僕を閉じ込めてしまったあなたがくれた青色の櫂

沖弉 えぬ

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 足場の悪い船の上で戦ってきた男たちは頼もしかった。露払いを引き受けてくれ、どんどん部隊は領内へ侵攻していく。合戦の舞台となっていたのはバルトロメイ領とヴィアーニ領の間に跨る平野部で、下草の枯れた土を蹴り上げながら両陣営が激突していた。
 レモは途中でフレイザーと別れ、護衛の水夫と共にヴィアーニの屋敷を目指す。レモに任されている作戦は「ヴィアーニ伯爵を止める事」だ。そのためにはヴィアーニ邸で恐らくはレモと同じように軟禁された状態で仮初の指導者に据えられているだろうヴィアーニ伯爵と直接会う必要がある。それを出来るのはレモだけだ。
 自分にも出来る事があるのは嬉しい反面、怒涛のような展開を前に櫂を失った小船に乗る自分を想像してしまう。レモはただ濁流に流されているだけなのかも知れない。
 しかし自分の心に目を向けている余裕を状況が与えてくれなかった。屋敷までの道中、バルトロメイの斥候と何度も交戦しなければならなかった。
「大丈夫ですかレモさん」
「はい、何とか……」
 体はレオーネでも心はレモである以上、自分と同じ姿をした人間と戦う事に精神の方がどんどん疲弊していった。見知らぬ他人から殺意を向けられる事がこんなにも悍ましい事だなんて、出来れば知らないままでいたかった。それでも今は必死だからまだ良い。体感した事の隅々にまで考えを巡らせる余裕が無い。全てが済んだ後できっと揺り返しがくるという予感があった。
 ヴィアーニ領最大の町に入るとフードを目深にかぶって人気の少ない路地を選んで町の奥に向かって進む。石橋を掛けた水路が無い事を除けば町の雰囲気はクレティノに近い。教会の斜塔も教団に対してさして思い入れのないレモからすれば趣深い建築物でしかないのだが、マルコやフレイザーのように教会に恨みのある元海賊たちの斜塔を見る目付きには昏い光が宿っていた。
 ヴィアーニ伯爵邸はもう目と鼻の先だ。通りを隔てる格子の門を抜け、古風な石段を上がれば邸宅が見えてくるというところまで来て水夫が緊張した様子でレモを止めた。
「やっちまった。俺たち町に入った時から警戒されてたっぽいです……!」
 振り返ると男が四人、剣を持ってレモたちを囲んでいた。菊に似た花――ガーベラの徽章を肩に付けている。ヴィアーニ邸を守る衛兵たちだ。気付けば往来から町人の姿が消えていた。
「そっちの金髪。名を名乗れ」
 首に巻いていたストールを引き上げ答える意思が無い事を示すと、男はレモを睨みつけて距離を詰め始めた。
「レモさん、ここは俺が引き受けますんで先に向かってください」
「四人は多すぎます。僕もここで戦いますから」
「でももうヴィアーニ邸は目の前なんですよ!?」
 水夫と言い合っている間にも四人は息を揃えてレモたちを石段手前の門へと追い詰めていく。これまでの斥候と比較すると素人のレモにも手練れである事が分かった。顔付きがまるで違っている。それでも戦うしかないと剣を正面に構えた時、遠くで馬の嘶きが聞こえて衛兵たちの半分がそちらに意識を取られた。
「今です!」
 水夫の合図でレモは飛び掛かる。ギィンと鋼同士がぶつかる音がして手から腕、肩に向かってビリビリと痺れが走っていきレモは歯を食い縛った。手応えが全然違う。水夫も同じ事を感じたようだ。顔が強張ってしまっている。
 後少しなのに――。
 進退窮まり剣を突き立てられる恐怖に呑まれかけたその瞬間。
「レモーッ!!」
 馬の蹄の音が物凄い速度で近付いてきて、見事な太刀筋でレモの正面を固めていた男を薙ぎ倒した。
「セ――」
 危うく名前を叫びかけ、寸でで飲み込む。意表を突かれた衛兵にレモも攻撃を仕掛けた。馬上からの全力の攻撃には手練れたちも力負けしてあっという間に三人が地面で伸びていた。残った一人は分が悪いと見て町の外に向かって走り出すと「俺に任せて下さい!」と水夫も衛兵を追いかけ飛び出していった。
「前線部隊が壊滅するのは時間の問題だ! 深追いするなよ!」
 水夫の背に叫ぶその人を見て、自分がどれだけ心細かったのかを思い知る。喉元まで熱いものがこみ上げた。
「セラフ、無事で良かった」
「レモ」
 短く抱擁を交わす。
「何故ここへ?」
「マルコの伝令が届いたら、いてもたってもいられなくなって駿馬を駆った」
 豊かな黒い毛並みをした細身の馬の頬を撫でて言う。
「戦地を離れられたのは君のおかげだ、レモ」
「いいえ、僕はただあなたの考えに従って馬を走らせただけです。レオーネが亡くなる前、海賊と話をつけていてくれなければこうはいきませんでした」
「レオーネは海賊の協力を得るところまでは漕ぎつけても、その先に続けられなかった。レモがあいつの遺志を継いでくれたおかげで三年もの間手をこまねくしかなかった状況に一石を投じる事が出来たんだ。レオーネも浮かばれるだろう」
 そう言ってセラフィーノは空を仰ぐ。
「ヴィアーニ邸はすぐだ。さぁ決着をつけるぞ、レモ」

 ヴィアーニ邸はバルトロメイ邸に負けずとも劣らない立派な二階建ての屋敷だ。二対の天使像に守られたかね折れ階段が目を引く。しかし枯れ色の芝生は手入れがされておらずあちこち剥げてしまっていて、屋敷のクリーム色の壁も雨垂れの黒いシミが目立った。夜に見れば幽霊の出てくる洋館そのものに見えるだろう。
 扉を叩いたが応答は無かった。街中に兵士を潜ませていたように屋敷にもまだ兵を隠しているのではないかと警戒していたが、襲い掛かってくるような事もない。セラフィーノと頷き合って、玄関の扉を開ける。
 鍵すら掛かっていない屋敷には人の気配というものが感じられなかった。もしかしたらどこかでレモたちの動きを察知して、ヴィアーニ伯たちは逃げてしまったのかも知れない。
 エントランスホールを抜けて屋敷の二階に続く階段を上がり、最奥の豪奢な金のモールディングが施された扉まで、誰の姿もなければ呼び止められる事もなかった。
 セラフィーノが疑心に満ちた様子で扉を開けたその瞬間、ひゅっと風を切る音がしてレモとセラフィーノの頭の間を何かが通り抜けていった。チッと激しい舌打ちが部屋の中からして、セラフィーノがほとんど反射的に飛び出していく。
「く、来るな来るなぁー!!」
 相手は若い青年だった。クロスボウを震える手で構え、ろくに狙いも定めず撃っていたがセラフィーノが素早く剣で薙ぎ払うと真っ二つに折れて先端の弓の部分が床を転がっていった。
 セラフィーノが剣の切っ先で男の顎を捉えたが、窮地に陥った鼠のようにすばしっこく後退し、短剣を取り出してベッドの上に居た人間の首元に当てて鋭く叫ぶ。
「それ以上近付けばこいつを殺す!」
 刃物を突き付けられてもベッドの人物は一切反応せずぼんやりと首を傾げて虚空を見つめていた。あれは一体誰なのか。レモの疑問を感じ取り、セラフィーノが抑えた声で教えてくれる。
「……ヴィアーニ伯爵」
「あの人が……!」
 彼は疾うに死者だ。それが生きているという事はやはり彼も秘教に伝わる秘術とやらを使っていたのだろう。が、何か様子がおかしい。ヴィアーニ伯爵は心ここにあらずといった様子でぼんやりとしているのだ。
『秘教に伝わってる秘術は不死鳥のように蘇ってくるわけじゃねぇ。自分の命と引き換えに最後の無念を叶える術だって言われてる』
 だとしたら、ヴィアーニ伯爵は秘術を使う条件を満たしていない事になる。彼はレオーネに殺されたはずだった。
「そっちの金髪がレオーネのなりそこないか? このおっさんに起きてる事を知ってる顔してるなぁ」
 こすっからい雰囲気の男だが妙に勘が良い。レモの表情を見事に読み取っていた。
「せっかくだから教えてやるよ。こいつは秘術に失敗したのさ。息子に根首を掻かれたせいで目覚めてみれば、こうよ」
 男が短剣を僅かに引く。
「やめろ!」
 首から微かに血が流れたがヴィアーニ伯爵は生気の抜けた虚ろな表情のまま。目は開いているが、恐らくずっとこの調子で意識はほとんど無いのだろう。落ち窪んだ眼窩や痩せこけた頬が、まともに食事を取れていない事を浮き彫りにしていた。きっと彼はもう長くはもたない。
「取引しようや。あんたら戦争を終わらせたいんだろ? 俺はおっさんの世話に飽き飽きしてたところだ。俺を逃がしてくれるっていうなら、こいつの身柄を渡してやる」
「お前は何者だ?」
「教団分派の秘教を継ぐ者さ。が、下っ端でな。ヴィアーニ伯爵のフリして戦争を続けろって言われたが、こうなったら俺の命も危うい」
「何故戦争を続けろなんて命令が下った?」
 セラフィーノが続けて質問をしていくと、男は脂下がってまた簡単に口を開く。レオーネは親友のセラフィーノにさえ自身が秘教の一員である事を隠していたというのに、この男は秘教を外へ出す事を何とも思っていないらしい。もしくはそれほど命が惜しいか。
「死体を集めてんじゃねぇか? 秘教連中は蘇りの秘術を完璧なものにしたいらしい。なぁレオーネさん、あんたはレオーネの形(なり)した別人なんだろ? 秘教の上層部は他人に成り代わられるだけの秘術じゃ自分たちが長生き出来ない事に大層お困りの様子でさぁ」
「……死者を、秘術の実験台にしてるのか」
 セラフィーノが目を血走らせた。すると男はカカッと喉を鳴らして甲高く笑う。その時だ。ふえ、と奇妙な男の声が上がり、三人は同時に黙った。一瞬の沈黙を突き破らんばかりにベッドの男――ヴィアーニ伯爵が癇癪を起こして突然喚き始めた。
 男が舌打ちする。
「こんな時に……!」
 苛立ちによって短剣に力が籠り、ヴィアーニ伯爵の首から新たな血が流れ出す。すると伯爵はいっそうけたたましく声を上げて泣くのだ。
「まさか、秘術で喚び出されたのは、赤ん坊なんじゃ……」
 レモの静かな驚愕を聞き取って、セラフィーノは陽炎のように怒りの炎をくゆらせた。
「貴様……!!」
 中途半端な秘術は思考能力の無い赤子を連れてきてしまったというのか。レモはフレイザーから預かった小瓶を服の上から握りしめる。
 痩せて枯れ木のようになった腕をバタバタさせ始めるので男が慌てて短剣を離し、自身の腕でヴィアーニ伯爵の首元を押さえつける。ヴィアーニ伯爵は苦しげな声を漏らして細い指で男の腕を引っ掻いた。
「セラフ。どうにかヴィアーニ伯爵から彼を引き剥がせませんか?」
「何か作戦があるんだな?」
「はい。上手くいくかは賭けですが、いずれにせよこのままでは埒があきませんから」
 こっくりと深く頷き、セラフィーノは徐に剣を顔の高さまで持ち上げた。怒りによって立ち昇る闘志を目の当たりにし、男の腰が引けていく。
「おいおいおい……逃げるが勝ちってやつかぁ!?」
 セラフィーノに睨まれた男はとうとう余裕をなくして脱兎の如く窓に向かって走り出す。ここは二階だが、足が折れても剣に貫かれるよりは可能性があると判断したらしい。
 レモは壮年の姿で泣きじゃくるヴィアーニ伯爵の傍に寄り、落ち着かせるためその背を撫でる。独特の異臭はろくな世話がされず清拭を怠った末の垢の匂いと、恐らくは死臭だった。
「あなたを居るべき場所へ帰します」
 小瓶から紙の栓を抜き、不思議な事に重さを感じない空気のような透明のリングを手の平に載せる。神の血で作られた渡りの指環。その神秘的な由来を信じてしまいそうになるくらいには、リングはこの世ならざる気配を放っている。とはいえレモ自身が別の世界から喚ばれた人間でなければこの土壇場で指輪の効果を試そうとは思わなかっただろう。
 掴んだという感触さえほとんど無く、目を離した瞬間に消えてしまいそうなリングをヴィアーニ伯爵の小指に嵌める。これが正解なのかもレモには自信が無い。それでも、痩せ衰え先の長くない肉体に入り続けるよりは真っ当な未来があると願うしかなかった。
「さようなら。あなたを知る人に、会える事を祈っています」
 ヴィアーニ伯爵の体を微かな光が包み込み、命の気配が消失していくのを感じた。やがて光は蛍の灯火のようにして、ふう……とか細く消えていく。そして伯爵はぴたりと泣き止んで、瞼を下ろした。
「何、しやがった……まさか本当に中身を帰したってのか!?」
 セラフィーノに取り押さえられた男が叫ぶ。ヴィアーニ伯爵の小指に嵌めた指輪も光と共に消えてなくなった。確かめる術はないが、もうこの体には誰も入っていないのだろう。
「嘘だろ……」
 男は悄然となって膝から崩れ落ちる。
 窓の外からわあっと歓声のようなものが聞こえた気がしてセラフィーノと頷き合う。風が奇跡を起こし前線の勝鬨を運んできたのだ。
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