。
「フレイザーなら海岸上がってすぐの、ああ、丁度出て来たぞ。髪がもじゃもじゃしてる中年の男さ」
 漁師が指さした先に女性と共に家から出てくるところのフレイザーが見えた。礼を言って藻草の生えた海岸を山手に向かって上がっていく。
「あの!」
 女性に手を貸し石段を下りていたフレイザーに声を掛ける。振り返ったフレイザーはレモを見てすぐに誰だか気付いた反応をした。
「……もう来ないかと思ったぜ」
 幽霊を見るような目だった。その目を見て、レモは半ば確信していた。フレイザーはレオーネが何をして死んでいったかを知っていると。
 妻だろうか、フレイザーは女性を再び家の中に帰してしまう。申し訳ないと思いつつも、こちらの話を聞いてくれるつもりである彼に礼を言う。
「あんたあの生意気な金髪小僧じゃねぇな」
「レオーネの事ですか?」
「まるで他人みたいな言い草だ」
「他人です。あなたも『フレイザー』は他人なんでしょう?」
 フレイザーは黒くて太い眉毛を跳ね上げた。それから親指で他の小屋と離れた場所に建てられた漁師小屋を示しずんずんと大股で歩き始める。マルコと顔を見合わせついていくと、小屋の中を見てレモは驚愕した。咄嗟にマルコを背に庇う。
「レオーネは、あー……」
「レモです」
「レモに遺書を残さなかったのか? 俺らはコツコツ武器を集めてあんたの号令を、首を長ーくして待ってたのによ」
 胸の前で丸太のように太い腕を組んだフレイザーは小屋の中に向かって顎をしゃくる。口調は不満そうな割に男の目に表れているのは自慢だろうか。その理由を小屋の中を見て知る。
 彼がこの小屋に隠していたのは大量の武器だった。本来銛を掛けておくための壁に打った釘には数十に及ぶ槍が、鞘に収まった剣に至っては床に適当に積み上げてある。そして海産物を入れるはずのトロ箱にはクロスボウと矢がパンパンに収められていた。
「錆びないようにすんの大変だったんだぜ? ちなみに手勢は百ほど集められる。武器はその三倍。小型の船に分けて乗せりゃ、あんたの家まで二日だ。つっても、あれから二年か? 今頃あんたらがどこを戦場にしてるか次第じゃ船は使えないだろうけどな」
「まさか、この町の海賊はバルトロメイ領と事を構えるつもりなんですか!?」
 フレイザーは呆気に取られた顔で首を振った。
「本当にレオーネの小僧は置き手紙一つ残していきやがらなかったのか。呆れるぜ」
「恐らく余裕がなかったんだと思います。彼と彼の父の死については、差し迫った状況で実行せざるを得なかったという感じでしたから」
 ふうんと唸るように答え、フレイザーは興奮を引っ込めた。
「どうやらあんたとは話のすり合わせから必要そうだな」
 と言いつつフレイザーの視線がマルコに移る。物怖じしない少年はレモの後ろから出て名乗りながらフレイザーに手を差し出した。
「マルコ……どっかで聞いた名だと思えば、ドメニコの倅か!」
「父さんを知ってるの?」
「ドメニコは同じ船団の操舵長だぜ! 乗ってた船は別だったがな。親父さんはどうしてる?」
 じわりと目に涙を溜めてマルコが俯くと、不幸を悟ったフレイザーはバシンと勢いよくマルコの背を叩いた。転びそうになったところをレモが慌てて支える。
「ドメニコの倅が居るってんなら追加で百の戦力を出せるぜ。『丘の上の教会』に対する恨みが深ぇ奴がうちにはごろごろしてるからな」
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