恋人契約~愛を知らないΩがαの愛に気づくまで~

Gemini

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寛解

第四十八話

「あの、今夜もここに?」

 風呂上がりの雪がほんのり頬をピンクにして部屋に戻ってきた。半導体のプロジェクト発表が終わり、私はつかの間の安らぎをこの雪の部屋に求めた。この数日私は雪の部屋で眠っている。

 今、私はベッドヘッドに凭れて足を投げ出している。

「またすぐ忙しくなる、それまではここに居たい」
「構いませんけど……」
「湯冷めしないうちにここに」

 隣をポンポンと叩くと雪は足元の方からベッドによじ登って四つん這いに来て、そして私の隣におとなしく座った。


 半導体プロジェクトの発表後のレセプションでこのパンフレットのモデルは誰なのかとその話題でもちきりだったのを思い出していた。

 雪の桜色に染まる頬に触れようとして、その手を握り我慢する。

 記者からも取材をしたいと話が来たくらいだったと佐伯も自分のことのように誇らしげで。そんなの、誰に紹介するだろうか。雪の美しさを見せつけたいだけに過ぎないのに。誰かと共有するなど、絶対にあり得ないことだ。

 私だけの雪でいて欲しいのだから。




「いい匂いがするな」
「今日も今日とて、須賀さんと同じシャンプーですし同じボディーソープですよ」
「はは、そうだね」

 毎晩言われて雪も嫌気がさしたか、あしらうようになった。雪は布団に潜り込みすっかり首まで入る。それを見届けて私は仕事の資料を取り出した。

 つかの間の沈黙。
 ふと雪を見ると雪は目を擦った。

「眠たいか?」
「あの、須賀さん」
「ん?」

「あの、俺から、その……匂いがしますか?」

 先程のシャンプーではないんだろう。資料を脇に置いて雪を見下ろした。雪は気まずそうにまつ毛を揺らす。

「私を疑うのか?」
「俺は本当にΩなのでしょうか」
「どうしてそう思う?」

 雪はもぞもぞと布団から出てきて膝を抱え込んだ。

「須賀さんは、そう思いませんか?」
「私は君からΩのフェロモンを毎日、今だって感じているよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「いつも平気にしているじゃないですか」
「αだからといって常時盛っているわけではないよ」
「……そういうつもりでは」
「まぁ、君を毎秒愛したい気持ちはあるけどね」
「……」
「襲ってしまいたいのを堪えているんだよ」
「……そんなの、信じるわけ……」
「では、検査をしてみるかい?」

 雪はハッとしてコクリと頷いた。雪が納得するならと私はあの生意気な伏見家の主治医のクリニックを予約した。






「結果から申し上げます。正真正銘Ωです」
「ほ、本当に?」
「しかしフェロモンの数値が平均値より非常に低い、これでは僕も匂わないわけだ。さすがのαさんも感知できないでしょう」
「私には分かる」
「非科学的なやつね」

 伏見の家で会ったΩの医師は、今日も私にツンケンした態度だ。私に対する態度に雪も気が付いて怪訝な顔をしている。

「あなたの場合αフェロモンが微量に含まれています、DNA検査をすれぱ確実ですが、おそらくそれがΩになり切れていない原因かもしれません」 
「αフェロモンが? 俺に?」
「αのΩの番の子供には稀にあることだそうですよ」
「えっ、えぇ?」

 雪は私を見上げる。そしてあの親を思い出しているんだろう、そんなことあり得ないと呟く。そして、はっと何かを思い出したようで、医師に振り向いた。

「あの……この一年抑制薬を飲んでいました。そのせいでしょうか」
「一年ぐらい薬を飲んだからと言ってこの数値にはなりません。ホルモン治療していたならいざ知らず抑制剤を飲んていたんですか? どの薬か分かりますか?」

 雪はトートバッグから薬手帳を出して医師にそれを見せた。

「これです」
「なるほど」
「雪、抑制剤を飲んでいたのか?」
「はい……」

「毎日服用するタイプのものですね、いわゆるピルのような使い方です、疑妊娠させてαを誘うフェロモンを分泌しなくさせる薬です」
「なぜ飲んでいたのだ?」
「何故って……」
「須賀さん、Ωのプライベートに踏み込むのは宜しくないですよ」
「私のΩだ」
「そんなの、思っているのはαだけですよ」

 この男、本当に言い方が気に触る。





 クリニックの待合室で会計を待つ間、雪は一点を見つめて黙っている。

 なぜ抑制剤を服用していたのか、あの親の元で育ったのならそういう発想になってもおかしくはない……。雪を問い詰めてはいけない。


「雪、大丈夫か?」
「考えてました」
「……ん?」
「前に堤さんが言ってたこと。俺が俺である証明」
「それで……?」
「あの親がもし本当の親じゃなかったら、って思ったらちょっと楽になっちゃって。でも次にだったら親は誰なんだろうかって思ったら自分の足元が一気に薄い氷にでもなったみたいに不安で」
「うん」
「俺は誰なんだろうって、誰から生まれたんだろう」

 雪には受け止めなければならない事実が多くある。一つずつ消化して飲み込んでいく時間はそれぞれにはないだろう。この雪にそれを受け止められるのか。

 親がいる当たり前から、親を知らないことの孤独感は誰もが共有できるものではない。その辛さを知っているからこそ、今の雪の心の不安が突き刺さる。


「親が分からないことの不安さは分かる。アイデンティティに関わる問題だからな。……私も母親の記憶がない」
「そう、なんですか」
「私を産んですぐに祖父に追い出されたんだ。一度も会ったことはない」
「会いたいですか?」
「会おうと思えば会えただろう、身分も分かるしもちろん名前も。でも会ったとて、なんの意味が生まれるんだろうと考えたが答えは出なかった。滝が毎日私の世話をしてくれることに対して、母親を求めることは後ろめたかったのかもしれない」
「滝さんがいたから寂しくなかった?」
「ああいう性格だしな」
「そっか」

 滝を思い出したのかふっと表情が緩む。

「会いたいか?」
「どう……なんでしょう」
「もし会いたいなら探す。いつでも言ってくれ」
「ってことは、本当に俺はあの人たちの子供じゃないんですね? 須賀さん、知ってるんですよね……」

 私は雪の白い手を覆うように握りしめた。

「雪が、知りたいと思ったら私は何でもするよ、その準備は出来ている」
「……」
「雪、これだけは覚えていてほしい。君が誰だろうと、誰の子供であろうと、Ωだろうが、そうでなかろうが、私には雪は、君ひとりだ。……前にも言ったろ、私の記憶の中に君がいる。ここと……ここで存在している」

 私は頭と胸を順番に指差した。

「君の中にも私がいるか?」
「え…………」
「αだけじゃない、ひとりの人間としての私が」

 少し間をおいて雪は小さく頷いた。







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