恋人契約~愛を知らないΩがαの愛に気づくまで~

Gemini

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恋人

第六十三話

「長谷川くん、いらっしゃい!」

 俺をそう呼ぶのは波野さんだ。前回の須賀エレクトロニクスの新事業の撮影のときにヘアメイクをしてくれてその縁で、今度は波野さんの新事業の手伝いをすることになった。今日は打ち合わせだということで波野さんの事務所へ来ている。

 事務所の奥の会議室のようなところへ通されて、波野さんは少し驚いた表情で俺の首を凝視していた。

 ──どう言葉にしたらいいか分からないって感じだなぁ……。

「チョーカー、してみました」
「えぇ?!」

 俺がへらっと笑って答えると波野さんが後ずさりながらまた大きく驚いた。

「長谷川くん、……笑った」
「え?」

 チョーカーのことを言われると思っていたのにそんなことを言われて俺は自分の頬に手を当てて恥ずかしいのを誤魔化す。

「一ヶ月くらいしか経ってないのに雰囲気変わりましたね」
「そぉ……ですかね」
「なんか垢抜けました」
「え?」
「あっ、前ももちろん、可愛かったんだけど、……なんか男の子って感じが出てる、青年っていうか」

 須賀に買ってもらったスタジャンを着ているからだろうか。

「違う、大人になった! そう、そう言えば良かったんだわ! ごめんね」
「ふふふ、大丈夫ですよ」
「あの、それで、その……」

 やはり気になってるチョーカーの話になった。波野さんは様子を伺うように俺を見る。

「俺……実はΩで、あのときはホルモンが微量だったし薬も飲んでたのでチョーカーはしてなかったんです」
「事情があるのね」
「はい……」
「ごめんね、Ωには滅多に会えないからソワソワしちゃった」
「……そうですよね」
「モデルや女優さんには希にΩの方がいるんだけど、仕事の都合上チョーカーはしていないから気づかないこともあるの」

 ──そうか、芸能界にはΩが活躍する場があるのか。

「須賀社長があんなにご執心なのもそのせいなのね」

 ──あ……。

 一瞬「そのせい」に引っかかりそうになるが、決して雪がΩだからじゃないという須賀の言葉がリフレインする。大丈夫。俺は須賀の言葉を信じることができてる。

 波野さんは持っていたファイルをトントンとテーブルに立てて揃え直して空気を変えた。そこにちょうど何人か女性が入ってきた。波野さんは彼女らを手招きし俺に紹介してくれた。

「みんな私のアシスタントだからこれからよろしくね。こちらは長谷川 雪さん」
「長谷川です、宜しくお願いします」
「宜しくお願いします!」
「じゃぁ、打ち合わせ始めようか」
「はい、お願いします」
「えっと、まず撮影場所なんだけれど、今回は沖縄にしようと思ってるの」
「沖縄?!」
「私の新事業だし、ちょっと奮発。ふふ。それとメイキング映像とかも少し欲しくて。長谷川くんの映像は極力顔全体は映さないようにするから大丈夫よ!」

 ──でもそもそも写真では顔を晒しすから意味がないんじゃ……


「写真と映像では全然違うから安心して。身バレすることはないように細心の注意をする。そこは絶対守る。須賀社長にも厳しく言われているし」
「……そう、ですか。分かりました、そこは波野さんに委ねます」
「ありがとう」

 身バレ。俺が一番心配しているのは今の生活が脅かされること。だったらこの仕事を引き受けなければ良かったのだが、心のどこかで素敵に仕上げてもらうことがとても嬉しかったんだと思う。
 須賀から貰ったタブレットにあのときのデータが入っていても、恥ずかしくてまだ見ることが出来ていないんだけど、撮影したあのとき、恥ずかしさの中にもやはり楽しかったことや嬉しかったことが心に残ってるから。

 それに須賀の表情も……。

 須賀が選んだあのミントグリーンのブラウスに袖を通した俺を見て須賀が微笑したんだ。恋人のフリだろうって思ってはいてもでもあの眼差しに心が踊ったし、キュッと苦しくなった。


「それで……契約のことなんだけど、どこかモデル事務所に入る予定?」
「い、いえ、波野さんのお仕事をお手伝いしたいだけで、俺はモデルになろうとは思ってないので……」
「ふふ、ありがとう。……でもそうなると長谷川くんと直接契約ということになるわね。よろしくね!」
「はい……」
「確定申告頑張って!」

 波野さんが揶揄うように笑った。

 ──確定申告?

 そういえば須賀エレクトロニクスとのお金も受け取りたくなくてそのまま保留にしてしていたことを思い出す。

 ──これって、もしや来年税金が大変なことになるんじゃ…。

「あの、給料無しには……」
「そんなこと出来ないわよ」
「ですよね……」

 俺も給料が無ければ家賃も払えない。

「大丈夫よ! 確定申告はみんなやってるもの、領収証は捨てないように! それだけ!」

 モデルの仕事より、確定申告という文字の重みのほうが上回って俺の肩にのしかかっている。







 夜、風呂から上がるとちょうどスマホが鳴った。須賀から与えられているスマホだ。切れてしまう前に出ないと。スマホを取り通話ボタンを押してからベッドに座った。

「須賀さん!」
『悪い、なにかの途中だったか?』
「いいえ、風呂からあがったところだったので直ぐに出られませんでした」
『じゃあ、髪を早く乾かさないと、またあとで──』

 須賀が会話を終えようとするのが分かる。でもその「またあとで」は須賀の場合いつになるのかは分からない。須賀は今イギリスに出張中で、時差もあるから二人のタイミングが合うことが難しい。

「あっ、電話切らないで、一分でいいから」
『……。今日打ち合わせ行ったんだろう?』
「はい、あっ! 須賀さん、知ってました? 撮影のために沖縄に行くことになったんですよ」
『はぁ? 聞いてないぞ』
「奮発しちゃったって言ってました」
『そんなの、スタジオで十分だろうに……』
「沖縄行ったことないから楽しみです。あっ、もう一分だ」
『ちょ……』
「須賀さん、ありがとうございました。お仕事がんばってくださいね」
『お……おう……』




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