48 / 98
寛解
第四十八話
「あの、今夜もここに?」
風呂上がりの雪がほんのり頬をピンクにして部屋に戻ってきた。半導体のプロジェクト発表が終わり、私はつかの間の安らぎをこの雪の部屋に求めた。この数日私は雪の部屋で眠っている。
今、私はベッドヘッドに凭れて足を投げ出している。
「またすぐ忙しくなる、それまではここに居たい」
「構いませんけど……」
「湯冷めしないうちにここに」
隣をポンポンと叩くと雪は足元の方からベッドによじ登って四つん這いに来て、そして私の隣におとなしく座った。
半導体プロジェクトの発表後のレセプションでこのパンフレットのモデルは誰なのかとその話題でもちきりだったのを思い出していた。
雪の桜色に染まる頬に触れようとして、その手を握り我慢する。
記者からも取材をしたいと話が来たくらいだったと佐伯も自分のことのように誇らしげで。そんなの、誰に紹介するだろうか。雪の美しさを見せつけたいだけに過ぎないのに。誰かと共有するなど、絶対にあり得ないことだ。
私だけの雪でいて欲しいのだから。
「いい匂いがするな」
「今日も今日とて、須賀さんと同じシャンプーですし同じボディーソープですよ」
「はは、そうだね」
毎晩言われて雪も嫌気がさしたか、あしらうようになった。雪は布団に潜り込みすっかり首まで入る。それを見届けて私は仕事の資料を取り出した。
つかの間の沈黙。
ふと雪を見ると雪は目を擦った。
「眠たいか?」
「あの、須賀さん」
「ん?」
「あの、俺から、その……匂いがしますか?」
先程のシャンプーではないんだろう。資料を脇に置いて雪を見下ろした。雪は気まずそうにまつ毛を揺らす。
「私を疑うのか?」
「俺は本当にΩなのでしょうか」
「どうしてそう思う?」
雪はもぞもぞと布団から出てきて膝を抱え込んだ。
「須賀さんは、そう思いませんか?」
「私は君からΩのフェロモンを毎日、今だって感じているよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「いつも平気にしているじゃないですか」
「αだからといって常時盛っているわけではないよ」
「……そういうつもりでは」
「まぁ、君を毎秒愛したい気持ちはあるけどね」
「……」
「襲ってしまいたいのを堪えているんだよ」
「……そんなの、信じるわけ……」
「では、検査をしてみるかい?」
雪はハッとしてコクリと頷いた。雪が納得するならと私はあの生意気な伏見家の主治医のクリニックを予約した。
「結果から申し上げます。正真正銘Ωです」
「ほ、本当に?」
「しかしフェロモンの数値が平均値より非常に低い、これでは僕も匂わないわけだ。さすがのαさんも感知できないでしょう」
「私には分かる」
「非科学的なやつね」
伏見の家で会ったΩの医師は、今日も私にツンケンした態度だ。私に対する態度に雪も気が付いて怪訝な顔をしている。
「あなたの場合αフェロモンが微量に含まれています、DNA検査をすれぱ確実ですが、おそらくそれがΩになり切れていない原因かもしれません」
「αフェロモンが? 俺に?」
「αのΩの番の子供には稀にあることだそうですよ」
「えっ、えぇ?」
雪は私を見上げる。そしてあの親を思い出しているんだろう、そんなことあり得ないと呟く。そして、はっと何かを思い出したようで、医師に振り向いた。
「あの……この一年抑制薬を飲んでいました。そのせいでしょうか」
「一年ぐらい薬を飲んだからと言ってこの数値にはなりません。ホルモン治療していたならいざ知らず抑制剤を飲んていたんですか? どの薬か分かりますか?」
雪はトートバッグから薬手帳を出して医師にそれを見せた。
「これです」
「なるほど」
「雪、抑制剤を飲んでいたのか?」
「はい……」
「毎日服用するタイプのものですね、いわゆるピルのような使い方です、疑妊娠させてαを誘うフェロモンを分泌しなくさせる薬です」
「なぜ飲んでいたのだ?」
「何故って……」
「須賀さん、Ωのプライベートに踏み込むのは宜しくないですよ」
「私のΩだ」
「そんなの、思っているのはαだけですよ」
この男、本当に言い方が気に触る。
クリニックの待合室で会計を待つ間、雪は一点を見つめて黙っている。
なぜ抑制剤を服用していたのか、あの親の元で育ったのならそういう発想になってもおかしくはない……。雪を問い詰めてはいけない。
「雪、大丈夫か?」
「考えてました」
「……ん?」
「前に堤さんが言ってたこと。俺が俺である証明」
「それで……?」
「あの親がもし本当の親じゃなかったら、って思ったらちょっと楽になっちゃって。でも次にだったら親は誰なんだろうかって思ったら自分の足元が一気に薄い氷にでもなったみたいに不安で」
「うん」
「俺は誰なんだろうって、誰から生まれたんだろう」
雪には受け止めなければならない事実が多くある。一つずつ消化して飲み込んでいく時間はそれぞれにはないだろう。この雪にそれを受け止められるのか。
親がいる当たり前から、親を知らないことの孤独感は誰もが共有できるものではない。その辛さを知っているからこそ、今の雪の心の不安が突き刺さる。
「親が分からないことの不安さは分かる。アイデンティティに関わる問題だからな。……私も母親の記憶がない」
「そう、なんですか」
「私を産んですぐに祖父に追い出されたんだ。一度も会ったことはない」
「会いたいですか?」
「会おうと思えば会えただろう、身分も分かるしもちろん名前も。でも会ったとて、なんの意味が生まれるんだろうと考えたが答えは出なかった。滝が毎日私の世話をしてくれることに対して、母親を求めることは後ろめたかったのかもしれない」
「滝さんがいたから寂しくなかった?」
「ああいう性格だしな」
「そっか」
滝を思い出したのかふっと表情が緩む。
「会いたいか?」
「どう……なんでしょう」
「もし会いたいなら探す。いつでも言ってくれ」
「ってことは、本当に俺はあの人たちの子供じゃないんですね? 須賀さん、知ってるんですよね……」
私は雪の白い手を覆うように握りしめた。
「雪が、知りたいと思ったら私は何でもするよ、その準備は出来ている」
「……」
「雪、これだけは覚えていてほしい。君が誰だろうと、誰の子供であろうと、Ωだろうが、そうでなかろうが、私には雪は、君ひとりだ。……前にも言ったろ、私の記憶の中に君がいる。ここと……ここで存在している」
私は頭と胸を順番に指差した。
「君の中にも私がいるか?」
「え…………」
「αだけじゃない、ひとりの人間としての私が」
少し間をおいて雪は小さく頷いた。
風呂上がりの雪がほんのり頬をピンクにして部屋に戻ってきた。半導体のプロジェクト発表が終わり、私はつかの間の安らぎをこの雪の部屋に求めた。この数日私は雪の部屋で眠っている。
今、私はベッドヘッドに凭れて足を投げ出している。
「またすぐ忙しくなる、それまではここに居たい」
「構いませんけど……」
「湯冷めしないうちにここに」
隣をポンポンと叩くと雪は足元の方からベッドによじ登って四つん這いに来て、そして私の隣におとなしく座った。
半導体プロジェクトの発表後のレセプションでこのパンフレットのモデルは誰なのかとその話題でもちきりだったのを思い出していた。
雪の桜色に染まる頬に触れようとして、その手を握り我慢する。
記者からも取材をしたいと話が来たくらいだったと佐伯も自分のことのように誇らしげで。そんなの、誰に紹介するだろうか。雪の美しさを見せつけたいだけに過ぎないのに。誰かと共有するなど、絶対にあり得ないことだ。
私だけの雪でいて欲しいのだから。
「いい匂いがするな」
「今日も今日とて、須賀さんと同じシャンプーですし同じボディーソープですよ」
「はは、そうだね」
毎晩言われて雪も嫌気がさしたか、あしらうようになった。雪は布団に潜り込みすっかり首まで入る。それを見届けて私は仕事の資料を取り出した。
つかの間の沈黙。
ふと雪を見ると雪は目を擦った。
「眠たいか?」
「あの、須賀さん」
「ん?」
「あの、俺から、その……匂いがしますか?」
先程のシャンプーではないんだろう。資料を脇に置いて雪を見下ろした。雪は気まずそうにまつ毛を揺らす。
「私を疑うのか?」
「俺は本当にΩなのでしょうか」
「どうしてそう思う?」
雪はもぞもぞと布団から出てきて膝を抱え込んだ。
「須賀さんは、そう思いませんか?」
「私は君からΩのフェロモンを毎日、今だって感じているよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「いつも平気にしているじゃないですか」
「αだからといって常時盛っているわけではないよ」
「……そういうつもりでは」
「まぁ、君を毎秒愛したい気持ちはあるけどね」
「……」
「襲ってしまいたいのを堪えているんだよ」
「……そんなの、信じるわけ……」
「では、検査をしてみるかい?」
雪はハッとしてコクリと頷いた。雪が納得するならと私はあの生意気な伏見家の主治医のクリニックを予約した。
「結果から申し上げます。正真正銘Ωです」
「ほ、本当に?」
「しかしフェロモンの数値が平均値より非常に低い、これでは僕も匂わないわけだ。さすがのαさんも感知できないでしょう」
「私には分かる」
「非科学的なやつね」
伏見の家で会ったΩの医師は、今日も私にツンケンした態度だ。私に対する態度に雪も気が付いて怪訝な顔をしている。
「あなたの場合αフェロモンが微量に含まれています、DNA検査をすれぱ確実ですが、おそらくそれがΩになり切れていない原因かもしれません」
「αフェロモンが? 俺に?」
「αのΩの番の子供には稀にあることだそうですよ」
「えっ、えぇ?」
雪は私を見上げる。そしてあの親を思い出しているんだろう、そんなことあり得ないと呟く。そして、はっと何かを思い出したようで、医師に振り向いた。
「あの……この一年抑制薬を飲んでいました。そのせいでしょうか」
「一年ぐらい薬を飲んだからと言ってこの数値にはなりません。ホルモン治療していたならいざ知らず抑制剤を飲んていたんですか? どの薬か分かりますか?」
雪はトートバッグから薬手帳を出して医師にそれを見せた。
「これです」
「なるほど」
「雪、抑制剤を飲んでいたのか?」
「はい……」
「毎日服用するタイプのものですね、いわゆるピルのような使い方です、疑妊娠させてαを誘うフェロモンを分泌しなくさせる薬です」
「なぜ飲んでいたのだ?」
「何故って……」
「須賀さん、Ωのプライベートに踏み込むのは宜しくないですよ」
「私のΩだ」
「そんなの、思っているのはαだけですよ」
この男、本当に言い方が気に触る。
クリニックの待合室で会計を待つ間、雪は一点を見つめて黙っている。
なぜ抑制剤を服用していたのか、あの親の元で育ったのならそういう発想になってもおかしくはない……。雪を問い詰めてはいけない。
「雪、大丈夫か?」
「考えてました」
「……ん?」
「前に堤さんが言ってたこと。俺が俺である証明」
「それで……?」
「あの親がもし本当の親じゃなかったら、って思ったらちょっと楽になっちゃって。でも次にだったら親は誰なんだろうかって思ったら自分の足元が一気に薄い氷にでもなったみたいに不安で」
「うん」
「俺は誰なんだろうって、誰から生まれたんだろう」
雪には受け止めなければならない事実が多くある。一つずつ消化して飲み込んでいく時間はそれぞれにはないだろう。この雪にそれを受け止められるのか。
親がいる当たり前から、親を知らないことの孤独感は誰もが共有できるものではない。その辛さを知っているからこそ、今の雪の心の不安が突き刺さる。
「親が分からないことの不安さは分かる。アイデンティティに関わる問題だからな。……私も母親の記憶がない」
「そう、なんですか」
「私を産んですぐに祖父に追い出されたんだ。一度も会ったことはない」
「会いたいですか?」
「会おうと思えば会えただろう、身分も分かるしもちろん名前も。でも会ったとて、なんの意味が生まれるんだろうと考えたが答えは出なかった。滝が毎日私の世話をしてくれることに対して、母親を求めることは後ろめたかったのかもしれない」
「滝さんがいたから寂しくなかった?」
「ああいう性格だしな」
「そっか」
滝を思い出したのかふっと表情が緩む。
「会いたいか?」
「どう……なんでしょう」
「もし会いたいなら探す。いつでも言ってくれ」
「ってことは、本当に俺はあの人たちの子供じゃないんですね? 須賀さん、知ってるんですよね……」
私は雪の白い手を覆うように握りしめた。
「雪が、知りたいと思ったら私は何でもするよ、その準備は出来ている」
「……」
「雪、これだけは覚えていてほしい。君が誰だろうと、誰の子供であろうと、Ωだろうが、そうでなかろうが、私には雪は、君ひとりだ。……前にも言ったろ、私の記憶の中に君がいる。ここと……ここで存在している」
私は頭と胸を順番に指差した。
「君の中にも私がいるか?」
「え…………」
「αだけじゃない、ひとりの人間としての私が」
少し間をおいて雪は小さく頷いた。
あなたにおすすめの小説
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます
ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。
しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。
——このままじゃ、王太子に処刑される。
前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。
中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。
囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。
ところが動くほど状況は悪化していく。
レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、
カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、
隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。
しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。
周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり——
自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。
誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う——
ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。
愛されたいだけなのに
まさお
BL
我儘令息だったノアは一回目の人生で最愛の人からの裏切りの末、殺される。
気がつくと人生が巻き戻っていて人生二週目が始まる。
しかしまた殺される。
何度も何度も繰り返した人生の中で自分が愛されることを諦めてしまう。
【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~
一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。
そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。
オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。
(ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります)
番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。
11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。
表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)
オメガ大学生、溺愛アルファ社長に囲い込まれました
こたま
BL
あっ!脇道から出てきたハイヤーが僕の自転車の前輪にぶつかり、転倒してしまった。ハイヤーの後部座席に乗っていたのは若いアルファの社長である東条秀之だった。大学生の木村千尋は病院の特別室に入院し怪我の治療を受けた。退院の時期になったらなぜか自宅ではなく社長宅でお世話になることに。溺愛アルファ×可愛いオメガのハッピーエンドBLです。読んで頂きありがとうございます。今後随時追加更新するかもしれません。