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暗闇
第ニ十九話
母親が怪我をした。
友達の娘の結婚式のために上京していることはレストランでの件で知ることになったが、滞在を延ばし観光していたらしい。遊びに行った先で怪我をしたという。
慌てて大学の門をくぐると黒い艶々の車が停まってる。須賀の車だ。何故ここにいるのか急いで駆け寄ると佐伯さんが俺に気付いて後部座席のドアを開けてくれて待ってる。
「須賀さん……」
気が動転して何故彼がここに居るのかが分からない。
「あっあの、すいません。急用で俺、乗れません。連絡くれていたのだったらごめんなさい」
「どうした?」
車の中から背を屈ませ須賀が伺っている。
「……母が怪我をしたと。なので病院へ行ってきます」
須賀の視線に合わせドアに手をかけ車内を覗き込んだ時、須賀の手が伸びてきて俺の腕を掴んだ。
須賀は病院へ送ってくれると提案してくれて、到着まで不安がる俺の手を握っていてくれた。あんなことされてきても母親のこと心配になるんだ、と俺は心のどこかで思った。……俺の母親はあの人しかいないんだ。
車を降りると病院の入り口目がけて走った。そして受付で事情を話すと救急外来だと教えられそちらへ向かった。すると廊下の長椅子に座っている母を見つけた。母も俺を見つけて立ち上がる。
「遅いじゃないの! なにやってたのよ!」
「ごめん……、怪我は?」
「ふん」
母の身体を見るが見た目にはどこを怪我しているのが分からない。
「いったい、どこを怪我したの? どうしたの?」
「ほかの観光客にぶつかって転んだのよ。そのときに手首を捻ったのよ、あぁ、もう、痛い!」
手首をさすって痛そうな顔をした。……手首を捻ったか。それだけで済んだことに安堵してほっとため息をつくが母親はなにか気まずそうにその手首をコートの裾で隠した。
「……なによ」
「ううん。……あの人は? 一緒に来なかったの?」
「父親をあの人だなんて! あんたって子は!」
痛いはずの方の手で俺の頭を何度も叩いてきた。俺は腕で頭を庇い耐える。俺の言い方に棘があったのは否めない。しかし養父がここに居なくてよかったとホッとしている。だからこんな叱咤も気にもならない。
するといきなり俺は肩を掴まれた。覚えのある良い香りがふわりとして、気がつくと俺は肩を抱かれ須賀の胸の中に納まっていたんだ。びっくりして見上げると元々目尻の上がったキリッとした眼差しが冷たく母親を睨んでいて、うまく言えないが俺は途端に苦しくなったんだ。キーンと遠くで耳鳴りがして俺の鼓膜を痛める。
「あら、あなた、雪の彼氏かしら?」
母の声がして俺はようやく母を見ることができた。この喉を絞められているような息苦しさはなんだろう。母はまるで値踏みをするように須賀を見上げてニヤリとしている。
──須賀さんにそんな顔を向けないで……。
「違うから……お母さん、やめて……」
「なによ。もう手当も終わったしホテルまでタクシーで帰るからお金寄越しなさい」
「……持ってきてないよ」
絞り出すようにそう言うと母はわざとらしく肩を落とし泣くような素振りをし始めた。
「じゃあ、私はどうやって帰ればいいのよぉ……!」
「送りましょうか?」
頭上から低い冷ややかな声がした。とても低いトーンだった。目の前の人に対して嫌悪感を抱いているということは俺にも分かった。
須賀の胸を押して少し離れると須賀が俺を見下ろしてハッとしたような顔をした。そうしたら途端に俺は解放されたような感覚がした。でもまだ息苦しさが残っていて喉が詰まる。
「駄目です、迷惑は……かけられ……ません」
「……お金さえ貰えれば私は帰るわよ」
「では、これでお帰りを」
須賀は上着の内ポケットから財布を出すと中から数万抜き取りそれを差し出した。
「あら、話が早くていいわ」
「母さん! そんなに要らないだろ……」
「あんたが私に渡さないからでしょう? 息子に請求してくださいね、じゃ」
すっかりご機嫌な母は怪我したはずの方の指ですっと須賀の手から取り上げるとハンドバッグにしまい、さっさと俺達の前から去っていった。
単にタクシー代が欲しかっただけだった。悔しさとやるせなさに涙が滲む。それに須賀に見られてしまった。須賀からも金を無心するような母を持つ俺を須賀はどう思うだろう、軽蔑しただろうか。
息子の俺でさえ、軽蔑してしまいたいのに……、それが出来ればどれだけ楽だろうといつも考えては湧き出すそれを潰してきたんだ。
「君の母親か?」
「……すみませんでした」
泣かないように歯を食いしばる。
「君が謝ることじゃない、君のせいじゃない」
「俺の母親ですから……お金はお返しします」
「それより、すまなかった」
須賀はもう一度俺の肩を抱いて廊下の長椅子に座らせた。
友達の娘の結婚式のために上京していることはレストランでの件で知ることになったが、滞在を延ばし観光していたらしい。遊びに行った先で怪我をしたという。
慌てて大学の門をくぐると黒い艶々の車が停まってる。須賀の車だ。何故ここにいるのか急いで駆け寄ると佐伯さんが俺に気付いて後部座席のドアを開けてくれて待ってる。
「須賀さん……」
気が動転して何故彼がここに居るのかが分からない。
「あっあの、すいません。急用で俺、乗れません。連絡くれていたのだったらごめんなさい」
「どうした?」
車の中から背を屈ませ須賀が伺っている。
「……母が怪我をしたと。なので病院へ行ってきます」
須賀の視線に合わせドアに手をかけ車内を覗き込んだ時、須賀の手が伸びてきて俺の腕を掴んだ。
須賀は病院へ送ってくれると提案してくれて、到着まで不安がる俺の手を握っていてくれた。あんなことされてきても母親のこと心配になるんだ、と俺は心のどこかで思った。……俺の母親はあの人しかいないんだ。
車を降りると病院の入り口目がけて走った。そして受付で事情を話すと救急外来だと教えられそちらへ向かった。すると廊下の長椅子に座っている母を見つけた。母も俺を見つけて立ち上がる。
「遅いじゃないの! なにやってたのよ!」
「ごめん……、怪我は?」
「ふん」
母の身体を見るが見た目にはどこを怪我しているのが分からない。
「いったい、どこを怪我したの? どうしたの?」
「ほかの観光客にぶつかって転んだのよ。そのときに手首を捻ったのよ、あぁ、もう、痛い!」
手首をさすって痛そうな顔をした。……手首を捻ったか。それだけで済んだことに安堵してほっとため息をつくが母親はなにか気まずそうにその手首をコートの裾で隠した。
「……なによ」
「ううん。……あの人は? 一緒に来なかったの?」
「父親をあの人だなんて! あんたって子は!」
痛いはずの方の手で俺の頭を何度も叩いてきた。俺は腕で頭を庇い耐える。俺の言い方に棘があったのは否めない。しかし養父がここに居なくてよかったとホッとしている。だからこんな叱咤も気にもならない。
するといきなり俺は肩を掴まれた。覚えのある良い香りがふわりとして、気がつくと俺は肩を抱かれ須賀の胸の中に納まっていたんだ。びっくりして見上げると元々目尻の上がったキリッとした眼差しが冷たく母親を睨んでいて、うまく言えないが俺は途端に苦しくなったんだ。キーンと遠くで耳鳴りがして俺の鼓膜を痛める。
「あら、あなた、雪の彼氏かしら?」
母の声がして俺はようやく母を見ることができた。この喉を絞められているような息苦しさはなんだろう。母はまるで値踏みをするように須賀を見上げてニヤリとしている。
──須賀さんにそんな顔を向けないで……。
「違うから……お母さん、やめて……」
「なによ。もう手当も終わったしホテルまでタクシーで帰るからお金寄越しなさい」
「……持ってきてないよ」
絞り出すようにそう言うと母はわざとらしく肩を落とし泣くような素振りをし始めた。
「じゃあ、私はどうやって帰ればいいのよぉ……!」
「送りましょうか?」
頭上から低い冷ややかな声がした。とても低いトーンだった。目の前の人に対して嫌悪感を抱いているということは俺にも分かった。
須賀の胸を押して少し離れると須賀が俺を見下ろしてハッとしたような顔をした。そうしたら途端に俺は解放されたような感覚がした。でもまだ息苦しさが残っていて喉が詰まる。
「駄目です、迷惑は……かけられ……ません」
「……お金さえ貰えれば私は帰るわよ」
「では、これでお帰りを」
須賀は上着の内ポケットから財布を出すと中から数万抜き取りそれを差し出した。
「あら、話が早くていいわ」
「母さん! そんなに要らないだろ……」
「あんたが私に渡さないからでしょう? 息子に請求してくださいね、じゃ」
すっかりご機嫌な母は怪我したはずの方の指ですっと須賀の手から取り上げるとハンドバッグにしまい、さっさと俺達の前から去っていった。
単にタクシー代が欲しかっただけだった。悔しさとやるせなさに涙が滲む。それに須賀に見られてしまった。須賀からも金を無心するような母を持つ俺を須賀はどう思うだろう、軽蔑しただろうか。
息子の俺でさえ、軽蔑してしまいたいのに……、それが出来ればどれだけ楽だろうといつも考えては湧き出すそれを潰してきたんだ。
「君の母親か?」
「……すみませんでした」
泣かないように歯を食いしばる。
「君が謝ることじゃない、君のせいじゃない」
「俺の母親ですから……お金はお返しします」
「それより、すまなかった」
須賀はもう一度俺の肩を抱いて廊下の長椅子に座らせた。
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