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デート
第三十一話
「俺、やってみたかったんです」
夜の海の公園で、雪は芝生に胡座をかいて私の前に座っている。
二人の間にあるのはホールケーキ。腹を満たしてからここへ連れてくるべきだった。雪の腹の虫が鳴り、見渡す限りではコンビニすら見つからなかった。タクシーを拾おうとしたとき、雪が店の明かりに気がついた。
閉店間際近くだというだけで滑り込んだケーキ屋で唯一残っていたホールケーキを買ったんだ。
……分からない。
「すっごく美味しいですね!!」
「私は……もういい」
自販機で購入したブラックコーヒーの缶に口を付けようとしたとき、ケーキが乗ったフォークを私の口へ近づけるのが見えて、その時雪がとてもかわいくいたずらっぽい顔をしていたから、つい口を開けてしまったんだ。
ブラックコーヒーで流し込む私を見て屈託ない笑顔をして視線をケーキに戻す。甘いものも苦手だが缶コーヒーのえぐ味に私は顔をしかめたのだった。
「甘いの苦手ですか?」
「……あぁ」
雪をちらりと見れば美味しそうに頬張っている。そう言えば佐伯がいつも買ってくるマドレーヌも美味しそうに食べていたっけ。あれは確かに美味いのだが。
「甘いのが好きなのか?」
「はい! ケーキはチョコレートケーキが好きです。こんなにお洒落なピスタチオのケーキじゃなくて、もっと大衆向けの安いケーキですけど、あはは……」
そして、アイスティー。
先程自販機で購入するとき、無糖はないのかと呟いていたのを聞き逃さなかった。
「甘いのが好きなのに無糖がいいんだな」
「えっ、あぁ……ケーキが甘いですからね。飲み物はさっぱりがいいです」
「そうか」
確かにと缶コーヒーを見つめる。ほかの人ならどうでもいいことも、雪の些細な情報は零さずに心に留めておく。
私をαだと気が付いて居なかったΩ。
私でなければαとしての自信を失うような事件だ。こんなに近くにいて感じないとは。
しかし私自身Ωといえば特別区で生きるあちらの特権階級のΩしか会ったことがない。これまで雪はβとして生きてきたし、下級のαでさえなかなか会う機会はなかったかもしれない。
それにあの母親ではΩとしての教育も不十分だったと伺える。Ωの息子を金としか見ていないのだから。
雪から漂うΩのフェロモンが微量なのはストレスのせいなのだろうか、医師に診てもらうべきだろう。
無邪気にケーキにフォークを刺す雪が子供に返ったようで本当にかわいい。いつまでも見ていたいところだがだいぶ胸焼けがしてきて、私は雪の隣で寝そべった。夜空は真っ暗。星ひとつとして見えない。
「ホールケーキを食べるのって子供の夢ですよね」
「そうか?」
「須賀さんはそんなこと考えなかったですか?」
「考えなかった」
「大人になったらやりたいことのひとつだったなって思い出しました」
「それが今叶ってしまったな」
「……そうですね」
「来年の君の誕生日には君の好きなケーキ屋のケーキでそれをやればいい、やり直しだ」
雪の誕生日は一月、もう過ぎてしまったから。
「やり直しだなんて、俺は今夜食べられたことが嬉しいですよ、このケーキも美味しいですもん」
「誕生日に食べたかったんじゃないのか?」
「いいえ、誕生日は、……うん。そうですね」
雪の手が止まる。
あの母親は、どこまで雪を傷つけてきたのだろうか。私も子供の頃から誕生日会は嫌いだった。嫡子の誕生日パーティーは大人たちの社交の場というだけで、本人は蚊帳の外。大きくなれば取り巻きがうざったくなるばかり。
βの世界では家族でそれを祝うらしい。子供の成長を願って。瀧にそう愚痴を零せば叱られた。そしてこっそり小さなケーキを買ってくれた。いちごが乗っかっている甘ったるいケーキだ。私はそれを泣きながら食べたんだった。
勢い良く起き上がると雪の手からフォークを奪い取り、それを大胆にケーキに突っ込み引き上げた。一口に食べるには大きなサイズがフォークの先端に乗っかった。
「あっ、須賀さんてば! おっこっちゃう」
雪の白い両手がフォークの下で器のようにして今にも落ちそうなケーキに構えている。それを最大に大きく口を開けて飲み込んでみせた。
「うわぁ……、須賀さん、口おっき……あはは!」
目を丸くして驚いていた雪が、次には大笑いした。
雪が私に笑いかけている、とても盛大に。ふいに雪の指が私の口の端を拭った。その指先にはピスタチオ色のクリームが付いていて、私はその手を追いかけ指に吸い付いた。
「須賀さんも子供みた……あっ」
私が舐めとるのを耳まで真っ赤にした雪が見ている。触れないとどの口が言ったんだと自嘲しながらも、止めることはできなかった。
「このクリーム、悪くない」
「須賀さん、てば……」
もう一度、今度は雪の白い手の甲にキスをしてからその手を離した。
夜の海の公園で、雪は芝生に胡座をかいて私の前に座っている。
二人の間にあるのはホールケーキ。腹を満たしてからここへ連れてくるべきだった。雪の腹の虫が鳴り、見渡す限りではコンビニすら見つからなかった。タクシーを拾おうとしたとき、雪が店の明かりに気がついた。
閉店間際近くだというだけで滑り込んだケーキ屋で唯一残っていたホールケーキを買ったんだ。
……分からない。
「すっごく美味しいですね!!」
「私は……もういい」
自販機で購入したブラックコーヒーの缶に口を付けようとしたとき、ケーキが乗ったフォークを私の口へ近づけるのが見えて、その時雪がとてもかわいくいたずらっぽい顔をしていたから、つい口を開けてしまったんだ。
ブラックコーヒーで流し込む私を見て屈託ない笑顔をして視線をケーキに戻す。甘いものも苦手だが缶コーヒーのえぐ味に私は顔をしかめたのだった。
「甘いの苦手ですか?」
「……あぁ」
雪をちらりと見れば美味しそうに頬張っている。そう言えば佐伯がいつも買ってくるマドレーヌも美味しそうに食べていたっけ。あれは確かに美味いのだが。
「甘いのが好きなのか?」
「はい! ケーキはチョコレートケーキが好きです。こんなにお洒落なピスタチオのケーキじゃなくて、もっと大衆向けの安いケーキですけど、あはは……」
そして、アイスティー。
先程自販機で購入するとき、無糖はないのかと呟いていたのを聞き逃さなかった。
「甘いのが好きなのに無糖がいいんだな」
「えっ、あぁ……ケーキが甘いですからね。飲み物はさっぱりがいいです」
「そうか」
確かにと缶コーヒーを見つめる。ほかの人ならどうでもいいことも、雪の些細な情報は零さずに心に留めておく。
私をαだと気が付いて居なかったΩ。
私でなければαとしての自信を失うような事件だ。こんなに近くにいて感じないとは。
しかし私自身Ωといえば特別区で生きるあちらの特権階級のΩしか会ったことがない。これまで雪はβとして生きてきたし、下級のαでさえなかなか会う機会はなかったかもしれない。
それにあの母親ではΩとしての教育も不十分だったと伺える。Ωの息子を金としか見ていないのだから。
雪から漂うΩのフェロモンが微量なのはストレスのせいなのだろうか、医師に診てもらうべきだろう。
無邪気にケーキにフォークを刺す雪が子供に返ったようで本当にかわいい。いつまでも見ていたいところだがだいぶ胸焼けがしてきて、私は雪の隣で寝そべった。夜空は真っ暗。星ひとつとして見えない。
「ホールケーキを食べるのって子供の夢ですよね」
「そうか?」
「須賀さんはそんなこと考えなかったですか?」
「考えなかった」
「大人になったらやりたいことのひとつだったなって思い出しました」
「それが今叶ってしまったな」
「……そうですね」
「来年の君の誕生日には君の好きなケーキ屋のケーキでそれをやればいい、やり直しだ」
雪の誕生日は一月、もう過ぎてしまったから。
「やり直しだなんて、俺は今夜食べられたことが嬉しいですよ、このケーキも美味しいですもん」
「誕生日に食べたかったんじゃないのか?」
「いいえ、誕生日は、……うん。そうですね」
雪の手が止まる。
あの母親は、どこまで雪を傷つけてきたのだろうか。私も子供の頃から誕生日会は嫌いだった。嫡子の誕生日パーティーは大人たちの社交の場というだけで、本人は蚊帳の外。大きくなれば取り巻きがうざったくなるばかり。
βの世界では家族でそれを祝うらしい。子供の成長を願って。瀧にそう愚痴を零せば叱られた。そしてこっそり小さなケーキを買ってくれた。いちごが乗っかっている甘ったるいケーキだ。私はそれを泣きながら食べたんだった。
勢い良く起き上がると雪の手からフォークを奪い取り、それを大胆にケーキに突っ込み引き上げた。一口に食べるには大きなサイズがフォークの先端に乗っかった。
「あっ、須賀さんてば! おっこっちゃう」
雪の白い両手がフォークの下で器のようにして今にも落ちそうなケーキに構えている。それを最大に大きく口を開けて飲み込んでみせた。
「うわぁ……、須賀さん、口おっき……あはは!」
目を丸くして驚いていた雪が、次には大笑いした。
雪が私に笑いかけている、とても盛大に。ふいに雪の指が私の口の端を拭った。その指先にはピスタチオ色のクリームが付いていて、私はその手を追いかけ指に吸い付いた。
「須賀さんも子供みた……あっ」
私が舐めとるのを耳まで真っ赤にした雪が見ている。触れないとどの口が言ったんだと自嘲しながらも、止めることはできなかった。
「このクリーム、悪くない」
「須賀さん、てば……」
もう一度、今度は雪の白い手の甲にキスをしてからその手を離した。
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