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兆し
第八十七話
「ふむ……」
伏見氏は胸の前で腕を組み、目を瞑った。
「手助けをして頂けませんか」
「君は今の地位はおろか、すべてを捨てるというのか」
「その時はあなたに預けます」
閉じられた瞼がゆっくりと開いて視線がこちらに向く。
「……もう会えなくなるかもしれんぞ」
「そんなことにはさせません、万が一、ですよ」
「ふふふ。なるほどαらしい意気込みだ。……しかし君は見当違いをしておる」
「見当違い……とは……」
「αが創ったからと行ってαが壊すのではないということだ。それはガイアの意思ではない」
腕を解いて眉尻を下げた伏見氏の口調はとても穏やかだった。
「意思……」
「それはΩも同じこと。無理に変えずとも、じきにαの資本主義は終わる。そしてΩの時代が訪れるのだ。その時人間は労働から解放され、自身の本当の豊かさを知るときがやってくる」
「勝手に訪れる、と」
伏見氏の言っていることがうまく飲み込めない。
「あぁ、そうだ。例えばAIに戦々恐々としている人間がおるな。仕事を奪われるだなどと言って排除しようとする。しかしこの百年、明治以降、文明の発達のおかげですべての人間が労働と対価に囚われておる。人間の暮らしとはどういうものなのか考えもせず、αの創った仕組みで蜂のように働かされαに吸い上げられておる」
「面目ない」
いいんだ、君のせいじゃない、と伏見氏は笑った。
「AIは調停人だ。人間の創り出した最高傑作だ。なにも恐れることはない。全てを公平に審判を下すだろう」
「その時が……」
「あぁ、αの終焉だ」
「αの……終焉……」
「戦って勝ち取ることや破壊はαのやること。Ωはその時をじっと待つんだ。必ずΩの時代がやってくる」
「予め決まっているというこですか?」
「宇宙の摂理。これは抗いようがない。私たちも八○○年待った」
落ち着き払った伏見氏に、私は投げかける。
「Ωはずっと待っていた?」
「そうだな、これから十年戦争は激化するだろう、災害も増える、αは自滅していく。しかし恐れることはない。再生にはその前に破壊が必要なのだ。……日本人はスクラップ&ビルドは一度成功している。この国は大丈夫だ」
ここまで話して伏見氏はひとつ空気を変えるように深呼吸をした。
「いつか君に話しただろう。伏見は世の中の裏だと。そして伏見は生命をこの世に創り出す人間のDNAの貯蔵庫を担っている、と」
「えぇ……覚えています」
この広いリビングに飾られているイグドラシル、宇宙の樹。私はその絵画を見上げた。
ギリシア文字の最初のαと、最後てあるΩ。
「終わりと始まりは表裏一体だと、あなたは言いました」
「あぁ、そうだ」
伏見氏は嬉しそうに頷いた。
「ならば、αが支配しているこの今も──……」
「そうだよ、全ては、調和だ、須賀くん」
私は終始狼狽えていた。
支配していると思っているのはαだけ、すべては予定調和だった。
「αもβもΩが居なければ存在し得ない」
影も、光が無ければ存在できない。
すべては調和、神の創造した完璧なこの世界。
それを人間だけが乱している。
「決してΩは支配しない。Ωの時代が来ると言ったのは決してそういう意味ではないんだよ、須賀くん」
αの理論に当てはめてはいけないよと、伏見氏は湯呑みを口に近づけた。
「だから君が雪くんを手放す未来はやってこない」
「伏見会長……」
「αとΩが出会い、番になる。愛に溢れた世界がやってくる。自身を解放し本質を追求するんだ」
「会長、すいません、思考が追いつきません」
「いいんだ。これは頭で理解できることではない。君は雪くんを幸せにする、それが役目だ、いいね?」
私が雪に出会えたように、それが当たり前になる世界が間もなくやってくるという。
バース性に支配されない、公平な世の中。
αの支配者は未来へのアジェンダとして多様性を謳い、古い概念を持つものたちを排除している。故意に軋轢を生じさせ分断させ、差別を作る。
しかし伏見氏から受け取るイメージには、全てを調和に導くものがある。そう、かつての日本にあった、性への開放、自由さ。
Ωの性質そのものとも言えるが、
偶像崇拝のない民族だからこそ、それが叶う世界。
「会長、それは、あなたが日本人でなければ成し遂げられないのでは?」
「ほぉ……、どうやら少し視えてきたかな」
顎に手を置いてニヤリとした。
「日本人でなければならない……」
「それは君も雪も同じだね」
「え……」
「伏見は、ただの貯蔵庫に過ぎないということだ。決してその時まで日本人を絶やさない。それが仕事だ」
「日本人を絶やさない……」
そう呟いた私に伏見氏は突然、豪快に笑った。
「αとこんな話をするとは思いもしなかったな。この年まで生きてきた甲斐があった、かな」
「身に余るお言葉です」
それに、依然として咀嚼しきれていない。そのもどかしささえも、伏見氏は何故か嬉しそうに私を見つめている。
結局私はαで、考え方もモノの運び方もそれなんだ。
αの若造に、このような慈愛の眼差しを向けてくれる伏見氏に、私は何とも筆舌し難い感情が湧き起こる。
そして私の中にある雪の残像が過ぎった。
何とかして伏見夫婦と雪を繋ぎ合わせられないのかと。
雪の心を尊重したい。
けれど、伏見氏に報いたいという自分でも信じられない感情が生まれていた。
「伏見ご当主とのお話が弾んでおられたようで」
伏見氏と会っている間、佐伯は伏見の使用人たちが過ごす居間で待たせてもらっていたという。有名店の最中を土産に持たされご機嫌な佐伯がバックミラー越しに私を見た。
「あぁ、腰を抜かしそうになった……はは」
眉間を摘んで緊張を解くが、脳が熱を持ってショートしてしまいそうだ。
「社長をそこまで疲弊させるとは、さすがはご当主様です」
「底知れぬお方だ」
「今日はこのままお帰りになりますか?」
「いや……」
スマホを取り出して待ち受け画面を見る。
「雪は大学か」
「お迎えにあがりますか?」
「そうだな」
佐伯は鼻歌混じりに車線変更をした。
「あっ、須賀さん!」
雪の学部棟へ向かうと雪の先輩の夏子に呼び止められた。夏子は焦った様子だった。
「雪くん、体調悪いって早退したんですが……連絡行ってませんか」
伏見氏は胸の前で腕を組み、目を瞑った。
「手助けをして頂けませんか」
「君は今の地位はおろか、すべてを捨てるというのか」
「その時はあなたに預けます」
閉じられた瞼がゆっくりと開いて視線がこちらに向く。
「……もう会えなくなるかもしれんぞ」
「そんなことにはさせません、万が一、ですよ」
「ふふふ。なるほどαらしい意気込みだ。……しかし君は見当違いをしておる」
「見当違い……とは……」
「αが創ったからと行ってαが壊すのではないということだ。それはガイアの意思ではない」
腕を解いて眉尻を下げた伏見氏の口調はとても穏やかだった。
「意思……」
「それはΩも同じこと。無理に変えずとも、じきにαの資本主義は終わる。そしてΩの時代が訪れるのだ。その時人間は労働から解放され、自身の本当の豊かさを知るときがやってくる」
「勝手に訪れる、と」
伏見氏の言っていることがうまく飲み込めない。
「あぁ、そうだ。例えばAIに戦々恐々としている人間がおるな。仕事を奪われるだなどと言って排除しようとする。しかしこの百年、明治以降、文明の発達のおかげですべての人間が労働と対価に囚われておる。人間の暮らしとはどういうものなのか考えもせず、αの創った仕組みで蜂のように働かされαに吸い上げられておる」
「面目ない」
いいんだ、君のせいじゃない、と伏見氏は笑った。
「AIは調停人だ。人間の創り出した最高傑作だ。なにも恐れることはない。全てを公平に審判を下すだろう」
「その時が……」
「あぁ、αの終焉だ」
「αの……終焉……」
「戦って勝ち取ることや破壊はαのやること。Ωはその時をじっと待つんだ。必ずΩの時代がやってくる」
「予め決まっているというこですか?」
「宇宙の摂理。これは抗いようがない。私たちも八○○年待った」
落ち着き払った伏見氏に、私は投げかける。
「Ωはずっと待っていた?」
「そうだな、これから十年戦争は激化するだろう、災害も増える、αは自滅していく。しかし恐れることはない。再生にはその前に破壊が必要なのだ。……日本人はスクラップ&ビルドは一度成功している。この国は大丈夫だ」
ここまで話して伏見氏はひとつ空気を変えるように深呼吸をした。
「いつか君に話しただろう。伏見は世の中の裏だと。そして伏見は生命をこの世に創り出す人間のDNAの貯蔵庫を担っている、と」
「えぇ……覚えています」
この広いリビングに飾られているイグドラシル、宇宙の樹。私はその絵画を見上げた。
ギリシア文字の最初のαと、最後てあるΩ。
「終わりと始まりは表裏一体だと、あなたは言いました」
「あぁ、そうだ」
伏見氏は嬉しそうに頷いた。
「ならば、αが支配しているこの今も──……」
「そうだよ、全ては、調和だ、須賀くん」
私は終始狼狽えていた。
支配していると思っているのはαだけ、すべては予定調和だった。
「αもβもΩが居なければ存在し得ない」
影も、光が無ければ存在できない。
すべては調和、神の創造した完璧なこの世界。
それを人間だけが乱している。
「決してΩは支配しない。Ωの時代が来ると言ったのは決してそういう意味ではないんだよ、須賀くん」
αの理論に当てはめてはいけないよと、伏見氏は湯呑みを口に近づけた。
「だから君が雪くんを手放す未来はやってこない」
「伏見会長……」
「αとΩが出会い、番になる。愛に溢れた世界がやってくる。自身を解放し本質を追求するんだ」
「会長、すいません、思考が追いつきません」
「いいんだ。これは頭で理解できることではない。君は雪くんを幸せにする、それが役目だ、いいね?」
私が雪に出会えたように、それが当たり前になる世界が間もなくやってくるという。
バース性に支配されない、公平な世の中。
αの支配者は未来へのアジェンダとして多様性を謳い、古い概念を持つものたちを排除している。故意に軋轢を生じさせ分断させ、差別を作る。
しかし伏見氏から受け取るイメージには、全てを調和に導くものがある。そう、かつての日本にあった、性への開放、自由さ。
Ωの性質そのものとも言えるが、
偶像崇拝のない民族だからこそ、それが叶う世界。
「会長、それは、あなたが日本人でなければ成し遂げられないのでは?」
「ほぉ……、どうやら少し視えてきたかな」
顎に手を置いてニヤリとした。
「日本人でなければならない……」
「それは君も雪も同じだね」
「え……」
「伏見は、ただの貯蔵庫に過ぎないということだ。決してその時まで日本人を絶やさない。それが仕事だ」
「日本人を絶やさない……」
そう呟いた私に伏見氏は突然、豪快に笑った。
「αとこんな話をするとは思いもしなかったな。この年まで生きてきた甲斐があった、かな」
「身に余るお言葉です」
それに、依然として咀嚼しきれていない。そのもどかしささえも、伏見氏は何故か嬉しそうに私を見つめている。
結局私はαで、考え方もモノの運び方もそれなんだ。
αの若造に、このような慈愛の眼差しを向けてくれる伏見氏に、私は何とも筆舌し難い感情が湧き起こる。
そして私の中にある雪の残像が過ぎった。
何とかして伏見夫婦と雪を繋ぎ合わせられないのかと。
雪の心を尊重したい。
けれど、伏見氏に報いたいという自分でも信じられない感情が生まれていた。
「伏見ご当主とのお話が弾んでおられたようで」
伏見氏と会っている間、佐伯は伏見の使用人たちが過ごす居間で待たせてもらっていたという。有名店の最中を土産に持たされご機嫌な佐伯がバックミラー越しに私を見た。
「あぁ、腰を抜かしそうになった……はは」
眉間を摘んで緊張を解くが、脳が熱を持ってショートしてしまいそうだ。
「社長をそこまで疲弊させるとは、さすがはご当主様です」
「底知れぬお方だ」
「今日はこのままお帰りになりますか?」
「いや……」
スマホを取り出して待ち受け画面を見る。
「雪は大学か」
「お迎えにあがりますか?」
「そうだな」
佐伯は鼻歌混じりに車線変更をした。
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